病名とめろんぱん その31
コツッコツッ・・・・・と、僕らの足音だけが、廊下に響く。
他になんの音も聞こえないので、ゆっくり歩いているつもりでも、小さな足音が不必要に大きく響いてしまう。
現在、『白縫病院』に不法侵入中。
言い換えれば、犯罪の真っ最中だ。
予想通り、一階のホールと廊下は真っ暗だったけれど、目が慣れてくれば、先が見えないほどの闇というわけでもない。念のために懐中電灯を持ってきたけれど、まだ出番ではないだろう。
対して蓮鳥さんは、小型の懐中電灯を点けていた。といっても、進む道を照らすためではない。自分に向けて、明かりを点けているのだ。
蓮鳥さんは『鳥目の病』によって、暗いところでは姿が見えなくなってしまう。明かりの消えた院内でも、それは同様だ。こうして不法侵入するためには便利なのだが、会話をする上では少し不便だ。その対策として、こうして、懐中電灯で自らを照らしてもらっている。明かりに照らされた部分がわずかに見える程度だが、まったく見えないよりはマシだろう。
病院というシチュエーションも相まって、なんだか肝試しを意識してしまったけれど・・・・・今はそんなことを考えている場合ではない。
ここはお化け屋敷ではないのだ。
造り物の廃病院なんかじゃない・・・・・現在も稼働中の病院だけれど、お化け屋敷なんかよりもよっぽど怖い所だ。
「まずは、この廊下の突き当りにあるエレベーターホールを目指しましょう」
「エレベーターね・・・こんな時間でも、使えるのかな?」
「分かりませんが・・・・エレベーターが駄目なら、階段を使うしかありませんね。ひとまずは、上の階に向かいますよ」
「上の階に、『病』に関わる何かがあるのかい?」
「はい。・・・と、言い切れるほどではありませんけどね。私が入院していた頃は、もっと上の階層にいましたから、『病』に関する何かしらの情報を掴めるとすれば、上の方の階だと思います」
「なるほど・・・」
と、僕は頷く。
確かに、『病』に関する情報が、最も人の出入りが激しい一階付近に保管されているとは考えにくい。上の階の、人目につきにくい場所に保管されていると考えるのが妥当だろう。
それにしても・・・・・と、僕は辺りを見回す。
静かだ。静かすぎる。
夜中とはいえ、静かすぎないか?夜勤の職員はいるだろうし、入院患者もいるだろうに・・・・・それとも深夜の病院というのは、こんなものなのだろうか?真夜中の病院に入ったことなんてないので、少し不安になってしまう。入院していたときには、この時間帯は熟睡していたし・・・。
・・・・・心配のしすぎか?
「蓮鳥さん。ちょっと静かすぎるような気がするんだけど・・・気のせいかな?」
「どうでしょう・・・。私が入院していたときも、こんなものだった気がしますけど・・・・・それにしては、静かすぎる気も・・・。一旦姿を消して、様子を見て来ましょうか?」
「うん。そうしてもらった方が・・・」
そのときだった。
一瞬。
一瞬にして辺りの闇が濃くなり、室温が急激に下がったような・・・・・気がした。
と、同時に。
そんな変化と共に、何かを感じた。
背後から、「何か」を感じた。
それは、「何か」としか言いようがなかった。だって僕は、振り返ることが出来なかったのだから。それが何なのかを、見ることが出来なかったのだから。
ただ・・・一つの感情が、僕の中に生まれた。
怖い。
恐怖という感情が、僕の中を支配していった。「それ」が何なのか分からないのに、視認できてもいないというのに。
僕は「それ」が、言葉に出来ないくらい怖かった。見てはいけない。「それ」に捕まってはいけない。
捕まれば・・・・・死ぬ。
直感的に、そう感じていた、
気付けば、僕は逃げ出していた。なんの考えもなく、逃走ルートなんて考えてもせず、ただただがむしゃらに逃げ出した。
「?・・・・柳瀬さん、何を・・・・・。!」
どうやら蓮鳥さんも、「それ」に気付いたようだ。
懐中電灯の明かりが消え、彼女の姿が完全に見えなくなる。足音からして、僕と同じ方向に向かっているのは分かるが、彼女の位置は分からない。
とにかく、今は走り続けるしかない。
「それ」に追いつかれないように、逃げるしかないのだ。
「それ」の足音は聞こえない。今、「それ」と、どれくらいの距離があるのかは分からない。振り返るわけにはいかないので、姿はもちろん見えないのだけれど・・・・気配すら、よく分からないのだ。いるのか、いないのか、よく分からない。気配があるようでいて・・・・・ない。
走り続けていると、じきに、廊下の分かれ道に差し掛かった。まっすぐ進むか、右に曲がるかの二択だ。
蓮鳥さんに方向を聞いている時間なんて、ない。
僕が右に曲がると、もう一方の足音は、まっすぐと進んでいった。蓮鳥さんの足音が、段々と遠ざかっていく。・・・・・どうやら、別れてしまったようだ。いや、この場合は、上手く逃走先を分断できたと考えるべきか。
少なくともこれで、「それ」は、僕か蓮鳥さんのどちらか一方しか、追うことが出来ないはずだ。
本音を言えば、蓮鳥さんの方に行ってほしいけれど・・・。
もちろんそれも、僕らを追ってきている奴が「一人」だった場合だ。いや、「一人」なのか、「一匹」なのか、「一つ」なのか、分からないが。ともかく、一個体のものならば、僕らのうちのどちらか一方しか追えないはずだ。複数の場合は・・・・・想像したくない。
「それ」が一個体なのか、複数なのか、それすらも分からないのかと聞かれれば、分からないと答えるしかない。僕が教えてほしいくらいだ。
間もなくして僕は、廊下の突き当りへと至った。エレベーターは見当たらない。ということは、ここは、蓮鳥さんの言っていたエレベーターホールではなかったということか。
突き当たりには扉があったが、残念ながら鍵が閉まっている。
チラリと横を見ると、非常用階段が上の階へと続いていた。
僕は迷わず、階段を駆け上る。
(とにかく上の階まで行って、どうにか逃げ道を確保できれば良いけれど・・・)
しかし、僕のその願いに反して、階段は二階までしか続いていなかった。正確には、その上の階まで階段は続いているのだろうけど、シャッターが閉まっていて、その先へは進めなかったのだ。
一旦、二階の廊下へと飛び出す。
(マズいな・・・)
階段のシャッターが閉まっているということは、エレベーターしか、上へ行く手段がない。階段が一つしかないということはないだろうけど、他の階段のシャッターが開いている保証はない。
そして、エレベーターも階段も見つけられないうちに、「それ」に挟み撃ちにされてしまえば・・・もうお終いだ。
しかし、僕が「それ」に捕まることはなかった。別の形で、恐怖の鬼ごっこには終止符が打たれることになる。
光。
前方の右脇の扉から、わずかに光が漏れていた。
「こっちだ!」
と、その扉の奥から、誰かが手招きするのが見えた。
罠かもしれないという疑いが、一瞬、頭をよぎる。
だが、そんなことは言ってられない。罠だろうが何だろうが、あれに捕まるよりはマシなはずだ。
僕は勢いよく、その扉の中へと飛び込んだ。
急な光に目が眩み、前が見えなくなる。
「シー・・・・・」
その人物は一方の手を僕の口に当て、もう一方の手で、何かを僕の喉元に突きつけてきた。
部屋の照明で、喉元に突きつけられた何かがキラリと光る。
ナイフ。
とても切れ味の良さそうなナイフが、僕の首を狙っていた。
「声を出すんじゃない」
小声で呟くように、その女性は言った。
「死にたくないのなら、黙っていなさい」




