第二話 ヴァレーリヤとの約束
雪解けの季節になると、もう俺はすっかりエルネ=デル=スニアの外周街の住民として人々から認識されるようになった。
雪かきの仕事も必要なくなった俺は、かねてから考えていたことをその日ヴァレーリヤさんの家を訪れたザハールさんに持ちかけた。
「狩人になりたいだって?」
「いいえ、狩人の技術を教えてほしいんです」
「そりゃ狩人になりたいってことだろう?」
「違うんです。俺が覚えたいのは山に入って生き延びる方法です」
「さっぱり分かんねぇな。なんでそんなこと知りたがるんだ?」
俺は返事をするのを少しためらった。
今からザハールさんにする話はまだヴァレーリヤさんにも、ルフィナさんにも話していないことだ。
だがいずれ話さなければならないことでもある。
「俺は空飛ぶ船から落ちて、あなたに助けられて今ここにいます。あなたやヴァレーリヤさん、ルフィナさんには返しきれない恩があることも分かっています。けれど、俺は俺のいるべき場所に帰らなくてはなりません。そのためには長い旅をすることになるでしょう。そのための知恵と力を教えてほしいんです」
返事が返ってくるには少し時間がかかった。
「ヴァレーリヤたちはお前のことをもう家族同然に思っている。それを捨てて出て行くというのか?」
「ここにいるのは心地いいです。ですが俺のいるべき場所ではありません」
そう、俺はマリア王女殿下に約束したのだ。
いずれ勅任艦長になり、彼女が女王になるための手助けをすると。
現状がどうなっているのかさっぱり分からない以上、まずは王国に戻り、アインホルンがどうなったのかを知る必要がある。
そしてそのためにはこのエーテルの海の底から、境界面の上に戻らなくてはならない。
「2人にはもう話したのか?」
「いいえ、まだです。ですが近いうちに話そうと思っています」
「ならちゃんと2人に話してからだ。ちゃんと了承を取り付けたら狩りに連れて行ってやる」
「はいっ! ありがとうございます!」
そうしてザハールさんは席を立った。
後をついて外に出ると、まだまだ肌寒い空気が山から吹き下ろしてくる。
「あら、もうお話は終わりなの?」
外でザハールさんが仕留めて持ち帰ってきた鹿を解体し干し肉にする作業をしていたヴァレーリヤさんとルフィナさんがこちらに気付いて声をかけてくる。
「おう、いつもどおり足を一本貰って帰るぜ」
「はい。いつもありがとうございます。干し肉も持って行ってくださいね」
「まだ余ってるから、また今度な」
そう言ってザハールさんは解体され吊ってあった鹿の足を一本、生のまま背中にぶら下げて帰っていった。
残された俺はヴァレーリヤさんたちの干し肉を作る作業に加わる。
「おじさんとは何の話をしてたの?」
と、ルフィナさんが聞いてきた。
ちなみに“さん”付けなのは、ルフィナさんのほうが俺よりも1つだけだが年上だからだ。
こうして並んで立つと、背の高さもルフィナさんのほうが少し高い。
「狩人の仕事を教えてもらえないかと思って」
「危ない仕事よ。ルフトにはまだ早いわ」
ヴァレーリヤさんが心配そうにそう言う。
森には凶暴な獣だけでなく、ゴブリン等の魔物も出現する。
ヴァレーリヤさんの心配はもっともだ。
「でも必要なことなんです」
「無理はしなくとも家はザハールおじさまが良くしてくれているし、大丈夫よ」
「そういうことではなく――」
言葉に詰まる。
いずれこの家を出て行くつもりだということは、何度も伝えようと思った。
いつまでも世話になっていられないなんて殊勝な考えではなく、ほんの数週間の間世話になったアインホルンのその後を知りたいという自分勝手な考えだ。
世話になった期間で言えばすでにヴァレーリヤさんたちのほうがずっと長い。
だというのに、俺はアインホルンに帰らなければならないと考えている。
それが何か彼女らを裏切っているようで、中々言い出せないでいたのだ。
だがザハールさんから背中を押されたのはいい機会だ。
今のうちに言ってしまおう。
「元の居場所に戻るために、山で生き抜く力が必要なんです」
「えっ?」
「アインホルンに帰るつもりなのね」
ルフィナさんは分からなかったようだが、ヴァレーリヤさんは俺の言いたいことをすぐに理解してくれたようだった。
もちろん2人にはこれまで俺がどうして生きてきたのかをすべて話してある。
だからこそ、ルフィナさんは俺が帰りたいというのが理解できなかったのだろうし、ヴァレーリヤさんは俺が帰らなくてはならないと考えていることを見ぬいたのだろう。
「ルフト、出て行っちゃうの?」
「そんなすぐの話じゃないよ。俺は山のことをまだ何も知らないんだから」
「それでザハールおじさまはなんと?」
「2人に話したら狩りに連れて行ってやる、と」
「そう、さっきも言ったけれど狩人は危ない仕事よ。私たちの父も山で命を落としたわ。でもあなたはやめるつもりは無いのよね」
「はい。山で生きる知恵と力を身につけて、いずれ旅に出るつもりです」
「そんなことをしなくても、いずれ別の空飛ぶ船がやってくるかもしれないわ。それに乗せてもらえばいいんじゃない?」
「もしそちらが先になればそうするつもりです。でも俺は準備を怠りたくはないんです」
「そう、分かったわ」
それからヴァレーリヤさんは他愛の無い話に話題を変え、干し肉の下ごしらえを終えると、皆で夕食の準備に取り掛かった。
そして夕食後、ヴァレーリヤさんに呼ばれ、獲物の解体などを行う小屋に連れて行かれる。
その小屋に置かれたチェストを開けると、そこには弓や鉈などの狩りに使う道具がぎっしりと収まっていた。
「手入れはしていないけど使える物もあるはず。ここにあるものは好きに使って」
「でもこれはお父さんのじゃないんですか?」
「ええ、父の遺品よ。でもここで腐らせておくより誰かに使ってもらったほうが父も喜ぶと思うわ」
そう言われてチェストの中身に手を伸ばす。
大人用の道具の品々はほとんどが俺の手には余るものだ。
だが短弓や、鉈などは俺でもなんとか扱えそうだ。
「ありがとうございます。大事に使います」
道具の中には砥石もあったので、さっそく錆びだらけになった鉈を研ぐ準備を始める。
「ルフト、忘れないで。ここはもうあなたの家なのよ。だからちゃんと戻ってきてね」
「はい。必ず」
俺はそう約束して、鉈を研ぐ作業を始めるのだった。
第三話の投稿は6月23日18時となります。




