第五話 ルーデンドルフ侯の交渉
春が訪れ、花の咲き乱れるルーデンドルフ侯爵の邸宅はここしばらくの間、緊張に包まれていた。というのも主人であるルーデンドルフ侯爵の機嫌がすこぶる悪いのだ。
使用人の間では色々な憶測が乱れ飛んでいたが、ネラはマリア王女が無事帝国に輿入れしたためだと思っていた。
ルーデンドルフ侯がマリア王女を保護の名目の元に監禁していたことは、その身の回りの世話を任されていたネラが一番よく知るところである。思うに、ルーデンドルフ侯はマリア王女の身柄を使って何かを企んでいたが、それがうまくいかなかったのだろう。
ネラの推測は正鵠を射ていたが、彼女は賢明にもそれを誰にも話さずに他の使用人の噂に乗っかって、話をぼかすに留めていた。噂の発信者になって人目を引くことは彼女の望むところではなかったからである。
そして根も葉もない噂ばかりが流れているある日、ネラはルーデンドルフ侯から直接の呼び出しを受けた。間諜としてルーデンドルフ侯の情報を外に流しているネラからすれば肝の冷える話であったが、何の事はないネラと同室の獣人奴隷のヘルカが風邪を引いて、普段彼女がこなしている仕事を代わりにして欲しいというだけのことであった。
「それで私は何をすればよろしいのでしょうか?」
「通訳だ。獣人の言葉を忘れてはいないな?」
「はい。しかし田舎者ですのであまり格式張った話し方はできませんがよろしいのでしょうか?」
「構わん。相手は獣人だ。ただの取引相手に過ぎん」
「はい。承知いたしました」
答えながらネラは疑問に思った。こんな上層世界の内陸部に下層世界の住人が商売のためにやってくるなど聞いたことが無い。しかもルーデンドルフ侯が獣人と蔑む相手と直接会って話をするというのか。
ネラはそのことを吟味しようとしたが、その時間を与えずにルーデンドルフ侯は立ち上がり部屋の扉に向かった。ネラは慌ててルーデンドルフ侯のために扉を開ける。
邸宅内を歩き、応接室の前でルーデンドルフ侯は足を止めた。ネラが扉を開けると、ルーデンドルフ侯は中に入っていく。それを追いかけるようにネラも応接室に入り扉を閉じる。
部屋の中には先客が居た。ルーデンドルフ侯が入室してきたのを見てゆっくりと立ち上がる。フードの付いたローブを纏い、今はそのフードを外して狼の耳がはっきりと見えている。壮年の男性だ。
『おや、いつもの通訳さんではないのだな。初めまして、私はダーヴィドという』
『初めまして、ネラです。ヘルカは少し体調を崩しているので私が代わりに来ました』
『それはそれは、お大事にと伝えておいてください』
『ありがとうございます。必ず伝えます』
「おい、何を話している! 通訳せんか!」
自分の存在を無視して2人が話しているのが気に食わなかったのか、ルーデンドルフ侯が怒気のはらんだ声で言う。
「申し訳ありません。お互いの自己紹介などをしておりました」
「ふん、まあいい。獣人に挨拶など求めてはおらぬ。ここからはちゃんと訳せよ。ダーヴィド、此度の失態、どう責任を取るのだ?」
ネラの通訳を介して2人の会話が始まった。
『責任と申されても困ります。こちらは十分な戦力を用意しました。うまく事が運ばなかったのは侯爵殿の運用がよろしくなかったのでは?』
「なんだと! 貴様! 古代兵器のひとつもあればどんな艦隊も相手にならないと請け負ったのは貴様の方ではないか! それを2つも購入したのだぞ!」
『私は運用もお任せくださいとお話したはずです。それを断られてご自分の私兵に運用させたのは侯爵殿です』
「ふん。獣人の部隊など信用できるものか。この金の亡者め。まさかとは思うが、穏健派にも通じているのではあるまいな?」
『まさか! 私が取引しているのは誓って侯爵殿以外にはおりませんよ』
「ならばなぜ敵にも古代兵器が用意されていたのだ!?」
『それこそ私の預かり知るところではありません。しかし状況から見て、穏健派にも私のような古代兵器を扱える者が味方についたのではありませんか?』
「そうやって自分たちの値を釣り上げようとしているのだろう?」
『ご信用いただけないのなら私は手を引いてもいいのですよ』
「なんだと!」
もちろん実際の会話はこのようにスムーズに進んでいるわけではない。どちらが喋った後にもネラが通訳する必要があり、双方の言語はまったく同等の意味で組み上がっているわけでもない。通訳の専門の教育を受けているわけでもないネラにとっては苦痛とも言える時間が続いた。
『とは言え、状況は私にとっても不穏です。敵、と言っていいのかすらまだよく分かりませんが、古代兵器を扱える何者かが現れた。これは十分な脅威です。今のところ情報を集めている段階ですが成果は芳しくありません』
「ふん! 儂の邪魔をしたのだ。敵に決まっておる」
『私としてはあまり敵対したくないのですがね。おっとこれは通訳しないでいただきたい。とは言え、古代兵器と敵対するならば古代兵器を使う以外にないでしょう。古代兵器の恐ろしさは十分に理解していただいているとは思いますが』
「確かにそうだ。これまではうまく行っていた。しかしなぜこの肝心要な時に限って、敵に古代兵器が出てくるのだ」
『残念ながら私には分かりかねますな。それでどうされますか? 新たな兵器を買い求められますか?』
「先のふたつを失ったのは貴様の責任だ。だからまずそのふたつは補填してもらおうか」
『お言葉ですが、件の兵器は侯爵殿にお売りしたもの。その後についての責を負うつもりはありません』
「なにを貴様! 誰に向かって物を言っているつもりだ!」
『申し訳ありませんが、私は侯爵殿の配下ではありません。対等な取引相手だと言うことをお忘れなきよう』
「対等だと、このっ!」
ネラは胃が痛くなりつつも、なんとか通訳を続ける。しかし会話の内容が非常に重要な示唆をいくつもはらんでいることは分かった。間諜としてこの密会は必ず伝えなければならないという使命感が彼女を支えていた。
『侯爵は対等だという言葉にご立腹です』
『だろうね。ではこう伝えてくれ。我々は我々の筋から相手の情報を探る。侯爵殿は侯爵殿のルートで相手の情報を探ってほしい。まずはそうやって得た情報の交換から始めましょう、と』
ネラがそのことをルーデンドルフ侯爵に伝えると、侯爵は少し考え込んだ。
「それは必要なことだ。だが儂には古代兵器も必要だ。最低でも77式を1機は補填してもらう」
『差し上げるわけにはいきませんが、お貸しするというのはどうでしょう。もし破壊されたりするようなことがあれば代金を頂きます』
「……それでいいだろう」
『飛行士は必要ですか?』
「飛行士ならば予備が居る。問題ない」
『ではすぐにでもいつもの場所に届けさせましょう。次は何かお買上げいただけることを期待していますよ』
「それは貴様の態度次第だ」
両者は立ち上がり、握手を交わす。
ネラは聞き慣れない言葉の数々を伝えるために、それらの言葉を反芻していた。




