病名とめろんぱん その27
登場人物⑦
・空炊芳司
『海沿保育園』のメンバーの一人。
料理人を務めている。
「そういえば・・・・・明日は君たち、いよいよ出発するそうだね。『白縫病院』・・・だったっけ?直談判しに行くんだろう?」
場所は変わって、保育園のホール。
僕は、ある程度の仕込みを終えた空炊さんと共に、ホールのテーブルでコーヒーを啜っていた。「冷たい飲み物が欲しい」と言った僕に、空炊さんがアイスコーヒーを淹れてくれたのだ。
美味しい。
カフェインで、眠れなくなるかもしれないけれど。
「何時ごろ出発するんだい?お昼ご飯くらいは、食べていけるんだろう?」
「夕方ごろの出発です。明日は・・・というか、既に今日ですね。今日の夜は、ホテルに一泊ですよ」
「なろほど・・・なら、俺の作ったお祭りご飯でも食べて、頑張ってきてくれよ。交渉やら話し合いやらっていうのは、気を遣うものだろう?」
「それはそうですけど・・・それ、ご飯と関係ありますか?」
「もちろんだよ」
愉快そうに、空炊さんは笑った。
「空腹のままじゃ・・・お腹が膨れてなきゃ、何だって上手くいかないもんさ。ご飯は大事だよ・・・と、料理人としては、伝えておきたいね」
「はぁ・・・」
本当に大変な状況になったら、空腹なんて気にしてられないと思うけれど・・・その辺りは、元栄養士としては譲れないことなのだろうか?まあしかし、食べて行けと言うならば、ありがたくいただいていこう。どんな気持ちが籠っていようと、彼のご飯が美味しいのは事実だ。
『白縫病院』といえば・・・空炊さんはここに来る前は、病院で働いていたのだっけ?本当に、どういう経緯で『病』や『海沿保育園』に関わることになってしまったのだろうか?
僕が日常生活を追われることになったように、空炊さんもまた、自身の日常を手放さざるを得なかったのか?
「まあ、君はきっと、上手くやるんだろう。『白縫病院』との交渉を無事に終えて、君が意気揚々と帰ってくるのが目に浮かぶよ」
「いや・・・僕はそんなに、交渉の上手い人間ではありませんよ。そもそもコミュニケーション自体、得意な方ではありませんし」
「それでも、君は上手くやれるだろうと、俺は信じているよ」
コーヒーを啜りながら、彼は言った。
「君は、生きる意志の強い人間みたいだ。長生きできるチャンスを逃すようなヘマは、君はしないだろう?」
「そんなこと・・・・・ない、とは言い切れませんけど。でもそんなチャンスは、誰だって不意にしたりはしないでしょう?」
「そうでもないさ。生きる意志の弱い人間なんて、いくらでもいるはずだ。実際、生きるのが嫌になってしまった人間が、俺の働いていた病院にはたくさんいたよ」
生きるチャンスが、いくらでもあるにも関わらずね。と、空炊さんは苦笑いを浮かべる。
「俺だって、生命力の強い人間とは言えないさ。何度も、死にたくなった瞬間がある」
「死にたくなった瞬間ですか・・・僕には、感じたことのない瞬間ですね」
「だろう?『病』に関わってしまったときも、粒槍伝治に襲われたときも、『シンデレラ教会』との抗争に巻き込まれたときだって、君は生きるのを諦めなかっただろう?」
「・・・空炊さんは違うんですか?」
「ああ。俺はそんなに、生きることには執着していないよ。君ほど、生きるのが得意じゃない」
生きるのが得意じゃないって・・・・生きるのが得意な人間なんて、果たしているのだろうか?
この際、聞いてみようか。
思いもかけずこんな話になってしまったし、彼と『病』の世界との馴れ初めを、聞いてみてもいいのかもしれない。
「空炊さんは・・・一体、いつ『病』のことを知ったんです?死にたくなった瞬間って・・・・・もしかして、空炊さんも命を狙われたことがあるんですか?」
「おや・・・核心部分を聞いてきたね。いつかは、聞かれるかもしれないと思っていたけれど」
「言いたくないこと・・・ですか?」
「いやいや・・・核心部分とはいっても、その核心は大したものではないよ。きっかけは、君とほとんど同じだ。たまたま『病』のことを知ってしまって、殺されそうになって・・・偶然沖さんが助けてくれたものの、そうでなければ俺は、今頃この世にいないだろう。あの人に保護されたのは、本当に幸運だった」
「『白縫グループ』の人間に狙われた・・・わけではないんですよね?」
「ああ。別の組織の人間だよ。それほど大きな組織ではなかったし、早々に、彼らは俺の命を狙うのはやめてくれた。そういう意味でも、俺と君とでは、随分と違うのかもしれないな」
「・・・僕も空炊さんも同じ一般人、ではなかったんですか?」
初めて空炊さんと会ったときに、そんな話をした・・・・気がする。
僕らはどこにでもいる、普通の一般人だと。
「少し前の俺だったら、その解釈は変わっていなかっただろう。でも、今は違う。君と俺とでは、まったく違うんだ」
全然違う人間なんだよ、と彼は語った。
「命を狙われたとき、俺は諦めたんだ。死んでも、別に構わない。そこまで後悔はないと、そう思ってしまったんだ。だが・・・柳瀬くん。君は違うだろう?そういう人間ではないはずだ。何を差し置いても、生きることを優先する・・・・違うかな?」
「まあ・・・それは違いませんけど」
「君のことを、全て理解したつもりでいるわけではないけれど・・・・・それでもやはり、君は、俺とは違うんだよ。良い意味でも、悪い意味でもね。羨ましくもあるし・・・正直、怖くもある。君のその、生きる意志は」
「怖い?生きる意志が、ですか?死ぬ方がよっぽど怖いと、僕は思いますけど」
「うん。君は、そう言うだろうと思ったよ」
空炊さんは静かに微笑んだ。
その視線には、悲しみが籠っていたようにも感じたし、哀れみの視線にも感じた。
生きる意志が強すぎる僕を、哀れんでいるのだろうか・・・?僕のことを、随分と知ったように語ってくれたけれど・・・なぜ、自分と違う性格の人間を、そこまで理解できるのだろう?
いや・・・そうじゃないのか。
違うからこそ、分かるのだろう。対照的だからこそ、理解できる部分もあるのだろう。
僕は、空炊さんの考え方には共感できないけれど。
空炊さんには、僕の考え方が分かるのかもしれない。
「死ぬのは怖い。確かにそうだけれど・・・・・生きるのだって、充分に怖いんだ」
「・・・・・」
死ぬ怖さと、生きる怖さ。
何を手放して、何を諦めるのか。
手放した日常は同じでも、諦めたものが違う。
それが、僕と空炊さんの違いなのかもしれなかった。




