第四話 はるか西の空で
王国西エーテル海上、高度3万フィート。
青色迷彩のセリア防衛軍偵察機が薄雲の上を飛んでいる。
薄曇りの空は偵察機の機影を隠してくれるが、甲高いエーテルエンジン音までは誤魔化せない。ステルス機であるため、レーダーによる発見は逃れられるが、人の耳から隠れることはできない。
そのことを知っていたのでミハエルは今すぐ引き返すか否かで迷った。
レーダーが進行方向にあるヴェーベルン統合基地に活動的な反応を見つけたのだ。ささやかな反応であり、誤認の可能性もあるが、引き返して報告するだけの価値がある情報だ。なにせ広大な王国西エーテル海で初めての反応である。引き返して報告する。それもひとつの手ではある。
しかし今のところ発見されたような気配はない。ルフト司令はより詳細な情報を欲しがるだろう。ミハエルには功を焦るような気持ちはない。ただ幽霊部隊のために、より役に立ちたいという気持ちはある。
奴隷の両親の下に生まれたミハエルは生来の奴隷だった。一生を貴族の所有物として生きるのだと思っていた。しかし今、ミハエルの首に奴隷の証である首輪は無い。パイロットとして働くミハエルに幽霊部隊は気前よく給料を支払い、彼は自分で自分を買い戻したのだ。今のところ幽霊部隊を辞めることは認められていないものの、だからこそ金は貯まっている。いずれ幽霊部隊を去ることになったとしても、自分の生活を始められるくらいには。
だからミハエルは幽霊部隊に感謝していた。突然買い取られ、戦場に連れて行かれたときは恨みもしたが、結果的に生き残り、自由さえ手に入った今となっては些細な事だ。
その幽霊部隊に脅威が迫っている。先だっての戦闘では死者も出た。わずか千人少々の幽霊部隊では全員が顔見知りだ。特に幽霊艦隊の生き残りたちは仲間意識が強い。そんな知り合いが何人も殺された。
復讐は幽霊部隊の総意だ。掴みどころのない敵セリア防衛軍を丸裸にしてぶん殴る。そのための目がミハエルたち偵察部隊だ。
引き返してもいいが、できれば映像も欲しい。せめて基地をカメラに収めておきたい。
ミハエルは高度と速度を維持したまま、ヴェーベルン統合基地に機首を向ける。
(偵察ドローンの使用を提案します)
レギンレイヴの提案をミハエルは却下する。偵察ドローンを飛ばせば、より安全にヴェーベルン統合基地の偵察ができるだろう。だが偵察ドローンは情報を電波で送信する。それはつまり確実に敵に発見されるということだ。
最良の偵察とは偵察の事実すら敵に知られずに、敵の情報を丸裸にすることであるとミハエルは思っている。だから偵察ドローンは使えない。レギンレイヴはその性質上、宿主の保全を最優先にする傾向があるので、こういう提案が出るのは仕方のないことだ。
(ヴェーベルン統合基地が地平線から現れます)
現れるとは言ったが、高度3万フィートから地平線までは1000キロを超える。ドレスのヘルメットが映像を拡大してヴェーベルン統合基地を映し出した。
「――!」
目に入ったのは、停滞状態を解かれたヴェーベルン統合基地と、ずらりと並んだ艦艇だった。数十ではない。数百が集まっている。ガーゲルン統合基地の現在の様子にそっくりだ。
(敵基地で間違いありません。後退を)
今度ばかりはミハエルも同意だった。反転し、帰投しようとしたところで、警告音が鳴り響く。
(レーダー照射です!)
「出元は!?」
(直近、下方です!)
偵察機のレーダーが敵機を捕捉する。4機。彼我の距離は50キロ。あまりにも近い。こんなに接近されるまで気付かないということはありえない。それが起こりうるとすれば……。
「あらかじめこの辺りで待ち伏せされていた!?」
いかに偵察機の優秀なレーダーであろうと、停滞状態にある装置までは発見できない。敵機は停滞状態になって、上空に愚かな獲物がやってくるのを待ち構えていたということだ。
「レギンレイヴ、状況評価を偵察ポッドに書き込め」
(やっています!)
ミハエルは偵察機を南東に向ける。ガーゲルン統合基地に真っ直ぐ帰投するわけにはいかなくなった。敵機を案内することになってしまうからだ。
(敵機から飛翔体が分離。高速で接近してきます!)
「長距離ミサイルか! 妨害装置を起動! 撹乱するんだ」
(始めます)
「敵種は?」
(77式です)
ミハエルは舌打ちする。速力、火力ともに77式のほうが上だ。少なくとも正面から当たっては勝ち目はない。
(偵察ドローンへの状況評価の書き込み、終わりました)
「1-3-5に向けて発射しろ。航続距離を最優先」
(発射します)
偵察機から偵察ドローンが撃ち出される。ドローンとは言うが、その構造は巡航ミサイルとほとんど変わらない。上空でも3000キロの射程を持ち、真っ直ぐ打ち出せばガーゲルン統合基地近郊にも届く。しかしそんなことをすれば敵にガーゲルン統合基地の方角を教えるようなものだ。今は見当違いの方向に撃って、味方が通信を拾うことに賭けるしかない。
(彼我の速度差からすると30分後には追いつかれます)
「勝ち目はないな」
(接近される前に機体を捨てることを提案します)
「脱出しろ、と?」
(生存こそが最大の任務です)
「違う。捕虜になるわけにはいかない」
ミハエルにとってもっとも忌避するのは自分のせいでガーゲルン統合基地の位置が敵に割れることだ。地上に降りれば捕虜になる確率が上がり、ひいては脳を覗かれる可能性も上がる。
「機体が撃墜される前にドレスの頭部を爆破しろ」
(推奨されない命令です)
「命令だ」
(爆破プログラムを待機します)
「それでいい」
ミハエルはシートに後頭部を押し付ける。30分後に自分は死ぬ。なにかやり残したことはないか?
そう思った瞬間に視界が閃光に包まれ、激しく揺さぶられる。
(敵長距離ミサイル、光学デコイに命中。爆発しました)
「損傷は?」
(翼に損傷がありますが、飛行に支障はありません。しかし戦闘機動を取れば、自壊する恐れがあります。再度、脱出を提案します)
「却下だ」
ミハエルは操縦桿を引いて、進路を南に変える。損傷を受けてなりふり構わず基地に戻っているように見えればいい。
「ガーゲルン統合基地の情報を敵に与えるわけにはいかない」
脳裏に浮かぶのは戦友たちの顔だ。何のために命を張っているのかと問われれば、彼らのためだ。国のためでも、正義のためでもない。状況によっては彼らはミハエルのために命を賭けるだろう。同じようにミハエルも彼らのために命を捨てる覚悟がある。
だがその一方で、命をすぐさま捨てるような愚か者でもない。残り30分を切った時間で精一杯のことはやる。生き延びる時間を一秒でも延ばす。正直、助けが来るとは思っていないが、絶対ではない。すぐそこまで味方の77式がやってきているかもしれないのだ。
ミハエルは偵察機の高度をさらに上げる。この偵察機が戦闘機として77式に唯一勝っている部分は巡航高度にある。しかしそれでも77式なら瞬間的には超えてくるだろう。安全地帯はどこにもない。
できることを精一杯探したが、なにも見つからなかった。敵に追いつかれるまで全力で逃げ続けるしかない。
「付き合わせて悪いな、相棒」
(いいえ、私はあなたです。相棒)
奇跡は起きなかった。




