第十八話 アル=ケイブリア統一帝国
アンネリーゼからは面会を求められているが後回しで構わない。彼女の状況はレギンレイヴを通じて間接的に確認しており、特に問題が起きている様子はないので、彼女は単に感謝を伝えたいだけだろう。本音を言えば感謝など不要だが、彼女への心証を考えれば受け取っておく必要性はある。そもそも彼女の家族の救出そのものが彼女の心証を良くするためなのだ。
ルフトは自分にそう言い聞かせる。彼女は穏健派が推す継承選挙の候補者なのだ。便宜を図ることは自然だ。決して自分に無垢な好意を寄せてくれる少女に対して情が湧いたわけではない。
彼女との間には契約がある。彼女がルフトのために継承選挙の候補者として名乗りを上げる代わりに、ルフトは彼女の想いに応える。少なくとも2人きりのときはそう振る舞う。そういうものだ。はっきりと文書にしたわけではないが、お互いにそう認識していることは間違いない。
だから彼女の願いを聞き届けた。部下を危険にさらしてでもアンネリーゼの家族の救出に当たらせた。そうなのだから、この切迫した状況下で彼女を少し後回しにするくらいは許されてもいいはずだ。
ルフトはそう自分に言い訳をしなければならなかった。でなければ――。
続く言葉に蓋をしてルフトは捕虜の扱いに意識を向ける。3人が捕虜となった経緯はすでに把握している。77式からの緊急脱出したはいいものの、他の脱出者のように森に逃げ込む前に援軍に向かったこちらの77式に捕捉され、降伏。ドレスを脱いで、大人しく捕虜となった。ドレスの中身は予測されたとおり、獣の特徴を併せ持つ下層世界人だった。彼らは77式で運ばれている間も、ガーゲルン統合基地に到着して営倉にぶち込まれるまでも、ぶち込まれた後も、抵抗する様子はない。食事にも手を付け、睡眠も取ったようだ。てっきりレギンレイヴへの接続には拒絶反応を示すかと思ったが、それすらも受け入れた。彼らの脳内は徹底的に洗われ、まとめられた。ルフトからすれば報告書にアクセスするだけで事足りるのでありがたい。
報告書によると、これまで敵と呼んできたセリア防衛軍部隊は王国の西部、下層世界内にあるアル=ケイブリア統一帝国に所属するようだ。ルフトたちからすれば未接触の未知の国家である。30年ほど前に下層世界のとある小さな国がとある統合基地と接触したようだ。細かいことは捕虜たちは知らなかったが、結果的にその統合基地は停滞状態から復帰し、古代文明の叡智を手にしたその小国は周辺諸国を併合し、アル=ケイブリア統一帝国となった。初代統一皇帝は魔物に対処できる力を得て、周辺諸国をまとめあげたことで満足した。それ以上のことは考えなかったと言ったほうがいいかも知れない。だが5年ほど前に統一皇帝は亡くなり、後を継いだ息子は下層世界の統一皇帝という立場では満足できなかった。
彼らが元々信じていた宗教によると、空から降りてきた古き神々によって人々は高き地より追放されたとあるそうだ。だが彼らはセリア防衛軍の知識を得てその信仰が間違っていたと知る。外宇宙よりこの惑星セリアにやってきた人類は“現地種族を燃料の無い上層世界に追いやって前哨基地を築いた”のだ。その後、星喰いが人類宙域を襲い、前哨基地の人類は一部をこの惑星セリアに残して本隊に合流した。その時にすべての装置群は停滞状態に置かれる、セリア防衛軍のデータバンクから得られる歴史はそこまでだ。だがその後の長い惑星セリアの歴史によって、なんらかの形で人類と現地種族の住む領域に逆転現象が起きた。上層世界に住んでいた現地種族が下層世界に、下層世界に住んでいたはずの人類が上層世界へと移り住んだのだ。
この事実をもってして新しい統一皇帝はこの惑星すべてが我々の領土であり、異星よりやってきた人類は惑星より追放されるべきとした。しかしながら慈悲深い彼は人類に下層世界に移り住むことで恩赦を与えるとした。ゆえにこれは聖戦であり、人類すべてを上層世界から追い払うまでは終わらない。
ルフトは指でこめかみを刺激して、脳を活性化しようとした。
オーケー。セリア防衛軍と人類に関する前提知識はルフトたちも共有するところだ。古き時代に人類はこの惑星に対する侵略者であった。先住種族であったセリア人とでも言おうか、人類に似た知的種族を上層世界に追いやったのもセリア防衛軍に残されたデータが正しければ事実だ。そしてセリア防衛軍の設備はすべていずれ来る星喰いに対抗するために停滞状態に置かれた。その後の人類とセリア人の間になにがあったのかは分からない。だがあまりにも長い時間が経ち、人類はその叡智を失い、セリア人と同等の文明レベルにまで後退した。その過程のどこかでその居住領域が入れ替わったのだろう。だがそれもあまりに昔の話だ。人類が上層世界を確保するようになり、気の遠くなるような時間が流れた。人類は上層世界で生まれ、死んでいる。そんな新しい歴史がすでに積み重ねられている。今や人類の故郷は星々の彼方でも下層世界でもなく上層世界だ。確かに下層世界には魔物の脅威がある。だがエーテルによって燃焼石は激しく燃え、セリア人たちの燃料の問題を解決している。上層世界では得られない恩恵だ。そしてなによりもセリア防衛軍の装備は、エーテルが無くては動かない。アル=ケイブリア統一皇帝はその恩恵を捨てる気がない。人類を東へと追いやっていることからも明らかである。結局のところ彼らは下層世界の領土を維持したまま、その勢力圏を上層世界に広げたいだけなのだ。
彼らが魔物の脅威に怯えて暮らしているというのなら同情も湧いたかもしれない。だが彼らは十分な数の兵に刻印と武器を与え、魔物へと対処しているようだ。歴史的には上層世界が彼らの領土だった時期もあるかも知れないが、人類の領土としての歴史もあるのだ。譲る必要はない。
だが30年近く先行してセリア防衛軍に接触しているアル=ケイブリア統一帝国にいる刻印を刻まれたセリア人の数は10万を超える。とは言え、その殆どは退役軍人だ。皇帝にもっとも権限を持たせるため、皇位継承時に先任士官をすべて退役させたことが大きく響いている。現在のアル=ケイブリア軍を支えているのは、すべて経験の少ない士官たちだ。それでも幽霊部隊と比べれば圧倒的に多い。上層世界侵攻に割り振られてる兵の数は1万というところだ。もしアル=ケイブリア統一帝国が最初から兵力で押して来れば、5年前の時点で王国は為す術もなく崩壊しただろう。だが王国にとって運の良いことに、アル=ケイブリア皇帝は慎重だった。上層世界の人類がかつての装備群を取り戻していないという確信を得られるまで、接触は慎重に行われた。装備の一部を横流しして反応を見るということまでした。結果的にはその検証作業中にルフトが観測基地で刻印を得、王国にセリア防衛軍装備を持ち込んだ。だが一方で、まだ持ち込まれたばかりであろうと知れた。
アル=ケイブリア皇帝はその報告を受けると、王国を叩くのであれば、まだセリア防衛軍装備が王国に浸透していない今しかないと考えたようだ。敵部隊、つまりルフトたちに対してはヴェーベルン統合基地を差し出し、その間に王国沿岸に取り付いて侵攻を始める。央都を空爆し、王国を揺さぶり、こちらを釘付けにしている間に、上層世界に確固たる領土を確保する。央都を挟んだ睨み合いなど、アル=ケイブリア統一帝国にとっては単なる小競り合いに過ぎない。むしろ彼らが恐れているのは、下層世界にあるアル=ケイブリア統一帝国への直接攻撃であった。
すぐさまルフトはその可能性を検討する。捕虜の脳内よりアル=ケイブリア統一帝国の情報は分かる範囲でだが分かっている。ヴェーベルン統合基地を含む、北側一帯がその領土だ。もちろんルフトたちの観測データでも下層世界の町が点在していることは分かっていた。だがそれが直接敵に繋がるかどうかは分かっていなかったのだ。敵はその喉元を晒してヴェーベルンを囮にしたことになる。いや、実際的にはルフトたちはヴェーベルン上空には行っていない。敵の兵力を考えると、ヴェーベルンに陸戦隊を送り込んでいれば返り討ちにあっていたはずだし、なんらかの対抗策があった可能性もある。今からもう一度ヴェーベルンに取って返して、アル=ケイブリア統一帝国領土を攻撃する? いや、この捕虜が持っている情報自体が罠の可能性もある。それに今ガーゲルンを離れれば、今度こそ敵艦隊がガーゲルンを襲わないとも限らないのだ。
とにかくこの情報は共有フォルダにはコピーできない。貴族士官のごく限られた一部の者にだけ公開するべきだろう。そして資格のある全員で協議する必要がある。事態はルフトの手には余る。仲間の助けが必要だ。




