第十話 御前試合 前編
闘技場にはすでに32名の闘士が整列して王の到着を待っていた。
ダニエルやルフトもそのひとりだ。
王の到着は予定より遅れている。
ダニエルが見渡せば闘技場の観客席は立ち見が出るほどの満員だった。トーナメント表を思い出してダニエルは胃が痛くなる。第一戦はまあいい。腕利きの冒険者で、魔法が使えないのはすでに分かっている。油断できるような相手ではないが、まあ勝てるだろうと予選を見ていたダニエルは思っていた。それよりも問題は第二戦だ。順当に勝ち上がってくれば、まず勝ち上がってくるであろうが、相手はルフト・フェラーだ。
彼に勝てないことはダニエルは分かっている。それは仕方のない事だ。両者の間には圧倒的な実力差があり、ルフトが最初から全力で戦えばダニエルはそう長い間立っていることはできないであろう。
ダニエルは分かっている。それはいい。だが観客はどう見るだろうか。
まだ少年としか言いようのない子どもを相手に騎士団長が敗北する。いい笑いものだ。
「国王陛下の御成である!」
考え事をしていたダニエルの耳に拡声魔法で届けられた声が届き、ハッとして片膝をつき頭を垂れる。ざわついていた観客たちもしんと静かになった。
「よい、面をあげて楽にせよ」
顔を上げると貴賓席の中央に設けられた玉座の前に国王が立っていた。
「今日はよくぞ集ってくれた。この国を代表する勇士たちよ。存分にその武を振るうがいい。汝らの名声はこの国の端々まで轟くであろう。良い戦いを希望する。以上だ」
そう言って国王は玉座に腰を下ろす。短い挨拶にホッとした観客も多いだろう。32名の出場者は一度控室に戻り、トーナメント表の順に戦いを繰り広げることになる。
ダニエルの出番は初戦であった。
控室に用意された武器から長剣を選び、兜を被って準備完了だ。
実はこのトーナメント表の順番にも有利不利があり、先に出場するほうが体力や魔力の回復により時間が取れて有利になる。本戦では敗北した側しか治癒術士の恩恵を受けられないので、怪我の治療に当てる時間が増えるということもある。もちろん自分で治癒術が使える場合は使ってもよい。その分魔力を消耗するのだから当然だ。
ダニエルが初戦なのは騎士団長に対する配慮であろう。途中での敗北がほぼ確定しているとは言え、それなりの戦いを見せろという無言の圧力でもある。
ダニエルがそのことに胃を痛くしていると、後ろから肩をバンと叩かれた。
「イザークだ。お手柔らかに頼むぜ。騎士団長様」
「手加減はしないぞ」
「そりゃ俺っちもだ」
がははと笑いながらイザークという冒険者の男はダニエルに先んじて闘技場に向かっていく。その手には大剣、盾は持たない。予選のときとおなじスタイルだ。
ダニエルは息を落ち着けて、自分も闘技場の舞台へと向かった。
「第一回戦、第一試合は王国の騎士団長ダニエル・カペルと、冒険者イザーク。両者武器を合わせて試合開始とする!」
イザークが両手で大剣を構え、ダニエルがそこに長剣を合わせる形で試合が始まった。
イザークはいきなり前に突進し、大剣での突きを繰り出してくる。それをダニエルは盾で受け流しながら後ろに下がる。しかしイザークはダニエルに距離を取られまいと、どんどん前進しながら大剣を振り回して攻撃してくる。まさに攻撃こそ最大の防御と言わんばかりの勢いだ。
大剣での攻撃を盾で受けながらダニエルは隙を探る。しかし流石に本戦に出場してくるだけのことはあって、一見無闇矢鱈に剣を振り回しているようで隙が無い。大剣での攻撃も力任せではなく、鋭く、時には突きやフェイントを織り交ぜてくる。
「おらおら、騎士団長つってもこの程度か!」
そう言って繰り出された大剣の一撃を、盾を突き出すようにして受ける。鈍い音がして大剣が弾かれる。イザークが一瞬体勢を崩したのをダニエルは見逃さない。繰り出した長剣がイザークの足を打つ。だが浅い。刃があるならともかく、それを潰された長剣は単なる鈍器に過ぎない。骨を折るくらいの一撃ならともかく、今の一撃では痛みを与えるので精一杯だ。
だがそれでも形勢は逆転した。この隙にダニエルは氷の礫をひとつ生み出して、イザークの胴を打った。鎧に守られていない脇腹の部分だ。そして氷の礫は手元に戻す。さらに頭を狙って長剣を振り下ろすが、それは大剣によって阻まれる。しかしそれはすでに魔法を用意した魔法使い相手には悪手だ。氷の礫が正確に先程打った脇腹めがけて発射される。命中したそれを戻して、次は太ももを打つ。
イザークは一方的に魔法で打たれる競り合いを嫌って長剣を振り払ったが、痛みのためかその動きは大雑把で隙だらけだった。腕を狙って長剣を打ち込むと驚くほど簡単に攻撃は通り、イザークの左腕がだらりと垂れ下がった。骨を折った感触こそ無かったが、力が入らないらしい。
「うおぉぉぉぉぉ!」
右手一本でイザークは大剣を振り下ろしてきたが、その顎を目掛けて氷の礫を放つ。氷の礫はほぼ真下からイザークの顎を打ち抜いた。大剣を盾で受けると、そのままイザークの体は前のめりになって倒れる。
「勝負あり! 勝者、ダニエル・カペル!」
審判が裁定を下し、ダニエルは氷の礫の制御を止めた。国王に向けて一礼し、闘技場から控室に向かう。
救護室からは治癒術士と担架を持った係員が現れてイザークはすぐに救護室に運ばれていく。
控室に到着する寸前にルフトとその対戦相手とすれ違う。ダニエルの次の試合相手はこの2人のどちらかだ。予選を見ている限り、ほぼ間違いなくルフトが勝ち上がってくる。
試合を見ておきたい気持ちもあったが、今は失った魔力の回復が第一だ。正直なところ思っていたより魔力を消費してしまった。魔力の保有量の少ないダニエルにとっては次の試合までにどれだけ魔力を回復させられるかが肝だ。
ダニエルは控室の一角で、じっと瞑想に務めるのであった。
第一回戦の第二試合は順当にルフトが勝利を収めたようであった。
ということはダニエルの次の相手はルフトということだ。
その後も特にトラブルも無く御前試合は行程を消化していく。
そして第二回戦の開始が告げられた。
分かりきっていたことだが、先の試合で失った魔力は回復しきらなかった。ダニエルは入力系もそれほど大きくない。だがそれは言っても仕方のない事だ。手元にある手札で勝負を仕掛けるしかない。
武器を選ぶ時に少し迷ったが、結局は使い慣れた長剣を手にした。ルフトも細剣と短剣を選んだようだ。
「よろしくお願いします」
控室を出る際にルフトからそう声を掛けられた。
「こちらこそよろしく頼む」
手加減してくれと頼みたいところだったが、そんなこと口が裂けても言えるわけがない。ダニエルはルフトと並んで闘技場の舞台に上がる。そんな2人を歓声が出迎えた。
「第二回戦、第一試合は王国の騎士団長ダニエル・カペルと、フェラー伯爵が養子ルフト・フェラー。両者武器を合わせて試合開始とする!」
両者は向き合い、武器を合わせる寸前にダニエルは魔法を発動寸前まで用意した。別にルール違反ではない。試合開始の時まで魔法を発動させなければよいのだ。しかしダニエルの用意した魔法は、その前にかき消される。ルフトの魔力によって妨害されたのだ。
その可能性はあると思ってはいたが、それにしても個人領域が広い。普通の魔法使いであれば長杖の届く範囲が大体個人領域の範囲だと言われている。だがダニエルが魔法を用意した位置は自分の後方であって、ルフトからはかなり離れている。その魔法が妨害されたということは、剣先を合わせる距離でダニエルの後方までがルフトの個人領域に含まれていることを示している。
ダニエルが動揺を隠している内に、ルフトがダニエルの長剣に細剣を合わせ、試合が始まった。
まずは剣撃、剣だけで勝負を決められるならそれに越したことはない。試合が進むにつれ、試合と試合の間隔は短くなる。それだけ魔力の回復に充てられる時間が少なくなるということだ。
ルフトの剣は鋭く、速い。盾だけでは受けきれず、長剣さえも防御に回る。イザークのときのように攻撃に合わせて盾を突き出すことでバランスを崩させる余裕すらない。時折、防御を抜けてきた細剣が鎧を叩く。それが鎧の関節部を狙って外したものであることにダニエルは恐怖する。関節部にねじ込まれれば、刃を潰された剣といえど負傷することは間違いない。そうなれば全力を尽くす前に審判が裁定を下すかもしれない。
ダニエルはルフトの攻撃を受けながら、氷の礫を放たんと魔力を集中させる。すぐにルフトの魔力がそれを四散させる。かまわない。次、次、次、と間断なく氷の礫を放たんとダニエルは集中する。ルフトはそれを魔力で散らしながら、攻撃の手を止めることをしない。しかし手数は減った。魔法は発動させるより、それを四散させるほうが難しい。ダニエルが相手の魔法を四散させる技術をまだ得ていないことからも明らかだ。
ダニエルは氷の礫を生み出そうとしながら、反撃に転じた。ルフトが長剣の間合いの外に跳び去り、ダニエルの攻撃を空振りさせる。
ここならどうだ!
ダニエルは自分の背後、自分の個人領域内でルフトからもっとも距離のある、しかもルフトからはダニエル自身が壁となって見えない位置に氷の槍を2本出現させた。ルフトからの妨害はない。ルフトが再び攻撃に転じんと踏み込んでくる。その瞬間、ダニエルは横に移動し、氷の槍の射線を通した。
放つ!
ユーバシャール男爵の二番煎じにはなるが、一本を破砕させ無数の氷の礫にし、ルフトの行動を縛る。ルフトには盾の魔法で受けるしかない。しかし一方でダニエルはルフトの横に回り込んでいる。2方向からの同時攻撃。
ダニエルは全力で打ち込んだ。
しかしその攻撃も、氷の槍も、それぞれ別に展開された盾の魔法によって防がれる。分かっていた。ユーバシャール男爵の3方向からの攻撃にも対処してみせたルフトだ。これくらいはやって見せて当然だ。だが同時にこれがダニエルにできることの限界でもあった。
ルフトの足元から土の槍を放たんと魔力を飛ばすが、四散される。盾の魔法に盾をぶつけて、押し込もうとするがびくともしない。
剣術で負け、近接魔法戦闘でも敗北した。しかもルフトはまだ体術を見せていない。だが降参にはまだ早い。
ダニエルは氷の礫の魔法を乱打しながら後方に下がった。それらの魔法はすべてルフトに発動を妨害されるが、距離は取れた。ルフトの個人領域の外側だ。
出し惜しみは無しだ。
ダニエルは先程使った氷の槍の二回りほど大きな氷の槍を生み出して放った。出力系の大きさ、これだけがダニエルの取り柄であると言える。瞬間的な火力であればアーベル・ディーゼルに迫るほどなのだ。
ルフトは盾の魔法で受けることを止め、氷の槍を回避する。その回避先に向けてさらに1本。これも回避。ならばさらに1本!
3本目の氷の槍はルフトに命中する寸前で盾の魔法に防がれて明後日の方向に飛んで行く。斜めに受け流したのだ。
構うものか!
ダニエルは氷の槍を連射する。それをルフトは踊るように時には回避し、回避しきれない時は盾の魔法で受け流す。
中距離魔法戦闘に入って観客のほとんどはダニエルが一方的に攻撃しているように見えたことだろう。だが現実は後先考えずに魔力を消費しているダニエルと、最小限の魔力でそれを凌ぎきっているルフトという構図だ。しかしダニエルが必要としたのは観客への印象だった。
少なくともこの形を見せることができれば、騎士団長が一方的に少年に敗北したようには見られることもないだろうという打算だ。
そしてダニエルの魔力で生み出せる最後の氷の槍がルフトに向けて発射され、ルフトはそれを回避した。回避しきられてしまった。
氷の槍の追撃が無いことを確認すると、ルフトは滑るようにダニエルに距離を詰めてきた。ダニエルがそれを嫌って長剣を振るうと、ルフトは細剣でそれを受け流し、ゼロ距離まで詰め寄ってくる。短剣が煌めき、鎧の腹部の下側に差し込まれる。鈍い痛みが腹部に走り、うめき声が漏れた。
盾でルフトを弾き飛ばそうとするが、ルフトは右手を使い盾自体を受け流した。そしてがら空きになった体の鎧と兜の間に細剣をねじ込む。首筋に冷たい金属の感触がした。
「そこまで! 勝者、ルフト・フェラー!」
審判の声が拡声魔法によって響き渡り、ダニエルの御前試合はここで幕を下ろしたのだった。




