十四話 藤娘集結
百貨店一階の化粧品売り場でぺちゃぺちゃしゃべりながら商品を見ている女性が二人いる。一か所にとどまらず移動しながら見ているので、まじめに買う気はなさそうだった。
一人は佐藤孝子、この三月に女子高を卒業したばかりだ。まだ慣れない化粧の仕方で、化粧品売り場の店員が話しかけようとするが、すぐにその場を離れてその隙を与えなかった。
もう一人は齋藤美樹。孝子の元クラスメイトだ。二人は女子高を卒業した後、進学も卒業もせず家事手伝いとして自宅にいる。
つまり料理や裁縫、良家なら華道などの花嫁修業をしながらいい縁談が来るまで実家で過ごすのである。家事をすると言っても母親が現役の主婦として家にいるので、要するにあまりすることはなく暇だった。
特に二人は元クラスメイトの前生徒会長に手相で結婚は四、五年後と占われていたので、本格的な花嫁修業は結婚相手が決まってからでいいやと考えて毎日のんびり過ごしていた。
今日も親友の孝子と美樹はだべりながらウインドウショッピングをして、お茶をするつもりで百貨店に来ていた。
その時、孝子が化粧品売り場を通り過ぎる二人の女性に気づいた。
「ねえ、あれ翠じゃない?」それは二人の元クラスメイトの須藤 翠とその母親だった。
「ほんとだわ。声をかけましょう」と美樹。
二人は翠に近づくと声をかけた。「こんにちは、翠、おばさん」
「あら、孝子と美樹じゃない」と翠が二人に気づいて言った。
「相変わらず暇そうね」
「アンニュイな生活を楽しんでるのよ」と孝子。「お二人は嫁入り用のお買いもの?」
「だいたい準備は終わってるんだけどね、化粧品の買い足しとか、小物を見ようと思って来てたの」
翠はゴールデンウイークに結婚する予定だった。
「もうあと何日もないわね。緊張してる?」と聞く美樹。
「なるようになると思って、深く考えないようにしてるのよ」とあっけらかんと話す翠。
「あ、お母さん、二人と少しお話しするわ。先に帰って」と翠は母親に言った。
「わかったわ。じゃあね、孝子さん、美樹さん」と翠の母親は二人に会釈して立ち去った。
「もう買い物は終わったの?」と翠に聞く孝子。
「ええ。実際は大した買い物はないの。大体準備を終えているから。気分転換にお母さんと遊びに来ただけよ」
「じゃあ、私たちと遊んでていいのね」と美樹。
「ええ、大丈夫よ」
「なら、まずお茶でも飲みましょうよ」と孝子が言って、三人で最上階の大食堂に行った。この百貨店にはこの食堂しかなく、同じスペースで和洋中の食事や喫茶が楽しめるのだ。
百貨店のエレベーターに乗って最上階に行き、大食堂のショーウィンドウ前に進んだ。するとそこに二人の小さな子どもをつれた女性が食品サンプルを眺めながら立っていた。
「あら、雛子じゃない。それに雪子ちゃんと月子ちゃんも」と声をかける翠。
「あら、翠、孝子、美樹!みんなお揃いね」と私たちを振り返って微笑む雛子。先月結婚したばかりで、そのせいか元クラスメイトなのに若奥様のオーラを漂わせていた。
「こんにちは、おねえちゃんたち」「こんにちは」とあいさつする雪子ちゃんと月子ちゃん。二人は雛子の年の離れた妹だ。
孝子と美樹は茫然とした顔で雛子を見つめていた。
「どうしたの、孝子、美樹?ぼーっとしちゃって」と尋ねる雛子。
「ご、ごめんなさい、雛子。すっかり若奥様っぽくなってて、見違えたわ」とあわてて答える孝子。
「ほんと、感じが変わったわね」と美樹も言った。「肌も前より艶っぽい感じ。・・・旦那さんのおかげなの?」
「やあねえ、二人とも。そんなに変わってないわよ」と照れる雛子。
「雪子ちゃんは小学一年生になったのよね?学校はどう?」と雪子ちゃんに聞く翠。
「まいにち、たのし~よ。おともだちもできたし」とほほ笑む雪子ちゃん。
「わたしはよ~ちえんにいってる」と月子ちゃん。この時代の幼稚園は二年保育だ。
「月子ちゃんも楽しい?」と美樹が聞くと、月子ちゃんは嬉しそうにうなずいた、
「雛子、今日は妹のお守りに実家に帰ってるの?旦那さんは置いてけぼり?」
「今日は平日よ。だから彼は仕事に言ってるの。雪子も月子もまだ午前中だけしか小学校や幼稚園に行ってないから、久しぶりに遊んであげようと思ったの」
「そうか~、今日は平日か~」とつぶやく孝子。「学校にも仕事にも行ってないから、曜日の感覚がなくなってたわ」
「そうね~。毎日が日曜日みたいなものね~」と美樹も言った。
「二人ともお気楽ね。私は毎日家事や彼の世話で忙しいわよ」と言う雛子。
「結婚には憧れるけど、それなりに大変そうね」と孝子。
「でも、とても幸せそう」と美樹がうっとりして言った。
「やあねえ、二人とも。それより何を注文するか決まった?」
「プリン~!」「プリンっ!」と即答する雪子ちゃんと月子ちゃん。
全員で大食堂の入り口にある食券売り場に行くと、売り子のお姉さんに食券を注文した。
「ミルクセーキ一つとプリンを二個お願いします」と注文する雛子。
「私はレモンスカッシュ」と孝子。
「私はクリームソーダ」と美樹。
「じゃあ、私はミルクココア」これはもちろん翠だ。
「もうだいぶん暖かくなってきたのに、熱いのを飲むの?」
「冷たいものを飲んでお腹を壊さないようにね。大事な時期だから」
「さすが、気を遣っているわね」と感心する孝子。
食券を持って適当な席に座ると、水の入ったコップを持って来たウエイトレスが食券を半分ちぎって行った。
「久しぶりに藤娘の集結ね」とおもしろがる孝子。ちなみに藤娘とは、四人の苗字に藤の字があることから付けたグループ名だ。
「ちょっと、ちょっと、生徒会長がいないわよ」と注意する美樹。生徒会長こと藤野美知子の苗字にも藤の字が付く。
「そう言えば、先週の土曜日に雛子と一緒に生徒会長に会ったわよ」と翠が言い出し、雛子がうなずいた。
「生徒会長って。・・・もう卒業したから生徒会長じゃないわよ。名前で呼ばなくっちゃ」とツッコむ孝子。
「最初に仲良くなった時は委員長って呼んでたし、三年になったら生徒会長って呼んでたから、名前で呼んだことはほとんどなかったわね」と美樹。
「先週は雛子も私もずっと生徒会長って呼んでたわ。・・・じゃあ藤野さん?・・・それとも美知子?」
「慣れてないから急に美知子って呼び捨てにはしにくいわね」
「そうねえ。今度会ったら美知子さんあたりから呼び始めましょうよ。ところで元気だった?生徒会長・・・じゃない、美知子さんは?」
「それがね、なんか妙に毒気が抜かれたっていうか・・・。いえ、元々毒気があったわけじゃないけど、ほんわかというか、ぼやっというか、そんな穏やかな様子に美知子さんがなっていて、私も雛子も驚いたの」と翠が言った。
「ええっ?・・・想像できないけど」
「『お久しぶり~、生徒会長!』って呼びかけたら、にこにこしながら『こんにちは、雛子さん、翠さん、お久しぶりね』って返してきて、どこのお嬢様かと思ったわ」
「短大に行って、性格が変わったのかしら?でも、まだ半月しか経ってないわよね?」
「受験が終わって、生徒会長の役職からも解放されて、ほっとしたのかしら?」
「でも、生徒会長だった頃もそんなに気負わず、マイペースだったと思うけど」
「そうよねえ。でも生徒会長は、・・・美知子さんは、私たちが気づかなかっただけで結構気を張っていたのかもしれないわね」
「それでどんなことを話したの?」と孝子が翠に聞いた。
「雛子の新婚生活の様子や、私の結婚準備の話をさりげなく聞いてきて、主に私たちが話していたわね」
「短大のことは聞かなかったの?」
「聞いたけど・・・朝から授業に出て、下宿に帰って家事して、時々水上先輩とのんびりお茶を飲んでるって。ちなみにお茶は普通の煎茶か番茶だって」
「なんか思ってたのと違う」と美樹が言った。「女子高の時より地味な生活に聞こえるわ」
「そうよねえ」と翠。「ただ、その時の美知子さんの雰囲気には合ってるって思っちゃったわ」
その時ウエイトレスが飲み物を持って来た。各自が注文したものを取り分けると、雪子ちゃんと雛子の膝の上に座っている月子ちゃんがさっそくプリンを食べ始めた。
「さて、美知子さんのことは置いといて、雛子の新婚生活をもっと聞きましょうか」と孝子がにやにやしながら言った。
「やあねえ、大して話すことはないわよ。日中は家事をして、夕食時には義理の両親や彼と一緒にテレビを見ながら食事をしてるだけよ」
「よその家で生活するって、緊張しっぱなしじゃないの?」
「最初はね。・・・でも、子どもの頃から知ってる人たちだし、みんな私をねぎらってくれるから、だいぶ慣れてきたところ」
「その後、彼と二人っきりになるのね。・・・く~、考えただけで興奮するわ。詳しく教えてよ」と興奮気味の孝子。
「や、やめてよ、孝子!雪子たちもいるんだから!」雛子の抗議を聞いてあどけない顔を上げる雪子ちゃん。口元にプリンのかけらが付いている。
「ご、ごめんね、ちょっと興奮しすぎたわ。・・・確かにこんなところで聞けるような話じゃないわね。不謹慎だったわ」と謝る孝子。
「不謹慎って・・・。何を聞こうとしたのよ?」と美樹がにやにやしながら聞くと、雛子と孝子の顔が真っ赤になった。
「でも、幸せそうで何よりだわ。・・・翠の方はどう?」
「どうって・・・。私はまだ結婚前だけど、雛子のように幼馴染の家に嫁ぐんじゃなく、最近まで面識がなかった人たちと同居することになるから、やっぱり不安が大きいわ」
「翠はお姑さんとうまくいくって美知子さんが占ってたじゃない?気にしなくてもいいわよ」
「あの占いだけが心のよりどころだわ」と翠。
「美知子さんの占いだもん、絶対当たるわよ。私たちもすごい良縁に巡り合えるって言われたしね」と、孝子が美樹を見ながら言った。
「そうね。・・・でも、未来は身の処し方で変化するって美知子さん言ってなかった?だから、四、五年後に本当に良縁に巡り合えるかわからないわよ」と美樹。
「不安になるようなこと言わないでよ!」と孝子が美樹に文句を言った。
「・・・そうだとすると、一年後や二年後にまた美知子さんに手相を観てもらわなくっちゃ!」
「あ、先週美知子さんに会った時に聞いたんだけど」と翠が口をはさんだ。
「何、翠?」
「美知子さん、手相を観れなくなったんだって」
「ええっ、何で!?先月は自信満々に私たちの未来を占ってくれたじゃない?」
「美知子さん本人が言ってたのよ。なぜだかわからないけど、女子高を卒業したら手相を観れなくなったし、似顔絵も描けなくなったんだって」
翠の言葉にうなずく雛子。
「何よ、それ!?美知子さんの特技がどっちもなくなっちゃったじゃない!」と孝子。
「似顔絵もあんなにうまかったのに、急に描けなくなるもんなの?」と美樹も尋ねた。
「本人がそう言ってたんだから・・・」と言葉を濁す翠。
「だから、あなたたち」と雛子が口をはさんだ。
「家事手伝いなら家事手伝いをしっかりやって、ちゃんと花嫁修業をしなさいよ。そうすれば美知子さんの占い通りになるし、さもなきゃ縁遠くなるわよ」
「くく〜、自分はもう結婚できたと思って・・・」
「でも、雛子の言う通りね。自分で努力しなきゃ、幸せな未来はやって来ないわよ」
「おねえちゃんもがんばってたから、たかこおねえちゃんもみきおねえちゃんもがんばってね」と雪子ちゃんに言われ、顔を見合わせる孝子と美樹。
「そうね。遊んでばかりでなく、家事もきちんとやろうね」と二人は言い合った。
登場人物
佐藤孝子 家事手伝い。今年女子校を卒業した。
齋藤美樹 家事手伝い。孝子の元クラスメイト。
須藤 翠 孝子たちの元クラスメイト。五月の連休に結婚予定。
加藤雛子 孝子たちの元クラスメイト。新婚。旧姓斉藤。
斉藤雪子 雛子の妹。小学一年生。
斉藤月子 雛子の妹。幼稚園年少組。
藤野美知子 孝子たちの元クラスメイト。女子高の前生徒会長。




