1話
拙い文章ですが一生懸命書いたので最後まで読んでいただけると嬉しいです
「おいノロマなタガメ、顔上げろよ! 得意の殻にこもるかよ! 」
襲い来る罵倒と暴力、せせら笑うギャラリー、ただただ惨で孤独な自分。
タガメは亀じゃなくて昆虫なのに、なんて考えてる場合ではないかもしれないがそうでもして気を紛らわせないと精神が崩壊しそうだった。
理不尽——この言葉が嫌いだ。
まだ生まれて十歳そこらの身ではあるが理不尽なことなんて滅多にない。
自分たちの今までの行いを思い返せば理不尽と呼ばれるものことの大抵は理に適っており必然的にそうなっているはずである。
ただ考えるのを放棄し、被害者面でもしていなければ自分の愚かさを、醜さを痛感してしまうからだろう。
こうやって今自分がいじめを受けているのも最初は「滅多にない理不尽」の一つだと決めつけていたがそうではないことに三か月経ってようやく気付いた。
だから変わらなければならない。誰も救ってくれはしないのだ。ここで誰か助けてくれようものなら——手を差し伸べてくれようものならそれこそ理不尽だろう。
まだ半成人になったばかりの少年は苦しみに悶えながらそう決心したのだった。
田辺裕太は絵に描いたような優等生である。テストでは常にトップ、スポーツは万能、ルックスも上の上。人当たりも良く生徒、教師共に厚い人望を得ている。
現在高校二年生、青春を謳歌するには時は満ちに満ちている。
クラス替えがあり早一週間、新鮮味は徐々に色褪せクラスの雰囲気も出来上がりつつある状況である。
裕太は学級委員長を担任から直々に指名され、立場上クラス内ではトップに君臨しているわけだ。
これらのことをふまえると裕太がこれから送る高校生活はバラ色を約束されて様なもの、後はそのレールから脱線しないよう多少の注意を払うだけだ。
ああ、友達とカラオケ、友達とプリクラ、友達と夜更かし、ともだ……か、彼女と歩く! 彼女とおしゃべり! 彼女と目くばせ! 彼女と手を……手をつな、繋ぐ! 考えるだけで幸せだ。そしてあわよくばその下の名前で呼び合っ――
「田辺君、おっはよ! 」
「おっ、おうおはよう! 」
廊下から教室へ駆けてきた勢いそのままに、裕太が所属している二年四組のクラスメイトである美穂は絶賛妄想中だった裕太に話しかけてきた。
「朝からニヤニヤしてどうしたの? 変なこと考えてたり? 」
無邪気な笑顔で美穂は裕太に問いかける。クラスの副委員長に任命されたからなのか、元から真面目なのか、セミロングの髪を後ろでまとめ前髪はヘアピンでしっかり留めて、ワインレッド色をした制服も着崩すことなく着こなしている。
その姿は校則に引っ掛かる気配すらない。どこに出しても恥ずかしくない立派な副委員長だ(この発言が恥ずかしい)。
「そ、そんなわけないだろ。 美穂は相変わらず元気だな」
「え!? 美穂って……呼び捨て……」
かあっと音が聞こえてきそうな程に顔を真っ赤にし、美穂は突然話しかけて、突然教室の外へ走り去ってしまった。
……訂正だ、廊下を激走する奴は副委員長失格だ。
「おーおー朝からお熱いねお二人さん」
「いやいや、そんなんじゃないよ真理」
次に話しかけてきたのはクラスのマドンナ的存在である真理。
まだ高校二年生だというのに完成されたルックスは大人顔負けである。
メリハリのあるボディは妖艶さを醸し出すには十分過ぎるほどで口元のホクロは相乗効果を生み出している。
「まあ美穂がああなるのも田辺相手じゃ無理ないかもね……」
「ええ? どういうことだよそれ」
「鈍感なあんたには一生わかんないわ、よっ」
「あいてっ」
コツっと裕太の頭を小突くと真理はその場を後にする。
とまあ、このように裕太は普段ラブコメ主人公よろしく鈍感キャラを演じている。真理、そして美穂も裕太に好意を抱いていることだろう。二人以外にもこのクラスの女子のほとんどは多かれ少なかれ裕太に気があるはずである。去年から積み上げてきた信頼と実績は伊達ではない。
「おっす田辺! 」
「おう省吾。今日は珍しく早いな」
「そうなんだよ! 今日はなんと三度寝で済んだからな! 」
腰に手を当て胸を反らす得意気に省吾に裕太は苦笑。そのままの態勢で自分の席へと向かっていった。後頭部に鉄腕アトム顔負けの寝癖ができていることは……まあ、秘密にしておこう。
教室前方の時計を見ると八時を優にまわっている。ホームルームの時間まであとわずか、それにつれて教室の人口密度もだんだん増加していった。そして皆必ずといっていいほど教室へ入ってくるなり裕太に挨拶をしてくる。窓際の席であるのも要因の一つだがやはり裕太の人望の厚さ故だろう。
「おはよう田辺! 」
「はよっすー田辺」
「田辺っちおはよ」
クラスメイトから投げかけられる言葉に、裕太は一人一人の顔を見て丁寧に挨拶を返していく。その後も
「よう」
笑顔で挨拶を返し
「あ、いたんだ」
元気をもらい
「…………チッ」
今日も元気な学校生活を
「こっち見んな」
……あれ?
明らかに、明瞭に明確に裕太への態度が変化してしまったではないか。しまいには裕太がいることに気付くとわざわざ引き返して別のドアから教室へ入っているものまで。
そしてその後も一向に事態は好転しなかった。
……し、仕方ねえなー、俺様から直々に挨拶しにいってやんよ!
居ても立っても居られなくなった裕太は重い腰を上げ数人が固まっている教室後方へ向かった。
「やあ、みんなおはよう!!」
「こっち寄んな」
「気安く話しかけんな」
「…………チッ! 」
笑顔を崩さぬよう気を付けながら裕太は巻き戻るように自分の席へと再びゆっくりと腰を落とした。
は、なんだこれ。
なんでこの田辺裕太様が腫れ物扱いされないといけないんだ? 成績優秀、人望も厚い、ルックスも完璧なこの俺がなんで!?
裕太は頭を抱え身に覚えのないこの状況を未だ理解できずにいた……。いや、実際には受け入れがたい現実から目を逸らしていただけなのだが……。
やっぱり今日も――また今日もダメだったか……。
クラスメイトから疎外されてから早一週間。
どうやらこの現実味の無い事態を受け止める心の準備がついに出来たようだ。裕太はこの事態の原因を知っている。というか今それが推測から確信に変わったのだ。制服の左ポケットから携帯を取り出し、幾度となく開いたサイトを開く。
「日本の名義変更による社会的差別撤廃について」
(ここでは上の名を「苗字」、下の名を「名前」、両方含む名を「氏名」と記述する)
近年、日本では珍奇な氏名による社会的差別が目立つようになってきた。
それにより国は「名義変更法」を施行し事態の収束を試みた。
「名義変更法」は俗にいう「キラキラネーム」を付けられたものを安易に名義変更させられるものである。
さらに子供が生まれたときに提出される出生届にて将来、社会的に差別を受けそうな名前でないか審査を行うというものだ。
これにより名前による差別は収束の一途を辿ると思われたが今度は別の問題が浮上する。それは苗字による差別である。
「名義変更法」施行前はそこまで問題視されていなかったのだが珍奇な名前が消えたことにより、珍奇な苗字のものが差別の対象になってしまったのだ。
それにより苗字によるいじめ、差別の被害件数は以前よりも増加し「名義変更法」施行前の氏名による差別件数を超えるまでになっていった。
この事態を解決するために国は長考の末、思い切った手段を選択するのだった。それが五年前に施行された「姓限定一貫法」である。
「姓限定一貫法」は日本の数多ある苗字をある程度限定し、それに該当しない苗字のものを強制改名させるというものだ。
無論、反対派の意見は多く日本中を混乱させてしまったが、五年経過した今ではそれもピタリと収まり氏名による差別撲滅に最も貢献した法律として認知されている。
裕太は携帯とのにらめっこを止め、静かに元あった左ポケットにしまう。
まあ、要するにキラキラネームも珍しい苗字も無くしたらいじめや差別は無くなり丸く収まっためでたしめでたし、ということだ。人間って案外単純なものである。
だが、そこには一つだけ大きな落とし穴があったことを一体どれほどの人が知っているのだろうか。
苗字が限定されたということは同じ苗字――同姓が身近に増えたということだ。
同姓のものに対して人はどんな感情を抱くだろう、それは親近感である。勿論、全員が全員親近感を抱くだなんてことは言わない。むしろありふれた苗字のものは同性に対して鬱陶しくも感じるはずだ。だがそれは五年前の――「姓限定一貫法」が施行される前の話である。
例えば自動車メーカーの高橋自動車。以前は全くといっていいほど車が売れず倒産の危機に瀕していたのにも関わらず現在は大手自動車メーカーとして日本を、いや世界を牽引する存在となっている。
現総理大臣である佐藤首相。支持率が七〇パーセントを下回ったことが無く、歴代最高の首相と謳われ生きる伝説となっている。
いや、何も全てが法律のお陰というわけではない。しかし総理が就任したのも高橋自動車が経営を持ち直したのも丁度五年前。偶然といえばそれまでだが高橋自動車の従業員のほとんどの姓は「高橋」で顧客も姓が「高橋」のものが多いと聞くし、「姓限定一貫法」施行後、以前から日本の最も多い苗字だった「佐藤」は今でも勢いが衰えず王座に君臨している。
しかし、それが裕太の置かれている状況になんの関わりがあるのか疑問に思うことだろう。それはそうだ、なんの関係性があるとも思えない。というか思いたくはなかった。
「みんな席に着けー ホームルーム始めるぞー」
気が付けば時計の針はホームルームの始まりの時刻を指していた。チャイムと共に担任の
渡部先生が教室に入ってくると談笑しているものもゆったりと自分の席へ腰を落とす。
「出欠取るぞ 田辺裕太」
「はい」
抑揚なく、フラットに裕太は返事をする。ちなみに裕太の席は窓際の一番前の席。クラス替え以降は一度も席替えを行っていない。出席番号は一番だ。更にちなむと出席番号は名前の五十音の早い順で決められている
「渡辺 愛」
「……は、はい」
クラスでインフルエンザが大流行しているわけでもない。渡辺 愛――正真正銘三十六名が在籍しているこの二年四組の出席番号二番の生徒だ。
「渡辺 歩」
「はい」
裕太は無意識のうちに頭を抱え込んでいた。信じがたい現実が――受け入れ難い現象がこのクラスを支配していることに確信を持ててしまったからだ。
「渡辺 育美」
「渡辺 恵美」
「渡辺 栄二」
姓限定一貫法により同姓同士の親密度は計り知れないほどに上昇した。
「渡辺 香菜」
「渡辺 快人」
「渡辺 清」
「渡辺 景子」
「渡辺 健二」
同姓はいればいるほど親密度は上昇するようで、その中に――親密度が狂うほど高まった教室に別姓の者がいたら――仲間外れがいたらどうなるだろうか。
渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺渡辺
先生の口から淡々と放たれるその言葉は——呪文のように繰り返される「渡辺」の一つ一つは戦慄となって裕太に襲いかかってくる。
この一週間、朝の早い時間や廊下、帰り道など、クラスメイト全員が会する場以外では裕太はこれまで通り通常運転で学校生活を滞りなく送ってこれた。
ただ一つだけ、クラス全員が集まる時は先程のように裕太への態度が豹変してしまうのだ。
そして気のせいかもしれないが態度が変わるにつれみんなの目の色がどこか輝きを増すようにも思える。
「渡辺 美穂」
「はい」
さっきあんなに裕太に対して好意的な態度を取っていた美穂に一縷の希望を胸に目線を送るが精巧な人形のように微動だにしない。ワインレッド女子の制服と美穂の校則のっとったその姿は職員室前に展示してある制服を着たマネキンを彷彿とさせた。
「渡辺 真理」
「はい」
目線をすぐ後ろの真理へと移す。すると気配を感じたのか真理の大人びた顔が微動だにし、裕太と目が合った。
久し振りのクラスメイトとのアイコンタクトに歓喜したのも束の間、真理は汚物を見るように顔をクシャリと歪める。そして呆気にとられた裕太のアホ面を横目で見やると何事もなかったかのように視線を元に戻していった。
「渡辺 芽衣」
「はい」
裕太同様担任の渡部先生も恐らくこの仲間外れのような現象の被害にあっているだろう。皆返事が素っ気ないのがその証拠だ。別姓とはいえ流石に教師には無視したり暴言を吐いたりしないところを見るに最低限の常識は侵さないようだ。
「渡辺 萌香」
「はい」
「渡辺 やよ――
「は~い! 危なかった~ セーフですよね、先生? 」
「……早く席に着け。ホームルーム始まってるぞ」
「すいませ~ん」
遅刻寸前で現れた最後のワタナベは褒め称えてくれと言わんばかりにドヤ顔で自分の席へと向かう。ワタナベたちは「よくやった! 」「お前ならきっと来てくれると信じてた! 」などと英雄の凱旋並にそれに応えている。
明神高校はホームルームの始まる時間以降はどんな理由があろうと遅刻とみなされるのだが担任がいい加減なところがある為出欠を取るまでは遅刻にしていないらしい。もう一つ理由を挙げるなら遅刻にしてしまうと担任の評価が下がってしまうからだろう。教員と「ワタナベ」たちからの。
出欠を取り終えた渡部先生は諸連絡を簡潔に言うとホームルーム終了のチャイムを待たずにそそくさと教室から出て行こうとする。
「渡部先生、相談があるんですけど……その、クラスのことで」
逃げ去るようにも見える先生の背中に話しかけると
「あー、先生急いでるんだよな」
「少しだけでいいんですお願いします」
「……まあ、言わんとすることはわかる。少し場所を変えよう」
話したくないオーラ全開の先生をなんとか引き止めると、渋々ながら承諾。人の出入りが少ない非常階段の踊り場へ裕太を誘導し、そして――
「ちょ、なんなんすかあのクラス! 聞いてないっすよどういうことすか先生!!」
「いや! こっちが聞きてーよ! なんじゃありゃ! 」
二人は息を吸い込む音を皮切りに唯一の理解者に思いの丈をぶつけ合う。
「高二って一番大事な時期じゃないですか! なにしてくれてんすか俺クラスでハブられてんの知ってるでしょ! 」
「ざまあねえぜそんなの俺の知ったこっちゃねえな! 俺だってクラス全員に煙たがれてるわ、聞いたか
点呼の返事の素っ気なさ! 教師二年目で学年主任になって同期に自慢しちゃったのに! あーあ来週の同期の飲み会行きたくねえ! 」
「最初の担任の挨拶の時『一人の悩みはクラス全員の悩みだ、みんなで悩んでみんなで解決しよう(キラン)』って言ってたやつとは思えませんね! 」
「うるせえお前だって自己紹介で『裏表のない家族のような関係を築いていきましょう(ドヤ)』とかぬかしてただろ! お前の辞書に表裏一体って言葉刻んどけ! 」
肩で息をしながら裕太と渡部先生は本音をぶつけ合う。この悪態をつき合うことが学校生活での楽しみになりつつあるのは非常に残念でならない。
「そもそもおかしくないですか。なんで名字が違うだけでこんな仕打ちを……」
「だよな。やっぱり考えられんのは名字が違うことくらいだ。法律とか関係あるんじゃないのか? 」
ひとしきり言い合ったところで頭が冷え、二人は冷静に現状を把握するべく情報の共有を始める。
「法律っていうのは『姓限定一貫法』のことですよね……」
「ああ……っていうかなあ! 五年前まで俺は『渡部』と書いて『わたなべ』だったんだよ!! 」
今にも壊れそうな錆びた階段の手すりに拳でやつ当たりをかましながら先生は大人げなく嘆きの声を上げる。うわ、手さすって痛いのこらえてるだっさ。
そう、「姓限定一貫法」ができたことを期に今までうやむやにされていた名前の読み方などはしっかりと統一されたのだ。
「山崎」も濁点の無い「やまさき」に統一され、「崎」VS「﨑」問題には「崎」に軍配が上がった——というように細々とした名前の差異は一つ残らず統一された。
この取り決めがなされていなかったらもしかしたら今頃先生は、漢字は違えどクラスの中の「ワタナベ」の一人として裕太を貶める存在になっていたのかもしれない。そう考えると現状は大不幸中の小幸いくらいには言っていいのかもしれない。
「まあとにかく! クラスのことは頼んだぞ田辺学級委員長! 」
そう言い先生は現実から逃げるようにしてリズミカルに階段を下りて行った。
「え、ちょま! 逃げるんすか! 」
裕太の言葉に反応する素振りも見せず先生の足音はだんだん小さくなり、やがて消えていく。
なんだよクソ教師があんなのどうこうなんて一生徒の力じゃ無理だろ考えろよカスが。
心の中で罵詈雑言を浴びせるもそんなことでクラスの現状は変わってくれない。
確かに先生もこの名字による差別の被害者の一人ではあるのだろうがそれは裕太には遠く及ばない被害だ。他所の先生から「授業態度が悪い」だのは言われるかもしれないがテストなどの書面上の成績だけで言えば二年四組は全四クラス中一番の成績を誇っている。
一学期初めに行われたテストではクラスの大半が上位五十位に食い込んでおり、提出物も期限をしっかり守り全員提出している。同姓による親近感から、恐らくみんなでテスト対策をしたり提出物への注意喚起をしているのだろう。裕太がクラスで孤立してしまっている原因がクラスの成績が良い原因と同じであるのは皮肉なところではあるが……。よって渡部先生の被害は微々たるものである——裕太とは雲泥の差だ。
ふいに右腕に巻き付いた時計に目をやると一時間目の授業が始まる目前。四の五の言っても仕方ないので裕太は教室へと重い足を向ける。
楽しそうに談笑を爆音で響かせるクラスメイト達は裕太が教室に入っても気付く様子は無い。もはや裕太のことなど空気程度にしか認識できていないのだろうか。
しかしただ一点、裕太が入ってきた途端に裕太の座席周辺にいた生徒が移動しぽっかりと穴が空いた。磁石が反発し合うように離れていくその動作はほとんど無意識に見えた。
授業開始のチャイムと共に先生が入ってくるとゆっくりと喧騒は止んでいきワタナベたちは各々の席に戻る。
周りの席のやつらは百パーセント意図的に定位置から机をかなりずらし座っている。ドーナツ化現象を身をもって学ぶ今日この頃である。
裕太の今まで積み上げてきた信頼と実績は高校二年の一学期にしてまさかの法律によって無念にも崩れ去ってしまった。輝かしく華々しい高校生活は早々にピリオドを打たれ、これからのことを思うと憂鬱でしかない。
「田辺君、号令お願いできるかな? 」
「あ、ああすいません……起立」
腐っても学級委員長である裕太は先生に促され号令を行う。世界史の担当である伊藤先生は裕太の置かれている現状を察知しているのかその声にはどこか同情めいたものが込められていた。
いや、気のせいかもしれないが。
「姿勢、礼」
「「お願いします!! 」」
ピッタリと息の合った挨拶が教室の壁という壁に跳ね返る。裕太はそれに威圧感を覚えずにはいられなかった。まるでお前は邪魔だ、ここにいらない存在だと言われているように感じてしまう。
ああ、もうダメだこりゃ精神的にまいってるわこれ。
椅子に座るや否や裕太は最前列の席にも関わらず堂々と机にでこをピタっとくっつけ突っ伏してしまう。
「じゃあ、先週の続きから——教科書の九〇ページを開いてください」
机の端においやっていた教科書を開く気にもなれず、怒られること覚悟で裕太はピクリとも動かずにいた。カカカっとチョークで板書する音が耳の奥をくすぐる。
確かこの前はアメリカの歴史について——奴隷解放あたりまでやっていたはずだ。
「はい、皆さん。先週も言いましたがアメリカの第一六代代大統領エイブラハム・リンカーンの名言——『人民の人民による人民のための政治』。この言葉テストに出ますからね、しっかり覚えておいてください」
この教室に俺は——田辺はいちゃいけないんだ、渡辺しかいちゃいけない。
リンカーンの名言風に言うとこの教室は「ワタナベによるワタナベのための教室」とでも呼ぶべきだろうか。
結局伏せたままの裕太を伊藤先生は注意したりはしなかった。ワタナベたち同様に先生も裕太のことを嫌っているのかもしれない、そう思うと顔を上げる気には全くならなかった。
眠りたい時ほど人はなかなか眠れないもので結局授業が終わるまで裕太は狸寝入りしかできなかった。
それ故に、気が付かなかった。裕太に決して向けられるはずもないワタナベの視線を――。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
読みにくいところがいくつか見受けられたと思うので指摘していただけると幸いです。




