第二話 観光客
2016/12/15 改稿しました。
苦笑しつつも説明料を払った客はアルノーと名乗った。
細身の背の高い男で、金払いの良さそうな印象を受ける。すっかり気を良くした俺はそのままアルノーの案内をすることにした。
「それでアルノーさんをどこに案内すればいいのかな?」
「とりあえずは宿かな。5人、3部屋で一週間は借りたいんだ」
「宿なら新市街で探したほうがいいと思うよ」
新市街はかつて農地だった周辺を潰して整備された一角で、迷宮集落と呼ばれる旧市街とは違い、迷うようなこともない。
普通の観光客はそちらで宿を取るものだ。
なぜなら迷宮集落内で宿を取ったら、新市街に戻るのにも案内人を雇わなくてはならない。
「せっかく迷宮集落に来たのに新市街の宿じゃ趣が無いだろ」
「ふぅん、そういうものかな。俺はその方が嬉しいけど」
新市街の宿は浮浪児が案内してきたからと言って駄賃はくれない。旧市街の宿だと事情が違う。一見して宿だと分かるような宿が少ないため、案内人には駄賃が支払われるのだ。
「それで宿の条件は? 旧市街なら下を探せばいくらでもあるよ」
「上を探せばとは言わないんだね。そうだなあ。あまり出入りにうるさく無いところが助かるかな。それと多少騒がしくても目をつむってくれるところ」
「雨漏りや、他人の出入りは? 安い宿だと勝手に通行人が窓から通り抜けていくようなとこもあるよ」
「なんだそれ! そりゃ困るよ。雨漏りも他人の出入りも」
「趣って言うからさ。より迷宮集落らしさを味わってもらえるかな、と」
「そんな気遣いいらないからね! 普通の宿! ごく普通の宿でいいんだよ」
「スラム辺りは? 近いほうがアヘンは手に入りやすいよ」
「そのいらない気遣いはなに!? アヘンには興味無いよ! なに? 僕、アヘンやってるように見えるの?」
「そうじゃないっぽい人のほうがやってるとかよく言うし」
「なにその嬉しくない人物評!」
その後も冗談を混じえながらあれこれと条件をすりあわせていくと、アルノーの条件に合う寝床を手に入れる方法はひとつしか考えつかなかった。
「宿屋というより仲介屋から部屋を借りたほうがよさそうだね」
「民泊かい? あまり気が進まないな」
「いや民泊じゃなくてさ。旧市街には人がいなくなって空いてる部屋がたくさんあるんだけど、そういうのを勝手に取り仕切ってる奴がいるんだよ。そいつならアルノーさんの条件に合った部屋を知ってるかもしれない」
「家主はいないのかい?」
「いないね。いるような部屋には手を出さない。食事も出ないし、掃除も自分たちでやんなきゃだけど、とにかく数が多いから条件に合ったところもあると思う。意外とトラブルは少ないんだ。やってる奴が顔が広くてね。その他にも色々仲介してくれるよ」
「ふぅん、一度話を聞いてみようかな」
「それじゃ案内するよ。ついてきて」
それで俺はアルノーを連れて、仲介屋のカスパーのところへ向かった。
カスパーの事務所は迷宮集落の中でもスラムに近い一角にある。とは言え、道中はともかくカスパーのところ自体はそれほど危険でもない。カスパーは用心棒を複数雇っていて、その辺りで騒ぎを起こすバカはいないからだ。
もちろん道中も危ない通りは避けていく。道中の目につく物を紹介するのも忘れない。
「この辺りで一度外が見られるよ」
「そりゃいいね。見てみたいな」
お客様の要望とあれば断る理由はない。
俺は角をひとつ曲がり、迷宮集落から外を覗ける一角へとアルノーを案内する。
「なるほど。外から見るのと内から見るのでは随分印象が変わるね」
「そういうもんかな」
「今、見えているのは新市街のほうじゃない。太陽の位置からすると町の東側かな」
「よく分かるね。アルノーさんは船乗りなの?」
「まあ、そんなもんだね。こちら側は農地がそのままになっているのか」
「今じゃ食料の大半は輸入ですませているけどね。せっかく残っている農地を潰すこともないし、鉱夫になるくらいなら農夫を続けたいって人も少なくないんだよ」
「なるほど。町の東側に用事がある人は農夫くらいのものなのかな?」
「そうだね。町の人間も、観光客もあまり見かけないかな」
「ふぅん。ありがとう。次に行こうか」
アルノーが満足したようだったので、改めてカスパーのところに向かう。道中、特にトラブルもなく事務所の前まで辿り着いた。
事務所のドアは開け放たれている。
この辺りではそんな不用心なことをしているのはカスパーくらいのものだ。
「こんちわー! カスパー、お客さんを連れてきたよ」
「さんを付けろ。この浮浪児。家賃の支払いをどれだけ待ってやってると思ってる」
椅子に座ってなにやら帳簿をつけていたカスパーが振り返りもせずにそう答える。
2人の用心棒は鋭い視線で俺とアルノーを舐めつけるように見つめた。その腰には曲刀と短銃、どう見たって空賊上がりだが、それを気にするような人間はこの中には、――1人いた。
アルノーは少し腰が引けたようだった。
「だからお客さんを連れてきたじゃないか。仕事だよ」
「誰だか知らないが、ルフトを案内人に選ぶとは、多少は見る目があるってもんだな。このガキは少なくとも迷宮集落の中で迷うようなことはないからな。それで何が入り用だい。お客さん」
カスパーは振り返ってその顔を見せる。その見た目は丸っこい顔をした髭面のおっさんだ。体のほうも少々丸っこいが、このことを指摘するのには勇気がいる。蛮勇と言ってもいいかもしれない。
アルノーも雰囲気でそのことを察したのか、カスパーの体型について第一印象を語るようなことはしなかった。
「どうも、アルノーです。カスパーさん。5人が一週間泊まれる部屋を探しています」
「条件がすっごい細かいんだよ」
俺はアルノーが上げた条件を諳んじていく。最初は普通に聞いていたカスパーの眉根がだんだん厳しくなっていく。ようやく最後の条件を言い切ると、カスパーはむむむと唸った。
「ちなみに予算はどれほどだい?」
「必要とあらば、まあ――」
アルノーが言った金額に俺もカスパーも目を丸くする。それは町で一番の、つまり新市街でもっとも値の張る宿であるブロッケンブルクにだって泊まれる金額だったからだ。
俺とカスパーは思わず顔を見合わせて、無言で小さく頷いた。
この上客を逃すわけにはいかない。
「そういうことならなんとか部屋を探してみるがね。少し時間がかかるかもしれない。ルフト、お客さんにお茶を用意してやれ」
「了解!」
俺はすっ飛んでいってカスパーの事務所の調理場に向かう。勝手知ったる他人の事務所だ。火打ち石でかまどに火を入れてお湯を沸かす。下層世界から燃焼石が使えるのだが、大人たちは上層世界に住むことにこだわるから仕方ない。
茶葉は良いものを使っても今回だけは文句を言われまい。
用意するのはアルノーとカスパーの2人分だ。そこは間違えてはいけない。カスパーがアルノーの前で文句を言うことはないだろうが、駄賃が減らされるのは間違いない。
お茶が用意できて2人のところに持っていく頃になると、2人は談笑しながら、カスパーは一方で羊皮紙と格闘していた。
「お茶です。アルノーさん」
「これはどうも」
テーブルの邪魔にならないあたりに2人分のカップを置く。
ちょうどそのタイミングでカスパーが一枚の羊皮紙を取り上げた。
「あった! ご要望よりは少し大きめの部屋になるが、これなんかどうだろう」
アルノーに差し出された羊皮紙を俺は横から覗き込む。リビングのついた寝室4つの大きい家だ。場所も新市街にほど近く、近すぎもしない。アルノーの要望通りの部屋だ。
「いいですね。こちらを一週間でお値段はいかほどに?」
「ちょっと大きめの部屋だから……」
アルノーとカスパーの値段交渉を聞きながら、俺は部屋の場所を再確認していた。
案内する分には何の問題もない。
やがて値段の折衝がまとまり、アルノーは気前よく前金で全額を払った。部屋の鍵をカスパーから受け取る。
「鍵は直接返しに来ても、ルフトに預けてもらってもどっちでも。一週間を超える時はまた交渉に」
「分かりました。そうしますね」
そうして俺はアルノーを連れてカスパーの事務所を出る。
「で、アルノーさん、次はどこに?」
「思ったより時間がかかったからなあ。仲間が待っているかもしれない。部屋は後にして新市街までお願いできるかい?」
「分かったよ」
俺はアルノーを連れて新市街へ向かう。
「それで仲間ってことは、家族とかじゃなくて、友達とかと来てるの?」
「いや、仕事仲間だよ。シュタインシュタットに来たのも観光というより仕事でね」
「そういやアルノーさんは船乗りだったっけ」
「まあね」
新市街へ出ても何食わぬ顔でアルノーを案内する。
俺としてもこの上客を逃すつもりはなかった。
「ああ、いたいた。やっぱり待たせてしまったみたいだ」
新市街のある通りの一角でアルノーは4人の男女に駆け寄った。年齢も特徴もバラバラの4人だ。この時初めて俺はアルノーが船乗りであるということに疑問符を持った。しかし金の魅力に負けてそのことは努めて考えないようにした。
彼らがどういう人間でも、金を落としてくれるなら客に変わりはないのだ。
アルノーが彼らに遅れたことへの謝罪と宿を見つけたことの報告を行う。
「それからこっちは案内役をしてくれているルフト君。迷宮集落でもまったく迷わないらしいよ」
「案内役なら任せてくれよ」
俺は胸を張って言う。
「とりあえずは腰を落ち着けたいからさ。荷物もあるし、部屋まで案内してくれるかい?」
「もちろん」