第三話 狩りの現場にて
翌朝、まだ早い時間にザハールさんはヴァレーリヤさんの家に顔を見せた。
俺はすぐさま準備を整えて居間に姿を現す。
鞘に入った鉈を腰に、短弓と矢筒と背にした俺の姿を目にしたザハールさんはすぐに理解したようだった。
「おう、その様子じゃ2人にはちゃんと話したんだな」
「はい」
「それじゃヴァレーリヤ、ルフィナ、弟を借りて行くぜ」
「はい、どうかよろしくお願い致します」
「ちゃんとおじさんの言うこと聞くんだよ」
そんな2人に見送られて、ザハールさんと俺は家を後にする。
エルネ=デル=スニアは山に囲まれた小さな盆地に存在していて、少し歩けばもう山を覆う森に入る。
雪の残る鬱蒼と生い茂った森の中を、ザハールさんの背中を追いかけて進んだ。
「坊主、弓を扱ったことはあるのか?」
「いいえ、ありません」
「ならこの辺りで練習しておくか」
そういうことでザハールさんから弓の扱いの指南を受けることになった。
とりあえず道具の状態を見たいとのことで弓をザハールさんに預ける。
「これはアキムの遺品か。手入れもなにもされてないな」
そう言いながらザハールさんは弓を俺の手に返してくる。
「まずは弦の張り直しからだ。自分でできるようになれ」
「はい」
ザハールさんから教えてもらいながら、弓の弦を外し、予備の弦を貰い受けて張り直す。
「初めてにしちゃ上出来だ。それじゃ構えはこうだ。あの木を狙え」
ザハールさんの言うとおりに弓矢を構え、10メートルほど離れた木に向けて放つ。
しかし矢はあさっての方に飛んでいってしまう。
「ほれ、走って拾いに行け」
「はい!」
雪を踏みしめながら、飛んでいってしまった矢を回収しに行く。
そして元の位置に戻ってはまた矢を放ち、外れた矢を回収する。
1本放つ度に回収に行かなくてはいけないので、次こそは当てようと集中するのだが、中々うまくいかない。
それでもそんな練習をしばらく続けると、何本かに一度は木に命中するようになった。
だが木に当たるだけで突き刺さるわけではない。
「気にすんな。力加減は今のままでいい。当てるだけで十分だ」
それからしばらく練習を続けると、射った矢の半分くらいは木に命中するようになった。
その代わりすっかり息は上がり、弓を引き続けた右腕も痺れるような痛みが走るようになっていた。
「まあ、今日はこんなもんでいいだろう。ちゃんと当てられるようになるまでは、獲物は射つな。俺の仕事を後ろで見ていること。いいな」
「はい!」
肩で息をしながら返事する。
「よし、それじゃ出発だ」
ザハールさんは休憩を与えてくれない。
俺は荒い息をなんとか抑えながら、その背中を追いかけた。
「坊主、俺たちが今どの方角に進んでいるかは分かっているか?」
「ええと、西南西くらいでしょうか」
「方向感覚はしっかりしているようだな。そいつは立派な狩人の資質だ。方向を見失わないようにしろ」
「はい」
しばらく進んだところでふとザハールさんが足を止める。
「坊主、分かるか?」
言われて辺りを見回すと、森の中に小道のようなものができていることに気付いた。
「道、ですか?」
「獣道だ。よく地面を見ろ。足跡が残っている」
よく見ると確かに何かの足跡がぽつぽつと残っている。
「これは鹿だ。まだ若い。北に向かったばかりだろう。こいつを追おう」
「はい」
「あまり大きな音を立てるなよ」
そう言われたので俺は無言で頷いた。
「よし」
そうしてザハールさんと俺は、鹿の足跡を追って北に向かう。
鹿の作った獣道は小さく、ザハールさんは手にした鉈で枝葉を切り払いながら進むが、その後ろをついていく俺としては楽なものだ。
そのせいだったかも知れない。
「ザハールさん、あそこ」
森の合間に佇み、木の葉を食む鹿を見つけたのは俺のほうが早かった。
「良い目だ。坊主」
ザハールさんの手が俺の頭をぐしゃりと撫で、それから背負った弓を手にする。
「まだ遠い。そっと近づくぞ」
俺は無言で頷く。
俺たちはこれまでよりもずっと慎重に一歩ずつ足を前に進める。
鹿の方は俺たちのことに気付く様子もなく、黙々と木の葉を食んでいる。
そして彼我の距離が百メートルを切った頃だろうか、ザハールさんが足を止めて弓を構えた。
俺は驚く。
まだ鹿の姿はほんの小さな形が分かる程度でしか無い。
しかしザハールさんは迷うこと無く、この距離から弓を射った。
ひゅんと風を切って矢が飛んで行く間に、ザハールさんは素早く二の矢を構え、それも射つ。
次の瞬間には一射目が鹿の背中に命中し、驚き飛び上がった鹿の胴体に二射目が突き刺さる。
「行くぞ、坊主」
「はい!」
ザハールさんは三本目の矢を構えながら一気に鹿に向かって駆け寄る。
鹿はというと、その場に倒れここからは見えなくなった。
俺も慌ててザハールさんの背中を追いかける。
ザハールさんに追いついた時には、ザハールさんはすでに鹿のところにいた。
鹿はというとその場で倒れたままびくびくと痙攣している。
そしてすぐに動かなくなった。
「さて、本来ならこのまま持って帰るんだが、狩猟をしながら旅をするつもりならこの場で解体するほうが練習になる。どうする?」
「でもこの鹿はザハールさんの獲物です」
「その俺が構わないと言ってるんだ。どっちにする?」
「それじゃお願いします」
そうして俺は狩りの現場での解体作業を体験することになった。
第四話の投稿は6月24日18時となります。




