第九話 逃走
2016/12/15 文章の一部修正と話数を訂正しました。
それからどうやって逃げたのかははっきりとは覚えていない。
ただ返り血のついたローブを脱ぎ捨て、逃げ惑う人々の群れの中に紛れてしまえば、後は押し流されるようにして大広場から旧市街までやってきていた。
その後はあてもなくさまようようにして、気がつけば旧市街の廃屋まで帰ってきていた。
そして俺は部屋の片隅で膝を抱えながら、なぜ逃げ出したのかを考えていた。
単純に言ってしまえばあの場に留まるのが怖くなってしまったからだ。
衛兵に捕まれば死罪は免れないだろう。
それに加えて王女様のことがあった。
何が起きたのか、エメリヒを殺すことに夢中だった俺には分からない。
ただ結果として王女様は血だまりの中に伏すことになった。
それが空賊の目論見通りだったのか、それを知るすべも俺にはない。
だがエメリヒのことで騒ぎを起こしたことがその引き金を引いたような気がしてならない。
もし俺の行動が万全だった警備に穴を開けてしまったのだとしたら?
そう考えると恐ろしくて仕方なかったのだ。
俺は何かを間違っただろうか?
しかしどうしてもそうは思えなかった。
エメリヒを殺したことは正当なる復讐だ。
裏切られ、ニコラを殺され、自身の命も狙われた俺の正当なる権利のはずだ。
誰になんと言われようと自分はやるべきことを果たした。
ではなぜ俺の胸はこんなにざわついているのだろうか?
当然あるべき達成感や満足感はちっとも得られなかった。
それどころか胸を焼くような焦燥感に追われている。
なにもしていなくとも呼吸は浅く、荒くなる。
歯を噛み締めていないと叫びだしてしまいそうだった。
そのまま廃屋で膝を抱えて幾日かが過ぎた。
食事もせずにいた俺はすっかり衰弱しきっていて、このまま死んでしまうのではないかと思った。
衛兵たちは俺を探しているだろうか?
きっと探しているだろう。
彼らが俺の所在を突き止めるのと、俺が餓死するのはどちらが早いだろう?
どちらにしても俺を待つのは死以外にはありえない。
そんな時、カタンと音がして、ついに来るべき時が来たかと思った。
しかしそれは来訪者の足音ではなく、廃屋の中からした物音だった。
俺は音の出元を確かめるべく、何日かぶりに体を動かした。
体を動かすのには苦労したが、なんとかその音の正体を確かめる。
それはニコラの部屋で乱雑に積み上げられたガラクタのひとつが崩れ落ちた音だった。
廃材や、壊れた小物など、ゴミ捨て場に捨てられているそういうものから、なにか目についたものを集めるのがニコラの趣味だった。
どれもこれも価値のないものだ。
しかしニコラにとってはどれも大切なもののようだった。
俺にもエメリヒにも理解できなかったが、ニコラにはニコラの価値観があったのだろう。
そんなガラクタたちを見つめているうちに猛然と心の中に沸き立つものがあった。
この生命はニコラに救われたものだ。
それを無為に投げ捨てていいのか?
良いわけがない。良いわけがあるはずない。
俺は生きなければならない。
ニコラが果たせなかった人生を俺が果たさなければならない。
俺は死ねない。
そう腹が決まると、今度は腹の虫が鳴いた。
もう幾日も食欲が無かったのに、猛烈に腹が空いてきた。
俺はローブ代わりにボロ布を頭から被り、旧市街に歩き出した。
旧市街の露天商からイモムシを焼いたものを買い、ついでに情報を収集する。
驚いたことに王女様は一命を取り留めたらしい。
店主は現場にいたらしく、あれは霊化銀による銃撃に違いないと断言していた。
一発目で魔法障壁を破壊し、二発目で王女様を撃ったのだ、と。
とは言っても所詮は露天商の店主の想像に過ぎない。
あの民衆の中で銃を取り出せばそれだけで騒ぎになっただろうし、向かいの建物から撃つには距離がありすぎる。
命中するはずがない。
そして話の流れから分かるように、犯人は捕まっていなかった。
大広場には溢れんばかりに民衆が集まっていて、その中に紛れて逃げてしまったようだ。
店主は事の次第を知らなかった俺にべらべらとそんな話をしてくれたが、そこにはまさにその大広場で惨劇を繰り広げた少年たちの話題は出てこなかった。
どうやら俺の復讐は王女様の身に起きた惨劇に塗りつぶされてしまったらしい。
それはそれで好都合だ。
衛兵たちには俺の手配書が出回っているかもしれないが、市民たちによって突き出される心配はさほどしなくていい。
イモムシを食い終わった俺は礼を言って露天を後にした。
腹が満たされると、ようやくこれからのことを考える気力が湧いてきた。
そして分かったことは、どう考えてももうこの町にはいられないということだ。
衆目の中で殺人を犯した俺は捕まれば死罪に違いない。
今は王女様を撃った犯人探しに追われているかも知れないが、俺の殺人が忘れ去られるわけではないだろう。
この町に留まればいずれ捕まる。
生きると決めた今、それは避けなければならない選択肢だ。
ではどうやって町を出る?
町から出て行くのは簡単だ。
この町は塀に囲まれているわけでもなく、門番が立っているわけでもない。
旧市街からでも新市街からでも簡単に町の外には出ていける。
だが町の外に広がっているのは広大な荒野と森林だけだ。
それも遠くに行こうと思えば“境界面”の下に向かう他ない。
街道も無ければ、下の世界がどうなっているのかも分からない。
そんなことをすれば野垂れ死ぬのは火を見るより明らかだ。
となれば浮遊船に乗る以外に無い。
客船でも運搬船でもいい。
とにかくこの町から別の町に行ってくれるのであればそれでいい。
だが手持ちの金では到底運賃を支払うことはできない。
では乗組員として雇われるわけにはいかないだろうか?
それも難しいだろう。
なにせ俺はまだ成人には程遠いし、新たな乗組員を雇うのにその身辺が調べられないとも限らない。
衛兵に連絡でもされれば即お縄だ。
そうなると残されるのは密航以外にありえない。
心は最初から密航に決まっていた。
というのもこの腐った町から脱出するのは俺たち3人の悲願のようなもので、その計画については何度も3人で話し合ったからだ。
しかし実行に移すにはあまりにも危険が大きすぎ、それよりも少しずつでも金を貯めて運賃を用意するほうがいいと、そういう結論に至っていた。
だが今、町に残るという選択肢が消え、町から歩いて去ることもできないのであれば、危険を冒す理由には十分だった。
顔を隠すために被っていたボロ布だが、このままでも目立つと考えた俺は残った金でローブを買い直し、フードをしっかりと被って新市街の西にある港に向かった。
港、とは言っても水辺に面したそれとは大きく異なる。
浮遊船の港は境界面より低く平らにならした広場のことだ。
地面には係留地の目印として白線が引かれ、それに合わせるように無数の浮遊船が境界面から錨を降ろして停泊している。
シュタインシュタットの港に停泊している船はそのほとんどが鉱石運搬船で、その数はいつもよりずっと多いようだった。
その割りに鉱石の積み上げはさほど行われてはいない。
どういうことだろうか? と、首を傾げつつも、今は関係ないことだと脳裏から忘れ去る。
俺が用事があるのは停泊している船ではない。
しかし船を見上げながら、船を見物に来た子どもの振りをして港を歩きまわる。
こういう子どもは珍しいものではない。
港の船乗りや運搬人からすれば邪魔をされないかぎり、進んで港にいる子どもに構おうとはしないのが常だ。
そうして純粋な子どもの振りをしながら、俺は人目が無いところを見計らって、港の一角にある倉庫へと足を踏み入れた。
俺の狙いは船に積み込まれる積み荷、それも食料の入った木箱だ。
しかしもちろん今すぐ手を付けるわけにはいかない。
今も倉庫の中では複数の大人たちがそれぞれの作業に従事している。
俺は大人たちの目に付かないように倉庫の片隅に身を潜めた。
もちろん見つかればかくれんぼをしていたなり、適当な言い訳をするつもりだ。
この一回で上手く行かなくともチャンスは何度でもある――と思わなければやっていられない。
しかし夕刻になるとそんな俺の心配を笑い飛ばすように、大人たちはろくに倉庫の中をチェックするでもなく、倉庫の扉を閉めて出て行った。
俺はそれから暗闇に目が慣れるのを待って、そっと行動を開始した。
まずは倉庫の壁に沿って歩きながら目的の釘抜きを発見すると、手頃な木箱の蓋をこじ開けた。
ここでも運は俺に味方し、一発目で林檎の詰まった木箱を引き当てる。
倉庫の中を探して回ると空の籠があったので、適当な量の林檎を籠に移し、元の位置まで運んでいく。それを何回か繰り返すと、ようやく木箱の中に俺が入り込めそうなほどの空間ができた。
それから釘抜きを使って蓋から釘を一本一本引き抜いていき、釘抜きを元の場所に戻しておく。
ついでにトンカチをひとつ拝借して、蓋の一角を木箱に打ち付ける。
それから木箱の中に身を横たえた俺は、木箱の蓋を被せ、内側から斜めに釘を打ち込んでいった。
仮留めに近い形だが、船に運び込まれるまでの間、蓋が外れなければそれでいいのだ。
後は腹が減れば林檎を食べながら船に運び込まれるのを待てばいい。
そして出港して充分な時間が経てば木箱からも抜けだして船のどこかに潜むのだ。
もし見つかっても、たった1人の密航者のために船を引き返させるようなことはすまい。
そんな甘い見通しを信じて、俺は林檎の木箱の中でそっと横たわる。
こうして俺はそれまでのすべてを失って、生まれ育ったシュタインシュタットという町を後にした。
そして俺の長い長い旅が始まったのだ。
これにて第一章は終わりです。
第二章第一話は6月19日2時に投稿します。




