第六話 まずは温かい食事から
狼型の魔物の襲撃による負傷者は結果的には1人も出ることはなかった。その前に甲冑の男の攻撃によりその数を大きく減らした狼型の魔物は森の中に逃げ去ったからだ。その後、奴隷たちはより一層従順になり、歩くペースも上がり、日が暮れる前に一行は山の山腹に開いた洞窟に辿り着いた。
甲冑の男が迷うこともなく洞窟の中に入っていくので、奴隷たちも後に続いた。
そして彼らは見ることになる。天然のものと思われた洞窟のすぐ奥にある鉄の壁とそこに開いた巨大な穴、そしてそこから伸びる金属の橋を。
明らかに人の手による建造物があったことに奴隷たちは安堵と戸惑いの声を漏らした。どうやってこんなところにこれだけの鉄の壁を作ることができたのか、彼らは想像もできなかったのだ。
一行がぞろぞろと甲冑の男の後ろを付いて橋を越えると、床も壁も天井も金属でできた通路が広がっており、天井には見たこともない白い光の照明が取り付けられていた。
その金属の通路を男は黙々と歩いて行く。奴隷たちはあちこちを見回しながらその後を付いていく。やがて男はとある扉の前で足を止めた。
「まずは約束通り温かい食事を提供する。ここからは一列になってゆっくりと進め。前の者を押したり、順序を抜かしたりしないこと。安心しろ。食料はたっぷりとある」
そう言って甲冑の男は扉を開けて中に入っていった。
奴隷たちは中に入ることを逡巡したので、マルコは我先にと部屋の中に入っていった。するとそこは数百人はゆうに収まろうかという大きさの部屋で、整然とテーブルと椅子が並べられていた。甲冑の男はその部屋の端の一角に向けて歩いて行く。マルコが付いていくと、後ろから奴隷たちが一列になって付いてきた。
甲冑の男が奥にあった棚を開けると、中には銀色に包装された箱がずらりと並んでいる。
「1人1つ手に取るんだ。それからあっちの機械に入れてこのボタンを押す」
甲冑の男が率先して銀色の箱を取り、よく分からない箱型の何かの中に銀色の箱を入れると、ボタンを押した。数秒でポーンと謎の音がして、それを確認すると男は銀色の箱を取り出した。
「今見た通りだ。後ろの者は前の者がしているのをよく見て真似をしろ。機械から取り出したらテーブルについて食事を始めて構わない」
マルコは男がしていた通りに棚から銀色の箱を取り出して機械に入れてボタンを押した。やはり数秒でポーンとどこか気の抜けた謎の音がして、機械から箱を取り出そうとすると、箱は暖かくなっていた。
それを持ってテーブルに移動する。最初の1人なので席は選びたい放題だ。かと言ってわざわざ遠い席を選ぶ理由も思い浮かばなかったのでマルコは手近な席に座った。
さて食事を始めて構わないと言われたが、こいつは一体なんなのだろう?
マルコが恐る恐る包装を引き剥がして見ると、中からはプレートに乗った料理が現れた。丁寧なことにナイフとフォークも同封されている。
「肉、だよな」
塩漬けで形を失っていた浮遊船の肉とは違う。ちゃんと形の残った肉――それもソースがかかっている――、それとパンと野菜だ。
フォークを取り上げると、それは木でも金属でもない素材でできていた。やや柔らかいが、肉にはちゃんと突き刺さる。それで肉を持ち上げて、マルコは肉にかぶりついた。
脳に衝撃が走った。美味いと口にすることもできずに、マルコは一心不乱に肉を咀嚼した。こんな美味いものは生まれてこの方食べたことがない。こいつはたっぷりと香辛料や調味料が使われているに違いない。まるで王侯貴族が食べるような食事だ。いや、ひょっとしたら王侯貴族とてこれほどの食事は口にしていないのではないだろうか。
列に並んで銀色の箱を手にテーブルについたものの、どうするか迷っていた奴隷たちもマルコの様子を見て、それぞれに恐る恐る食事に手をつけ始めた。するとあちこちで歓声にも似た声が上がる。
奴隷たちの列がまだ半分も消化し終わってないうちにマルコはプレートを空にし、あの列にもう一度並べないものかと考えていた。しかし甲冑の男が目を光らせているので、とてもそれはできそうにない。特にマルコはあの男によく覚えられているに違いない。
奴隷たちが一心に食事に貪り付いているのを見ていた列に並ぶ奴隷たちは、最初の戦々恐々と言った様子から、早く列が進んで欲しいという様子に変わっていった。やがてすべての奴隷が銀色の箱を手にして列が無くなると、甲冑の男が声を上げた。
「食事をしながらで構わない。遅くなったが自己紹介をしておこう。私はルフト・フェラーと言う名だ」
そう言いながら甲冑の男はその兜を取り外した。
奴隷たちがどよめいた。マルコは予想はしていたものの、それでも実際に見ると驚いた。甲冑の兜の下から出てきたのは、まだ年若い赤髪の少年の顔だったからだ。
「こんな成りだが、この基地の司令官をしている。私のことはルフト司令官と呼ぶように。……この後の予定だが君らに部屋を割り当てる。8人部屋だ。幸いちょうど割り切れるな。その中から1人リーダーを選んでもらう。それからリーダーに決まった者は再びこの部屋に集合しろ。基地の各種施設の説明をするから、それを部屋の仲間に伝えるように」
ルフト司令官は部屋の中をじっと見回して、自分の言葉が奴隷たちに伝わっていることを確認すると、言葉を続けた。
「それからもう1人紹介おきたい人物がいる」
それからルフト司令官は彼らに聞き覚えのない言葉で何かを喋った。すると奴隷たちが入ってきた扉が開き、1人の女性が姿を現した。女性とは言ってもルフト司令官とそう年齢は変わらなさそうに見える、くるくると弧を描いた金髪を肩の辺りで切りそろえた、まだそばかすの残る少女だった。
「彼女はフリーデリヒ・フェラー、暫定的ではあるがこの基地の副司令官を担当している」
当然マルコは2人の家名が同じであることに気がついた。
「ひょっとして奥さんで?」
口をついて出た言葉にフリーデリヒ副司令官はぼっと顔を赤らめた。だがルフト司令官のほうは真顔で首を横に振った。
「彼女は私の姉上だ。もちろん彼女の命令にも従うように」
「フリーデリヒ・フェラー、ルフト司令官の紹介にあった通りよ」
フリーデリヒ副司令官の顔からはまだ赤らんだままだ。生真面目な弟の割りにはずいぶん初心な姉貴だとマルコは思った。断然そっちのほうがとっつきやすそうだ。それに加えて言うならば彼女はマルコ好みの顔をしていた。もっともマルコの好みからすると少々若すぎたが。
「さて続いて君らにも自己紹介をしてもらおう。そちらの端の方から順番に。奴隷に落ちた経緯は言わなくていい。名前と、あるならば得意としていることを聞こうか」
ルフト司令官に促されて奴隷たちは自己紹介を始めた。最初の1人は名を名乗った後、農業のことなら少しは分かると言い、その後もとても兵士には役に立ちそうにない特技の紹介が続く。ここにいるのは恐ろしいほどに戦いとは程遠い人々の集まりだった。
やがてマルコの順番がやってきて、名を名乗り、手先の器用さには自信があるとだけ言っておく。特に人の懐から財布を抜くのが得意だなんてことは言わなくてもいいことだ。
その後も滞り無く奴隷たちの自己紹介は進み、最後の1人が自己紹介を終えると、ルフト司令官は満足気に頷いた。おそらくめぼしい人物に目をつけるための自己紹介だったのだろうが――まさか一度の自己紹介で144人を覚えるなんてことはありえない――、マルコから見て彼が満足気に頷く理由が分からなかった。
少なくとも武器の扱いを得意とすると公言した者など1人もおらず、兵士として彼らを活用するのはとても難しいと思ったからだ。
「さて、そろそろ食事は終わったな? それでは君らを居住区に案内するが、その前に8名ずつのグループを作る。自己紹介をした順に8名ずつだ。異論は認めない。またいじめや暴力もこれを禁じる。どんなに隠れてやろうと思っても無駄だ。忘れるな」
ずいぶんなグループ分けの仕方だとマルコは思った。
144名の奴隷たちの中にはすでに出来上がった派閥がいくつもあって、彼らは寄り集まるように固まって席を取っていたが、ルフト司令官の言葉通りにすれば彼らはある程度分断されることになる。いじめや暴力を禁止するとルフト司令官は言ったが、このやり方は8名のグループの中に派閥の壁が出来て多くの軋轢を生むことになるだろう。
「出来たグループの中でトレードってわけにはいかないんすか?」
「それは認めない。君らにも希望があるだろうが、それをいちいち聞いていられない。新しいグループの中でうまくやることだ」
とは言え、こっそりと入れ替わりが行われたりはするだろう。と半ば確信的にマルコは思った。さすがにルフト司令官でもまだ奴隷たちの顔をすべて覚えたりはしていないだろうし、グループ分けにしても把握しているとは思えない。いつの間にか数人が入れ替わったりしていても、気付かれる可能性は低いだろう。
特にマルコのような犯罪奴隷は一般奴隷から疎まれる傾向にある。できれば犯罪奴隷だけで集まってひとつの部屋に収まりたいものだ。だが自己紹介順ではそれはとても叶わない。
「では自己紹介をした順に一列になって部屋を出るように」
どうやらルフト司令官が先導して、部屋の中の見張りをフリーデリヒ副司令官がするようだ。とは言っても廊下を歩いているうちにいくらでも入れ替わりの機会はあるだろう。
ぞろぞろと奴隷たちが一列になって部屋から出て行くのをマルコは見送った。そして自分の番が来て部屋を出ると、やはり同じようなことを考えたのだろう。犯罪奴隷たちがこそこそと順番を入れ替わって、マルコもそれに乗じて彼らの中に紛れ込んだ。8人の区分けがどこに来るか分からないが、少なくとも数人の犯罪奴隷とは同じ部屋になれるだろう。
そう思っていたのだが――、
「なぜここにいるエグモント、マルセルの次はユストゥスだろう。ユストゥス、どこにいる? 大工仕事の得意なユストゥスだ。――見つけたぞ、ユストゥス、順番を守れ!」
前の方からルフト司令官のそんな声が聞こえてくる。
まさかルフト司令官はあの一度の自己紹介で全員の名前と、特徴と、順番を覚えたというのだろうか。
「おいおい、まさか、どんな記憶力だよ」
しかしその後もルフト司令官の怒声は飛び続けて、ついには順番に名前を呼び出した。そうなるともう奴隷たちは従う他無く、せっかく集まった犯罪奴隷たちもバラバラに部屋に収容されていったのだった。




