第四話 奴隷の青年
王国の東のエーテル洋上を西に向けて進む一隻のフリゲートがあった。両舷に激しい損傷の跡が残されており、右舷に向けてやや傾いでいる。損傷の程度は酷いが、その船足は遅くない。幸いにしてプロペラにもボイラーにも損傷を受けなかったからだ。
この浮遊船は幽霊艦隊の一番艦であった。護送艦隊との砲撃戦で最初に大きな損傷を受け、戦線を離脱した船である。転覆寸前だった船の傾斜は、船の積み荷や大砲を移動させることで復元した。その後は伝令艦として他の幽霊艦隊の船より一足先に七塔都市に向けて進んでいる。他の船は協力して拿捕した戦列艦を引っ張っている。
幽霊艦隊は結果的には目的を果たした。訳の分からない戦闘機とやらの力を借りたとは言え、凱旋である。彼らは彼らで胸を張っていいはずだ。しかし船内のムードは重く、暗く、張り詰めていた。
それも致し方無いことなのかもしれない。彼らの船はさしたる戦果を上げることもなく、真っ先に戦線を離脱することになったのだし、その際に多くの人員を失った。
浮遊船で命を落とした者は、運が悪いとそのまま落下してエーテルの海の底に落ちる。運が良いと遺体が船に残り、落葬となる。つまりエーテルの海の底に落とされる。遺体を乗せたまま長い航海を続けても遺体が腐るだけだからだ。
そんな落葬が行われてからもう二ヶ月にもなろうというのに、船乗りたちの目にはその光景が焼き付いたままのようであった。
薄暗い火砲甲板で足を伸ばして壁に背をもたれかけて座る奴隷の青年マルコにしてもそれは同じことだった。麻袋に詰められ、甲板の縁を越えて突き落とされる死者は、一歩違えば自分がその立場だったのだ。
だが他の船乗りと比べ、彼の目には光が宿っていた。
確かに落葬の光景は彼にある程度のショックを与えていたが、彼にとっては見慣れたものでもあった。そんなことより今回も生き延びたことで、彼は自分が死なないという偶然に確信めいたものを感じるようになっていた。
護送艦隊との戦闘当時、彼は最も被害の激しかった左舷前方の砲列甲板で前から2番めの大砲を担当していた。大砲を撃った後、砲身を掃除するのが彼の役目だった。だが実際には一射目を放った後、彼が砲身を掃除しようとしたところで護送艦隊からの一斉砲撃があって、彼の居た左舷前方は大きな損傷を受けた。
激しい衝撃にマルコは立っていられずに転倒し、地獄の門が蓋を開けるような恐ろしい音の後、彼の目の前には大空が広がっていた。彼が今まで立っていた場所を吹き飛ばした砲弾は、奥の壁に突き刺さり、浮遊遺物にまで到達していた。足場が崩れる中、彼が転がった床はからくも現状を維持し、半分宙吊りになりながら彼は這い上がり一命を取り留めた。
気がついた時には彼の乗るフリゲートは戦線を離脱しており、もはや戦う機会は失われていた。だが奴隷であるマルコにしてみれば、戦って華々しく散るよりも、生きて帰れることのほうがよほど重要だ。
いっそ鼻歌を歌い出したいくらいの気分だ。
実際やってひどくなじられたので、もうやらないが。
そんなわけでマルコは砲列甲板で、生き延びた他の奴隷たちとともに、何をするでもなくエーテルの波に揺られていた。
「陸が見えたぞ!」
甲板から火砲甲板に顔を突き出した奴隷の1人がそんなことを叫んだ。
砲列甲板の中はにわかに色めき立つ。
「やっと地面に足をつけられる」
「農業に戻れるのか。畑はどうなってるかなあ」
「もう海は散々だよ」
人々は口々に陸に戻れることを安堵する呟きを漏らした。一方でそうでもない奴隷たちもいる。マルコを含んだ、いわゆる犯罪奴隷の面々だ。一般の奴隷と比べ、彼らに課された労役は過酷で容赦が無い。それに比べれば命がけとは言え、ゆっくりした時間を過ごせる浮遊船での時間は天国のようなものですらあった。
彼らは陸に戻った後、以前と同じ労役を課されるかどうかを心配していた。いっそ、この幽霊艦隊を存続させて欲しいとすら思う者もいた。具体的にはマルコのことだが。
ほとんどの奴隷たちにとっては待ち遠しい時間が流れ、フリゲートは七塔都市の港に接岸した。しかし彼らが待ち望んだ退艦命令は出ない。それどころか運搬人が集まってきて、次々と食料や水を積み込んでいくではないか。
一部の奴隷たちが士官に詰め寄ったが、満足の行く回答は得られなかった。士官は新しい命令が出るまで待機するようにとの一点張りだった。
こりゃきな臭くなってきたな、とマルコはひとり思う。
ボロボロでもはや戦闘能力など皆無のフリゲートを、乗組員を待機させたままに、食料と水だけはさっさと積み込んでいる。いかにもこのまま港から追いだそうとするかのようだ。だがその目的はなんだ?
口封じだろうか?
そんな考えがマルコの脳裏をよぎった。
幽霊艦隊が襲った艦隊がどこの所属のものなのかは教えられなかった。だがそこに掲げられた国旗を知らない者などいない。このどこかの貴族が編成した幽霊艦隊は王国に反旗を翻したのだ。だとすればその事実を知る者を生かしたままにしておくだろうか?
とは言え、マルコは自分の雇い主を知らない。他の奴隷たちにしても同じだろう。どこかで奴隷をやっていたところを、横から買い上げられたということしか知らない。当初の話では、一仕事終われば元の雇い主の元に戻れるということだったが、それも今となっては怪しい。
そういう手際の良い雇い主が、わざわざ再び食料と水まで積み込ませて船を出港させるということは俺たちにまだ何かをさせるつもりなんだ。
そうマルコは確信した。
そんな間にも着々と出港準備は整い、多くの奴隷たちの悲痛な声を余所にフリゲートは出港した。奴隷たちの全員が一度足りとも地に足を付けることはなかった。
帰りの航路よりもさらに陰鬱さを増した火砲甲板でマルコは自由気ままに寝て過ごしていた。前回の出港の時と違って士官たちにどやされながら大砲の訓練をすることもない。どこに連れて行かれるのかまったく分からないこと以外はいたって快適な日々が数日続いた。
トイレを済ませたマルコが、たまには寒い外の風に当たろうと甲板をうろうろしていた時だった。聞き覚えのある甲高い音と共にあの飛行機とかいう代物が上空から現れ、フリゲートのすぐ横についた。
不思議な形の全身甲冑を着た誰かが飛行機からフリゲートに乗り移ってきて、たまたま一番近くにいたマルコに目をつけた。
「この船の乗組員だな。船長はいるか?」
「船長室じゃないかな。甲板では見てないから」
「前部キャビンでいいな」
マルコは首を縦に振って肯定の意を返した。
「ところでこれから俺たちがどうなるかあんたは知ってるんすか?」
「今は答えることはできない。だがすぐに分かる」
「そっすか」
とりあえずこの男はマルコたちがどうなるか知っているというわけだ。だがとても答えは聞けそうにない。男の口調からマルコはこの男が若いが頑なで融通が利かないだろうと推測していた。
「すぐ分かるならいいっす。邪魔しました」
「構わない」
そう言い残して男は前部キャビンに向けて歩いて行った。
すぐに甲板にいた他の奴隷たちがわらわらと集まってくる。
「あの男と何を話したんだ?」
「俺たちがどうなるか何か言ってなかったか?」
「あいつが誰だか知っているのか?」
彼らは口々にマルコにそう問いかけてくる。
「あー、もう質問攻めにされてもわかんねーよ。あいつは船長に用事があるみたいだった。俺たちがどうなるかはまだ教えることはできねーってよ。でもすぐ分かるみたいに言ってたな」
マルコから欲しい情報が得られないと知ると、彼らは三々五々に散っていく。勝手なものだとマルコは思ったが、まあ自分も似たようなものだと怒りが湧いたりするようなことはなかった。
「さあて、どうなるかねぇ」
吐いた息は白く風にたなびいて消えていく。




