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病名(びょうめい)とめろんぱん  作者: 雛まじん
第3章 ねむれねむれ
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病名とめろんぱん その60

 

 彼女はいつも通り、そこにいた。

 いつも通り、とは言っても、彼女とはまだ二週間程度の付き合いだ。決して長い付き合いとは言えないし、慣れ親しんでいるとも言えない間柄である。彼女のことなんて、まだまだ何も知らない・・・・・向こうが一方的に僕のことを知っているというだけだ。

 しかし、僕は安心した。

 静かな森の中で一人、お茶を淹れ、和やかに微笑みながら迎えてくれる彼女に、抗いようのない安心感を抱いてしまうのだ。抵抗するのも空しく、否定するのも馬鹿馬鹿しい安心感に襲われ、嫌でもリラックスしてしまう。これは現実とは無関係な、都合の良い夢であるとは分かっていても、その夢に溺れてしまっていいんじゃないかとも思えてしまう。

 そして、思い至ってしまう。

 これは、「幸せ」というやつなんじゃないか、と。

 生き抜くだけで精一杯だった自分に、ようやく「幸せ」というオマケがついてきたんじゃないかと、そう思い至ってしまった。幸せになろうという努力もせず、「死にたくない」という理由だけでただただ漫然と生きてきた自分には大きすぎるオマケかもしれないけれど、それを受け取ってしまいたいという欲求に駆られた。

 現実に背を向け、永遠に夢の世界で生きる。

 これ以上の幸福があるだろうか・・・?

 多分、きっと、あるのだろう。それはたとえば、友人との話で盛り上がったり、趣味に没頭したり、仕事で成功したり、恋人と未来を誓い合ったり、新しい家族を作ったり・・・・・・・たくさんの人に愛され、涙を流しながら最期を迎えることだって、一つの幸せかもしれない。自分の死を悲しんでくれる人が一人でもいるのなら、それまでの人生がどれだけ辛いものだったとしても、「報われた」と感じることが出来るのかもしれない。

 僕のような奴を除いては。

 死ぬことを恐れ、死んでしまったらすべてが無駄だと考えている、僕のようなろくでなしを除けば。


「こんばんは、(やな)()さん」


 彼女はやはり、微笑んだ。

 眩しい笑顔を、こちらに向けた。

 どうやら今回はすでに、僕の分の飲み物も用意してくれていたらしい。ティーカップに注がれた紅茶は湯気を立て、早く飲んでくれとばかりに僕を急かしているかのようだった。


「こんばんは、(ほたる)()さん」


 僕もいつも通りに、大きな切り株の上に腰かける。この二週間で何度も座ったせいか、この切り株にも少しばかり愛着を持ってしまっている。もうすっかり僕の特等席になってしまっているけれど、こんな風に切り株の上でお茶を飲むなんて機会も、現実世界ではなかなかないだろう。意外と、貴重な体験をしているのかもしれない。


「現実世界は、もうすっかり夏みたいですね」


 言いながら彼女も、ティーカップを片手に切り株に座った。


「温かい紅茶より、アイスティーの方が良かったですか?」

「いや、温かい紅茶で良かったよ。今日の夢の世界は、なんだか肌寒い」

「ここは、気温も気まぐれですからね・・・・・現実世界と気候が真逆、なんてこともあるんですよ」

「へぇ・・・・・そりゃ、体調管理が大変そうだ」


 今日も夜空が頭上を覆ってはいるものの、気温はこの前よりも低いようで、時折冷たい風が森の中を吹き抜けていった。確かに現実とは真逆の気温ではあるものの、温かい紅茶を美味しく飲むには最高の気候だと言えるだろう。紅茶を一口飲むごとに、体が少しずつ温まっていくのを感じる。


「・・・・・・・」

「・・・・・・・」


 いつも通りのシチュエーションでありながら、しかし僕たちは、語るべき言葉を持ち合わせてはいなかった。いや・・・話すべきことを分かってはいるのだけれど、その話題をすんなりと話し出せるほど、僕たちは饒舌ではない。

 それに何より。

 それですべてが終わってしまうかもしれないと分かっていて、話せるわけがないのだ。

 最後の話題を話すのに、そんなに急ぐ必要はない。


「お見舞い」

「・・・・・ん?」

「現実の、私の病室です。お見舞いに来てくださったんですね。わざわざ、フルーツの詰め合わせまで買ってきていただいて」

「あぁ・・・うん。一応、お見舞いの品はあった方がいいと思ってね」

「嬉しいです。私、お見舞い品どころか、誰かが面会に来てくれたこともなかったので」

「・・・・・知り合いが、お見舞いに来てくれたりはしなかったのかい?親とか、友達とかは?」

「あの病室には、一般の人は入れないみたいですから。それに・・・」


 それに。

 と、彼女は目を閉じる。


「私がこの『(やまい)』を(わずら)ってからの十年間は、誰も私に近づこうとはしませんでしたから」


 それは、誰かを恨んだり、憎んだりしているかのような口調ではなかった。ただ、悲しさに満ち溢れ、悲鳴を上げたくなるほどの苦しさを感じていることは、間違いなかった。

 十年間。

 それほど長い時間、彼女は周りの人間から遠ざけられていた。


「・・・・・『誰も』というのは、言い過ぎじゃないのかな?」


 踏み込み過ぎてはいけない話題だとは思いつつも、僕は質問する。

 聞いてみたくなった。

 彼女の空白の十年間を、遠ざけられ続けた十年間を。

 初めて、知ってみたくなった。


「君の治療を試みた医師や、君に誘われて病室を訪れた職員が何人かいたはずだ・・・・・もう亡くなっているとは聞いているけれど」

「ええ・・・そうですね。確かにあの方たちは、私のもとを訪れてくれました。あのお医者さんたち・・・・・それに、お父さんとお母さんも」


 彼女は、ティーカップを両手でギュッと包み込んだ。

 まるでそれが、手放してはいけないものであるかのように・・・・・唯一の、心の拠り所であるかのように。


「けれど別に、私に興味があったわけではなかったようです。多分あの人たちは・・・きっと、疲れていたのでしょう」


 働き続けることを。

 親であり続けることを。

 生き続けることを。

 やめたかったのだと、そう思います。

 


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