第十三話 結界の内側で
城門の前に集まった人々は夜が更けてくると、諦めて帰る者と、その場に留まる者に分かれていった。
俺たちはその場に留まることにした。
俺は城門が開くとは思わなかったが、ヴァレーリヤさんがそう望み、それをルフィナさんが支持したからだ。
それに家に帰るのも安全とは言い難い。
地面の上に膝を組んで座り、うつらうつらと眠る。
ルフィナさんはヴァレーリヤさんにもたれかかって寝ていたが、いつの間にかその膝に崩れ落ちている。
ヴァレーリヤさんはあまり眠れていないようだ。
まあ、それが分かる俺も似たようなものだ。
「――ごめんなさい」
不意にヴァレーリヤさんが呟いた。
「何がです?」
「ルフト、起きていたの? 違うのよ。ただの独り言」
「ヴァレーリヤさんが謝るようなことが何かあるんですか?」
「もちろんあるわよ」
ヴァレーリヤさんはいつもの儚い笑みを浮かべる。
「私はね、外周街なんてなくなればいいのにっていつも思ってた。その罰が当たったのね」
「なんでそんなことを?」
「私は城壁の内側で生まれ育ったの。その頃は父も母も居てね。充分な暮らしを送っていたわ。でもこの子を産んだ時に母が亡くなってね」
ヴァレーリヤさんの手がルフィナさんの髪を撫でる。
「その後の父の落ち込みようは酷かった。生活も荒れて、仕事もろくにしなくなってね。そのうち貯金も尽きて家を手放さなくてはならなくなったわ。そうして外周街に流れ着いたの。私は父を恨んだ。この子のことも恨んだ。お前さえ生まれてこなければって。酷い姉でしょう?」
「――俺には分かりません」
「外周街に流れ着いた私たちを支えてくれたのはザハールさんよ。彼は父を立ち直らせ、狩人として父を鍛えた。そのおかげで貧しいながらもなんとか生活は送れるようになったわ。でも狩りの途中で父は死んだ。私はザハールさんのことも恨んだわ」
俺にはもうただ話を聞くことしかできなかった。
「私は恨んだ。外周街での生活も苦しくて恨んだ。ザハールさんがあなたを連れてきた時も厄介事を押し付けられたと思ったわ。世話のかかるあなたのことも恨んだ。どうして私ばかりっていつも思っている。そんな浅ましい人間なのよ。私は」
「俺は、――俺はそんな風には思いません。どんなにヴァレーリヤさんが自分を卑下するようなことを言っても、それを信じません。だって俺はヴァレーリヤさんにどれだけ良くしてもらったか。ルフィナさんがいつも笑顔でいるのだってヴァレーリヤさんがいるからで、それはきっとヴァレーリヤさんがいい姉でいるからだって思うから」
「違うわ。私はただ人から良いように思われたいだけなのよ」
「だとしても、ヴァレーリヤさんは良い人です」
「あなたを籠絡することに成功しているだけよ。だからね、ルフト、いざというときはルフィナだけでも連れて逃げて。あなたならきっとできるから」
「俺はヴァレーリヤさんもルフィナさんも守ります。必ず。必ずです」
しかしそんな俺の決意をあざ笑うかのように、闇夜に大声が響き渡った。
「ゴブリンが来たぞー!」
それは馬に乗って松明を持った自警団だった。
そこいらで寝入っていた人々が慌てて起きだして、辺りは騒然とした雰囲気になる。
人々は城壁の上にいる兵士たちに門を開けるように声を上げ、城門を叩いた。
しかし一向に城門が開く雰囲気はない。
自警団に遅れて南門方面から流れてきたと思しき人々の群れが東門に近づいてくる。
ゴブリンは南から攻めてきているのだから、東門に人が殺到するのは当然だ。
「2人とも城壁へ!」
こうなったらエルネ=デル=スニアの結界とやらに頼るしかない。
俺たちは人をかき分け、東門にほど近い城壁の傍に陣取った。
他にも城門が開くことを諦めた人々が次々と城壁に取り付いていく。
それはさながら処刑を待つ人の列のようだと不吉なことを思った。
やがて南門から流れ着いて来た人々の群れが収まると、それを追いかけるようにゴブリンの大軍が南から押し寄せてきた。
城壁の上から矢が雨あられとゴブリンの軍勢に向けて降り注ぐが、あまりにもゴブリンの数が多くて、どれほどの効果を上げているのかまったく分からない。
ゴブリンたちはまだ門の前で、門が開くのを待ち望んでいた人々に躍りかかった。
逃げ惑う人々をゴブリンたちが蹂躙していく。
人々は活路を求めて城壁に寄ってきて、俺たちの前にも人だかりができていった。
そして城壁の前に陣取った人々に襲いかかろうとしたゴブリンが、見えない壁にぶつかったように弾き飛ばされるのを俺は見た。
ゴブリンたちは次々とその見えない壁にぶつかって、そこから城壁には近寄れないでいるようだった。
見えない壁があるのは城壁から10メートルほどの距離だろうか。
そこでもみくちゃになったゴブリンたちへ、城壁の上から矢が次々と射掛けられる。
あちこちで爆発が上がったのは魔法だろうか。
一方的な展開じゃないか。
俺は快哉を上げたくなった。
エルネ=デル=スニアの結界とはここまで有用なものだったのか。
これなら城壁にしがみついてさえいれば安全は確保されたようなものだ。
そう思った俺の目の前にいた男性が、ぐらりと膝から崩れ落ちた。
慌てて仰向けにすると、その腹部にナイフが突き立っていた。
「なんで?」
当たり前のように疑問に思うと同時に、ゴブリンたちの中から一斉に矢が放たれて、城壁の上に降り注いだ。
外れて城壁に当たった矢が、俺たちの傍にぼとぼとと落ちてくる。
なんてこった。
エルネ=デル=スニアの結界が防ぐのは魔物の侵入だけであって、その攻撃を防ぐようなものではないのだ。
「2人とも身を守って!」
そう叫びつつナイフを抜いて2人の前に立つ。
目の前で倒れている男性にはまだ息があるが、彼をどうこうしている余裕が無い。
見えない壁に阻まれてこちらを睥睨しているゴブリンどもは、いつでも手に持った武器を投げられる。
そうしたらエルネ=デル=スニアの結界は俺たちを守ってはくれないのだ。
しばらくは弓矢と魔法による応酬が続いた。
城壁は上部がややせり出した構造になっていて、ぴったりと張り付いていれば落ちてくる矢に当たることはない。
だが時折明らかに飛距離の足りない矢が城壁の下に落ちてくることがあった。
俺の背後にはヴァレーリヤさんとルフィナさんが居て避けることはできない。
いざ俺たち目掛けて矢が飛んでくればそれを撃ち落とす必要があった。
そんなことできるのか?
だがいざとなればやるしかない。
俺はナイフを手に歯を食いしばって、ゴブリンたちを睨みつけた。
最初はゴブリンたちが一斉に武器を投げてくるものだと思ったが、最初の男性が投げナイフにやられて以降、ゴブリンたちが武器を投げてくる様子はない。
連中はダンダンと地団駄を踏みながら、結界をドンドンと叩いているだけだ。
ダンダン、ドンドン、ダンダン、ドンドン――。
数百のゴブリンに囲まれて、そうやって威圧されるだけで、冷や汗が滴り落ちてくる。
連中、いつまでこんなことを続けるつもりだ。
いくら弓矢で攻撃できると言ったって結界があるかぎりエルネ=デル=スニアに攻め込むことはできないというのに。
そんなことを考えた時だった。
結界を叩くゴブリンの手が空を切った。
えっ?
ゴブリンたちは一歩前に出て、そこで再び見えない壁にぶち当たり、結界を叩きだす。
しかし結界は一歩分後退した。
何故?
再びゴブリンたちの手が空を切った。
一歩、そしてまた一歩、ゴブリンたちが近づいてくる。
第十四話の投稿は7月4日18時となります。




