第二話 ルフト・フェラー
フェラー伯爵はルフトを自分の養子にと言った。それが冗談でもなんでもないのは実子であるフリーデリヒからすれば当然のことであった。父はそんな冗談を言うような人物ではないのだ。
しかしそこまでフェラー伯爵の人となりを知らないルフトは返答に躊躇したようであった。それもまた当然のことであろう。
「……ご冗談、ですよね」
一拍を置いてルフトの口から漏れたのは、そんなフェラー伯爵の真意を問うような言葉であった。
「もちろん冗談なんかじゃないとも。これは必要なことだ。君なら分かるのではないかな?」
「そんな形式だけで貴族にしていただいて人がついてきますか?」
「この場合はその形式が重要なんだよ」
フェラー伯爵の言葉には一定の事実が含まれていた。ルフトの懸念する通り、養子として貴族の一員に名を連ねただけの彼に従うことを良しとしない貴族も多いだろう。しかしルフトが単なる平民のままであれば、従わない貴族の数は“多い”では済まない。
ルーデンドルフ侯爵に対抗するための軍隊を作り上げる上で、ルフトを貴族の一員に連ねておくことは絶対に必要なことだ。
「ご迷惑をおかけすることになると思います。ご存じなかったでしょうが、私の父は母を殺した罪で奴隷に落とされていますし、私自身も密航によって故郷を出奔した身です。伯爵様の名を落とす結果になりかねません」
「確かにボクの評判は落ちるかもしれないね。だがそれはボクの問題だ。君が気にすることではないよ。この問題は王国の今後を間違いなく左右する。ルーデンドルフ侯爵に強権を与え、帝国との戦争になだれ込ませるわけにはいかないんだ」
帝国との戦争という言葉にルフトの目の色が変わるのをフリーデリヒは見た。それまでの逡巡する様子は鳴りを潜め、張り詰めたような気配を漂わせる。
それはフェラー伯爵も感じ取ったようだ。
「そのためにボクは最善を尽くしたい。ルフト君、君はどうなんだい?」
「私も同じです」
それがマリア様の最後の命令ですから――、という続く言葉をフリーデリヒは聞いた気がした。
「では決まりだ。今から君はルフト・フェラーだ。フェラー家の一員として名誉と節度ある行いを期待するよ」
「全力を尽くします」
「そんなに肩肘張ることはない。気楽すぎるのもどうかと思うが、君は少し張り詰めすぎだよ」
「そう仰られるということはそうなんでしょうね。しかし私はこれ以外にやり方を知りません」
ルフトが本気で困っているのが分かって、フリーデリヒは彼の生い立ちを思い出した。幼くして父が母を殺す現場を目撃し、その後は浮浪児として生き、そこで得た仲間にも裏切られた。そんな彼に今日から家族だからリラックスしろと言うのは逆に無理難題を押し付けているだけだ。
「ルフト、焦ることないわ。お父様、堅苦しいのも彼の個性です。そう思えばいいじゃないですか」
「そんなものかね?」
「そう言っていただけると助かります」
ふっと室内に弛緩した空気が流れた。
肩肘張っていいと伝えることで、空気が和らぐこともあるのかとフリーデリヒは少し笑いたい気分になったが、それはこの場では抑えておくことにする。それよりもこの空気の内に言っておきたいことがあったのだ。
「ところでここに魔法紋を持たない貴族の子女が1人いるのだけれど、当然私の参加も認めてくださるのよね?」
「フェラー伯爵様」
ルフトは助けを求めるようにフェラー伯爵に視線を送った。その意図するところはフリーデリヒにも分かる。ルフトはフリーデリヒの参加を望んでいない。戦いの場から遠ざけられていることは幽霊艦隊への参加を断られたことからも明らかだ。
自分が強くないことはフリーデリヒ自身も分かってはいる。だがそれは戦いから遠ざかる理由にはならない。必要とあれば強さに関係なく人は戦わなければならないし、フリーデリヒは今回がその時だと考えていた。
「貴族の子女ならば集められるとは言いましたが、それだってそんなに多くはない。お父様だって分かっていらっしゃるでしょう? それに他の貴族に子女を差し出すように要求するのに自分が差し出さないわけにはいかないのでは?」
「……フリーデ、まったく君の言うとおりだ。ルフト君、娘のことを頼めるかね?」
「私にとっても姉上に当たる方です。出来る限りのことは致します」
ルフトは至って真面目にそう言った。フリーデリヒはあのルフトが自分の弟になったのだと実感して、感慨深いものを感じないわけにはいかなかった。当初の悪印象はもはやほとんど残っていないが、それでも家族になるとは思わなかった。父が言うのだ。養子と言っても名ばかりということにはなるまい。
「さて士官の話ばかりしていても仕方ない。兵士にするのは幽霊艦隊で使った奴隷たちでいいと思うかね?」
「彼らの立場を考えてもそうせざるを得ないでしょう。護送艦隊の残存艦がヴィスマールに戻って報告すれば、新たな空賊としてお尋ね者です。なお厄介なことに幽霊艦隊は少なくない数の捕虜を手に入れてしまいました」
普通の空賊にとっては捕虜はいい金づるだ。だが幽霊艦隊は普通の空賊ではない。マリア様派だった貴族たちの私兵の隠れ蓑だ。あまりその素性が明らかになるというのは好ましくない。
「捕虜についてはボクが金を出して解放したという体を取ろう。とんだマッチポンプだね」
そう言ってフェラー伯爵は苦笑する。金を出すのも受け取るのもフェラー伯爵だから彼の懐が痛むということはない。捕虜たちはこの七塔都市で解放され、王国の浮遊軍の傘下に戻ることになるだろう。
「それで奴隷や船乗りたちはどうするのかしら? 彼らに古代の言葉を教えこむにしても相応の施設が必要になるでしょうし、そんなものを隠し通せるものかしら?」
「予算の問題もあるね。幽霊艦隊の編成で我々の懐事情はあまりよろしくない。できればあまり費用をかけたくないところだが」
「それについては考えがあります。千人程度を数ヶ月の間、匿い養うことは可能です」
「幽霊艦隊の構成員は千人をゆうに超えていたと思うが、それだけの被害が出たのかい?」
「正確な人数は把握していませんが、おおよその目算としては間違っていないと思います」
「そうか、それで彼らを匿う施設というのは?」
「私が司令官として就任している基地に運び入れます。食料も充分な備蓄がありますし、言葉を教えるのに最適な人物もそこにいます」
「そういうことなら戻ってきた船から順次連れて行ってくれるかい? あまり彼らをここの港に置いておきたくないんだ」
「分かりました。そのように致します」
「では士官候補生を集めるのはボクの仕事だな。ルフト君はこれまで通り連絡役と、幽霊艦隊の誘導を頼む。フリーデ、君はどうする?」
「そうですね。ルフト、私をその基地に先に連れて行ってくれない? 少しでも早く言葉を学びたいの」
「いいですけれど驚くことになりますよ」
「なら、なおのことよ。皆と一緒に驚くより、それを見ている側のほうがいいわ」
「分かりました。伯爵様、よろしいですか?」
「分かったよ。そういうことで進めてくれ」
こうしてフリーデリヒは他の人員より一足早く観測基地に足を踏み入れることになるのだった。




