第十一話 総司令官の憂鬱
カスパル・ノイバウアーには大それた望みはない。
辺境伯家の三男として生まれた以上は、家督を継ぐこともまずありえないし、そのような野望も無い。
せいぜい文官として安定した暮らしができ、愛する妻と子どもたちと共に平穏な日々を暮らすことができればそれでよかった。
それがどういうわけか幽霊部隊などという、穏健派による対ルーデンドルフ侯の秘密部隊の総司令官などという役職についてしまった。
実権こそルフト・フェラーが握っているものの、だからと言ってそれに任せて自分の職務を放棄するほど、カスパルという男は不真面目でもなかった。
それゆえに真摯に古代語の学習をし、今では管理者と話をするのもさほど問題はなくなっている。
そしてそうなるとカスパルは本格的に文官としての職務に励み始めたのであるが――。
「食糧不足ですって?」
カスパルの報告に驚いた声を上げたのはルフトだった。
今、カスパルの私室に集まっているのはルフト司令官とフリードリヒ副司令官、そして一応付け加えておくならば管理者だ。
「直近の問題ではありません。まだ数ヶ月の猶予はあります。予備を考えなければまだ半年は。しかしそれでも半年です」
カスパルの言葉を聞いたルフトはほっと息を吐いた。
どうやら彼はもっと切羽詰まった状況を想定したらしい。
だが半年という期間はカスパルからすれば十分に切羽詰まった問題だ。
「奴隷たちの間で試験を突破した者はまだ半数程度です。彼らのすべてが古代語を習得するのにかかる期間は想定できません。それに彼らに古代語を習得させてそれで終わりというわけでもないのでしょう?」
「仰るとおりです。今のところルーデンドルフ侯の動きは分からないままですし、もっと長期間、幽霊部隊を維持するだけの食料は必要でしょうね」
「穏健派の領地から食料を運んでくることも考えましたが、ここの食事事情に慣れた奴隷たちからすれば不満が出ることは避けられないでしょう」
貴族であるカスパルからしても、ここで出てくる食事の質は高いと認めざるを得ない。それと同等の食事を奴隷たちに与えているというだけでも驚きだ。
穏健派の領地から食料を運んでくるとすればそれはどうしても保存食にならざるを得ないだろう。
奴隷たちに文句を言う権利はないが、不満は必ず溜まる。
一部の奴隷たちはすでに古代の兵器の扱いに精通し、それをどちらにでも向けることができる。彼らが何も考えずにカスパルやルフトたちに従っているのは、食事やその他の生活が保証されているからに過ぎない。
その事実はカスパルの心胆を寒からしめるのに充分な材料であった。
「ともかく数ヶ月の猶予がある内に食糧問題について解決策を見つけ出さなくてはなりません」
「管理者、この基地には食料の生産能力は無いんだったな?」
「はい。レーションの生産は外部委託されていました。当然ですが、その企業も今はなく、新規納入の予定はありません」
そのへんはカスパルと管理者との間でも話し合われたことだ。
とにかく放っておいても食糧が向こうから勝手にやってくることはない。
何か対策を講じなければならない。
「分かりました。それではこの議題についてはそれぞれ管理者を通して共有しましょう。思いついたことがあればすぐに管理者に」
「ええ、お願いします」
こうして緊急の会議は終わり、ルフトとフリーデリヒはカスパルの私室を後にした。あとに残されたカスパルは自分の椅子に深く腰掛け、息を吐く。
やりづらい。と素直にカスパルは自分の狭量さを認める。
ルフトのような少年に事実上従うことに慣れていないのだ。少なくとも向こうは自分のことを総司令官として敬って接してくれている。自分もそれに合わせて、彼のことをきちんと大人として扱っているつもりだ。それでもやりづらさを感じるのは仕方がない。
『私もまだまだ大人ではないということだな』
思わず王国語で愚痴も漏れるというものだ。
こんな時は愛する妻や子どもたちと接して心を癒やしたいが、この地ではそういうわけにもいかない。もちろん彼女らを連れてくるという選択肢もありえない。ここはいつ戦場に変わってもおかしくないのだ。少なくともルフト司令官はそう考えている。
『いかんな。こういう時は仕事をするに限る』
そうしてカスパルは幽霊部隊の現状を書面にまとめる作業を始めた。
幽霊部隊の現状はこうだ。
総員1263人。そのうち奴隷が1234人。この内、試験を突破し、セリア防衛軍の兵士となった者が694人。さらにこの中からパイロットとして養成するために志願して士官候補生となる試験に挑んでいる者が87人。すでに士官候補生としてパイロットの訓練を受けている者が11人。実地で飛んでいる者はゼロ。
観測基地に配備されていたドレスの数が大人用100と子ども用30で130。これは使いまわして訓練に使われている。個人携帯火器は種類こそ各種あれど、全部で2456丁あることが分かっている。ただし射撃訓練場が一度に100人しか収容できないので、こちらも順番に訓練を行っている。
もとより士官となるべく、士官候補生として送り込まれてきた貴族の子女は24人。フリーデリヒ副司令官を含んだ数字だ。この内、士官候補生試験に合格した者は17人。7人が遅れを取っている。
それから冒険者が3人。内1人はカスパルも知っている。フィーナ・ヴィドヘルツ、いや、今は家名を捨ててフィーナだ。彼女は士官候補生の試験に合格しており、ラルフは兵士としての試験に合格している。もう一人のマーヤはカスパルと同じく魔法紋を持つため、試験は受けていないが、すでに古代語には堪能だという。マーヤは特に下層世界に詳しいらしく、ルフト司令官が相談役として雇い入れている。
ドレスの防御力はともかく、個人携帯火器の威力は射撃訓練場で目の当たりにしたカスパルとしては現状でも過剰な戦力に思えたが、ルーデンドルフ侯も同等の装備を持っているという。
それもカスパルの頭痛の一因だ。
これだけの破壊力を有した者同士が戦った例など歴史に一例も無い。一体どれほどの惨劇となるのか。カスパルには想像もつかない。
しかもその総司令官はカスパル自身なのだ。
できれば戦いになどならないほうがいい。
当然の感情としてカスパルはそう思うのだった。
それから数週間が過ぎ、パイロットとして訓練を受けていた奴隷の内、3人が初めての実地の飛行訓練を行った日のことだった。当然のように彼らと共に飛んでいたルフト司令官が戻ってくるなり、カスパルの部屋を訪れた。
「食糧問題の解決法が見つかったかもしれません」
「本当ですか?」
「ええ、ここから南東の方向に統合基地があることはご存じですか?」
「もちろんセリア防衛軍の、ですね。一応資料には目を通してあります」
「数万人が暮らしていた基地です。もちろん充分な食糧があるに違いありません」
「そこから食糧を運んでくる、と?」
しかしカスパルの言葉にルフトは首を横に振った。
「我々の拠点をその基地に移動させましょう。なんで気付かなかったんだろう。ここではドレスの数も不足しています。多目的戦闘機も。それから艦艇だって。我々に足りないものがすべてあっちにはあるんです」
「これまではここで事足りていましたからね。不足が無ければ中々気付けないものです。それで移転はいつ頃に?」
「できればすぐにでも始めたいところですが、ひとつ問題が。今日、せっかくなので上空から偵察してきたのですが、現地は魔物の巨大な集落となっているようなのです。なのでまずは連中を駆除しなければなりません」
「つまり実戦ですか?」
「我々に足りないもののひとつです」
ルフト司令官にきっぱりと言い切られて、カスパルは頭痛が増すのを感じていた。




