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わたしはカゴの中

作者: 小泉ゆり

気づけば握りこぶしを見つめていた。嫌な

ことがあったときの、いつもの癖だった。中

学二年生による秋の自然体験学習に向けて今

日、班決めがあったのだ。私も子どもじゃな

い。多少、ちょっと嫌だな、と思う人でも一

泊二日の旅行中くらい、仲良くしようと思っ

ていた。友情だって芽生えたかもしれない。

なのに、私のことをめちゃくちゃ嫌っている

高橋くんと同じ班になってしまった。たぶん、

私のことをバカにしてるんだと思う。

 ゆっくりと手を広げた。指紋をながめ回す。

特に手入れもしていない、普通の手。誰がバ

カにしようと、世界でひとつの、愛おしい私

の手。短い生命線が、ブチブチとちぎれて重

なっている。

「まーたピヨコは、ぼーっとして。ご飯やか

らはよ降りてきい」

 ババがけたたましくドアを開けて吠えた。

そんなに怒らなくったって。私は口をへの字

に曲げて、ノロノロと階段を降りた。

「ババ、あのね……あれっ、今日の晩は焼き

魚って言ってなかったっけ?」

 机に配膳された、私の大好きなハンバーグ

しかもチーズ入りを見て、さっきまでの不満

が吹き飛んだ。こんなの滅多にうちの食卓に

出ないのに。

 ババはこっちを見ずに怒ったような声で答

えた。

「明日、悪いけど午前で早退してきてくれへ

んか。あの女、またピヨコの髪の毛が欲しい

んやって」

「わかった」

 再び、胸のなかにずーんと大きな石が沈ん

でいった。

「……あ、10月に自然体験学習行くんだ」

「あ、そ。言っとくわ。無理はしたらあかん

で」

 ババ特製ハンバーグを噛む。フワッと優し

いお肉がチーズと混ざりあった。食べる気に

なれなかったのに、気づけばお代わりしてい

た。

 

「わー、鳥ちゃん。髪の毛すっごく切ったね、

似あうー」

 教室に入るなり、友達の咲ちゃんが私を見

てすっとんきょうな声を出した。みんなの視

線が一斉に集まる。髪を切った私を見るクラ

スメイトの目が一番恐かった。だから、はっ

きり言ってくれて、ありがたい。

「ありがとう。五十センチも切っちゃった」

「わぁー、ほんとだ。日向さん、顔小さいか

ら可愛いー!」

 周りの女子達が集まってきて、咲ちゃんと

一緒に褒めてくれた。咲ちゃん、ありがとう。

「日向さんが可愛いのは、女優だから当たり

前だよねー?」

「でも、昔のって感じ。髪の毛オカッパで、

余計雰囲気出てる」

 遠くで、クスクス笑い声が聞こえた。胸の

中に冷たい風が入ってくる。目の前のみんな

は、褒めてくれているのに。うまく、笑えな

くなった。

「おい、日向。昨日お前途中で帰っただろ。

自然体験学習の二日目の体験コース、俺らの

班はカヌーに決めたからな」

 私の背後から、不快感たっぷりに高橋くん

が声をかけてきた。

「そうなんだ。教えてくれてありがとう」

 無難に会話を済ませる。嫌なら話しかけな

きゃいいのに。まぁそれはいいとしてカヌー、

どうしよう。私……。

「そうそう、私達はカヌーするんだよ。初め

てだからすっごく楽しみ!」

 咲ちゃんが笑いかけてくる。その笑顔に咲

ちゃんとの壁を感じた。

「ごめんね、私、危ないことしちゃいけないっ

てお医者さんに言われてるの」

 私は逃げるようにその場を去った。さっき

まで私を褒めていた女子達が、こそこそと何

かを話始めるのを横目に見ながら。

 

「先生、三班は私だけカヌー不参加でお願い

します」

 職員室で、私は堂々と言った。向かいのデ

スクにいた他のクラスの先生が視線をそらす。

クタクタのジャージを着た山中先生が顔をし

かめた。

「班の奴、仲良い佐々木とかにはちゃんと言っ

たのか。郷土料理体験コースとか、みんなで

できるものもあるだろ」

「楽しみにしてるみたいですし、班の雰囲気

を壊したくないので、いいです。どうせまた

体調が悪くなるかもしれないですし」

「お前なぁ」

 先生が頭をかいて、でかいため息をついた。

深く眉間にシワを寄せて、しばらく黙りこんだ。

どうやら私の存在は、優しい人を困らせるら

しい。

「日向は我慢しすぎなんじゃないか。俺は、

お前がいろいろと諦めてるように見える。い

や、もちろん、お前が大変なのはわかる。で

も、人の悩みや足枷っていうのは、お前だけ

じゃなくて人それぞれにあるはずだろう。そ

の中で、本当に楽しいこととか、いい友だち

を見つける、そのための自然体験学習だと思

ってるんだけどなぁ」

「私もそう思います」

 私は口をへの字に曲げた。そんな私を見て、

先生は苦笑いした。

「まぁ、そうそう、人生うまくいかねーよな。

りょーかい」

 私が職員室を出ると、職員室から、若い女

の人の声が聞こえてきた。

「あの子は何か障害があるんですか?」

「教育実習の前に言ったでしょう、聞いてな

かったの?女優の小笠原百合子のクローンで

すよ!」

「あぁ、あの子が!」

「谷川先生はまだ若いから、きっと小笠原百

合子を知らないんですよ。小笠原百合子の若

いときに、そっくりですよ」

 なにも聞こえなかったふりをして、教室に

戻ろうと思ったが、途中で教室にも居づらい

ことを思いだした。始業のチャイムが鳴るギ

リギリまで、トイレにこもった。

 トイレから出たときだった。

「なっげぇウンコだな」

 小馬鹿にしたように誰かが言った。なんて、

嘘。誰が言ったかはわかっている。無視して

教室に向かった。

「おいっ、無視すんなって」

 仕方なく足を止めた。高橋くん、いや、高

橋の奴が、鋭い目つきで私を睨んでいた。

「まじ、お前見てるとイラつくんだけど。な

んでいっつも、なんにも言わねぇの? 私カワ

イソウとか思ってんの?」

「イラつかせてしまって、ごめんね」

 なるべく落ち着いて、それだけ言った。逃

げるように教室へ戻った。

 そうだよ、そう思ってるよ。私カワイソウ

だよ。女優のクローンとして産まれてきてか

らずっと好奇の目で晒されて、大学病院の医

者達にモルモットみたいに観察されて管理さ

れて、『本体』の言いなりになって髪の毛提

供したり、輸血も強制的にさせられたり。だ

から、怪我するような運動なんかさせてもら

えなくて。カヌー以前に海も入ったことない。

体も元々弱いし、寿命もそんなに長くないだ

ろうって医者が言ってた。もしかしたらいつ

か、体全部あげちゃわないといけない日がく

るかもしれない。そんなの、お前なんかにわ

かるか。

 怒りと悔しさで手が震えて、シャーペンを

握りしめた。その日は一日むかむかして、授

業の内容が全く頭に入ってこなかった。

「私、鳥ちゃんのこと、全然考えられてなかっ

た。ごめん!」

「ううん、大丈夫ー! こっちこそ気を遣わせ

ちゃってごめんねぇ。もう先生に言ったから、

全っ然おっけー」

 咲ちゃんとも、体験コースの話はこんな感

じで終わった。

 

「カラゲンキはムダな怪我すんで」

 自然体験学習の日の朝、ババが言った。

「別にしてないもん」

「どうせ、山奥やろ。シケたお土産なんかい

らん。とりあえず健康で帰ってきなさいよ」

 聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな

声でババに返事した。本当は、不安でいっぱ

いだから。ババにはお見通しだった。そうい

えば、小学校の修学旅行のときも、そうだっ

たな。私、甘ったれのままみたいだ。

「いってきます」

 いつも通りに家を出た。「ピヨコがおらん

と掃除が捗るわ」ババは畳を拭きながらそう

返した。

 一日目は、ハイキングからのアスレチック

遊びだった。アスレチック遊びは止めておこ

うかとも思ったけれど、ハイキングが始まっ

てすぐに、「うちの班、足手まといが居るん

だけど」と高橋に嫌みを言われてムッとした

ので、参加することにした。だけど意外とで

きて、うれしかった。いつもみんながするの

を見てるだけだったから、初めて人の輪に入

れた気がする。

「日向、やるじゃん」

 宿泊施設への帰り道、汗だくの山中先生が

脇腹を小突いてきた。

「先生よりは、元気ですよ」

「そりゃオッサンだもん。あー腰いてぇ。俺、

明日引率できるかなぁ……お、すげぇ」

 なだらかな山の向こうに、夕焼けが目一杯

に広がっていた。威厳たっぷりに山を照らし

ている。地元だったらビルが邪魔してこんな

の見られない。明日帰ったら、ババに楽しかっ

たって言おう。

 ふふ、と自然に笑みがこぼれた。


 夜。布団の中で、だれかが恋話しよーよ、

と言い出した。興味がないので、怖い話にし

ようと言ってみたけれどやっぱり却下された。

「じゃあ、私から時計回りに好きな人の名前

かイニシャルを言っていくことね!」

 好きな人はいない、なんていう台詞は許さ

れない非情な遊びが始まった。が、私は知っ

ている。だいたいこういうのは、三人目ぐら

いから、やっぱり恥ずかしいとか言ってちゃ

んと言わなくなるのだ。そのうち見回りの先

生が来る。私は六人目だから、大丈夫。

 まず一人目が、もったいぶりながら名前を

言って盛り上がった。次は、咲ちゃんだ。そ

ういえば、咲ちゃんの恋愛話なんて聞いたこ

とがない。好きな人とか、いないと思うけど、

この雰囲気で大丈夫かな。もし、困ることに

なったら、助けてあげなくちゃ。

 がんばって、という気持ちを込めて見つめ

た。だけど、私の視線に気づいた咲ちゃんは

なぜか、目をそらせた。

「私は……高橋くん」

 はっきりとした咲ちゃんの告白に、周りの

女子たちが黄色い声を上げる。私一人だけ、

ショックを受けていた。なんで、あんなやつ

のことなんか好きになるの……。

「わかるー。タカハシって、パッと見た感じ

は冷たそうだけど、普通に優しいし、いい奴

だよねー」

 私には全然、そんなじゃない。高橋が他の

人にはどうであれ、咲ちゃんには、奴を好き

だとは言ってほしくなかった。自分の友達に

嫌なことを言う人のこと、好きになっちゃう

んだ。

「咲ちゃんってタカハシと同じ班じゃなかっ

た? 告っちゃえ、告っちゃえ!」

「ううん、それはいいの。どうせダメだと思

うから。せっかくの自然体験学習、嫌な思い

出にしたくないし」

「えー、せつないー。みんなで佐々木さんの

恋を応援しよーよ」

 咲ちゃんの告白に勇気づけられて弾みがつ

いたのか、次々と積極的に好きな人を発表し

ていった。照れながらもうれしそうに好きな

人のことを話している姿はみんな可愛かった。

私も和を乱すことのないよう、大学病院の研

修生の人がカッコよくて気になる、と言って

みた。けれど、そんなことを言ったから、ム

ダに大学病院の検査のことを思い出してしま

った。見回りの先生が来て、恋話が終わり、

みんなが寝静まった後も、つい一人で悶々と

考えてしまう。あんなふうに私を見る奴なん

て、いくらイケメンでも好きになれるわけが

ない。

 私は、誰のことも好きになれないのかもし

れない。でも、私の命が短いなら、きっとそ

れで丁度いい。

 みんなの寝息を聞きながら、薄くて固い布

団の中で、声を押し殺して少し泣いた。

「……鳥ちゃん? 大丈夫?」

 隣の咲ちゃんが小声で聞いてきた。とっく

に寝ていると思ったのに。ふと我に返った。

自然体験学習の夜に泣くだなんて、我ながら

情緒不安定な気がする。

「うん、ありがと。ちょっと埃っぽいから鼻

がムズムズしちゃって」

「そう……」

 咲ちゃんが心配してくれてうれしかった。

そんな自分が嫌だった。

 

 雨になっちゃえばいいのに、と思ったけれ

ど、やっぱり次の日は快晴だった。

 澄み渡る秋の青空の下、救護班の先生と、

みんながカヌーしているのを眺めていた。い

いな、すごく、楽しそう。

「もう、少し寒くなってきたわねぇ」

「そうですね」

 これが、あと二時間か……。

「すみません、トイレに行ってきます」

「滑りやすいから海に落ちないようにね」

 トイレの辺りは、濡れた草がぼうぼうと生

えていた。そんなトイレは、やっぱり汚い。

二つの電球のうち一つが切れていて、古い蜘

蛛の巣に、死んだ虫が引っ掛かっていた。便

座も濡れている。カヌーをしたら、濡れるの

は当たり前だよね。私、してないけど。

 私の気分まで暗くなってきたので、トイレ

から出た。すると、酔っぱらったおじさんが

ふらふらとトイレへ近づいてくる。ぎょっと

したが、そういえば、近くにバーベキュー会

場があるんだった。おじさんが私を見た。

「なぁ! お前、中学生か」

「はい」

 いきなり声をかけられて、恐くてつい返事

をしてしまった。無視して逃げればよかった。

「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーうるせぇんだよ。

他の客の迷惑も考えろっての。どこの中学だ

よ。教えろ」

「すみません、先生呼んできます」

「そこまでしなくていいからって」

 おじさんが、私の腕を掴む。ぞわっと鳥肌

が立った。

「……うん? お前、女優の小笠原百合子によ

く似てるな。……あ! お前か! ニュースで

聞いたことあるぞ。お前、小笠原百合子の予

備の体なんだろ」

 おじさんがニヤニヤしながら肩を掴んでき

た。

「よくできてるじゃねぇか」

「人間です」

 慌てて肩にかけられた手を振り払い、救護

の先生たちの方へ走った。心臓の鼓動が早く

なっているのがわかる。自分でも驚くほどパ

ニックになっていた。ババ、たすけて。ババ。

 後ろを振り返ると、酔っぱらいのおじさん

が、そそくさとバーベキュー会場に戻ってい

くのが見えた。

 よかった。

 ほっとした瞬間、めまいがして足がもつれ

た。あ、やばい。しかし、体が思うように動

かず、そのまま海に転がり落ちてしまった。

 気付いたときには、海の中だった。みんな

が、私を見てわぁわぁ叫んでいる。救護班の

先生も遠巻きに見て手をこまねいている。

 軽めのハーフパンツを履いてきてよかった。

昔、万が一にと教えてもらった、へんてこな

平泳ぎで水をかく。それでも体が重い。苦し

い。口の中がしょっぱい。鼻が痛い。海って、

こんななんだ。

 カヌーのインストラクターの人が救助にき

てくれようとしているのが見えた。わー!

と近くで歓声があがった。波でよく前が見え

ない。顔を上げるのが辛くなってきた。

はやく、助けにきて。

 がしっと腕を掴まれた。

「おい、大丈夫か」

「は、はい」

 ふにゃふにゃな声で言った。顔を見て、驚

いた。高橋くんだった。

 奴は、かなり必死な顔をしていた。なんで

来たの!?


 カヌー体験が終わるまで、私は高橋くんと

みんながカヌーをするのを見ていた。高橋く

んは正座だった。先生とカヌーのインストラ

クターの人に、ものすごく怒られたからだ。

「助けにきてくれて、ありがとう」

 高橋くんは黙っていた。

「助けられなかったみたいだけどね」

「うるせっ」

 高橋くんが砂をかけてきた。だけど、言動

にいつものトゲがない。そんな高橋くんを見

て、ひゃひゃひゃとバカみたいに笑った。

「私ね、溺れながら、初めての海にちょっと

感動しちゃった。入れてラッキーだったかも

しんない」

「また入ればいいじゃん」

 高橋くんが、私の目を見てこともなげに言っ

た。ふいに私は目をそらした。

「やりたいことやれば」

 医者とか小笠原百合子とかババとか学校の

先生とか。いろんな人が、私にいろんなこと

を言う。これしろ、とか、あれはするな、と

か。あんまり制限されすぎて、自分でも何が

したいのか、わからなくなっていた。

「……言ったら聞いてくれるかな」

「さぁ。知らないけど、言ってみないとわか

んないだろ」

「じゃ、手始めに、高橋くんにもう少し優し

くしてもらいたいかな。みんなに対してと同

じくらいに」

 うるせー、ばーか! と言いながら、また高

橋くんは顔を真っ赤にして砂をかけてきた。

それから、カヌーの体験が終わるまで、奴は

怒ったのか一言も話さなくなった。


 最後のイベント、土産物を買う時間になっ

た。行く前は負担でしかなかった自然体験学

習だったけれど、行ってみれば、案外終わる

のが早い。土産物屋を一緒に回ろうと、咲ちゃ

んを探した。

 あれ、いない。仕方がないので、一人でバ

バへのお土産を探した。ババにはお漬け物が

いいよね。シケてないお漬け物って、何かな。

土産物の時間はそんなにない。中学生の人混

みから離れて、古そうな、人気のない土産物

屋へと急いだ。

 人気のない道の端っこで、女子が数人こそ

こそと集まっている。ああしてるのは大概ろ

くな会じゃない。知らない、見てないほうが

いい。あぁ、あそこ通るの嫌だな。

「日向さんウザくない? さっきもわざと海

に落ちたりして。どんだけ構ってほしいのっ

て。佐々木さんってさ、高橋くんのこと好き

なんでしょ? 嫌じゃなかった?」

「確かにそうー……」

 また、いつもの女子達の悪口だと思ってい

た。さっと通り過ぎればいいと思った。

 だけど、目が合ってしまった。その輪の中

にいる咲ちゃんと。

「あ……」

 咲ちゃんが、しまったというような顔をし

ている。咲ちゃんと話していた、いつも私の

悪口を言う女子達が、私を見て勝ち誇ったよ

うな含み笑いをした。

 私は何も言えず、紐で引っ張られたように

目的の店へ向かった。あっさりお土産を買っ

た。選ぶ元気もなかった。結局、シケた土産

物になってしまったかもしれない。集合まで

あと、まだ十分も残っている。人のいない土

産物屋で、ぼぅっとしていた。私の周りには

誰もいないのに、みんなの楽しげな騒ぎ声が

近くで聞こえる。手のひらをただ見つめた。

 悔しさが徐々に込み上げてきた。高橋くん

が助けに来なきゃよかったんだ。いや、私が

迷惑かけなきゃよかった。そもそもあの酔っ

ぱらいがいなけりゃ、トイレに行かなけりゃ、

いや、いっそ咲ちゃんに嫌われることになる

くらいなら、自然体験学習なんか来なけりゃ

よかった……?

 私、いっつもうまくいかない。私が普通の

人じゃないから? 私、いっぱい我慢してるの

に。

「おい、何してんの。こんなとこで」

 振り向くと、高橋くんだった。いつもみた

いな恐い顔じゃなくてほっとした。もう、私

のこと嫌いじゃなくなったのかな。

「べ、べつに」

 にこっと笑ってみせた。私、今笑えるんだ

と思った。

「前から思ってたんだけど、お前よく手相見

てるだろ。そんなに手相変わる? つーか、手

相占いとかわかるの? 俺の、見てよ」

 高橋くんが手を出した。手相なんか見なく

ても大きくて健康そうな手だ。

「えぇ、うーん。理系に向いてるよ。あと、

KY線がある。でも、生命線が長くてくっき

りしてて、きっと長生きできるよ」

「はー? なんだよ、KY線って。お前のも見

せろよ」

 ムキになる高橋くんを見て笑っていたけど、

ふと咲ちゃんのことが頭によぎった。今、高

橋くんと仲良くしているのを見られたら余計

にまずい。また、変に思われたら。

『やりたいことやれば』

 高橋くんの言葉を思い出した。どうせ、う

まくいかないなら、やりたいこと、やればい

い。私は今、嫌いだった高橋くんと仲良くな

れて、うれしい。

 私は手のひらを見せた。

「私の手相。ほら、生命線が短いでしょ。な

んか千切れてるし」

「ほんとだ。大丈夫かよ、お前。マジックで

生命線、上から書いとけよ。それでも効くん

だってさ」

「へぇぇ、そうなんだ。知らなかった。じゃ、

高橋くんのKY線も書き換えといたらいいと

思うよ。……っていうかさぁ、私べつに手相

見てるわけじゃないんだけどね」

「じゃ、何見てんだよ」

「指紋。私と小笠原百合子、指紋は違うんだっ

て。あの人は、私にはなれないのよ」

「やっぱ、普通に生まれてりゃって思う?

ま、当たり前だよな。一番目に生まれてりゃ

女優になれたんだもんな」

 考えたこともなかった。普通の家の子とし

て生まれたかった、とは幾度となく考えたけ

れど、一人目の小笠原百合子になりたいとは

思わなかった。それほど、あの人のことを恨

んでいる。だけど、私が彼女なら、同じこと

をしていたかもしれないのだ。

「私とあの人は、違うから」

 ムキになって言った。私は、あんな人とは

違う。似てると言われる度、ゾッとする。で

も、私は違う。

「小笠原百合子、そんなに嫌かなぁ。主演で

やってた昭和の名作三部作とかいうの、こな

いだテレビでやってたから見たけど、感動し

たぞ」

「ババが見るなって」

「いや、それはもったいねぇー。小笠原百合

子がどんな人かは知らないけど、演技は泣け

た。そもそも、もしお前と性格が同じなら悪

い人じゃないだろ」

「え?」

 高橋くんが、そんなことを言うなんて。思

わず感動してじっと見つめた。

「いやっ、そんな大した意味じゃねぇよ!」

 高橋くんがぶんぶん手を振って慌てふため

く。照れ屋だったんだな。でも高橋くんも、

悪い人じゃないことがわかった。

 先生が集合をかける声がする。

「ありがとう。今度、ババとその映画見てみ

るね!」

 来たときよりずっと、心が軽くなって店を

出た。私に、新しい友達ができた。


 帰りのバスの中。窓の外を見ながら、眠れ

なかった宿泊施設や初めて入った海に、心の

中で別れの挨拶をした。外から見れば、どこ

にでもあるような古ぼけた田舎の建物だけど、

ここには一つ一つそれぞれの思い出がいっぱ

い。でも、再び旅行しにここへ来ることは、

きっとない。

  隣の席の子はぐっすり眠っている。ほとん

どの人は疲れて眠っていた。咲ちゃんも寝て

いるんだろうか。後ろの席で、高橋くんの隣

だったはず。心に引っ掛かったままだったけ

れど、咲ちゃんの話し声がしないから気にせ

ずにすむ。

「高橋くん。起きてるなら鳥ちゃんと席、代

わってくれない?」

 咲ちゃんが突然そう言い出したのでどきっ

とした。

「だってさ。起きてんだろ? 退けよ」

 何も知らない高橋くんに言われて、渋々席

を立った。一体何言われるんだろう。咲ちゃ

んの顔、恐いよ。

「あのね、私、鳥ちゃんの悪口言ってないか

ら」

「いいよ、本当のこと言ってくれても。慣れ

てるから」

 強気に言ってみたけれど、内心ドキドキが

止まらない。慣れていても胸は痛む。

「違う。またいつもの人達がグチグチ言って

たから、一言言ってやろうと思っただけなの

に。あの後、私あの人達にすごく怒ったんだ

よ。鳥ちゃんは、いつも私に何も言ってくれ

ないけど」

「でも、悪口に『確かにそう』とか言ってた

じゃん」

「それは……確かにちょっと、嫌だなと思っ

たんだもん。だってずるいよ。もちろん鳥ちゃ

んがわざとしたんじゃないってわかってる。

けど、私は鳥ちゃんみたいに美人じゃないし、

助けてくれる人なんてきっといないし。私な

んか一部の男子に、引き立て役って陰で言わ

れてんだよ」

「そ、そんな……」

 私は口ごもった。自分が恥ずかしくなった。

私ばっかりが一緒にいて苦しい思いをしてい

ると思っていたからだ。咲ちゃんは嫌なこと

言われても、いつも側に居てくれたのに。

「ごめんね。知らなかった」

「まぁ、そんなこと勘付かれていても嫌だけ

どね」

 咲ちゃんが笑った。

「あのね……」

 バスが着くまで、いっぱい話をした。体の

こと、生まれてきたときのこと、ババのこと。

疲れて眠かったけど、それよりも楽しかった。

ゲラゲラ笑っている内に、バスは着いた。

「あ、ババだ」

「え、どれ? あはは、イメージぴったり。う

ちのお母さんもいるよー」


「みなさん、家に帰るまでが自然体験学習で

す。気をつけて帰りましょう」

 校長先生の話が終わって、解散になった。

「鳥ちゃん、また学校でね!」

「楽しかったね、またね!」

 いつの間にか日は沈み、辺りが暗くなり始

めて少し寂しい。今日の昼間は、いろんなこ

とがあったのに。この気持ちが冷めないうち

に、早く帰ろう。

 他のお母さん達から離れて校門の側で待っ

ているババに向かって走った。ババ、そんな

に遠慮しなくても、仲良くしてくれるお母さ

んはきっといるよ。

「ただいまー」

 話したいことがたくさんある。手を振りな

がら笑う私を見て、ババが笑った。

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