第五話 エーテルの海の下へ
フリゲートは飛行機の先導に従って数時間航行し、エーテルの海のど真ん中で錨を下ろした。十数メートル眼下には下層世界の山の山頂があり、そこに錨を降ろした形だ。
そしてフリゲートの甲板上には奴隷たちが整列させられていた。
その前に立つのはこの船の士官たちと、例の全身甲冑の男だ。
「これから君らのほとんどには下船してもらう」
甲冑の男が声を張り上げ、奴隷たちがうめき声を上げた。彼らの大半の考えは、やはり口封じに殺されるのだ。いや、それよりもより悪い。下層世界に置き去りにされるのだ、というものだった。
しかし奴隷たちに走る動揺を余所に甲冑の男は言葉を続けた。
「下船した先には暖かな食事と、柔らかい寝床、清潔な着替え、いくらでも使えるシャワーを用意してある。だが全員は無理だ。何人かは船に残らなければならない。まずは志願者を募ろう。下船したいという者はいるか?」
この言葉に明らかに奴隷たちは狼狽えた。甲冑の男が提示する条件は何一つ現実味が無く、荒唐無稽にしか思えなかったからだ。しかしその荒唐無稽を絵に描いたような存在が目の前にいる。境界面より遥か空を飛ぶ飛行機に乗ってきた男が。
奴隷たちがお互いに顔を見合わせる中、一際早く手を上げたのがマルコだった。
「みっつほど質問いいっすか」
「構わない」
「そいつは俺みたいな犯罪奴隷でも平等に与えられるんすかね?」
奴隷であることを示す首輪に付けられた、犯罪奴隷であることを示す鈴をマルコは指で弾いてチリンと鳴らして見せる。
「私は君らの過去を詮索しない。これから何を為すかで判断する。従って犯罪奴隷であろうと全ては平等に与えられる」
「んじゃふたつ目。あんたが俺らの新しいご主人様?」
「正確には違うが、代理人としての権限は与えられている。私の言うことには従ってもらう」
「そんじゃみっつ目。結局、あんたらは俺らを何に使うわけ?」
「戦争を止める。君らにはそのための戦力になってもらう」
「つまり兵隊さんっつーことっすか?」
「その認識で間違いない。他に質問がある者はいるか?」
しかし奴隷たちは押し黙ったままお互いに目配せをしあうばかりだ。質問はあるに違いないが、それでこの得体のしれない男を刺激してしまうことが恐ろしいのだ。
甲冑の男はいくばくか時間を置いたが、奴隷たちが質問することはなかった。
「志願者がいないのであれば、こちらで勝手に選別する」
「ちょっとタンマ、はい! 俺! 俺、志願します!」
マルコは慌てて手を上げた。
不思議とマルコには男の言葉には嘘がないようなそんな気がしたのだ。だからここで志願すれば温かい食事も、柔らかい寝床も、清潔な着替えも、全部手に入るに違いない。逆に言えばここしかない。このチャンスを逃せば、マルコを待っているのは犯罪奴隷としての過酷な労役だけだ。
そしてマルコに続いて犯罪奴隷たちが恐る恐ると言った体で手を上げた。彼らも以前の労役よりは男の言葉に乗ってみようと思ったのだろう。
しかしその他の一般奴隷たちは踏ん切りがつかないようだ。訳の分からない男についていくよりも、これまで通りの生活に戻りたい。そんな思いが透けて見える。
「船長、船に必要な数だけ奴隷を選んで欲しい」
「ここから七塔都市に戻るだけなら奴隷は必要ありません。ですが巻き上げ機の操作に8名ほど残していただきたい」
「必要な奴隷を選んでくれて構わない」
男がそう言った途端、船長を目掛けて奴隷たちが殺到した。自分を、自分を選んで欲しいとそう懇願する。
そんな光景をマルコは口笛を吹きながら眺めていた。
「君は随分と余裕だな」
甲冑の男がマルコに話しかける。
「自分はこれっすから」
チリンと首輪の鈴を鳴らす。
「それにあんたは嘘はついてない気がする。以前にも犯罪奴隷を扱ったことが?」
「いや、犯罪奴隷どころか、一般奴隷を扱うのも今回が始めてだ」
「へぇ、なら助言をひとつ。連中、締めるところはきっちり締めないとすぐつけあがるんで、あんまり甘くしないほうがいいっすよ」
「この惨状がそれかな?」
奴隷たちは船長にすがりついていて、船長は今にも引き倒されてしまいそうだ。
「実例が目の前にあっていいっしょ」
「なるほど。では少し締めるとしよう」
甲冑の男はそう言うと、右手を天に向かって掲げた。するとそこに炎の渦が生まれ、たちまち大きな火球へと育っていく。寒かった空気があっという間に熱され、肌をじりじりと熱が焼く。あまりの火力に奴隷たちは腰を抜かして、その場に尻もちをついた。
流石にマルコも気圧されて数歩後ずさる。単純に熱かったというのも大きい。
男が手のひらを閉じると、火球もそれに合わせるように収縮して、空に消えた。
「奴隷ども! 大人しく船長の指示に従うんだ。いいな!」
完全に気勢を失った奴隷たちは、ただこくこくと頷くことしかできなかった。それを見ながらマルコはやはりこの男は融通が利かないところがあるなと思った。手加減を知らないというべきか。さぞかし厳格な家の出なのであろう。
とにもかくにも、それからは奴隷たちは極端なまでに従順になり、船に残る奴隷の選別も滞り無く終わった。士官とリフトを揚げ降ろしする巻き上げ機に取り付いた奴隷8名を除く、144名は順番に下船を開始した。
甲冑の男はリフトを使わずに、自分の飛行機に戻り、それをリフトの着地点の傍に下ろすと、降りてくる奴隷たちを待っていた。
次々と降りてくる奴隷たちはほとんどが死刑囚のような顔をしていたが、甲冑の男はそれを気にする風もない。
やがてすべての奴隷がフリゲートから下船を終えると、空のリフトが巻き上げられ、奴隷たちはそれを呆然と見つめていた。
「ぼやぼやするな。日が暮れるまでに基地に移動する」
「基地? そんなもんがどこにあるんすか?」
「我々の足元だ。すぐに分かる。付いて来い。出発だ!」
秋の深まった山の森には一本の道がある。道とは言ってもまともに整備されたそれではない。木々が邪魔にならぬよう焼き払われ、まるで一本の道のように空白が空いているだけに過ぎない。
そういえば山頂も同じように木々が焼き払われた跡があった。
わざわざ訊ねるまでもなく、甲冑の男が炎の魔法で焼き払って広場と道を作ったのであろう。大砲や銃の登場で魔法は戦場の主力とは言われなくなった、と、マルコはそう聞いていたが、この男の魔法は規格外だと思った。考えてみれば、先の浮遊船での戦闘でも男と飛行機がほとんど方を付けたようなものだと聞いている。ともすればこの程度の芸当は甲冑の男にすれば造作も無いことなのかもしれない。
そんなことを考えながらマルコは、甲冑の男の後について歩く。他の奴隷たちも逃げ出すことなく付いてきていた。それもそうだろう。ここは下層世界だ。逃げ出した先に待つものは確実な死であろう。
そしてその死の気配はマルコの思っていたよりもずっと早く彼らの前に現れた。
「うわぁ! 狼だ!」
奴隷たちの列の後方から声が上がり、一行はすくみあがった。よく見れば森の中を数十匹の狼が群れを成してこちらの様子を伺っている。こちらの数が多いのでまだ襲いかかってくる様子は無いが、落伍した者がいれば今にも狼の餌食となるだろう。
「じっとしていろ! すぐに済ませる!」
甲冑の男がそう言って背中にぶら下げていた杖のようなものを構えた。かと思うと、杖は唸り声を上げ、次の瞬間には森に居た狼たちが緑色の血しぶきを上げながら次々と倒れていく。
銃だ。と、マルコは反射的に思った。彼の知る銃とは形がまるで違うが、男が魔法を使っている様子はない。だとすればあれは銃に違いない。そしてもしあれが銃なのだとしたら。
――俺にも使える?
その想像はマルコの背筋をぞくりと這い上がった。
甲冑の男はマルコたちを兵士にすると言った。それはてっきり剣や槍や、あるいは運が良ければ銃――マルコの知っている銃だ――を与えられ、戦うことを意味していたが、今、甲冑の男が持っているような銃を与えられるとなれば話はまったく違ってくる。
温かい食事と、柔らかい寝床と、清潔な着替えと、尽きることのないシャワーの他に、もしかしたら俺たちは何か強大な力を与えられるのかもしれない。




