第十四話 叙爵式の日
御前試合から10日が過ぎ、叙爵式は予定通りに行われることとなった。
10日もの期間が空いているのは、本選出場者に騎士の叙爵を受ける意思があるかどうかを確認するための期間なのだそうだ。騎士という身分を得ることは名誉であると同時に、王国への帰属を誓うということでもある。それが厄介なしがらみを運んでくることもあるのであろうことは、アンネリーゼには簡単に想像がついた。
さらに言うのであれば、御前試合から騎士の叙爵を受けた者には騎士団への参加が強く求められる。拒否することもできるが、そうするのであれば騎士への叙爵自体を断るべきであるという風潮はあった。
もちろんそう言った実情も説明されたのであろう。結局3名の辞退者を出し、もとより騎士であるダニエル・カペルなどを除いた26名の叙爵が行われることとなった。
さて叙爵式であるが、アンネリーゼには出席の義務はない。というよりは実のところ、呼ばれていないというのが正しい。本選出場者の貴族たちへのお披露目会だった当日の夜会とは違い、叙爵式は正式な国の行事だ。これまでアンネリーゼが叙爵式に呼ばれたことは一度もなかった。
しかしそれが出てはいけないということでもないだろう。
アンネリーゼは国王へ出席の許可を求め、そしてそれは快く受け入れられた。国王の方でもアンネリーゼがそうやって行事への参加に意欲を見せることを喜んでいるようだった。
国王の思いとは別に、アンネリーゼは単にルフトの晴れ舞台を見ておきたかっただけなので、その心にちらりと罪悪感が芽生えたが、今後も国の行事には積極的に参加しようという気持ちでそれを塗りつぶした。
そんな経緯があって今、アンネリーゼは叙爵式に参加している。
式は退屈なものだ。
騎士に任命される者が玉座の前に歩み出て、国王へとその剣を預ける。剣を受け取った国王はその者の方に剣の刃を置き、長々と言葉を述べる。それが終わると国王は刃を叙任される者の眼前に向け、受ける者がその刃に口付けする。
それで1人の騎士が王国に誕生する。
騎士は国王から剣を受け取り、後ろに下がる。
一度ならまだしもそれが一言一句違わず27回繰り返されるのだ。アンネリーゼ自身が何かの役割を担っているならまだしも、お人形よろしくじっと座っているだけというのは苦痛だった。
アンネリーゼの救いとなったのは、自分の順番を待っているルフトが彼女と同じようにじっとしていることだった。彼が叙爵される時が待ち構えているのだからと考えると、それまでの退屈も楽しいものに思えた。それに彼から見える場所に座っているのに、行儀悪くもぞもぞと動くわけにもいかない。お人形ならお人形らしくせいぜい可愛く見えるよう微笑みをたたえていよう。
そんなアンネリーゼの努力は実り、ついにルフトの番が訪れる。立ち並ぶ偉丈夫たちと比べればどこか頼りない体格のルフトだったが、アンネリーゼの目には輝いて見えた。その立ち居振る舞いは洗練されていて、彼が平民であったなどとても考えられない。
国王の前に歩み出たルフトは片膝をついて腰に提げた短杖を恭しく差し出す。国王はそれを受け取って、ルフトに向けると誓いの言葉を口にした。
差し出された杖をルフトが受け取る。受け取ること自体が貴族として国のために、民のために尽くす誓いだ。
今ここにルフトは王国の貴族として、準男爵の爵位を得たのだ。
そして叙爵式は滞りなく終わった。
ルフトは準男爵となったとは言え、まだ成人にすら達していない。しばらくはフェラー伯爵の領地でもある七塔都市に戻り、教育を受けることになるのだろう。そうなればしばらくはその顔を見ることもできない。アンネリーゼが叙爵式に参加したかったのはそういう理由もある。
しかしそんなアンネリーゼの予想は早速覆されることになった。
叙爵式でのことを反芻する間もなく、昼頃にはフェラー伯爵からアンネリーゼへ面会の申し出があったのだ。もちろん了承の意を伝え、昼過ぎにアンネリーゼが応接室を訪れると、そこにはフェラー伯爵と、フェラー准男爵――つまりルフトがいた。
2人は立ち上がりアンネリーゼに会釈する。
「この度は急な申し出にご配慮いただきありがとうございます」
「構いません。どうぞお座りください」
とは言え、アンネリーゼが座らないことには2人が腰を落ち着けられるわけもない。アンネリーゼが2人の向かいに座ると、2人も席に腰を降ろした。
「この度はルフト様の准男爵への叙爵、おめでとうございます」
「ありがとうございます。本戦へ出場できればと思い送り出したのですが、私も驚かされました。試合に間に合えば良かったのですが、残念ながら馬車が遅れてしまいまして」
「まあ、それは残念です。ルフト様の戦いは詳しくない私でも見惚れるほどのものでしたのに」
軽い社交辞令の応酬があって、フェラー伯爵が少なくとも礼儀をわきまえている人物であることがアンネリーゼにも分かる。アンネリーゼを相手に平民の血を引く者と侮蔑を表に出すようなことはしない。もっとも平民だったルフトを養子にした人物だ。そのような偏見自体を持たない稀有な人物なのかもしれない。
「そう言えばアンネリーゼ様はマリア様と親しかったとか」
「マリアお姉さまには良くしていただきました。と言ってもそう何度もお会いしたわけではないですけれど」
帝国に嫁いでいったマリア元王女は他の兄弟とは違い、アンネリーゼのことを下に見るようなことはしなかった。しかしマリア元王女はあまり王城に居つくことをしない姉でもあった。年中各地を渡り歩き、時折戻ってきては土産話をアンネリーゼに持ってくる。自然、他の兄弟と比べれば仲良くなったが、特別親しくしていたというわけでもない。
「実はこのルフトはマリア様の侍従をしていたことがありまして、その縁で私と知り合ったのです」
「まあ、そうなんですか」
どうして平民だったルフトがフェラー伯爵に見出されたのだろうとは思っていたが、そんな経緯があるとは素直に驚きだった。そして一方でマリアがどうやってルフトと知り合ったのだろうかという疑問が浮かんだ。
「ルフト様はどこでマリアお姉さまと?」
「実は――」
それまで沈黙を保っていたルフトが始めて口を開いた。
「お恥ずかしい話なのですが、路頭に迷っていたところをマリア様に拾われたのです」
「まあ……」
ただの平民の子どころか、浮浪児だったというのか。この、今や王国の准男爵となった、御前試合の優勝者が、路頭に迷っていた子どもだった、と。
信じられない思いでアンネリーゼはルフトを見つめた。
それは血のつながりで突然王女という身分に押し上げられた自分と比べたら、遥かに辛い道のりであっただろう。
「そういうわけでルフトはマリア様に大恩のある身でして、できればその意志を継ぎたいと常日頃から申しております。それはマリア様と親しくさせていただいていた私も同じ思いです」
「それは当然のことでしょう。しかしマリアお姉さまの意志、ですか」
アンネリーゼにとってマリアは各地の話を面白おかしく話してくれる荒唐無稽な姉でしかなかった。彼女から意志だとか、目的だとかいう話を聞いたことはない。
「平和です」
「はい?」
「マリア様は常に平和を望んでおりました」
「しかし今の王国は平和なのでは?」
クラッセン女史から王国がかつて帝国と戦争をしていたことは聞いている。しかしそれもアンネリーゼが物心付いた頃には終わった話だった。せいぜい母から偽りの話として父が戦争で死んだと聞かされていた程度の認識だ。
「薄氷の上の平和とでも言いましょうか。その氷の下では戦争を望む者たちが氷の割れる日を待ち望み、いいえ、自ら打ち砕こうとすらしているのが現状です。マリア様はそのことを憂慮されておりました」
アンネリーゼが確認のためにルフトに視線を向けると、彼は頷いてそれに応えた。
「しかしお父様、国王陛下は戦争を終らせるために尽力したと聞いています。その国王陛下が戦争へ舵を切るでしょうか?」
「国王陛下がご在位の内は大丈夫でしょう。しかし陛下もすでに50台。10年後、20年後はどうなるでしょうか。国王陛下がご退位を決められたとき、王国貴族たちがこぞって戦争を望めば、それを容認する者が次の国王に選ばれてしまいます」
「あまり考えたくない未来予想図ですね。しかしなぜその話を私に?」
「そのご様子ですと、貴族たちの動向についてはあまり存じ上げていらっしゃらないのですね」
「不見識ということであればお詫び申し上げましょう。ですが質問にお答え頂いていないのですが」
「いないのです」
「はい?」
「いないのですよ。現在、継承選挙の有力な被選挙人で戦争を望まない者が誰ひとりとしていないのです」
「そんなまさか……」
アンネリーゼは声を荒らげないように自制するので精一杯だった。
それはつまり国王が代替わりする時にこの国は戦争に突き進んでいくということだ。
「平和を望む貴族だっているでしょうに」
「はい。しかしそれらの貴族らはマリア様に期待しておりました。マリア様が帝国に輿入れした今、平和を望む貴族たちは拠り所を失っております。……今日、お伺いしたのは他でもありません。アンネリーゼ様には我々、平和を望む貴族たちの希望になっていただきたいのです」
「それは、どういう……、どういうことですか?」
「穏健派の総意は取り付けました。アンネリーゼ様には次代の王になっていただきたいのです。平和を望む王として」
自分が王に?
そのような大それたことをアンネリーゼは考えたこともなかった。それどころか自分の未来についてじっくりと考えてみたことすらない。王城に連れてこられて以来、アンネリーゼはここでの生活に慣れることで精一杯で、それ以外のことを考える余裕などなかったのだ。
「そんな、急に言われても困ります」
「もちろんそうでしょう。私たちも急かすつもりはございません。しかし考えておいていただきたいのです。この国の平和を保つにはアンネリーゼ様、貴女が立つ他にないのです」
「少し、いいえ、しばらく考える時間をください。とても1人で答えられることでは――」
とは答えたものの、誰に相談すればいいのかすらアンネリーゼには分からない。父か、あるいはハンナか。それからもう1人、意見に偏りこそあるだろうが、どうしてもルフトに聞いておきたい。
しかしフェラー伯爵の目のあるところでルフトに聞いても、彼は義父の意見にそぐわないようなことは言わないだろう。
「どうかよくお考えください。思慮深いご決断を期待しております。それでは私どもはこれで」
「お待ち下さい。ルフト様と少し話がしたいのですが、彼を残していただけませんか?」
「もちろん、アンネリーゼ様のお心のままに」
そうしてフェラー伯爵は退出し、ルフトとアンネリーゼが残された。




