第八話 王女殿下を助けるために
伯爵様が椅子から音を立てて立ち上がった。
その表情は蒼白で、今にも倒れそうだと思った。
しかし伯爵様は机に手をついて、首を左右に振った。
「それは駄目だ。君なら出来るのかもしれないが、それは駄目だ」
「何故ですか? フェラー家の迷惑にはならないように気をつけます。ドレス、つまり鎧姿は見られていますから、生身で行くつもりです。魔法の杖も別のものを用意しましょう」
ドレス無し、ストッパー無し、だが観測基地の武器庫にはストッパー以外の武器も沢山あった。
防御面には不安が残る。
だが攻撃力はストッパーが無くとも別段劣るとは思わない。
大丈夫だよな?
(万全のサポートをお約束致します)
レギンレイヴがそう言うなら安心だ。
根拠は無いが、すんなりそう思える。
「だがそれでは君自身はどうなる? 目撃者は全て消すのか? それに失敗すれば君自身が王国中から追われる身となるぞ」
俺は一瞬言われている意味が分からずぽかんとした。
それからようやく伯爵様が俺の身を案じているのだと気がついて、この人はやはりフリーデリヒさんの父親なのだなと思った。
どうでもいい他人の俺のことを気遣って、心配してくれている。
この人はいい人だ。
「すみません。考えていませんでした」
「分かってくれればいい。君がマリア王女殿下を想う気持ちは分かったが、自分の身も大事にしなければいけないよ。マリア王女殿下もそうおっしゃるに違いない」
「そうかも知れません」
確かにマリア王女殿下ならそう言うだろうと思う。
私のために死ねとは仰らないだろう。
ただ、私のために命を賭けろとは仰るかもしれない。
そしてマリア王女殿下をお助けすることは俺にとって命を賭けるに足る。
もちろん死ぬ気などさらさら無いが、追われる身になることくらい軽いものだ。
いざとなればやるという気持ちを忘れてはいけない。
「マリア王女殿下はできるならナタリエさんを助けだして欲しい、と。それからマリア王女殿下自身を救うなら、帝国に向かう途中、浮遊船に乗っているときが相応しいと仰っておられました。空ではどんなことでも起こりうる、と」
「そうだね、アインホルンが襲われてマリア王女殿下の身柄が押さえられたように、こちらも同じことをやり返せばいいわけだ。だがマリア王女殿下を帝国に送り届けるとなると1隻の船でということはあり得ない。護衛の艦隊が付くことになるだろうな」
「それはどれくらいの規模になりますか?」
「帝国との間で約束が交わされるのだろうが、お互いの国境を刺激しないことを考えれば4隻から5隻というのが妥当なところだろう。そしてマリア王女殿下の死を帝国との火種にするというのなら、彼女の身柄を帝国側の艦艇に受け渡す時が一番危ない。しかしルーデンドルフ侯爵家の手だけで事足りるかな?」
「帝国側に協力者がいるのかも知れません」
「可能性はある。マリア王女殿下の結婚にせよ、帝国との間に繋がりがなくては話にならない。主戦派のルーデンドルフ家が帝国と繋がっているというのも面白い想像だな。だから我々としてはマリア王女殿下が帝国側に引き渡される前に、彼女の身柄を奪還しなければならない」
「そうなると相手にするのは王国側の艦艇だけで済みますね」
「しかしそれだけの戦力を用意するのは事だ。それも我々との繋がりを知られるわけにはいかない。あくまで無頼の空賊の仕業ということにしなければ――」
そこで考え込んでいた伯爵様はハッと顔を上げた。
「君の飛行機とやらならば1日で王国内を行き来できるんだね」
「限度はありますが、おおむね可能です」
「君が協力してくれるならば我々は情報の点で優位に立てるな。マリア王女殿下の身柄がまだルーデンドルフ家にあるならば、彼女が浮遊船に乗ることになるのはどんなに早くてもまだ2ヶ月はかかる。その間に我々は空賊艦隊を作り上げなければならない。悪いが君にはお使いを頼みたい」
「マリア王女殿下を助けるためならば」
「王国各地にいる協力者たちに親書を書くのでフリーデを連れてそれを届けてもらいたい」
「それは分かりました。しかしナタリエさんはどうなりますか?」
「悪いがそれは後回しだ。その侍女に人質としての価値があるのなら、まだしばらくは安全だろう。その間に情報を集める。それは約束しよう」
「しかしこの地とヴァイスブルクの間には3ヶ月の距離があるのでしょう? 今から情報を集めて間に合いますか?」
「分かった。その通りだ。その連絡役も君にしてもらう。忙しくなるぞ」
「望むところです」
そうして俺とフリーデリヒさんの多忙な日々が始まった。
伯爵様の親書を抱えて、王国中をあちらこちらへ駆け回る。
またヴァイスブルクにいる伯爵様の手の者と接触して、ナタリエさんの居場所を探るように頼む。
各地の進捗状況を確かめるためにまた飛び回り、瞬く間に1か月が過ぎようとしていた。
「フィーナ・ヴィドヘルツの居場所が分かった」
とある日、各地の進捗状況を報告に来た俺に伯爵様がそう切り出した。
俺は思わず手にしていた報告書を床に落としてしまう。
「いや、元ヴィドヘルツというべきか。彼女は家を出て冒険者をやっているようだ」
「フィーナ様が? 彼女に何があったんです?」
報告書を拾いながら尋ねる。
「詳しいことは分からないが、自ら家を出たようだ。今はヴィスマールを拠点に活動を行っているらしい」
「ヴィスマールというと、マリア王女殿下が船に乗ると推測されている港町でしたね」
「そうだ。君も行ったことがあるだろう。どうだろう。彼女は戦力になるだろうか?」
「それはもう、申し分なく」
剣で戦うのであれば彼女より強い人間に出会ったことはない。
俺だって今でも剣の訓練を欠かしていないが、彼女に追いつけるという想像ができやしない。
ドレスを着て、ストッパーを持てば、彼女を殺すことはできるだろう。
だがそれは彼女より強くなったということでは無い。
ではドレス無し、ストッパー無しなら?
魔法ありで、長距離から始めるのであれば勝ち目はあるだろう。あるよな? 多分、ある。
だが剣の間合いから始めるなら、魔法ありきでも勝ち目は見えない。
もちろん実戦というものはそのどちらでもない距離から始まるものだ。
特に浮遊船同士の戦いともなれば、最初の脅威は大砲だということになるだろう。
その後に魔法と銃の間合いがあって、船同士が接舷すれば、ようやく白兵戦が始まる。
とは言ってもマリア王女奪還戦において白兵戦は必ず起こる。起こさなければならない。
そうとなればフィーナ様はこれ以上ない戦力だと言える。
「フィーナ様を説得する役目は私にお任せください」
「元より君に任せるつもりだったよ」
「ありがとうございます!」
そうして俺は単独でヴィスマールへと飛んだ。
第九話の投稿は7月24日18時となります。




