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二十二話 明日香の憂鬱(二)

五月四日日曜日の朝になった。昨日は買ってもらったドレスが来た日なので、着付けなどで一日を費やしてしまった。今日は絶対にお姉様に会おう。


そう決心して朝食後私は母に告げた。「今日はお姉様に会いに行ってくるわ!」


「お姉様って美知子さんのこと?」と聞き返す母。


「そうよ。決まってるじゃない」


「なら、行きがけにお菓子を買って持って行ってくれる?いつも杏子がお世話になっているから」


「わかった。どんなお菓子でもいいの?」


「ええ。和菓子でも洋菓子でも。贈答用に熨斗のしを付けてもらってね」


「わかったわ」と答えていると、そこに姉さんがのっそりと現れた。


「美知子さんの家に行くの?」


「そうよ。卒業式以来会ってないんだから」


「私も行くわ。準備するから待っててね」と姉さんが言って自室に戻って行った。


姉さんはなかなか部屋から出てこなかった。ほんとは姉さんを置いて先に出かけたいところだが、そうもできないので、待っている間お姉様のことを考え続けた。


藤野美知子お姉様はいろんなことを知っていて、いろんな特技を持っていて、そしていつもよく笑っていた。姉さんや祥子姉さんに聞くと短大に入学してからは今の姉さんのように穏やかになった分、平凡で地味になったそうだ。とても信じられない。絶対にお姉様にお会いして確認しなければならない。


そんなことをもやもやと考えていると、ようやく姉さんが身支度を整えて出て来た。


「お待たせ、明日香」と姉さんが言った。


「待たせ過ぎよ」と私は文句を言ったが、ここでけんかをすればますます家を出るのが遅くなる。私は姉さんの手を引くと「行ってきます」と母親に言って家を出た。


まず最初に行ったのは商店街だ。連休中なのに和菓子屋さんが開いていたので、迷わず中に入って栗まんじゅうの詰め合わせを買った。


「熨斗紙を付けてください」と店員さんに言うと、


「どのような表書きにいたしましょうか?」と聞かれた。


「姉さん、こういう時は何て書くの?」と姉さんに聞くと、


「手みやげだから『御礼』でいいんじゃない?」と答えたので、そのように書いてもらった。


包装紙に包んだ栗まんじゅうを受け取り、お姉様の家に向かう。そして玄関前に着くと、私は引き戸を開けて声をかけた。ドアホンなんて付いていなかったからだ。


「こんにちは、明日香です!」


するとお姉様のお母様がすぐに玄関に現れた。


「まあ、明日香さんに杏子さん、ごめんなさいね」といきなり謝られてしまった。


「美知子は今日お友だちの披露宴に呼ばれているの。女子高の時の同級生のご結婚なんだけど、新郎さんとも面識があるということでお呼ばれされたの」


がっくりとうなだれる私。姉さんは栗まんじゅうをお母様に差し出した。


「これはうちの母からです。美知子さんにいつもお世話になっているので、つまらない物ですが、どうぞお受け取りください」


「あら、悪いわね、杏子さん。美知子こそお世話になっているのに・・・」


「お姉様はいつ頃お帰りになるの?」私はお母様の言葉を遮るようにして聞いた。


「今日は遅くなりそうって言ってたわ。明日は夕方に下宿の方に帰るけど、朝、明日香さんのお宅に顔を出すよう言っておきましょうか?」


ここでお母様に頼んでおけば、明日必ずお姉様は私の家に来てくれたことだろう。しかし私は、


「いえ、明日もこちらに参りますので、家で待ってもらうようお伝え願えますか?」と言ってしまった。


「それでいいならそう伝えておくわ。・・・せっかく来られたからお上がりなさいな」とお母様に言われたので、


「お言葉に甘えて少しだけ」と答えて姉さんと一緒に上がらせてもらった。


お姉様の家のお茶の間にはお姉様のお父様がくつろいでおられたので、ごあいさつをしてちゃぶ台の前に座らせてもらった。すぐにお母様がお茶を出してくれる。


「本当にごめんなさいね。昨日は一日中のんびりしていたから、昨日だったら良かったのに」


昨日は朝方ドレスを受け取って、みんなで着て浮かれていた。その後マキを駅まで送って、結局少し遅くなったので遠慮したのだった。本当に間が悪い。


「あの・・・お姉様は短大に入学されてから少し変わられたと姉から聞きましたが、本当ですか?」と、この際だから気がかりだったことをお母様にも聞いてみた。


「そうなの。・・・実際は卒業式の次の日からなんだけど、何かのんびりした感じになっちゃってね。生徒会長の重圧から解放された反動かしらとその時は思っていたけど、それからずっとそんな調子なの」


「姉にそう聞きましたが、直にお会いしていないので信じられません」


「杏子さん、美知子はあんな様子できちんと家事をしているのかしら?」


「いつもお世話になってますわ。お料理、お掃除、お洗濯と、すべてしていただいてますのよ。申し訳ないくらい」と姉さんが答えた。掃除と洗濯くらい、自分たちでやればいいのに、と思ってしまう。


「お世話できていればよろしいんですけどね」とお母様。


その後、宿題のブラウス作りなどのお話をお母様として、「また一緒にお裁縫をしましょうね」と言ってもらってから帰路についた。


家に帰ったら母が、「ちゃんとお菓子を渡してくれた?」と聞かれた。


「渡したわよ。でも、お姉様は外出されててまた会えなかった」


「それは残念だったわね」


「これまで二度伺って二度とも会えなかった。・・・明日はお宅で待ってもらうようお願いしておいたから、今度こそ会えると思うけど」


「二度ある事は三度あると言うわね」と姉さんが口をはさんだのでお尻をつねった。


「三度目の正直よ!」


翌朝になると母の朝食作りを手伝い(食器などを出しただけ)、早めに食べ終わると、姉さんを置いて玄関を出た。


その直後、母が玄関ドアを開けて私に声をかけた。「明日香、美知子さんのお宅からお電話よ!」


あわてて家の中に戻り、置いてあった受話器を手に取る。「もしもし、お姉様?」


ところがそれはお母様の声だった。「ごめんなさいね、明日香さん」


「え?お姉様はおられないのですか?約束してもらったのに?」


「それがね、美知子は明日香さんを待つつもりだったの。ところがついさっき森田さんが来られてね、強引に美知子を連れ出したの。自分のお家に連れて行くと言って。・・・出がけに美知子が明日香さんに謝っておいてっと私に言い残したのよ」


「そ、そんなぁ・・・」


森田さんって誰?・・・そう言えばマキのクラスの副委員長が森田なんとかという名前だった気がする。


「いつお帰りになられるの?」


「さあ。・・・でも、森田さんのお母様も美知子のことを気に入られているから、ぎりぎりまで留められるんじゃないかと思うの」


私は受話器を置くとその場にうずくまってしまった。


「どうしたの、明日香?」と母と姉さんが声をかけてきた。


「またお姉様に会えなくなった・・・」


「そうなの?残念ねえ」と母。


「こんなに会えないと、本当にお姉様が存在するのかって疑ってしまうわ」


「存在するわよ。下宿では毎日一緒に住んでるのよ」と姉さんが幸せそうに言ったので思わず睨みつけた。


「姉さんは今日お姉様と一緒に帰る約束をしていないの?」


「五時頃の電車で帰りましょうって言ってあるから、その頃には駅に来ると思うけど」


電車に乗る前のわずかな時間に会って立ち話をするしかないのか。


「私は祥子と一緒に帰ることにしているから、祥子の家に遊びに行くけど、明日香はどうする?」と姉さん。


「そうね。今日はもうすることがなくなったから、私も行こうかしら。ついでに夕方になったら駅まで送るわ。お姉様に会うためにも」


姉さんは母に「祥子の家からまっすぐ下宿に帰る」と告げた。手荷物を持って一緒に家を出る。


従姉の祥子姉さんの家に行くと、姉さんたちと同い年ぐらいの知らない女性が来ていた。その女性は姉さんを見ると驚いてつかみかからんばかりだった。


「あ、あなた、本当に杏子なの!?」どうやらその女性は女子高時代の姉さんを知っていて、大学に進学した後の姉さんとはこれまで会ってなかったようだった。


「そうなのよ。妙におしとやかになっちゃって、別人みたいでしょ」と祥子姉さん。


「そうかな?髪を伸ばしただけだけど」と相変わらず自覚がない姉さん。


「それでこのかわいらしい方は誰?あなたたちに顔が似てるけど」とその女性は私を見て聞いた。


「この子は水上明日香。杏子の妹で、今は松葉女子高の二年生なの」祥子姉さんはそう私を紹介すると、今度は私に言った。


「この人は室田華絵むろたはなえさん。私が生徒会長だった時に副会長をしてくれた人なの。当時は美術部の部長で、美知子さんとも親しいのよ」


「そうなんですか・・・」私は室田さんの顔をじっと見た。お姉様がこの人とキスをしたという話は聞いたことがなかったけど、当時はお姉様のことをどう思っていたんだろう?


「杏子に、と言うよりは、祥子に似て頭が良さそうな美人さんね。でも、顔が暗いわ。どうかしたの?」


「明日香は、昨日も今日も美知子さんに会えなかったのでしょげているの」と姉さんが言った。


「へ~、この子も藤野さんが大好きなの?さすがに血は争えないわね」


「どういう意味よ!?」「どういう意味ですか!?」祥子姉さんと私が同時に叫んだ。


それを聞いて大笑いする室田さん。


「ほんとにそっくりね、あなたたち。そう言えば藤野さんは秋花女子短大に入学したんでしょ?」


「そうよ。私と杏子の下宿に同居してもらって、毎日楽しく過ごしてるんだけど・・・」と祥子姉さんは言って声を落とした。


「どうしたの、祥子?」


「それがね、美知子さんも杏子と同じように卒業してから人が変わったみたいにおとなしくなったの」


「ええ~、信じられないわ。あの藤野さんが?」


お姉様の変貌ぶりを熱を込めて説明する祥子姉さん。姉さんは相変わらずぴんときてないようだったけど。


「あの、美術部員だった頃のお姉様のことを教えてもらえますか?」と私は口をはさんだ。


「お姉様?・・・杏子や祥子を差し置いて、藤野さんのことをお姉様と呼んでるの?あなたも筋金入りね」とあきれられた後で、室田さんはお姉様のことを色々と教えてくれた。


私の知らないお姉様のことを色々と教えてくれる室田さん。その後、お昼をいただいて(ひやむぎだった)、室田さんに進学した明応大学の様子などを聞き、私はそれなりに楽しい時間を過ごした。


そうこうしているうちに五時近くになったので、祥子姉さんが話を切り上げた。


「そろそろ私たちは下宿に戻るけど、華絵はどうする?」


「なら私も一緒に帰るわ。家に荷物を取りに行くから付き合ってよ」


「わかったわ。駅に行くついでに寄りましょう」


四人で黒田家を出て室田さんの家に向かう。「駅に行くついでに寄る」と言っていたので駅の方向に家があるのかと思ったが、実際は反対方向だった。


私は祥子姉さんと楽しそうに話している室田さんに先に行くとはなかなか言えず、やきもきしながら室田さんたちの後ろをついて行った。


室田さんの家にようやく着くと、「準備をしてくるからとりあえず上がってよ」と言われたが、ここで家に上がるとなんやかんやでまた時間がかかりそうだった。


「私は外で待ってます」と固辞した。


「そうね。私たちはここで待ってるから、早く用意して来てよ」と祥子姉さんが言ってくれて、余計な時間を回避することができた。


すぐに荷物を持って家から出て来る室田さん。今から駅に行けば、五時半頃には着くだろう。お姉様も、三十分くらいなら待っていてくれるはず。


そう思って心もち早足で駅に向かった。室田さんはまた祥子姉さんと話しながら歩いていたので、私が前を歩いて少しでも早く歩かせるように仕向けたつもりだった。


ところが、駅に向かう途中でトラブルに遭遇した。


登場人物


水上明日香みなかみあすか 松葉女子高校二年生。

水上杏子みなかみきょうこ(姉さん) 明日香の姉。秋花しゅうか女子大学二年生。

藤野美知子ふじのみちこ(お姉様) 秋花しゅうか女子短大一年生。明日香が敬愛する先輩。

森田茂子もりたしげこ 松葉女子高校二年生。美知子を慕っている。

内田真紀子うちだまきこ(マキ) 松葉女子高校二年生。明日香の家に下宿している。

黒田祥子くろだしょうこ 明日香の従姉。秋花しゅうか女子大学二年生。

室田華絵むろたはなえ 明応大学二年生。元松葉女子高校生徒会副会長・美術部部長。


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