百五話 遺体
この章では「五十年前のJKに転生?しちゃった・・・」、「気がついたら女子短大生(JT?)になっていた」の主人公の藤野美知子が語り手となります。上記の作品内では美知子は心の中では自分のことを「俺」と呼んでいますが、この章では他の章と違和感がないように「私」に統一しています。
私の疑問を深く考えない男性陣だったが、一色の助言もあり、裏庭をもう一度見てみることになった。
一階に降りて裏口のドアを開けて裏庭に出る。今はお昼頃で、日は高いがやはり物干し台の場所は日陰になっていた。
「これじゃあ洗濯物は渇きにくいだろう。特に冬場は」と知った風なことを言う島本刑事。
「冬は雪が積もるだろうしね」と立花先生も言った。
「雪が積もって洗濯物を干せないのは二階のベランダも同じですよ」と一色が指摘する。
「さっき一階の廊下を見た時、東西の端の壁に鉤が打ち込んであるのに気づきました。雨や雪の日は鉤の間にロープを張って洗濯物を干してたんじゃないでしょうか?」
私は一色の観察力に改めて驚いた。さすが、名探偵と言われるだけのことはある。
その時私は裏庭の向かい側に置かれているお地蔵さんを見た。日が高いせいか建物の影が届かず日光が当たっている。私はそのお地蔵さんがどうにも気になった。
「すみません。こっちへ来てください」と私は言って四人をお地蔵さんの前に誘導した。
お地蔵さんは直径二十センチ、高さ五十センチくらいの小さなものだった。
「どうしたの、ミチ?」と聞く一色。
「見てください。このお地蔵さんは表面に苔が生えていてとても古そうですが、その苔がぱりぱりに乾燥して今にも剥がれ落ちそうです」
お地蔵さんの表面の苔は白っぽく乾燥し、お地蔵さんを彫った石との間に隙間ができている。しかもお地蔵さんは草も苔も生えていない地面の上にぽつんと置かれていた。
「それが何か?」
「苔は湿ったところを好んで生えます。生長には日光が必要ですが、強い日差しを浴びる場所は乾燥して苔が枯れてしまいます」
「しかしお地蔵さんの体全体を苔が覆っている。今は乾燥しているけど、ほっておいてもいずれ湿って苔が生えてくるんじゃないか?」と島本刑事が言った。
「いや、確かにおかしいよ。このお地蔵さんを持ち上げてみよう!」と一色が主張した。
「お地蔵さんを動かして罰が当たらないかな?」と島本刑事はひるんだが、立花先生が両手を合わせて頭を下げると、お地蔵さんの胴体をつかんで持ち上げた。
土の上にお地蔵さんの円形の台座の跡があった。ほかには何も見当たらない。立花先生はお地蔵さんを少し離れた地面の上に置いた。
「確かにこんな乾いた土の上に置かれたお地蔵さんに苔が生えるのはおかしい」と一色。
「別の場所からここに移したというのかい?」と聞く立花先生。
「そうだと思う。このお地蔵さんをどこから移したのか、周囲を探してみようよ」
一色の提案に渋々ながら全員が従って、裏庭の周囲を探してみた。
「ここに痕跡があります!」と声を上げたのは山下刑事だった。
そこは裏庭の東の端で、林の中にちょっと入った木陰に岩があった。その岩の上面は苔で覆われていたが、中央に苔が生えていないところがあり、その範囲はお地蔵さんの台座と同じくらいの大きさだった(野沢家見取図一階の×印の位置)。
「あのお地蔵さんはここに長年置かれていたと考えるのが妥当だろう」と立花先生。
「まだ苔が生えていないから、比較的最近お地蔵さんを移したのかな?だとしたら、なぜあっちに移したのだろう?」
「裏口からよく見えるところに飾りとして置いたんじゃないか?」と島本刑事。
「それで罰が当たったのかも」
「島本刑事、非科学的なことは言わないでください」と一色が注意した。
再びお地蔵さんが置かれていたところに戻る。
「この周りだけ地面の土が細かくなっている気がする。何かを埋めたのかな?」と一色がつぶやいた。嫌な予感がする。
山下刑事はその土を手で触ってみて何か感じたようで、「署に戻って道具と応援を呼んできます。みなさんは途中でお食事ができるところに降ろします」と言った。
野沢家の表に回り、山下刑事が玄関を守っている警察官に声をかけてから私たちは山下刑事の車に乗った。そして繁華街の方に戻り、一軒の蕎麦屋の前で降ろされた。
「食事を摂って、しばらくこのあたりでのんびりしていてください。何か見つかったら報告に来ます」そう言って山下刑事は車で去って行った。
その店はけっこう大きな、民家風の蕎麦屋だった。私たち四人が入るとすぐにテーブルに案内され、みんなでメニューを見た。
「俺は天ぷら蕎麦にしよう。君たちはどうする?」と早々に注文する料理を決めて私たちに聞く島本刑事。
しばらくメニューをにらんだ後、私と一色は山菜蕎麦、立花先生は島本刑事と同じ天ぷら蕎麦を頼んだ。
お蕎麦はとてもおいしかった。山菜もしこしこしておいしかった。
食事中に立花先生が婚約者の一色に「エビ天を食べるかい?」と聞き、一色が「私はいいから、先生が食べて」と答えていた。仲睦まじそうでいい雰囲気だ。
私が微笑ましく見ていたら、エビ天を食べたがっていると思ったのか、島本刑事が私を見つめているのに気づいた。
「私も天ぷらはけっこうです」と聞かれる前に答えておく。自意識過剰だったのかもしれない。
食事が終わって蕎麦屋を出、近くの土産物屋をのぞいていると、店の前に車が停まった。見ると山下刑事の車だった。
急いで店を出る私たち。山下刑事は車から降りてくると立花先生に、
「人骨が出ました。見ていただけませんか?」と囁いた。
「わ、わかりました」と答えて車に乗り込む立花先生。当然のように島本刑事と一色も乗車する。
私は人の骸骨なんて見たくはなかったが、ここにひとり取り残されても途方に暮れるだけなので、一緒に車に乗り込んだ。
すぐに車は野沢家の前に着き、私たちは急いで車を降りた。家の前に何台もの警察車両が停まっている。私たちは家の周りを回って裏庭に入った。
そこには十人くらいの警察官がいた。鑑識らしい人の姿もある。そしてあのお地蔵さんが置いてあった場所の土が掘り返されていた。
「立花先生、こっちです!」と山下刑事が穴の方に誘った。島本刑事と一色も後に続くが、私は裏庭の端で彼らの様子を見守った。
穴の横にうずくまる立花先生。手袋をはめた手で穴の中のものを触ったりしている。
しばらく見てから立花先生は山下刑事や周りの警察官に何やら説明しているようだった。それを聞いて山下刑事も何かを警察官たちに話しかけていた。
小一時間近く経った頃だろうか、ようやく私がいるところに立花先生や一色が戻って来た。
「やっぱり人の骨だったの?」
「ああ。フード付きコートを着て、フードを頭にかぶり、セーターやズボンを身につけている死体だったけど、服をめくってみたら体の軟部組織、つまり皮膚や筋肉は乾燥して土のように変性し、白骨化が進んでいた死体だった。ざっと見たところ、若い、二十代くらいの男性で、後頭骨が骨折していたから、後頭部を打撲したのが死因かな?」と立花先生が説明してくれた。
「死後半年から一年くらいだって」と一色が口をはさんだ。
「詳しいことは長野医大で司法解剖して調べてもらうそうだ」と立花先生。
「骨でも解剖できるんですか?」
「うん。頭蓋骨を切断してその中を調べたり、血液型検査用の骨の欠片や歯を採取するためには、裁判所が発行する鑑定処分許可状が必要で、その令状に基づいて司法解剖を依頼することになるんだ」
「骨なのに二十代の男性ってわかるんですか?」
「年齢や性別によって骨の一部の形状が異なったりするから、おおよそのことはわかるよ。一般に男性骨の方が女性骨よりも大きくてごつごつしているし、年齢は歯のすり減り具合とか、頭蓋骨の縫合線の融合の程度などから判定できるんだ」と立花先生が説明してくれた。(四十五話参照)
「問題はこれが誰の骨かだね」
「家の庭に普通は死体が埋まっていないからなあ」と島本刑事。
「想像だけど、野沢和夫の骨じゃないかな」と一色が言って私は仰天した。
「和夫って、行方不明になっているこの家の次男のこと?・・・野沢一家が殺害されたのは四か月前ということなのに、それより前に和夫さんは死んでいたってこと?」
「それなら合点がいく。最初は和夫がどこかへ失踪したのかと思われたが、ずっと家の中に引きこもっていた和夫が外でひとりで生活するのは難しいだろう。長野県警が探しても和夫が見つからないことが腑に落ちなかったが、とうに死んでいて、庭に埋められていたのなら見つかりっこない」と島本刑事が言った。
「もし、あの骨が和夫のものでないとしても、和夫はどこか別のところで亡くなっているんじゃないかな?」
「でも、野沢家の人たちと播磨は全員死んでいるのよ。誰か最後に生き残った人がいるんじゃないの?相討ちって状況じゃなかった気がするけど」と私は聞いた。
「確かに、有美子さんを除いて全員が背後から襲われている。有美子さんは誰かに追われたかのように窓から飛び降りて死んでいる。最後に残った二人が殺しあったという状況は考えられないね」と立花先生。
「まるでクリスティの『そして誰もいなくなった』みたいだね」となぜか嬉しそうな一色。
「それはどういうお話なの?」
「孤島に集められた十人が全員死体で見つかるんだ。警察が捜査しても犯人はわからなかったけど、その後真犯人の手記が発見されて事件の全貌がわかるというストーリーだよ」
「この事件でも犯人が手記を残してくれていたら助かるんだがな」と島本刑事がつぶやき、一色が失笑した。
「彼らがいつどのように、どの順番で死亡したかは山下刑事の家に戻ってからゆっくり考えようよ」と一色。
発見された人骨は布袋に入れられ、警察車両で警察署に運ばれて行った。
そして山下刑事が私たちのところに戻って来た。
「お待たせしました。司法解剖の手続きを進めるということなので、みなさんは私の家にお送りしましょう」
再び山下刑事の車に乗り込む。
「それにしてもさすがですね、島本刑事は。・・・いえ、みなさんは。しばらく捜査が行き詰まっていたこの事件が、たった半日で新しい展開を迎えました」
「お役に立って何よりです」と答える島本刑事。
「最初島本刑事にお手伝いをお願いしたら、法医学者の立花先生だけでなく、お嬢さんをお二人もつれて来られると聞いて驚きましたが、お二人とも目の付け所が違っていて脱帽しました。こんな優秀な助手を抱えておられるとは。うらやましい」
「あはは・・・。一色さんにはいつも相談に乗ってもらっています。私の懐刀ですよ。それに藤野さんも、以前窃盗事件でお世話になったことがありましてね」(「気がついたら女子短大生(JT?)になっていた」十六〜十九話、四十二〜四十四話参照)
「そうでしたか。どうりでただものではないと思いました」
私と一色はちょっとほめられて照れくさかったが、何も言わずに山下刑事のお宅まで送ってもらった。
山下刑事宅に着いた時には、遺体発掘に時間がかかったせいか、既に日が暮れかけていた。
「お帰りなさい」と山下刑事の奥さんが出迎えてくれた。
「お食事にしますか、それともお風呂に先に入られますか?」
「食事にしてくれ。この方たちには昼食を摂ってもらったけど、俺は食べる暇がなかったんだ」
「わかりました。では、台所の方にどうぞ」
私たちは手を洗ってから台所のテーブルに着いた。全員で七人なのでちょっと手狭だが、奥さんが手際よく料理やコップを用意してくれた。
夕飯のおかずは、午前中に作っているのを見た鯉こくのほか、鯉の洗い、小鮒の甘露煮、凍み大根の煮物、漬け物などだった。
男性陣は瓶ビールの栓を抜き、互いに注ぎあっていたが、私と一色はビールを断ってご飯を出してもらった。
鯉こくや鯉の洗いはとてもおいしかったし、凍み大根の煮物もいい味を出していた。小鮒の甘露煮も酒の肴に良さそうで、下手すれば男性陣は夜中まで飲んでいたことだろう。
登場人物
藤野美知子(ミチ) 主人公。秋花女子短大二年生。
島本長治 警視庁の刑事。
山下春男 長野県警軽井沢署の刑事。
一色千代子(チヨちゃん) 美知子の女子高時代の友人。明応大学文学部二年生、ミステリ研部員。
立花一樹 明応大学医学部法医学教室の助手。一色千代子の婚約者。
野沢博夫 軽井沢別荘管理人一家惨殺事件の被害者。
野沢禎子 博夫の母。
野沢惠子 博夫の妻。
野沢有美子 博夫の妹。
野沢嘉夫 博夫と惠子の長男。
野沢富美江 嘉夫の妻。
野沢和夫 博夫と惠子の次男。嘉夫の弟。
播磨康祐 別荘専門の空き巣。
書誌情報
アガサ・クリスティー/そして誰もいなくなった(ハヤカワ・ポケット・ミステリー、1955年6月15日初版)




