第七話 出撃準備
夜が明けてから貴族の士官が全員参加して行われた会議は紛糾したものの、最終的にはユルゲン中佐の警戒ライン攻撃案を支持するものが半数を超えた。
残念ながらこの場に民主主義は無く、多数決で物事を決めるという習慣もない。決定権は事実上ルフトにあったが、それでも士官たちの意見を無視できるというわけでもない。ルフトとしてはより攻撃的な作戦が好みではあったが、実効性という面から見ても、警戒ライン攻撃案が有用なのは間違いがなかった。
ルフトは警戒ライン攻撃案を承認する。ではこの作戦をより煮詰める、というだけの時間は残されていなかった。敵はこちらがヴェーベルン統合基地の活性化を知ったという前提で動いているだろう。
敵の動きが防衛に傾くのであればいいのだが、戦力差が予測される状況で攻勢に出られると不味い。ならば一刻も早く敵防衛ラインに対するハラスメント攻撃を始め、敵の注意を防衛に向けたほうが良い。
午前中に終わった会議の結論は、細かいことは出撃してから決めればいいので、物理的な準備ができたらとにかく出撃する、というものだった。
出撃規模は基礎訓練を修了している全部隊だ。幽霊艦隊後に補充された奴隷も含めて総員は1465名になった。防衛部隊が事実上いなくなるということについてカスパルがごねたが、ルフトが強権を発動してねじ込んだ。どちらにせよ、戦力差があるのであれば基地を知られ、防衛に回った時点で負けである。
総艦艇数632隻。ガーゲルン統合基地を含む3つの統合基地から掻き集められた、まさに総力だ。それに対し、航空機が圧倒的に少ない81機。これはパイロットの不足によるもので、機体数が足りないわけではない。
陸戦隊が70小隊、560名は小隊毎に大型艦に搭載された強襲揚陸艦に分乗する。彼らは警戒ライン攻撃では出番がないが、作戦が順調に推移し、いざ敵基地攻撃となった場合に必要となる人員だ。
それぞれの配置については訓練時の仮だったものが、正式なものに置き換わった。ではすぐに出撃できるのか、と言えばそうでもない。艦艇や、武装などの準備は常に万端であるが、長期出撃に耐えるための準備ができていない。つまりは食料の積み込みだ。
普通の軍隊であれば、食料の準備はそれ専用の部隊が行うだろう。だが幽霊部隊は普通ではない。ほぼ全人員が出撃するので、準備はそれぞれが行わなければならない。
とりあえず出撃期間としては最長3ヶ月と定められ、それを受けてルフトは4ヶ月分の食料を積み込むように指示した。一月は28日であるので、112日、王国人は朝夕二食の文化だが、幽霊部隊では管理者の指示により一日三食食べるので1人につき336食の用意が必要だ。
それに加え、ルフトは戦闘糧食を一月分、84食用意することに定めた。これは戦闘中にでも手軽に栄養補給できるもので、味はともかく栄養価は抜群で腹持ちも良い。管理者によると味があまりよろしくないのは、つまみ食いによっていざという時に在庫が足りないという事態を避けるためであるらしい。ルフト自身も試しに食べてみたことがあるが、なるほど非常事態でもなければ食べたくはならないようなものであった。
さて計420食ともなればかなりの分量である。少なくとも両手に持って一度に運べるような量ではない。それに加え、幽霊部隊の所有する艦艇のすべてがガーゲルン統合基地に駐機しているわけではない。他の統合基地の艦艇に搭乗する者については、現地の統合基地から食料を調達することになった。
基本的には各々が自分の食料の用意をすることになっていたが、もちろん例外も存在する。ルフトや、貴族士官たちだ。奴隷士官についてはそれぞれの裁量に任せられ、部下にやらせるものもいれば、自ら汗をかくものもいる。
ルフトは一日もあれば準備は整うだろうと考えていたが、その見通しは甘く、食料の積み込みは二日目に突入していた。
もちろんルフトたちはこの時間を無為に過ごしていたわけではなく、警戒ライン攻撃の計画を練っていた。
ユルゲン中佐の案は12機以上の戦闘機で警戒ラインに攻撃を仕掛けるというものだったが、81人しかパイロットがいない幽霊部隊にとって12機の出撃は重い。
しかし艦艇だけで攻撃を仕掛けても、速度と機動性に勝る戦闘機はあっさりと逃げていってしまうだろう。
かと言って少数の戦闘機を出しては敵に撃墜されるリスクが高まるだけだ。
侃々諤々の議論が行われた結果、なぜか警戒ラインへの攻撃には足の速い艦艇に加え、最低16機の戦闘機を出撃させることと、当初案より出撃数が増え、攻撃班は4組に分けられることに決まった。
「ルフト司令!」
一時休憩となった会議室でルフトに呼びかけたのはデボラ・ディンケルだった。彼女は松葉杖を使わずに歩いてくる。その足取りは軽くはなかったが、彼女が最近両足を失うほどの負傷を負ったとは思わせないものであった。
「この通り、歩けます。私を作戦に参加させてください!」
「駄目だ」
昨日の会議に参加した時はデボラはまだ松葉杖を使っていた。彼女は歩けるほどに回復しているのに、わざと松葉杖を使うような性格ではない。つまり今こうしているのは、かなり無茶をしているということだ。
「完璧な体調は求めない。だが必要最低限というものがある。デボラ中佐、君は松葉杖無しに歩けるかもしれない。だが白兵戦ができるのか?」
「銃なら撃てます!」
「ドレスを装着している者への銃撃の効果は限定的だ。艦内のような狭い空間では白兵戦になる可能性が高い。白兵戦という言葉の意味を説明する必要があるか?」
「お言葉ですが、司令、白兵戦になるような状況であるのなら、幽霊部隊の艦艇はすでに敵に落ちたも同然です。陸戦隊が乗り込んでいない艦艇の乗組員は1人、ないし2人なのですから、敵の陸戦隊が乗り込んできた時点で勝ち目はありません。司令、私はなにも戦艦に乗せて欲しいと言っているわけではありません。もっと重要度の低い砲艦、ないしレーザー艦の予備乗組員でいいのです。どうか私を戦場に!」
デボラの言は正しい。幽霊部隊の艦艇が敵の強襲揚陸艦によって乗り込まれた場合、指揮所を死守するのは難しい。デボラの言ったように、幽霊部隊の艦艇には乗組員が1人か2人しか乗り込んでいないからだ。
敵の戦力が豊富であると仮定し、強襲揚陸艦に最大限の人員が乗り込んでいたとしたら、敵の陸戦隊の数は1強襲揚陸艦につき300名前後となる。よって敵に乗り込まれた場合は艦ごと停滞状態にして最悪の事態、つまり艦を敵に確保されるという事態だけは避けるように指示している。
つまり白兵戦うんぬんというのはデボラを諦めさせるための言い訳に過ぎないのだ。
「中佐、重要度の低い艦艇など無い。すべての艦艇が重要で、それゆえに私は乗組員に最低限の体調を求める。そして君はそれを満たしていない。いいか、これは命令だ。リハビリに専念するんだ。それができないというのなら除隊も視野に入れる」
「そんなっ!」
デボラは悲壮な表情で一歩よろめく。たったそれだけのことでデボラはバランスを崩し、その体をルフトが支えた。
「デボラ中佐、これが現実だ。認めるんだ。君の気力は買うが、それは発揮されるべき時まで取っておくといい。それにこの基地を守る人員も必要だ。君まで居なくなったら、誰がマルコ少佐を守るんだ?」
「ッ……」
ルフトとしてはあまり情に訴えかけるようなことは言いたくなかった。なぜならデボラ中佐が戦いの場に出たがっている理由こそ情によるものであり、下手にそこを突付けば、彼女をより頑なにさせてしまうかもしれないからだ。
だから先に除隊もありうると釘を差した。彼女がもっとも恐れていることは実家に帰されることだ。貴族の娘で適齢期の彼女に求められることは適切な家への嫁入りだ。元奴隷を愛している彼女にしてみれば耐えられることではないだろう。
最悪の選択肢を突きつけて、少しマシな選択肢を選ばせる。それは汚い大人のやり口で、しかしそれをしなければならない自分にルフトは反吐が出そうだった。
「総員出撃すれば、ガーゲルン統合基地では君が最先任だ。君が責任者になるんだ。君がいるから安心して出撃できると私に思わせてくれないか?」
フリーデリヒも出撃はしないが、彼女は観測基地にいる。ガーゲルン統合基地の管理者はデボラを最先任士官と判断するだろう。ルフトの死亡が確認されない限り、彼女がガーゲルン統合基地の司令官と認定されることはないが、万が一の事態を考えると貴族士官を1人ガーゲルン統合基地に残しておく必要はある。
肉体的に不適格だからガーゲルン統合基地に残す。その側面も確かにあるが、幽霊部隊の運用として必要だからガーゲルン統合基地に残すという側面も確かにあるのだ。
「……少し考え……、いえ、拝命します」
命令はすでに下されている。デボラが拒否すればそれは命令違反だ。この程度のことで営倉にぶち込んだりはしないが、今後重要な作戦に関わらせるのが難しくなる。そのことにデボラも気付いたのか、わずかな躊躇を振り切ってルフトに敬礼した。




