第四話 大陸の向こうへ
結果から言うと伯爵様お抱えの造船技師たちは77からほとんど何も得ることができなかった。
ただその形状から翼の部分が重要な役割を果たしているとは理解したようだ。
このままではそのうち七塔都市からは潜雲鑑ではなく、飛行艦が生まれることになるかもしれない。
伯爵様は落胆の色を隠さなかったが、それでも約束は守ってくれることになった。
「フリーデを使者にして、マリア王女殿下に親書を送る。ルーデンドルフ侯爵家も表向きはマリア王女殿下を保護しているということにしているのだから、無下にはできないはずだ」
「フリーデリヒさんを使者にする理由はなんですか?」
「君に親書を持たせてもマリア王女殿下に直接会える可能性は低いだろう。それに対してフリーデは伯爵令嬢だ。それもマリア王女殿下とは顔見知りと来ている。会わせないわけにはいかないさ」
「それじゃ俺が同行できないじゃないですか」
「フリーデの侍従でも護衛でもいい。その鎧を着ていれば君が護衛だということを疑うものなんていないだろう。喋らなければね。とにかくマリア王女殿下に接近できるチャンスはこれ以外にないと思うがね」
俺はしばらく考えこんだが、確かにそれ以上にいい案はなさそうだ。
「フリーデリヒさんはそれでいいですか?」
「私も王女殿下の状況は気にかかっているわ」
「よろしい。では準備に取り掛かろう」
ルーデンドルフ侯爵家はマイスフェルドと呼ばれる領地を持っている。
央都からもほど近く、豊かな穀倉地帯だそうだ。
内地にあるため浮遊船では行くことができず、七塔都市からは陸路で3ヶ月ほどかかる。
しかし地図を見せてもらった俺は、77で出発することを告げた。
浮遊船で出発するということは半年かかるという南回りルートということだ。
「ええ、あんな小さな船で何ヶ月もあなたと2人きりになるわけ?」
「大丈夫です。そこは安心してください。そんなに長くはかかりませんよ。荷物だって数日分で十分です。その代わりトランクひとつに収めてください。77には収納スペースなんてありませんから」
「嘘だったら大暴れするわよ」
「だから大丈夫ですって」
そんなやりとりがあって翌日にはすべての準備が整った。
ドレスを着込んだ俺は77の風防を開けると、フリーデリヒさんを抱えて飛び上がった。
「きゃあ」
と、可愛らしい悲鳴が上がるが気にしない。
フリーデリヒさんを後部座席に降ろして、シートベルトを締める。
「ちょっと苦しくない? これ」
「我慢してください」
それから彼女のトランクを足元へ詰め込む。
彼女の体格が小さいからか、なんとかトランクは後部座席の足元に収まった。
「狭い。狭いって。やっぱり無理よ。こんなので何ヶ月も過ごすなんて」
「だからそんなにかかりませんってば」
俺は操縦席に乗り込むと、見送りに来ていた伯爵様に敬礼した。
「娘をよろしく頼む」
「ご安心してください。さあ、危ないですから、離れて」
人々が77の周囲から離れたのを確認して、俺は風防を閉じ、77を浮遊状態に切り替える。
77はふわりと浮き上がって境界面上に浮かぶ。
ドレスを着ていないフリーデリヒさんが乗っているのでゆっくりと加速して港から出て行く。
そして七塔都市が見えなくなった辺りで、エンジンを強く吹かせた。
「えっ、な、なに?」
「飛びます。空を」
「空を、えっ?」
どうせ実際やってみなければ信じようもないだろう。
ゆっくりと速度を上げ続けると、ゆっくりとは言っても浮遊船ではとても出ないような速度になる。
「ルフト、なに、むちゃくちゃ速いんだけど、大丈夫なの、これ」
外の景色を見ていたのであろうフリーデリヒさんが不安そうな声を上げる。
「驚くのはこれからですよ」
俺は機首を上げて浮遊から飛行に移る。
「ええっ!? と、飛んだ!?」
77はぐんぐんと高度を上げ、十数分後には高度1万メートルに達していた。
「どうです。雲の上ですよ。すごい景色でしょう?」
「こ、怖くて外が見れないわ」
後部座席をモニターすると、フリーデリヒさんは膝の上で両手を組んで、そのあたりをじっと見て震えている。
「大丈夫ですよ。絶対落ちたりしませんから」
「そ、そういう問題じゃないのよ。なんで飛んでるの? なんで飛んでるのよぉ」
「それは速度が出ていると翼の上下で気圧に違いが生まれて、翼は気圧の薄い方、つまり上に引っ張られるからなんですけど、この説明分かります?」
「全然分かんない。ルフトが何言ってるのか全然分かんない!」
分からないというより聞いちゃいないって感じだ。
どうやらフリーデリヒさんは空の旅はお気に召さなかったらしい。
しかし最短距離を行くにはどうしても空を飛ぶ行程が必要だ。
大陸を飛び越えて向こう側のエーテル海で、エーテルを補充し、ルーデンドルフ領までひとっ飛びというのが俺の計画だからだ。
レギンレイヴによれば所要時間は3時間強、無理をして直接ルーデンドルフ領に向かえば2時間半で済むが、残りの燃料が不安になる。
「とにかく3時間少しで終わりますから我慢してください」
「お、おしっこ……」
「したくなったんですか?」
「したくなったらどうしたらいいの!?」
「その時は言ってください。ちゃんと陸に降りますから」
「じゃあしたい。今すぐしたい。今したい!」
「じゃあってなんですか」
そうぼやきつつも俺は機首を下げて77を降下させていった。
第五話の投稿は7月20日18時となります。




