第八話 ギルド襲撃
ソフィーは木箱の隙間に釘抜きを打ち込もうとして角度の問題でどうにもならないことに今更気がついた。木箱の内側からでは釘抜きは使えない。今後二度と使うことのないだろう知識を得て、ソフィーは次善の策として釘抜きで天板を叩き始めた。コンコンと音は小さく。慎重に、慎重に叩く。ここまでうまく行ったのだから、下手に音を立てて気付かれるような真似はできない。
そう、ソフィーはいま木箱の中にいる。場所はサラトフの港ユビレイニの運送ギルドの保管庫、の、はずだ。そうなるようにアナスタシアと相談して決めた。作戦は簡単。ルフトはユビレイニの運送ギルドに帝国のギルドからの積荷を引き渡したはずだ。だからソフィーたちは運送ギルドの保管庫に侵入しなければならない。だが警備は厳しいだろう。こっそり侵入する必要がある。ギルドの保管庫に入る一番簡単な方法は、自らが積荷になることだ。
そこでアナスタシアはソフィーと装具を箱の中に入れて封をし、運搬人の手を借りてその木箱を輸送するように運送ギルドに持ち込んだ。すでに日が暮れかかる時間だ。当然、すぐに運び手は現れない。一旦、木箱はギルドの保管庫に運び込まれる。そこでソフィーが木箱から脱出。ルフトの運び込んだ木箱の中身を検め、中身が“争いを止める杖”なら奪って逃げる。
この作戦の難点はルフトの運んだ木箱の中身が争いを止める杖で無かったとしても、強行脱出が必要なところだ。そしてそれであったとしてもアナスタシアの手を借りて運ぶことができない点だ。
つまりソフィーの手にすべてが掛かっている。
コンコン、コンコンと叩くたびにわずかにではあるが、木箱の天板が浮いていく。ある程度浮いたところで、背中を天板に当て力を込めるとぎしりと音を立てて天板は外れた。保管庫の中は当然だが真っ暗闇だ。ソフィーは装具の中から火打ち石を取り出して、ランタンに火を移した。ぼんやりとした明かりが室内を照らし出す。
保管庫の中にはそれほど荷物は多くなかった。ルフトの運んでいた木箱は、中身こそ検めさせてはもらえなかったが、その外形ははっきりと目に焼き付けている。ソフィーはすぐにそれを見つけた。今度こそ釘抜きを正しく使い、木箱の封を開ける。木箱の中には高級そうな布に包まれた何かが収まっている。ソフィーは渇きを覚えて、喉を鳴らした。そっと布を開くと、中から一風変わった形の杖が姿を現した。否、それは杖ではない。銃だ、とソフィーは本能的に感じる。だが一方で、それはアナスタシアから聞いていた“争いを止める杖”の特徴に一致している。しかしこれは銃だ。だが争いを止める杖は帝国の建国神話に出てくる魔法の杖である。ソフィーは混乱した。彼女の感性はこれをはっきりと銃だと断じている。だが状況的証拠はこれを杖だと告げている。
ソフィーはぶるぶると首を横に振った。これが銃でも杖でもどちらでもいい。問題はこれを持ってここを脱出できるかどうかだ。ソフィーは争いを止める杖を、銃をそうするように背中に固定した。ランタンを腰に、銃剣を付けた銃に弾丸を込めていつでも撃てる状態にして両手で構える。
ここからは強行突破以外に手段はない。扉に手をかけるが鍵がかかっているのか開かない。保管庫ということもあり、当然内鍵ではない。息を潜めて気配を探ると、扉の向こう側に複数の歩哨がいるようだ。
銃を構えたまま扉を叩く。軽く、コン、コンと二度。歩哨が集まってくる気配。2人か3人、ガチャガチャと錠前を回す音がする。そしてゆっくりと扉が開いた。扉の裏側に隠れていたソフィーは、開きかけた扉を引っ張る。ドアを開こうとしていた男がつんのめって保管庫の中に飛び込んでくる。ソフィーは扉を蹴り閉めて、その男に飛びかかる。腰から抜いた短剣をその男の腹に突き刺し、引き抜く。
「立て! 立つんだ!」
血に濡れた短剣を首筋に押し付けて、男を立ち上がらせるのと、扉が再び開くのは同時だった。男の背後に回り、その首筋に短剣を押し当てたソフィーは、もう片方の手で銃口を扉の向こうに向けた。
扉の向こうにはひとり、銃を室内に向けた男がひとり。
「動くな! 動けばこの男の首を掻っ切るぞ!」
「そっちこそ動くんじゃねぇ。動けばズドンだ」
「そういうことは火縄に火を入れてから言うんだな!」
ソフィーは短剣を引いて男の喉を掻っ切ると、その体を扉に向けて突き飛ばした。傷ついた仲間の体が自分に向かって倒れ込んでくるのを、その男は咄嗟に銃を離して受け止めた。仲間意識の高さがその男にとっては災いした。ソフィーは銃を構えて突進する。銃剣で男の目を貫いて、脳を串刺しにする。男は一度だけ体を痙攣させて動かなくなった。ソフィーは着込んでいた外套を脱ぎ捨てる。これで返り血の問題はクリアだ。これ以上接敵しなければの話だが。
ソフィーは血溜まりを踏まないように気をつけながら部屋の外に足を踏み出す。ギルドの内部構造をソフィーは知らない。だが運び込まれるときの感覚から、ここは1階のどこかだろうとは推測していた。であれば出入り口に拘る必要はない。窓でもなんでも外に出られさえすればいいのだ。
広い空間に出たところで、その向こう側に明かりが見える。ソフィーは咄嗟に身近な障害物に身を隠した。ランタンの明かりを消す。
「イヴァン、マカール、なにかあったのか?」
もちろん返事をする者はいない。
「喧嘩じゃねーだろーな?」
訝しげに近づいてくる男たち。二人組だ。ひとりなら撃ち殺せる。だが二人同時は無理だ。ここで銃撃戦になるならいい。だが逃げられて仲間を呼ばれたら厄介だ。ソフィーは息を潜めてやりすごそうとする。男たちがランタンを掲げながらこちらに歩いてくる。障害物――今ではデスクだと分かっている――はソフィーに影を落としているが、影は移ろう。男たちが進むのに合わせてソフィーはゆっくりと移動する。影の中に潜み続ける。だが男たちがデスクのこちら側に来ればその限りではない。男たちの視界からは外れているかもしれないが、影に潜むことはできないだろう。少しでも体を小さくしてやりすごそうとしたことがソフィーに災いした。背中に抱えた争いを止める杖がデスクに引っかかって音を立てたのだ。
予想していなかった物音に男たちが一瞬歩を止める。間髪入れずにソフィーはデスクから顔を出した。男たちの手には火縄銃。すでに火縄には火が入っている。ソフィーは体格の良い男のほうに銃を向け、引き金を引いた。火打ち石が火皿を叩き火花を上げる。撒いてあった火薬に引火して、銃身内の火薬が一気に燃焼する。乾いた音を立てて銃弾は男の額に吸い込まれた。首から上ががくりと奥に倒れ、そのまま男は倒れていった。ソフィーはすぐにデスクに体を隠し、次弾を装填する。
「エド! ちくしょう! なんだ!」
もうひとりの男は逃げない。逃げ出さない。僥倖だ。だがこちらの居場所は知られた。顔を出せば狙い撃たれる。装填を終えたソフィーはそのまま息を潜める。
「イヴァン! マカール! やられたのか! セルゲイ! ドナート! 誰でもいい! 侵入者だ!」
敵は四人ではないことが分かった。増援がどこから現れるのかソフィーには分からない。挟撃は避けたい。となると危険を承知でこの男を倒す他ない。デスクから顔を出す。敵の姿は見えない。だが火縄の放つわずかな光が男の隠れた場所を教えてくれる。長椅子の向こうだ。男が顔を出して引き金を引くのと、ソフィーが男をめがけて引き金を引くのは同時だった。2つの乾いた音が響き、男が倒れる。男の弾丸はソフィーの顔の十数センチ横を抜けていった。
「ふーっ、ふーっ」
止めていた呼吸を再開する。だが呼吸の乱れを整えている余裕はない。敵はまだいるのだ。ソフィーは手早く再装填すると、部屋の中を一瞥した。おそらくここは運送ギルドの受付カウンターのその内側だ。となれば出入り口はこの部屋にあるはず。ソフィーは今まで身を潜めていたデスクを飛び越えると、出口と思しき扉に駆け寄って押し開けた。
月明かりの射す屋外は意外に明るい。ソフィーは周囲を確認する。夜の港に人の気配は少ない。見られてはいない。血の付いた短剣と、フリントロック式の銃はここに捨てていく。銃を捨てるのは後ろ髪が引かれる思いだったが、銃剣で突き殺したために銃口の辺りに返り血がついている。誰かに見咎められたら、言い訳ができない。
ソフィーは何食わぬ顔で港を離れていく。人通りのほとんどないユビレイニの町を、あえて表通りを使い外周の方へと移動する。ユビレイニは城塞都市ではないから、町と外を隔てているのは単なる柵だ。越えるのはさほど難しくない。西の森の入り口の辺りで、アナスタシアが待っていた。
「ああ、ソフィー、無事で良かった。首尾は?」
「このとおりです。やはり争いを止める杖でした」
ソフィーは背中に抱えたままだった争いを止める杖をアナスタシアに渡す。受け取ったアナスタシアはその重みに驚いたようだった。杖というものから一般的に想像されるより、争いを止める杖はずっと重い。銃だと言われたらこんなものかと思うだろう。
「アナスタシア様、本当にそれが争いを止める杖なのでしょうか? 私にはどうしても銃に思えます」
「確かに銃としての特徴を揃えているわね。でも最近はこういう杖を好んで使う魔法使いも少なくはないわ。引き金を引くのが魔法を引き起こすトリガーになるとかなんとか」
「しかしこれは遥か昔のものです。確かに古びていて時代を感じさせます。そんな昔に引き金のような機構が存在し得たのでしょうか?」
アナスタシアは首を横に振った。
「分からないわ。でもこれが争いを止める杖と同じ特徴を揃えていることは確かよ。大事なのはそう思える品が今ここにあるということだわ。急いで町から離れましょう。騒ぎになってからでは遅いわ」
「はい、おっしゃる通りです」
「これはあなたが持っていて。私が持つには重すぎるわ」
「承知しました」
アナスタシアの手から争いを止める杖を受け取ったソフィーは、それまでしていたように背中にそれを抱えた。やはりこれは銃なのではないかという疑問を捨てられないまま、ユビレイニから離れていく。




