第十一話 足が止まるまで
俺たちは夜が明けるまで必死に走ったが、当然いつまでも走り続けられるわけでもない。
そして俺よりキリルさんを担いで走っているザハールさんのほうが負担が大きい。
徐々にその速度は遅くなり、やがて歩いているのと変わらなくなると、ザハールさんは足を止めてキリルさんを地面に寝かせ、自分も地面に腰を降ろした。
その息は荒く、しばらく言葉を発することもできないようだった。
しかしそれは俺も似たようなものだ。
息が切れて、喉の奥が痛み、涙が滲む。
膝はガクガクと震え、地面に大の字になって転がりたいという欲求と必死になって戦っていた。
振り返ってこれまで走ってきた方角を確認する。
「追って、これて、ないよう、ですね」
「こうなったら祈るだけだ。ルフト、おい、大魔法使い様よ。お前、治癒魔法は使えないのか。キリルの状態が良くない」
「すみません。治癒魔法は――」
俺は首を横に振って応える。
こんなことならその初歩だけでも司祭様に学んでおくべきだった。
「そうか、悪かったな。できないものは仕方ない。できることをやるぞ」
そう言ってザハールさんはキリルさんの応急手当を始める。
衣服を切り裂き傷口を確かめていく。
腕、胴体、足と、キリルさんの身体には傷の無いところなど無いように見えた。
特に深いのが腕と足の傷だ。
傷は皮膚に留まらず、傷口からは肉や骨が見えている。
「くそ、止血くらいしかできん」
ザハールさんは切り裂いた衣服を紐状にして、傷口の手前で強く縛る。
出血は完全には止まらなかったが、それでも少しはマシになった。
「キリル、おい、キリル、目を覚ませ」
他の傷に布を当てて圧迫しながらザハールさんは何度も呼びかけるが、キリルさんが応える様子はない。
「――ルフト、まだ走れるか?」
「――走れます」
ザハールさんも無理を言っているのを分かっている。
俺も無理をして答えている。
だが今は他の選択肢がない。
「アルトゥルのところまで行って状況を報告して助けを呼んできてくれ」
「分かりました。すぐに戻りますから」
「頼んだぞ」
「はいっ!」
俺は森の中を北に向けて1人走りだした。
休んでいたのはほんの少しの時間だったので、すぐに呼吸が辛くなる。
もつれそうになる足を叱咤して、前へ走る。
前へ。前へ。前へ。
やがて南の森を抜け、エルネ=デル=スニアの城壁が見えてくる。
外周街まではもう少しだ。
そう思うと、少し気力が回復した。
棒のようになった足を前に進める。
そしてついに外周街にたどり着く。
自警団の詰め所まではもう一息だ。
最後の気力を振り絞って、俺は駆ける。
自警団の詰め所の前では2人の見張りが立っていたが、彼らは俺の姿を見つけるとぎょっとした表情になって、慌てて武器を構えて俺に向けた。
よほどの不審者に見えたのだろう。
俺は報告をしようと口を開いたが、呼吸をするのに精一杯で声が出ない。
その場に膝から崩れ落ち、両手を地について、しばらく呼吸を整える。
「ほ――、報告です。ゴブリンの大軍が南の森から、見つかってなんとか逃げて来ましたが、キリルさんが重傷で、助けが必要です」
かすれた声だったので、どれほど伝わったのか分からないが、見張りの2人が慌てて俺の体を担ぎ、詰め所の中に連れて入ってくれたので、おおよそのことは伝わったのだろう。
そこで俺の体力は限界を超え、俺は意識を手放した。
ばしゃぁ――!
それはあまりにも唐突で、俺は何が起きたのか分からずに、なにか悲鳴のような声を上げるのが精一杯だった。
目覚めてみれば、そこはどこかの室内の床の上で、毛皮に包まれていた俺は、何故かびしょ濡れになっていた。
目線をさまよわせると、自警団の誰かが空になった木桶を俺に向けている。
その後ろには苦々しい表情のアルトゥルが控えていた。
「おい、小僧、ザハールとキリルはどうした?」
「キリルさんが重傷を負って、ザハールさんが手当をしています。今すぐ助けが必要です。案内なら俺がします」
「そのザマでか?」
「それとゴブリンの大軍が――」
「その話ならもう聞いた。ザハールからちゃんとした話を聞かないことには信用できんが、避難の準備をするように住民には通告を出した。これでデマだったら、キサマの立場がどうなるかは分かっているんだろうな」
「嘘やデマじゃありませんから平気です」
「ふん、言っておけ。すぐにザハールとキリルを回収に行く。小僧、キサマは道案内だ」
「分かりました」
立ち上がろうとするが体に力が入らない。
「えっ、あれ、くそっ」
「おい、小僧をタンカに乗せてやれ。どうせキリルを乗せる予定だ。帰りは自分の足で動いてもらうぞ」
「はい、助かります」
「ふんっ」
アルトゥルは鼻を鳴らし、俺はタンカに乗せられた。
ザハールさんとキリルさんの回収には20人ほどが用意されたようだった。
タンカに乗せられているために全体を見渡すのは難しい。
だがそれでも道を間違うようなことはしない。
一行はやや早足というペースで南の森を進んだ。
太陽が中天を越えた頃に、俺はザハールさんと別れた辺りに到着する。
「キリルさん……」
そこで俺たちを待ち受けていたのは、うなだれたザハールさんと、胸の上で両手を組んで横たわるキリルさんだった。
俺はタンカから自分で降り、地面を踏むと横たわるキリルさんに歩み寄った。
血の気の引いた顔、上下しない胸、閉じられた瞳、一目で命を失っているのだと分かった。
「ザハール」
「ルフトの言ったことは正しかった。ゴブリンの数は数千だ。俺の目で確認した」
「そうか、キリルの遺体をタンカに乗せろ。撤収する。ルキヤン、マラート、駆け足で戻って住民に避難を呼びかけろ。自警団を総員招集しておけ」
そうと決まるとアルトゥルの決断は早かった。
キリルの遺体をタンカに乗せさせ、俺たちは南の森を後にした。
ゴブリンたちは早ければ今夜にもエルネ=デル=スニアに達するだろう。
しかしあの城壁の内側にさえ入れれば、ひとまずの安全は確保できる。
後はエルネ=デル=スニアの軍隊がどれほどの力を持っているか次第だ。
第十二話の投稿は7月2日18時となります。




