第八話 知己
ハンモックに寝る練習をする傍らで二人のことを聞いてみた。
これからどれくらいの付き合いになるのかは分からないが、どんな人なのかは知っておきたい。
「先にルフトくんのことを教えてよ」
ナタリエさんにそう言われてしまい、俺は何度目かになる自分の身の上話をすることになった。
さすがに慣れてきたのでかいつまんで要点だけを話すことにする。
「そうかい、大変だったんだね」
「ルフトくんはそうするしかなかったんだね」
二人から肯定的な意見を聞けて俺はほっとした。
俺は自分の行いにどこか不安があったのだ。
「それじゃあたしの話をしよっか。と言ってもルフトくんみたいに大変な人生じゃないけどね」
ナタリエさんの母親は、マリア王女殿下の乳母だったそうだ。
そのために王宮の一角で生まれ育ち、子どもの頃からいずれマリア王女殿下に仕えるものだと教育されていたらしい。
幼い頃はマリア王女殿下をまるで実の姉のように思っていたという。
どうやら王女殿下の平民と別け隔てなく接するという性格はその頃から変わりがないようだ。
そしてそのままマリア王女殿下の侍女となり、今に至る。
「わたしはナタリエほど姫様との付き合いが長いわけじゃないよ」
ウルスラさんは央都の小さな商家の生まれだそうだ。
幼い頃から家の手伝いをしているうちに商売にのめり込み、そんなことをしている間に婚期を逃してしまった。
そのうち商売がうまく行かなくなり、実家は店を畳むことになってしまう。
ウルスラさんは一人でも商売を続けようとしたらしいが、そんな折に王女殿下と出会い、商売をするより、自分の下でその知識を生かして欲しいと言われ、断ることもできず王女殿下の侍女になったそうだ。
それから二人にマリア王女殿下について聞いてみた。おそらくこの二人が船の中では一番マリア王女殿下について知っているだろう。
「とても素晴らしいお方ですよ! あたしのような侍女にも優しくして頂いています!」
ナタリエさんのテンションがまた高くなった。
どうやら彼女はマリア王女殿下の信望者であるようだ。
お役御免になったと勘違いした時の様子からもうかがえる。
相当にマリア王女殿下を敬愛しているらしい。
「貴族様としてはちょっと変わったお方だねえ」
一方でウルスラさんはもうちょっと冷静な視線を持っていた。
「変わった、というのは?」
「平民を大事にされるんだよ。それどころか奴隷だって大事に扱われる。すぐに知るだろうから言っておくけど、この船の乗組員はほとんどが奴隷だよ。姫様が買い上げて使っているのさ」
「それは珍しいことではないのでは?」
奴隷を労働者として働かせるのは珍しいことではない。
シュタインシュタットにも奴隷として鉱夫になったものはたくさんいた。
そういう者たちは住むところと食事だけを与えられて死ぬまで労働に就くのだ。
俺の父もそうなったと聞いている。
「姫様は奴隷にも拿捕船売却金の分配を認めているんだよ。それに自分を買い取る権利もだ」
拿捕船売却金とは浮遊船を拿捕、つまり捕まえて、それを売ったお金のことだ。
船の所有者が半分、船長が残りの半分、さらに残りの半分を士官で分け、残った分は乗組員に分配されるのが基本だ。
これは船乗りにしてみれば喉から手が出るくらい大きな報酬なので、割合を下げようものなら反乱が起きるとシュタインシュタットの港区で聞いたことがある。
ただし奴隷の分は奴隷の所有者が受け取るのが常識だ。
なぜなら奴隷は所有者の持ち物なのだから、その稼ぎは所有者に帰属するべきだからだ。
でなければ奴隷を買って使う意味がない。
だから船の乗組員を奴隷で固めるというのはつまり拿捕船売却金を所有者が独占するためなのが普通だった。
「マリア王女殿下は奴隷が財産を持つことを許しておられるのですか?」
「直接お金を渡しているわけではないけれどね。帳簿をつけるのもわたしの仕事さ。実は今でも何人か自分を買い取れる乗組員はいるんだよ。もちろん下船する人も多いけれど、この船に乗り続けたいってのも少なくない。船から降りたところでここよりマシな生活が待っているかは分からないからね。少なくとも他の誰かに買われた場合を考えると、姫様に買われてよかったって皆答えるだろうね」
「マリア王女殿下はなぜそんなことをするのでしょう? その、つまりマリア王女殿下にとって奴隷は財産ですよね。それを自らお金を与えて手放すようなものじゃないですか」
「それは姫様が優しいお方だからです!」
「ナタリエの言うような側面もあるだろうね。姫様は優しいお方だ。そして奴隷という身分が存在することを快く思っていらっしゃらない節がある。けれど現実には存在するし、それをどうこうできるわけじゃない。そんな中で姫様自身にとって許容できる範囲でできることと言えば、自分で直接雇って、そこから生まれた稼ぎの一部を本人たちに返還することなんじゃないかね。奴隷を買った時のお金は返ってくるし、その間の労働に対して賃金は払わないで済む。帳簿をつけてるから分かるけれど、姫様の損にはなっていないよ」
そしてウルスラさんはあくまで自分の想像だけれどね、と付け加えた。
「もちろん貴族だってちゃんとした方は自分の領民を大事にするよ。それが高貴なる者の務めだとちゃんと分かっている方はね。姫様は王族だから国民すべてを大事にするという立派な考えを持っておられる。だけど姫様の場合はそれだけじゃないんだよ」
「というのは?」
「姫様は他所の国の人間も同様に大事にされるんだ。拿捕した船の乗組員も丁重に扱うように望まれる。わたしらから見れば必要以上なほどにね。まあ、結局はナタリエの言うようにお優しいってことなんだろうけれど、姫様の場合は単に優しいというより、そこに実利を嗅ぎとっておられるような気がするんだよ。じゃあその利益が何かって言われるとわたしには分からないんだけどね」
「なんだか難しいです。マリア王女殿下はただ優しいだけのお方じゃないってことでしょうか?」
「そうだね。きちんと考えをお持ちで、計算ずくで、自分のできる範囲で優しい方ってところかね。ただそのできる範囲っていうのがわたしら常人の考えつく範囲からは逸脱されているけどね」
「そこはさすが王族ということですか」
「どうだろうね。わたしは姫様がたとえ王族でなくとも、今くらいのことは簡単に成し遂げられていたんじゃないかと思うよ。つまり自分で船を持って世界を飛び回るようなことくらいはね。実際、この船を所有維持管理するためのお金はすべて姫様自身が稼ぎだしたものだ。そりゃ元手は王家の財布から出ているんだろうけどね」
「商売をされているということですか?」
「この船にも交易品が載っているよ。もっとも直接交易品を運ぶのはもののついでさ。姫様が一番稼いでるのは投資だね」
「投資、ですか? それはどういうことでしょう?」
聞きなれない言葉が出てきたので確認する。
「まあ、簡単に言えば金貸しなんだけどね。例えば君がある商売を始めようと考えたとする。ここは分かりやすく交易ということにしようか。とある町で不足しているものがあって、一方で余っている町がある。君は余っている町で安く買って、不足している町で高く売ろうと考えた。しかし買い付けをするための資金が不足している。君ならどうする?」
どうすると言われても先に答えを言われている。
「お金を借りるしかないですね」
「うん。そうだね。そうやって事業をしたいのにお金がないという人にお金を出すのが投資さ」
「お金だけ持って逃げられたりしないんですか?」
「ギルドが仲介するからね。そんなことをすれば、そいつはもうどこに行っても商売なんかできなくなる。それでもそういう奴は少なくないけれど。そして姫様はそういう話にすごく鼻が利くんだ。大商人が行うような大商いから、金貸しが相手にしないような木っ端な投資話まで、そりゃもうびっくりするくらい短時間で話をまとめてしまう。しかも姫様が直々にギルドまで赴くんだから、毎回大騒ぎさ」
「それは、大変そうですね」
主に周りの人々が。
護衛役だというフィーナ様の心労は想像もつかない。
ギルド側にしてみたって王女殿下のような要人を迎えるとなると大変だろう。
「その辺を気になさらないのが、姫様の悪いところかもね」
「でも姫様と話をされた方は皆満足された顔で出て行かれます!」
「そこが姫様の不思議なところだね。金を出してもらえなくても何故か逆恨みされないんだよね。あのお方は」
それはなんとなく分かる気がした。
マリア王女殿下と対面していると、彼女の言うことならばなんでも受け入れていいような気がしてくるのだ。
あまりにも美しいので、その姿を見ているだけで満足してしまうのかもしれない。
「それに姫様が投資した事業はほとんど成功するんだ。逆に投資を断った相手が他から金を借りてもうまく行った試しがほとんどない。そんなわけで央都の商人たちから姫様は神様のごとく崇め奉られているのさ」
「なんだかお姫様って感じじゃないですね」
「な、変わったお方だろう?」
俺は他の貴族を知らないのだが、それでもマリア王女殿下が変わった方だということは分かった。少なくともマリア王女殿下を貴族の標準だと思ってはいけないということだ。
「では、私の命を救ってくれたのも投資なのでしょうか? マリア王女殿下には勅任艦長を目指せと言われました」
「そりゃまた……」
ウルスラさんは絶句してしまう。ナタリエさんはきょとんとしていた。
第九話の投稿は本日18時となります。




