第十三話 刻印
それが自然な目覚めでないことはすぐに分かった。目が覚めたというよりは、起きていたかのような感覚。レギンレイヴによる体内成分調整によって目覚めさせられたのだ。つまりなにかがあるということだ。ルフトはすぐに時間を確かめた。視野に表示された時間はまだ未明と言っていい。
(央都に送った航空隊が帰還します)
それを聞いてルフトは手早く身だしなみを整え、基地の外に出た。遅れてカスパルもやってくる。レギンレイヴの恩恵を受けられない彼は明らかに寝不足の顔をしていた。他にもドレスで完全武装した一個小隊が待機している。王族を出迎えるのには少ないが、人員不足だ。どうしようもない。
「王族の救出は成ったのですか?」
「全員ではないですが……」
詳しい報告はまだだが、救出した人員のリストは届いている。国王、アンネリーゼ、他37名。ほとんどは王族の身の回りの世話をするために連れてきたメイドたちだ。王族としてリストに乗っているのは7名に過ぎない。王城にいたはずの王族の過半が、王城に残ったことになる。
またシャトルに乗せていった陸戦隊の半分は央都に残った。央都にいる穏健派貴族たちに呼びかけをするためだ。一応、それ以外の貴族にも声をかける予定だが、どうなるかは分からない。
甲高いエーテルエンジン音を響かせながら、シャトルがゆっくりと降下してくる。ふわりとまるで綿が落ちるような見事な着地を見せたシャトルの後部ハッチが開き、そこから国王が姿を現す。ルフトとカスパルは膝をついた。国王は堂々とした足取りでシャトルから滑走路に降り立った。
「ノイバウアー家の、それとルフト・フェラーか」
「ご無沙汰しております、陛下。突然の招待に応じていただきありがとうございます」
「状況は聞いた。信じがたいが、信じるしかないのだろうな」
「あらためて説明をお聞きになりますか?」
「必要ない。央都を捨てた王としての汚名は被ろう。諸君らのことは知ってはいるが、理解はしていない。情けない話だがな。それで央都は放置するのか?」
「民草に東へ逃げるよう王命を下したと文書をいただければ、騎士団や貴族に伝えることは可能です」
「ではそうしよう」
国王とすれば残してきた家族や、暮らしていた央都が気にかかるのは仕方ない。だがそのために割かれる人員は決して少なくはない。
「陛下、お願いがございます」
「なんだ?」
「平民を我々が徴用する許可をいただきたいのです」
「ふむ、央都や他の直轄領については構わない。代官への手紙を書こう。だが貴族領の領民に関しては、その地を治める貴族でなければ権限を持たない。余が許可を出すわけにはいかないな」
「ひとまず央都と直轄領だけで構いません」
王国東沿岸の穏健派貴族たちへは手紙を送っている。だがその返事が来るには時間がかかるだろう。彼らは戦争が始まったことすら知らないのだ。
「文書はこちらで用意しました。サインをいただけますか?」
そう言ってルフトはクリップボードに留めた文書とペンを差し出す。
「随分と急ぐのだな。立ったまま余にサインをさせるか」
「申し訳ありません。しかし事は急を要します。陛下がお考えのような今の時代の戦争とは訳が違うのです」
「分かった。今は卿に従おう。だが央都には強硬派に与する者が何人か残った。そやつらは余の命令だとしても従わんかもしれん」
そう言って国王はクリップボードを受け取り、文書を確認してサインする。
ルフトはそれを恭しく受け取り、ドレスを着た兵の1人に渡した。
「残念ですが、全員を救うことはできません。できる限りの努力はいたしますが、央都は守りきれないでしょう」
「央都には軍も騎士団も魔法師団もいるが、それでもか」
「そのいずれかが央都への攻撃を防げたでしょうか?」
「破壊工作ではないのだな? 武力による攻撃だった、と」
「ご理解いただくのが難しいことは承知しています。王国最深部にある央都が前触れもなく武力による攻撃を受ける。ありえない話でしょう。しかし陛下、ご自身がいまどちらにいらっしゃるかご存知ですか?」
国王は首を横に振った。
「まったく見覚えのない場所だ」
「ここは王国東エーテル海深部、王国最東部よりさらに東の下層世界となります。我々は数時間のうちに空を渡り、これだけの距離を移動できるのです。敵もまた同様。王国西エーテル海より飛来して、央都に爆発物を落とし、その日のうちに帰還することが可能なのです」
「それでは王国に安全な場所など無いではないか」
「まさしく。そのために陛下をここまでお連れしたのです。私の知る限り、もっとも安全な場所に」
「想像を絶する話だ」
「長旅でお疲れのところに忙しない話をして申し訳ありませんでした。部屋を用意してあります。案内は――」
「私が陛下をお部屋に案内いたします」
そう言ってカスパルが国王とそのお付きのメイドを連れて行く。それまで国王の後ろに控えていたアンネリーゼが空色の髪を揺らしルフトのところに駆け寄ってくる。
「ルフト様っ!」
「アンネリーゼ殿下、お久しぶりです。申し訳ありませんが、少しお待ち下さい」
ルフトは兵士たちに命じ、他の王族の人々をそれぞれの部屋に案内させる。後に残ったのはルフトとアンネリーゼとメイドが1人だ。
「お待たせいたしました。アンネリーゼ殿下。殿下の部屋には私が案内いたします」
「それより一体なにが起きているのですか? ルフト様は七塔都市にいらっしゃったのではないのですか?」
「歩きながらご説明いたします」
ルフトはアンネリーゼをエスコートして歩きだす。
「王国は目下、下層世界人の軍隊による攻撃に晒されていると思われます」
「下層世界人、ですか」
アンネリーゼは首を傾げる。知識として下層世界人のことは知っているようだが、いまいちピンと来ないようだ。上層世界の中心地である央都にいたのだから、それも仕方あるまい。
「勝てないのですか?」
それでも聡いアンネリーゼは状況が厳しいことを雰囲気から掴み取ったようだ。
「負けるつもりはありませんが、厳しい戦いになるでしょう」
「ルフト様の力を持ってしても?」
一体どこまで理解しているのか、アンネリーゼはそんなことを問うた。
「できる限りのことをしております。それでもなお厳しいと言わざるを得ないでしょう」
「央都はもう駄目なのでしょうか?」
「安全とは言いかねます」
「ルフト様、わがままを聞いていただけますか?」
「私にできることならば」
「家族を、私の家族、いいえ、これでは伝わりませんね。平民だった頃の私の家族を救ってはくれませんか?」
「それは……、いえ、できる限りのことはいたしましょう。お住まいは分かりますか?」
「……それが……」
アンネリーゼに瞳が絶望に染まる。深い蒼色の瞳が滲む。
「どう伝えればいいのか。私を央都に連れて行ってくだされば……」
「それはできかねます。あまりにも危険です」
「でも、それでは、どうすればっ」
ルフトの腕を掴むアンネリーゼの手にぎゅっと力がこもる。
「アンネリーゼ殿下、私は一人でも多くの市民を央都から逃がすつもりです。それでは足りませんか?」
「私が救って欲しいのは、私の家族なのです。他の誰でもなくっ!」
ルフトはすぐに返事をすることを避けた。アンネリーゼの家族を救うためには、当然ながらその家の位置を正確に知っておかなければならない。そのためにはアンネリーゼを央都に連れて行くしか無い。というわけでもない。手段はある。
「アンネリーゼ殿下、家族のために人生を賭けられますか?」
「私の命ならば賭けられます」
「いいえ、命を賭けるのは簡単です。そうではなく、これから続くアンネリーゼ殿下の長い人生をそのために賭けられますか?」
「賭けられます」
即答だった。覚悟ができているのか、それとも短慮なだけなのかはルフトには判断がつかない。そして彼女の強い意志を生み出す優しさは王族としては失格だとも思った。家族とは言え、平民だ。それくらいは切り捨てる覚悟こそが王族としては必要だ。だがルフトがそう思えるのは、彼が家族から切り捨てられたからかも知れない。守りたい家族など無いルフトだからこそ、家族を守りたいというアンネリーゼに共感できないだけかも知れない。
「行き先を変更します」
ルフトはアンネリーゼをガーゲルン統合基地の刻印機のある部屋へと連れて行った。そして刻印機の前にアンネリーゼを立たせる。
「その手のひらの印の上に右手を置いてください。上から機械が降りてきますが、そのままで。痛みなどはありません」
「アンネリーゼ様でなく私ではいけないのでしょうか?」
ここまでついてきたメイドが尋ねる。
「あなたは魔法紋を刻んでいますね。すでに魔法紋を刻んだ者には、新たに刻印を刻むことはできません。それにこれはアンネリーゼ殿下からご実家の場所を教えていただくのに必要なのです」
「大丈夫よ、ハンナ。私、やるわ」
そう言ってアンネリーゼは刻印機に手を置いた。ルフトがレギンレイヴに命じると、天井から伸びてきた機械がアンネリーゼの手を包み込んだ。ぷしゅんと音がして、機械は天井へと戻っていく。残されたアンネリーゼの手の甲には文様が刻まれていた。
「レギンレイヴが定着するまで時間がかかります。それまでお部屋でお休みください。こちらになります」
今度こそルフトはアンネリーゼを部屋に案内するために歩きだした。




