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十八話 みすずの挑戦

「みすずさんは思い切りが良くて行動力があるわね。二十代の前半で素敵な男性に出会ってすぐに結婚しそう」


これは前生徒会長の藤野先輩の短大合格祝賀会で、私が藤野先輩に手相を観てもらった時のお言葉だ。嬉しかった。


さらに早く結婚したいのなら、家庭科や家事に力を入れた方がいいとのアドバイスをもらった。


それで家事の手伝いを積極的にしようと思っていたが、親友の美里や芳野を見ているうちに私は何をすればいいのだろうかと悩むようになった。


美里は勉強ができ、女子高を卒業したら大学に進学するだろう。その上手芸が趣味で、半年後の松葉祭しょうようさいまでにドレスを縫うよう和歌子から言われている。


ドレスを縫うなんて大変そうで、私には到底無理だろう。でも、美里なら完成できそうな気がする。


芳野は藤野先輩に料理を頑張ると良いと言われ、先日の芳野の誕生日には、芳野の家で手料理をふるまってもらった。少ししゃれた料理だったし、何よりおいしかった。


私も家では母の作る料理の手伝いをしているが、茶色っぽい煮物だったり、焼き魚だったり、今ひとつおしゃれな料理が作れない。


美里に裁縫で劣り、芳野に料理で劣る私は、家事の何を頑張ればいいのだろう?そう思い悩むようになっていたのだ。


いっそのこと家事は現状維持で、別のことを努力してみようか?例えば勉強。しかし成績が常に学年トップの和歌子や美里と違い、私の成績順序は中の中くらい。・・・勉強で爪痕を残すのは難しそうだ。


いっそのこと芸術方面で頑張る?・・・でも、絵を描くのは下手だし、歌も演奏も才能がなさそうだ。ついでに踊りも。・・・そう考えると、勉強ができ、第二校歌を作り、似顔絵が上手で、文芸部で随筆や小説を執筆し、しかも手相を観ることができた藤野先輩は何と多才だったことか。心から尊敬してしまう。


自分には何も秀でたものがない。そう思い悩みながらある日の放課後に帰宅の準備をしていると、芳野が声をかけてきた。


「みすず、どうかしたの?今日はなんだか元気がないよ」


芳野にも悩んでいることが悟られたようだ。私は「ちょっとね」と言って芳野と一緒に教室を出た。ちなみに和歌子と美里は生徒会の仕事でいなかった。


芳野と歩きながら話し始める。「芳野のお誕生会で作ってもらったお料理、おいしかったわね」


「え?お腹がすいてたの?それで元気がなかったの?」


「そうじゃないわよ。芳野が料理をがんばったのは、藤野先輩にそうした方がいいって占われたからでしょう?」


「そうよ」


「私も、早く結婚したいのなら家事を頑張りなさいって言われて、家ではお手伝いをしっかりしているつもりなんだけど、なんかぱっとしないというか・・・」


「家事なんて、元々ぱっとするようなものじゃないでしょ」


「でも、芳野はお料理が得意だし、美里は手芸が趣味で、今度はドレスを縫うってことになったし、家事の中でも特技があっていいなあって思ってるのよ」


「なら、みすずもお料理か手芸を頑張ってみたら?」


「それじゃあ芳野や美里の二番煎じじゃない。私ならではってことがしたいの」


「そうねえ。・・・じゃあ、お料理に近いけど、お菓子作りに挑戦してみたら?」


「お菓子作り?」と私は聞き返した。


「そう。手作りのクッキーとかケーキとか・・・」


「クッキーとかケーキって、オーブンを使わないと作れないんじゃないの?オーブンなんて私の家にはないんだけど」


「フライパンで作れるお菓子もあるみたいよ。そういうのを試しに作ってみたら?」


「わかった。・・・でも、芳野はお菓子作りはしないの?」


「私はお菓子以外のお料理を頑張ろうと思ってるの。興味ないことはないけど、そこまでなかなか手を広げられないわ。でも、自分で作らなくても、みすずが作るところを見て勉強したいと思うわ」


「そう?じゃあ、頑張ってみる。・・・作り方が書いてある本がないか、図書室で探してみる」


「私も行くわ」と芳野が言って、二人で学校の図書室に寄った。


図書室では文芸部員の弓長さんと浜田さんが本を読んでいた。私たちは奥の書架の方に進み、料理関係の本が並んでいるところを探した。さすがは家政科に力を入れている女子高だけあって、『洋菓子製法大全集』の上・中・下巻が並んでいた。それを取って閲覧用の机の上に広げて読んでみる。


「ちょっと専門的だけど、クッキーくらいならフライパンでもできそう。材料をメモしておかなくちゃ」と私が言うと、


「ロールケーキも作れそうね」と芳野も言ったので、そちらの製法もメモしておいた。


「さっそく連休中に作ってみようかしら?芳野も私の家に来て一緒に作らない?」


「いいの?・・・じゃあ、お邪魔しようかしら」


ということで、五月五日に私の家に集まることを約束して、それまでに私は必要な材料を用意した。


当日の朝に私が台所に食材などを並べて待っていると、玄関から芳野の声が聞こえた。


「来たわよ、みすず」


私が急いで玄関に出ると、芳野の後ろに芳野の妹のさくらちゃんが立っているのに気づいた。


「あら、さくらちゃんも来たの?」


「ごめんね、さくらも一緒に作ってみたいって言って」


「私は構わないけど、さくらちゃんは友達との約束とかなかったの?」


「うん、みんな家族と遊びに行ったり、旅行に行ったりしてて、誰もいないんだよ」とさくらちゃん。


「そう?じゃあ一緒に作りましょう」と私は言って二人を家に上げた。


「まず何から作るの?」とさっそく聞くさくらちゃん。


「最初はクッキーよ。手伝ってね」


私は薄力粉と粉砂糖を出し、三対一の割合でボールに移した。それをふるいにかけて別のボールに移す。そこにマーガリンを加えて手で混ぜ合わせると、三人で生地を一口サイズに分けて丸めた。さらに平たくして、熱したフライパンで両面を焼いた。


「けっこう簡単だね」と言うさくらちゃん。


「でも、おいしいかしら?」と私が言ったので、さっそく三人で味見をすることにした。


「うん、おいしいわ」と芳野も言ってくれた。


「生地に肉桂ニッキやチョコレートを混ぜてもおいしそうね」


「次は何を作るの?」とさくらちゃん。


「ロールケーキよ」と私は答えて、今度はホットケーキミックスの袋を取った。


ホットケーキは以前から自分で作っていた。市販のミックスの粉に水を加えて練って、フライパンで両面を焼くだけだ。しかしあまりにも簡単すぎて、手作りお菓子と自慢できるものではない。しかしそれをロールケーキ作りに応用するのだ。


ただ、ロールケーキ作りにはバタークリームを作る必要がある。


まず卵を割り、卵黄と卵白を手で分ける。卵黄を鍋にとって砂糖を加えて良く混ぜ、牛乳とバニラエッセンスを合わせてさらに混ぜ合わせる。ガスレンジの火を着け、弱火でとろみがつくまでヘラで混ぜ、火から降ろして冷ましておいた。


そこに室温で軟らかくしておいたバターを加え、泡立て器でよく混ぜ合わせてクリーム状にすることでバタークリームが完成した。


薄目に焼いたホットケーキの内側にバタークリームを塗り、伊達巻のようにホットケーキを丸める。そして両端を切り、適当な厚さに切り分けてロールケーキの完成だ。


「ねえ、この端っこ食べていい?」とさくらちゃんが聞いた。


「いいけど、その前に紅茶を淹れましょうよ」と私は言って紅茶のティーバッグとレモンを持って来た。レモンは薄切りにし、紅茶用のお湯をわかす。


三人分のカップにレモンティーを淹れると、三人で食卓に座った。


「いただきまーす!」と言ってさっそくロールケーキの端っこを手に取るさくらちゃん。


「おいし~い!」とさくらちゃん。「海苔巻きもロールケーキも、端っこがおいしいのはなぜかしら?」


「具やクリームがはみ出しているからかな?」と芳野。「・・・うん、ロールケーキもクッキーと同じようにおいしいわ」


「そうね。ロールケーキはクリームにジャムを混ぜたら味が変わって楽しいかも。材料が入手しにくいけど、本に書いてあった生クリームもおいしそうね」と私も言った。


「これからいろいろアレンジを加えて、新しいお菓子にも挑戦して頑張ってみるわ。そして手芸上手な美里、料理自慢の芳野に匹敵するお菓子作りのみすずと呼ばれるようになってみせるわ」


「がんばってね」と応援してくれる芳野。


「私も今度家で作ってみようかな」とさくらちゃんも言っていた。ライバルの出現かな?


紅茶を飲んだ後で余ったクッキーは二つの紙袋に分けて入れた。そのうちのひとつをさくらちゃんに渡す。


「これはおみやげ。おうちで食べてね」


「ありがとう、みすずさん。・・・もうひとつの紙袋は?」


「これは和歌子と美里に食べてもらって、感想を聞こうと思うの」


「それがいいわね」と芳野が言って、さくらちゃんと一緒に帰って行った。


翌日(五月六日火曜日)、私は登校する時にお弁当と一緒に紙袋に入れたクッキーをカバンに忍ばせた。そしてお昼休みになると、いつものように和歌子と美里と芳野と集まって一緒にお弁当を食べ始める。


その時、私は「じゃじゃ~ん」と言って紙袋を取り出した。怪訝そうな顔をする和歌子と美里。


「何、それ?」と聞く和歌子。


「実は昨日、芳野に手伝ってもらってクッキー作りに挑戦してみたの。これは二人へのおすそ分けよ」


「へ~」と言って紙袋からクッキーを一枚ずつ取り出す和歌子と美里。二人はさっそく味見をしてくれた。


「形はちょっといびつだけど、味はまあまあね」と和歌子。


「この形だからこそ手作りってわかっていいんじゃない?・・・味はおいしいわよ」と美里も言ってくれた。


「初めて作ったけど、要領がわかって来たから、今後はいろいろな味や種類のお菓子に挑戦するわ」


「楽しみにしてるから、またおすそ分けをお願いね」と和歌子がちゃっかりと言った。


「あのね・・・」となぜか芳野がもじもじと話し出した。


「どうしたの、芳野?」


「実は昨日、みすずの家から帰るときにね、藤野先輩に会ったの」


「えええっ!?」と声を上げる私たち。特に大きな声を出したのは和歌子だった。


「美知子先輩に会ったの!?」


「ええ。みすずの家から帰る途中で、ちょうど下宿に戻るために駅に向かっている藤野先輩にお会いしたの」


「そ、それで、話しかけたの?」


「ええ。『こんにちは、藤野先輩』って声をかけたら、『あら、芳野さんね。こんにちは』って答えてくれたの」


「どんな様子だった?お元気そうだったの?」と食いつく和歌子。


「ええ・・・」と答えかけて口ごもる芳野。


「様子が変なところがあったの?」


「それが・・・短大生になったからかしら、とても穏やかな感じに変わられていて、一瞬別人に声をかけたのかと思ってしまったわ」


「そんなに雰囲気が変わってらしたの?」と私も聞いた。


「ええ。顔は変わってなかったけどね」


藤野先輩の様子がどれだけ変わっていたのか、芳野の話だけでははっきりわからなかった。


「それでどうしたの?」


「あまり長話ができそうになかったから、みすずの作ったクッキーを差し出して『みすずと一緒に作ったので食べてください』って言って紙袋を渡したの。・・・みすず、ごめんね」


「それはかまわないけど。・・・私もお会いしたかったわ」


「私も」「私もよ」と和歌子と美里も言った。


「藤野先輩は紙袋を受け取って、『ありがとう。私は元気にやっているから、みんなにもよろしくね』って言って帰られたわ。・・・さくらはクッキーがなくなってちょっと不満そうだったけどね」と芳野が締めくくった。


私たちはしばし不思議な先輩に思いを馳せながら昼休みを過ごした。


登場人物


矢田やだみすず 松葉女子高校三年一組の生徒。

葉山芳野はやまよしの 松葉女子高校三年一組の生徒。

葉山はやまさくら 葉山芳野の妹。中学一年生。

古田和歌子ふるたわかこ 松葉女子高校三年一組の委員長、生徒会長。

大野美里おおのみさと 松葉女子高校三年一組の副委員長。

弓長聖子ゆみながせいこ 松葉女子高校二年三組の委員長。文芸部員。

浜田澄子はまだすみこ 松葉女子高校二年三組の生徒。文芸部員。

藤野美知子ふじのみちこ 前年度の生徒会長。今年卒業した。


お菓子材料情報


ホーム食品/ホームラック(ホットケーキの素)(1931年発売)

森永製菓/森永ホットケーキの素(1957年発売、加糖タイプ。1959年に森永ホットケーキミックスに商品名を変更)

明治屋/バニラエッセンス(1954年発売)


書籍情報


五十嵐敏夫/洋菓子製法大全集〈上・中・下巻〉 (1967年5月30日初版)


紅茶情報


日東紅茶/日東ティーバッグ(缶入り)(1961年発売)

日東紅茶/日東ティーバッグ(ボンカップ入り)(1968年発売)


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