第二十二話 暗転
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ハンモックでないしっかりした寝台で眠るのは久しぶりのことだった。
夜明け前に目覚めたものの、体温ですっかり温まった毛布から出るのが惜しく、そのまま時間が過ぎるのに任せる。
程なくしてウルスラさんも目を覚まし、身支度を整え始めた。
そうなると俺もじっとしているわけにもいかず、起き上がる。
「おや、もう起きるのかい? 出発は昼前だからもっとゆっくりしてていいんだよ」
「いつマリア王女殿下から呼び出されるとも限りませんから」
「そうだね。いい心がけだ」
とは言ってもマリア王女殿下の朝の支度の手伝いはウルスラさんの仕事だ。
俺が呼ばれるようなことはないだろう。
やがてチリンと鈴が鳴ってウルスラさんがマリア王女殿下の部屋に向かうと、俺は1人部屋に残された。
さて、やらなくてはならないことはないが、やれることは沢山ある。
時間は常に有限で、その中で差し迫っているものと言えば、やはりフィーナ様に一撃を入れるという試練だろうか。
船に積まれている食料の備蓄を考えると、それほど時間が残されているとは思えない。
そろそろ正攻法以外の手も考えなければいけない頃合いだろう。
俺は色々と考えを巡らせ始めた。
その後、宿で朝食を済ませた一行は昼前までしっかり休息を取ってから出発することになった。
往路とは違い、雪の中、山道を登るわけだから消耗も激しくなるだろう。
それにまた魔物との遭遇があるかもしれない。
そのことを考えると十全の準備をしておくにこしたことはない。
一行は来た時と同じ隊列でエルネ=デル=スニアの門を後にした。
外周街では来た時と同じような扱いを受けつつ、山に入る。
一歩ずつ雪は深くなり、歩幅の小さな俺はついていくのに必死になる。
どうやらそれはフリーデリヒさんも同じのようで、白い息を吐きながら懸命に歩を進めている。
幸いなことに復路では魔物の襲撃も無く、日が沈む前に一行はアインホルンから降り立った地点にまでたどり着いた。
降りる時には頭上に見えていたアインホルンだが、今は雲に隠れて見えない。
ただ天井からロープが降りてきて、地面に降りっぱなしになっているリフトに繋がっている。
「まずは荷物を上げてしまいましょう」
というマリア王女殿下の言葉で、先に木箱と船乗りたちがリフトに乗り込むことになった。
船乗りがロープをぐいぐいと何度か引くと、しばらくして雲から伸びたロープが引っ張られていき、リフトが引き上げられていく。
やがてリフトは雲の中に消え、しばらくしてまたリフトが降りてくる。
「それじゃアインホルンに帰りましょう」
地上に残っていた俺を含む面々がリフトに乗り込み、ロープを引く。
リフトは地上を離れ、少しずつ雲に近づいていく。
やがて雲の中からアインホルンの船底が見えてきて、舷側、甲板と露わになった。
そして甲板上に、それ、が見えた。
真っ先に動いたのはフィーナ様だった。
リフトから甲板に飛び降りつつ剣を抜き、甲板を闊歩する“男たち”に向ける。
先に上がった船乗りたちは皆、剣や銃を向けられて両手を上げている。
何が起こっているのか理解が追いつかない。
同じリフトに乗っていた船乗りたちもフィーナ様に遅れて剣を抜きつつ甲板に降り立つ。
彼女らに守られるようにマリア王女殿下もリフトから甲板に降りた。
「マリア王女様ですね」
男たちの1人が確認するようにそう言った。
その声には聞き覚えがあった。
弾かれるようにそちらを見ると、見覚えのある顔があった。
壮年の頬に刀傷のある男。
かつてエメリヒが交渉を申し出、それを受けた男。
「空賊!」
思わずそんな言葉が口をついて出る。
反射的に剣を抜く。
駆け出しそうになった俺の手をウルスラさんが引いて止めた。
「そう、私がマリアよ。それで私の船に何の用かしら?」
「とある方のご依頼で、貴女の身柄を保護することになりました。どうぞ、大人しく指示に従っていただきたい」
「もしお断りするわ、と言ったら?」
「あなたの船の乗組員はほぼ全員こちらの手にあります。あなたの決断ひとつで、彼女らの命運が決まることになります。言葉通り、命運が」
「せめて誰の差し金かくらい教えてくれてもいいんじゃないかしら?」
「あなたの身を非常に案じておられる誰か、とだけ」
「そう――」
そう呟くとマリア王女殿下は思案げに目を伏せた。
いけない、と思った。
マリア王女殿下が身内を大事にする性格なのはウルスラさんたちから聞いた話や、実際に自分が目にしていて分かることだ。
そんなマリア王女殿下が船乗りたちを見捨てる選択なんてできるわけがない。
しかしこの空賊たちはシュタインシュタットでマリア王女殿下の身を狙っていた連中に違いないのだ。
そのことを伝えなくては。
そう思って口を開こうとした瞬間、
「残念だけどお断りするわ」
と、マリア王女殿下が言い、状況が一度に動いた。
フィーナ様が空賊のボスに斬りかかり、男が抜いた三日月刀でそれを受け止める。
剣を抜いていた船乗りたちは甲板上の男たちに向かっていく。
両手を上げていた船乗りたちも、剣を抜いたり、あるいは男たちに体当たりをして状況を変えようとする。
発砲音があって、何人かの船乗りが甲板上に倒れた。
こちらの魔法使いたちが魔法を放ち、男たちが血まみれになってバタバタと倒れる。
混乱する甲板上で気がつけば俺も1人の男と対峙していた。
三日月刀が俺に向かって振り下ろされるが、フィーナ様の剣戟に比べればずっと遅い。
俺は余裕をもってその一撃を受け流し、最小の動きで男を突いた。
何千回と繰り返した動きは、寸分も乱れることなく、男の胸を突く。
ズブリと人間の肉を突き通す感触、力を込めて抜いて、さらに突く。
喉を突かれた男は血の泡を吹きながら甲板に倒れた。
倒せる。
手加減したフィーナ様と比べるまでもない。
戦える。
俺は押され気味だった船乗りの前に割って入り、別の空賊を突き倒す。
「助かったわ」
「いいから、王女殿下を守って」
「了解」
さらに続けて3人の空賊を倒した俺に向かってひとつの影がひらりと斬りかかってくる。
俺はその剣戟を切り払う。
と、同時に踏み込んで相手に向かって突きを放つが、人影はくるりと身を翻して俺の突きを避けた。
「あらあら、あら、あらら、どこかで見たことあると思ったら坊やじゃない。確か名前はルフトだったかなあ?」
桃色の髪に、浅黒い肌の女がにぃと唇の端を吊り上げる。
敗北の記憶がゾッと背筋を駆け上がってくる。
それを根性で押さえつけて、女との間合いを測る。
女の獲物は相変わらずくの字に折れた大振りの短剣だ。
フィーナ様が俺との訓練に使う中途半端な長剣に比べれば幾分かは短い。
だから女と打ち合う間合いは訓練時より短くなる。
短くなるはずだった。
しかし女は全身をしなやかに動かし、驚くほどの間合いを一息で詰めてくる。
上段から振るわれた短剣を受け流す。
フィーナ様の剣に比べるとずっと重い。
それでも気合で剣を手元に引き戻し、反撃する。
ひらりと女は躱し、そのまま回転して横薙ぎの一撃が来る。
身を低くしてそれを躱し、さらに反撃。
「あはは、うまいうまい。前よりもずっと良くなってる」
打ち合いながらでは軽口に答える余裕はない。
女が魔法を使ってくる様子のない今のうちになんとか勝負を決めなければならない。
足を狙って突いた剣を不意に切り上げる。
「おっとと」
フェイントは女の服を掠めたに過ぎない。
返す刀を甲板を転がるようにして避ける。
身を起こしざまに、甲板に敷き詰められていた砂利を掴んで女の顔目掛けて投げつける。
咄嗟に顔を庇った女に向けて渾身の突きを放つも、距離を離されて届かない。
かと思うと女の半身が淡く光り、その光が短剣に収束したかと思うと、横薙ぎの剣閃が飛んで来る。
慌ててしゃがんで避けて、顔を上げた時には女の剣が目の前にあった。
受け流しきれずに受け止める。
その重みに負けて、二歩後ずさったところで背中が船の縁に当たった。
剣を押し合い、打ち合いに一瞬の空白が生まれた。
俺が甲板の状況を再確認できるくらいには長い空白が。
甲板上は血まみれの死屍累々と言った様相だった。
幸いにしてマリア王女殿下は無事で、数人の船乗りたちに守られている。
フィーナ様は空賊のボスとさらに数人に囲まれて奮戦している。
魔法使いがいることもあってか、状況はこちらに優勢に見えた。
しかしその時、雲の中から一隻の浮遊船がアインホルンに肉薄してくるのが見える。
衝突、そして激しい揺れがアインホルンを襲う。
誰もが立っていられなかった。
船乗りたちも、空賊らも、そして俺も。
女の剣を受け止めていた俺の体はくるりと円を描いて、簡単に転がった。
船の縁の向こう側へ。
俺は、落ちた。
だからその後のことは何も知らない。
アインホルンがどうなったのか。
マリア王女殿下がどうなったのか。
そして俺自身がどうなったのか、も。
これにて第二章は終わりです。
下層世界へと転落したルフトの今後が第三章で描かれることになります。
第三章からは一日一話18時での更新となりますのでよろしくお願い致します。




