第九話 勅任艦長
「君は勅任艦長がどういうものか分かっているかい?」
「いいえ、艦長というからには偉いのだろうとは思いますけれど」
「ただの艦長と勅任艦長はまったく別のものだよ。ナタリエも分かってないみたいだから覚えときな。勅任艦長というのは国王陛下から直接に任命された艦長のことだ。国の命運を左右するほどの責任を背負っているという意味でもある。だが一番大事なのは勅任艦長には継承選挙において投票権があるということだよ」
「その継承選挙というのはマリア王女殿下が女王様になるのに関係あるのでしょうか?」
フィーナ様がそのようなことを言っていたような記憶があるが、よく分かっていなかった。
「関係あるも何も、次の国王陛下を決めるのが継承選挙だよ。ナタリエ、継承選挙がどういうものか言ってみな」
「え、あ、あたしですか? えっと、国王陛下が亡くなられたり引退を宣言されると継承選挙が始まります。被選挙権を持つのは国王陛下のお子様方と、ご兄弟です。投票権を持つのは貴族様……、と、勅任艦長……です、よね?」
「続けて」
「ええっと、継承選挙では投票権を持つものは平等に一人一票で誰が次期国王に相応しいか投票します。この票数がもっとも多かった方が次期国王となります。万が一同数だった場合は決選投票が行われることもあります」
「いかにも丸暗記しましたと言わんばかりだけど、まあいいだろ。そういうわけで君が勅任艦長になれば、継承選挙での一票を手に入れることになる。いいかい、大貴族だろうと勅任艦長だろうと、一票は一票だ」
「それは……責任重大ですね」
というより話が大きすぎて理解が追いつかない。
「だけど姫様が目指せというからには、君はそれを成し遂げなければならないね。それもとんでもない早さで、だ。いくら国王陛下がご健在だと言っても、君の出世を待って引退されるわけじゃないからね」
わたしは浮遊軍の階級については詳しくないけれど、と前置きしてウルスラさんは話を続けた。
「まず士官候補生になって、試験を通って海尉になる。試験を受ける許可は所属した船の艦長が、試験の評価は別の船の艦長が行うんだったかな。合格したら名簿に載ってそこからの上下関係はその名簿の順番になる。身分も年齢も関係ない。海尉の世界では名簿の順番が全てだ。先に登録されたほうが偉い。その一点さ。だから士官候補生たちはやっきになって艦長に認められようと頑張るという仕組みになってる。まあだからと言って、何もかもが実力主義というわけじゃないけれどね」
たとえば大貴族の子どもが士官候補生になったとする。
そして艦長がその大貴族に恩を売りたいと思ったら、その子に試験を受けさせてやればいい。
あるいは試験を受けに来たら通してしまえばいい。
そんなわけで強いコネを持っているほうが有利なのは浮遊軍でも変わらない、ということだそうだ。
「そういう意味では君は相当に有利だと言えるね」
王女殿下の推薦というのは非常に強い背景だと言えるだろう。
しかもマリア王女殿下の口ぶりからすると、懇意にしている艦長のいる船に俺を送り込むつもりであるようだった。
であれば、試験官となる艦長にもマリア王女殿下の息がかかっているかもしれない。
「だけど姫様の推薦を受けるということは、君は姫様の名前を背負っているということでもあるからね。無様なことになれば、姫様の名前も傷つけるということになるよ」
「なんだか実感がわきません。くらくらします」
「だけど海尉になっても勅任艦長まではまだまだ長い道のりさ。海尉になってどこかの船に配属されると、そこでは名簿で順位が決まる。例えば三人海尉がいるとすれば、一番下っ端の君は三番目、三等海尉だ。そして艦長が出世して船を降りたとして次の艦長が空席であれば一等海尉が艦長に昇格するだろう。だが補充されてくる海尉が君より名簿が先ならば君は三等海尉のままだ。とにかく一等海尉でなければ艦長になれるチャンスはまずないと思っていいだろうね」
「気が遠くなる話ですね」
「それに艦長になってもそれなりの功績を挙げなければ勅任艦長になることはないよ。そういう意味では無茶な話だね。王国は帝国と敵対しているけれど、真っ向から戦争してるわけじゃないからね。そりゃまあ君が艦長になるとして、その頃にはどうなってるか分かったもんじゃないけれど」
「マリア王女殿下は戦争が起きるとお考えなのでしょうか?」
「さあね、姫様のお考えはわたしには分からないよ。でも姫様は戦争には反対だったはずだけれどね」
確かにあのマリア王女殿下が戦争しようなんて言い出すところはとても想像できない。
「それでも姫様は君が勅任艦長になることをお望みならば、できることはしないといけないよ」
「そのつもりです。さしあたっては士官候補生に相応しいと思っていただかないといけませんね」
「やってみなきゃ分からないね。頑張りな」
「まずはハンモックに乗れるようにならないとね」
「分かってますよ」
ナタリエさんの茶々に不承不承に返事する。
この話をしている間にハンモックから落ちた回数はもう数えるのも嫌になっていた。
「それからフィーナ様はどういうお方なんですか?」
フィーナ様はマリア王女殿下から俺の監視を命じられていた。
俺の所有者であるマリア王女殿下より、フィーナ様のほうが接する機会はずっと多くなるだろう。
彼女もマリア王女殿下から釘を刺されていたから簡単に切り捨てられるようなことはないと信じたいが、何か言い訳の立つような状況になれば容赦はされないだろう。
より切実にその人を知っておかなければならないのはフィーナ様のほうだと言える。
「フィーナ様は悪い方ではないんだけど、うーん……」
ウルスラさんが言葉を濁す。
なにか言いにくいことでもあるのだろうかと思ってナタリエさんの方を見ると、彼女も腕を組んでうーんと唸っていた。
「悪い方ではないんですよねえ」
「なにか問題でもあるのですか?」
「とても真面目な方なんだよ」
「冗談が通じないところありますよねー」
「姫様のお諌め役としては適任だと思うよ」
「あたしらもお諌めされてしまいますけど」
そう言って二人は黙りこんでしまう。
どうもこの二人はフィーナ様に苦手意識を抱いているようだ。
そしてそれは俺も同じだった。
「どうすればせめてフィーナ様に嫌われないようにできるでしょう?」
「フィーナ様に嫌われないようにねえ」
「そもそもフィーナ様と仲がいい人ってこの船にいましたっけ?」
「姫様くらいじゃないかね。フィーナ様に気軽に話しかけられるのって」
「あー、艦長も遠慮してるところありますもんねえ」
さっきの甲板でもナタリエさんが言うようなところはあった。
艦長はフィーナ様の扱いに困っているように見えた。
「じゃあ、せめて経歴とか分かることだけでも」
なにか話のネタくらいは掴んでおきたいところだ。
「フィーナ様のご実家って男爵家でしたっけ?」
「ヴィドヘルツ男爵家という話だけど、領地がどこかも知らないね。姫様の護衛に任じられたのも実家の力というよりは本人の実力によるものが大きいだろうね。五年に一度の御前試合でいいところまで行ったらしいよ。男ばかりの大会に女が出てきて猛威を振るったんだから、そりゃ印象にも残るだろうね」
「そんなにお強いんですか」
「実際に戦うところを見た乗組員の話では、まるで風のように剣を振るうそうだ。相手の船に乗り込んでいって、群がる相手を尽く切り伏せて平然とした顔で戻ってきたらしいよ」
「マリア王女殿下の護衛なのに、相手の船に乗り込んでいったんですか?」
「そのことを聞かれると、脅威は排除したから問題ないと答えたそうだ」
マリア王女殿下にとって脅威となりそうなものを先行して排除する。
それがフィーナ様の護衛のやり方ということなのだろうか。
だとすれば、とにかく俺を切り捨てたがっていたのも分かる気がする。
とにかく危ないと思ったら切ってしまうのだろう。
俺は身震いした。
これは思っていた以上に危ないのかもしれない。
マリア王女殿下は俺の身になにかあればその責任はフィーナ様にあるとおっしゃっていたが、それがどれほどの抑止力になるのか分からない。
その処罰がフィーナ様の許容範囲だと思われれば、なにかの理由をつけて切り捨てられることも十分にあり得るだろう。
「まあちゃんと仕事をしていれば悪いようにはならないよ。少なくとも理不尽な難癖をつけて平民を虐めるような方ではないからね」
俺は気難しい顔をしていたのだろう。
ウルスラさんがそう言ってくれるが、彼女はフィーナ様が俺を斬り殺そうとしていたことを知らないからだろう。
「肝に銘じておきます」
「そんなに気にすることはないと思うな。なるようになるって」
ナタリエさんはお気楽だ。
だが確かになるようにしかならないのも事実だ。
今は目の前に与えられた課題を一つ一つこなしていくしかないだろう。
まずはこの揺れる布切れをどうにか征服しなければならない。
第十話の投稿は本日20時となります。




