第三話 玉砕
次の瞬間、マルコは敵艦隊の後方にいた。
てっきり意識が途絶える瞬間を知覚できるものと思っていたが、そんなことはまるでない。仮想レーザーの集中攻撃を受けたと思ったら、敵艦隊後方に瞬間移動していたという感じだ。
マルコが使ったのは魔法でもなんでもない。もちろん瞬間移動したわけでもない。マルコの戦艦は敵艦隊のど真ん中を悠々と突っ切って、この後方まで移動してきたのだ。ただし停滞状態になって。
停滞状態というものをマルコは完全に理解しているわけではない。ただ停滞状態に置かれた物体はありとあらゆる変化を受け付けないということは理解している。時間経過による劣化はおろか、物理的攻撃を受けても傷一つつかない。セリア防衛軍の施設や装備が長い時を経て現在も稼働させることができる理由は、停滞状態で保存されていたからだ。
だから停滞状態に入りさえすれば、敵からどんな集中攻撃を受けても傷つくことはない。ただしこちらから攻撃することもできないし、それどころか何が起きていても知覚することすらできない。停滞状態に置かれている間は時間が止まっているのと同じなのだ。
停滞状態が解かれる条件は3つ。星喰が現れるか、外部から直接魔力によって停滞状態を解かれるか、あらかじめ設定しておいた時間が経過するか、だ。もちろんマルコは3番目の方法を使った。停滞状態に入ってから敵艦隊がマルコの戦艦を追い抜いて行ってしまうまでの時間を予測して設定しておいたのだ。
もちろん停滞状態が解かれた瞬間、待ち構えていた敵艦の集中攻撃を受ける可能性も考慮していた。実際、敵艦隊の間をすり抜けている間は多くの艦がこの戦艦に砲を向けていたことだろう。敵艦隊のど真ん中で停滞状態を解いてひと暴れするというのは、非常に魅力的な玉砕方法だ。だがマルコはそれよりも現実的な手段を取った。敵も艦隊を通り抜けて行った戦艦にまで戦力を分散して残す判断はしなかったようだ。いつ停滞状態を抜けるか分からない傷ついた戦艦よりももっと魅力的な目標が目の前に多数転がっているのだから。
「テオ、目標は一番偉そうにしてる艦だ」
推進装置に損害を受けている2隻では敵艦隊に追いつけない。敵艦隊の一部でも反転して引き返してくるのであれば儲けものだが、実際には無視されて置いていかれるだろう。だからそれまでの間にできるだけ大きな損害を敵に与える必要がある。
敵艦隊の中でもっとも厚い防御陣に陣取る戦艦に向けて2隻は残っている火力の全てを集中した。効果的ではないと知りつつミサイルを全弾発射し、仮想レーザー砲を放ち、ほぼ水平射撃で投射砲を撃つ。
いかに回避運動を行っているとは言え、水平射撃になるほどの至近距離、戦艦の鈍重な機動では投射砲の仮想砲弾を回避しきれない。先に到達した仮想レーザーが戦艦のシールドを引剥がし、そこに仮想砲弾が炸裂した。一方、敵艦隊からも仮想ミサイルが発射される。
戦艦の速度が緩んだように見えた。
推進装置に損害を与えたと確信したマルコに欲が生まれた。
「ミサイルは無視しろ。徹甲弾に切り替え、バイタルを狙え!」
敵の艦隊司令部があの艦にあるとして、それを撃沈判定できれば、敵艦隊は司令部を失う。少なくとも命令系統に混乱を生じさせることはできるはずだ。こちらは敵艦隊を撃滅する必要などどこにもない。丁重にお帰り願えればそれに越したことはないのだ。
敵の駆逐艦2隻が戦艦との間に割り込むように進路を変えた。身を挺して戦艦を守るつもりらしい。だが仮想徹甲弾のほうが早い。駆逐艦の鼻先を掠めるようにして、仮想徹甲弾が戦艦に突き刺さる。それと同時にマルコたち2隻が進路を変えた駆逐艦の射角に入る。
先に発射された仮想ミサイルとほぼ同時に仮想レーザーがマルコたちに降り注ぐ。敵戦艦に火力を集中していたマルコたちに迎撃能力はほとんどない。無慈悲なまでの集中砲火を受け、シールドが残っていたはずのエルマーの艦が先に撃沈判定を受けた。装甲の厚いマルコの戦艦にしてもほとんど時間を置かずに撃沈判定を受ける。それと同時に操艦や通信がシャットダウンされ、マルコの戦艦は境界面を漂う金属の塊へと変貌した。それでも受動的な通信網が遮断されたわけではなく、戦況の変化は刻一刻とマルコの元に届けられる。
マルコたちが攻撃した戦艦は大きな損害を負い、艦隊運動についていけなくなったものの、撃沈判定にまでは及んでいなかった。しかしそれでも敵の命令系統になんらかの損害を与えたのか、敵艦隊は統率された動きを一時失った。バラバラになって逃げ惑う――ように見える――臨時大隊に追いすがるように隊列を崩して突進したのだ。
数の差は圧倒的だ。局地的にはその差はさらに広がった。臨時大隊の残存艦は突進してきた敵艦隊に蹴散らされ、次々と撃沈判定を食らっていく。しかしその一方で敵艦隊の誘引には成功した。バラバラになった臨時大隊を追撃した敵艦隊は基地レーザー砲の射程に入ることも厭わなかったのだ。
そこがこの作戦の肝であった。目の前に瓦解しそうな敵艦隊があって、それを叩かずにいられるだろうか? ここで基地レーザー砲の射程に入ることを拒んで転進すれば、今は崩壊しつつある敵艦隊に再編の時間を与えることになる。敵艦隊司令部としては悩ましいところだろう。多少の損害を受け入れて敵艦隊の撃滅を図るか、損害を嫌って一時転進するか。
マルコたちの攻撃が敵艦隊司令部にどれほどの損害を与えたのかは分からないが、少なくとも敵艦隊は臨時大隊への攻撃続行を選んだ。その結果、基地レーザー砲の射程に捉えられたのだ。
艦船に積まれたレーザー砲とは出力が桁違い――という設定――の基地レーザー砲が敵艦隊を薙ぎ払った。さらに指揮系統を失ったかのように見えた臨時大隊は突如として統制された動きを取り戻し一斉に反転する。そこに予備兵力として基地に残っていた一個中隊が境界面に浮遊した。
そこからは総力戦となった。臨時大隊は敵艦隊を半包囲した形にはなったものの物量の差は如何ともしがたく、頼みの綱の基地火力も敵の集中砲火を受けて次々と沈黙する。しかし敵艦隊にも少なくない損害を与え、敵艦の数は接敵当初と比べれば6割ほどまで落ち込んだ。
敵艦隊は速度を維持したまま臨時大隊の右翼に食らいつき、通過攻撃を仕掛けつつ、基地上空から離脱。臨時大隊には追撃するほどの戦力は残されていなかった。敵艦隊が惑星の曲面の向こう側に消えた頃になって、全艦艇に対して通信が開かれた。通信画面の向こう側ではルフト司令官が気難しい顔をしている。
「訓練は以上だ。全艦隊は基地管理者の誘導に従いガーゲルン統合基地に帰還せよ。その後デブリーフィングを行う。通信終わり」
消えた通信画面を見つめながら、マルコは頬を掻いた。ルフト司令官はどうやらご機嫌斜めだ。それはそうかもしれない。
攻撃側として見れば目標はほぼ達した。基地の防衛艦隊は継戦能力をほぼ失っており、基地火砲にも多大な損害を与えた。後は遠距離から投射砲を放って基地火砲を全て沈黙させてから悠々と基地を占拠できる。だがその損害は少なくない。艦艇数だけで言えば基地防衛側の倍を用意しながら4割の損失は司令官としては受け入れがたいだろう。
また防衛側は奮戦したとは言え、事実上敗北したことに違いはない。艦隊は壊滅状態で、基地火砲も大半が撃破された。
つまり幽霊部隊は敵基地攻撃には敵の倍以上の艦艇を、味方基地防衛には敵と同等以上の艦艇を用意していなければならないことになる。しかしながら幽霊部隊はまだ敵の尻尾すら掴めていないのだ。またその一方で幽霊部隊の戦力が増強されるという話は聞かない。
艦船の数にはまだ余裕がある。ガーゲルン統合基地にはすでに許容量を越えた艦船が集まっており、周辺の別基地にも稼働可能な艦船を確認している。問題はそれに乗り込む人員の不足だ。いや、不足しているのかどうかすら分からないことが問題だ。
幽霊部隊の増強には予算の問題と同時に、その戦力が大きすぎるという問題が付いて回る。現状でも王国の全兵力を相手に損害を出さずに勝利できるほどの戦力がある。王国と帝国の二正面作戦だって悠々とこなすだろう。いや、そもそもセリア防衛軍以外の戦力がどれほど束になったところで幽霊部隊に敵うはずもない。そんな部隊をさらに増強させることを良しとするのは、王国の貴族たちとしては中々に難しいところだろう。少なくとも敵の規模を知らなければ、こちらの戦力を調整できない。
板挟みになっている立場のルフト司令官としては頭の痛いところだろう。
そんなマルコの予想を裏付けるように、デブリーフィングは沈鬱な雰囲気で行われた。幽霊部隊の総員を詰め込めるような部屋が無かったので、デブリーフィングは野外で行われたが、抜けるような青空がかえって報告を重いものにした。
そこで明かされた驚きの事実は攻撃側の指揮をかのデボラ少尉――現在は中佐――が執っていたことだ。てっきり攻撃側の指揮はルフト司令官が執っているものとばかり思っていたので、マルコは相当に驚いた。
ただしそのことを除けば攻撃側の想定環境はマルコの予想とほぼ変わりは無かった。敵基地の捜索占拠、あるいは撃滅の司令を受けて、索敵進行中に敵統合基地を発見。十分な距離を置いて砲撃戦の開始。出撃してきた敵艦隊を引きつけての艦隊戦。後退する防衛側艦隊を追いかけたのは予備戦力との合流を嫌ってのことだった。防衛側にしてみれば一個中隊を残しただけのことだったが、攻撃側にしてみれば防衛側がどれほどの予備戦力をどこに配置しているか分からない。下手に合流されるより前に数の劣る眼前の艦隊を撃破したいと考えるのは当然のことだ。
そして話は防衛側艦隊がバラバラに逃走を開始した段階に入った。
「敵艦隊を追撃するか、基地上空に入らないように転進するか判断に迷いました」
デボラ中佐は正直にその時のことを述べる。
「転進を決断し、全艦隊にそのことを通達しようとした時に、私の乗艦は後方より敵艦の攻撃を受け、咄嗟に損害報告を受けることを優先してしまいました。続く攻撃が装甲を抜いて指揮所を直撃、艦自体は自動航行で継戦可能でしたが、私自身は死亡判定を受けました。私が指揮できたのはここまでです。もう少し早く転進の決断を、あるいは損害報告より通達を優先しなかったことが悔やまれます」
「停滞状態にあった敵艦に艦を張り付けておくという手もあったはずだが?」
「停滞艦がいつ停滞状態から復帰するかはまったくの不明です。もしも敵艦の艦長が自分の身を第一に案じるならば、戦闘終了が予想される時間まで停滞状態のままにしておくということも十分に考えられます。そんな艦のために味方戦力を割くことはできません」
「だが少なくとも停滞状態の艦が適切なタイミングで停滞状態を解いて攻撃を仕掛けてきた時に対処できるようにしておくべきだった」
「その点については弁解できません。敵艦の能力を完全に見誤っていました」
「よろしい、続いて指揮を引き継いだ――」
デボラ中佐は自分の立ち位置に戻る際に誰かを探すように視線を彷徨わせて、その目がマルコの目と合った。そして複雑な笑みを口元に浮かべて目を逸らす。それでマルコは彼女に死亡判定を食らわしたのが誰なのか、彼女がすでに知っていることを悟った。
「参ったね」
口の中で、誰にも聞こえないようにひとり呟く。もちろんあの戦艦に乗っていたのがデボラ中佐だと知らなかったし、知っていたところでマルコに手加減する選択肢など当然無い。そのことはデボラ中佐だって分かっているはずだ。だが感情はそう簡単に納得などしてくれないであろう。
どうにかフォローしておかないと。
デブリーフィングの続きを聞き流しながら、マルコはそのことばかり考えていた。




