第三話 案内図
2016/12/15 改稿しました。
アルノーたちを部屋に案内した後、カスパーのところに報告に寄ってから俺は、自分の部屋に戻ってきた。スラム街の中の、もちろん治安の良くない辺りだが、家賃は驚くほど安い。とは言っても家賃を払っているというよりは、勝手に住んでカスパーに巻き上げられているという構図ではあるのだが。
部屋では同居人のエメリヒとニコラが先に帰ってきていた。2人とも今日は観光客を捕まえられずゴミ拾いに徹していたようだ。衣服の汚れ具合から分かる。
「遅かったじゃないか」
「今日は気前のいい客を捕まえられたんだよ。ほら、お土産」
「わぁ、やった。肉だ!」
串に刺さった何かの肉をテーブルに広げる。アルノーから貰った報酬で買ったものだ。カスパーからの駄賃は滞納している家賃に充てられてしまった。まあ、それでもこれまでの分をまるまるチャラにしてくれるというのだから、カスパーにしても奮発したほうだ。
「それで明日は案内人が2,3人は欲しいっていうからさ。俺たちで行こうぜ」
「どんな連中だったんだ?」
エメリヒが聞いてくる。この中で一番年長のエメリヒは細かい所に気が回る。気前のいい客というのに逆に不信感を持ったようだ。
「船乗りだって言ってたけど、それにしては気前が良すぎるかな。顔ぶれも船乗りというよりは――」
「空賊、か」
「俺が案内してた人はそんな感じではなかったけど、お仲間のほうが、ね」
空賊というのは言葉通り空の賊。浮遊船で他の浮遊船を襲う連中だ。だが連中は滅多なことでは地上では事を起こさない。そうでなければ彼らに帰る港が無くなるからだ。港が受け入れなくては空賊は活動を維持できない。だから連中が暴挙に出るのは決まって境界面で、だ。
「俺たちが仕事を選べるわけもないな。その話乗った」
「僕も」
そんなわけで翌日、俺たちは3人でアルノーたちが泊まった部屋に向かった。
前日、言い含められていたようにノックは2回してから間を開けて3回。合言葉を言ってようやく扉が開かれる。
「ようこそ、ルフト君。ちゃんと案内人を連れてきてくれたんだね」
顔を出したのはアルノーだったが、リビングには他の4人も集まっていた。どうやら俺たちの到着を待っていたらしい。
「遅かったかな? 割りと早く来たつもりだったんだけど」
「仕事柄朝が早いだけだよ。早速だけど、仕事の話をしよう。君たちは迷宮集落の街路を把握している。そうだね」
俺たち3人は頷いた。
「そんな君たちの仕事を奪うようなお願いなんだけど、案内図を書いて欲しい。文字は書けるかな?」
俺たちは一斉に口をつぐんだ。だが考えても見て欲しい。字が書けるくらいならもっとマシな仕事が転がっているものだ。俺たちにできるのはせいぜいが記号を書いたりすることくらいだ。
「文字はちょっと。でも記号で案内図なら書ける」
「だって、どう思う?」
「むしろその方が好都合なんじゃねぇか? 詳細な案内図なんて書かれても逆に困るぜ」
「みんなもそう? そうだって。それでいいみたいだ。まずはこの部屋から新市街まで出るルート。新市街からこの部屋に戻るためのルート。それからこの部屋から町の東側まで抜けるルート。この3つをそれぞれ複数のルートで作ってきて欲しい。今日は誰か1人だけ案内役をしてもらって、他の2人は早速仕事に取り掛かって欲しい。明日の晩までにそれぞれ最低でも3パターン。それ以上作れたらボーナスを払おう」
そう言ってアルノーが提示した金額は俺たちが普通に仕事していたら一年はかかるだろうという金額だった。もちろん一年かけて稼げば生活費としてほとんどが失われる。これだけの大金を一度に手にできる好機など早々あるものではない。
「それじゃ今日の案内役は俺がする。ルフトとニコラのほうがそういうルートについては詳しいから。それで案内図を書くために羊皮紙とペンが必要なんだけど」
「それについてはこちらで用意したよ。3人分ちゃんとある。余ったら返さなくていい。それはもう君たちの持ち物だ」
そういうわけで俺とニコラは手分けして案内図を書くことになった。
こんなことをするのは初めてのことで困惑しつつも、矢印で行くべき道を示していく。特徴のあるものがある場合は、絵でそれを書いて示した。
分かりにくい路地の場合は黒炭で壁に印をつけて、案内図に書き足す。
これはアルノーたちが望んだ方法だ。黒炭ならしばらくすれば消える。案内図が役に立つ期間を限定したのだ。
事ここに至り、俺はアルノーたちが真っ当な仕事をしている人間ではないのだと気がついた。
つまりこの案内図は犯罪に使われるに違いない。
アルノーの言葉には西の訛りがあったから、この近辺の出自ではない。
となると考えられるのは鴉か空賊だが、鴉は基本的に単独行動だから空賊の方だろう。
どちらにしてもろくでもない連中であり、あまり関わりあいにはなりたくないが、金払いのいい連中であることも確かだった。
まあ地図がどう使われるかなんて知ったことではない。
金さえ手に入ればいい。
仕事というのはそういうものだ。
日が暮れるまでに俺は東に抜ける3つのルートを作成し、ニコラは彼らの部屋から新市街に行き来するルートを2種類完成させていた。この分なら多めに作ってボーナスを得られそうだ。
翌日にはエメリヒも案内図作成に加わり、日が暮れかかる時間まで掛けて俺たちは全部で14枚の案内図を制作した。
アルノーたちの滞在する部屋に3人で向かう。
「遅かったじゃないか」
「今日までって依頼だったろ?」
エメリヒが14枚の羊皮紙をひらひらと振る。
「確かにその通りだね」
アルノーが手を伸ばし、エメリヒから案内図を受け取ろうとする。
だがエメリヒは差し出した案内図をすっと手元に引いた。
アルノーは伸ばした手をそのままに、いぶかしげに眉をひそめる。
「どういうつもりかな?」
「交渉だ。空賊」
「ひどい言いがかりだね。人を空賊呼ばわりとは」
「アンタこそ、こんなモノを作らせてどういうつもりなんだい?」
エメリヒは挑発的な笑みを浮かべる。
俺とニコラは顔を見合わせる。
こんなことは打ち合わせには無かった。
彼らの事情がなんであれ金をもらっておしまいではなかったのか。
「こいつの本当のスタート地点はブロッケンブルクだろ。そしてブロッケンブルクには王女様が滞在中だ。領主様の邸宅に泊まってることになってるけどな。でもまあ、秘密ってのは隠しとおせないもんだ。だろう? アンタが知ってるのに、他に誰も知らないなんてことはない」
「それで? そうだとして? どうなると?」
「アンタのここまでの反応を見る限り、交渉の余地はありそうだ。この案内図が絶対に必要というわけではないだろうけど、あるにこしたことはない、と言ったところかな。騒ぎを起こしたくないという理由もあるか」
俺とニコラは完全に会話に置いて行かれていた。
王女様がどうしてこの話に関わってくるというのだ。
「オレにも一枚かませろ。町に詳しい案内人がいればアンタらにとってもっといいんじゃないか? ただ信用できる案内人がいなかった。これまでは。でもオレはすでにアンタらの事情をある程度知っている。その上でアンタらに協力すると言ってるんだ」
「ですってよ。どうします?」
アルノーが彼らの内の1人に水を向けた。
アルノーのボスと思しき男はしばらく腕を組んで考えていたようだが、やがて腰から短銃を抜いてエメリヒに差し出した。
「いいだろう。ただし君自身の手で彼らを撃て。それが条件だ」
そして短銃を受け取ったエメリヒは僅かな逡巡の末にニコラに向けて引き金を引いた。