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本と本屋さん~前編~



「湊谷君の好きな食べ物はBIGチョコバー!! 特技はすぐに寝れること!!」

 しずくが朝の教室で高らかに宣言するように発表してから一か月ほどの時間が経った。数日前まで期末試験の勉強に追われていた生徒達も、二週間後に控えた夏休みへ気持ちをシフトさせている。

 夏休み。しずくはお盆辺りの一週間、祖父母の家に行く事くらいしか予定はないが、まぁみんなそんなものだろう、と教室を視線だけで見回した。

 一か月前までは長袖のワイシャツの袖を折っていた男子もいたが、この時期になると流石に誰もが半袖になる。人によってはズボンの裾を膝くらいまで上げている人もいる。スカートは涼しそうでいいなぁなんていう人もいるけど、彼らは冬の苦労を知らない。

 ずっと一人でいそうだった湊谷にも最近になって数人の友人が出来たらしく、休み時間に彼が一人でいることはほとんどなくなった。あれ以来、しずくは湊谷と話をしていないが、相変わらず霊体状態で授業を受けて、放課後になると図書室に行っているらしかった。もっとも、前のように毎日ではなく、友人に遊びに誘われればそちらを優先しているようだった。

 綾は特に変化なし、だろうか。良い意味でも、悪い意味でも。良い意味というのは友達と相変わらず仲が良いという事、悪い意味はとっつきにくい印象も変わらず、という意味だ。少し変わったように思うのは、最近になって教室で湊谷に話し掛けている光景を時たま目にすることがあることくらいか。恋バナに飢えている女子にとって、あの二人の仲が良いというのはなかなか話の種になる(これまた良い意味でも悪い意味でも)らしく、雪江は昨日からことあるごとにその話題を出していた。その前の話題は市内であった大きな事故についてだったが、その事はもうすっかり忘れ去られてしまったようだ。恋バナは嫌いじゃない。だが自分が絡むと話が別なしずくとしては、出来ればさっさと次の話題を見つけてほしかった。まぁ雪江の場合はただの興味、野次馬根性だからマシだが、綾の事を露骨に嫌っている女子の嘘臭さ満点の噂話など聞くに堪えない。

 誰にでも素っ気ない態度をとる湊谷が女子の間で嫌われていない理由は、雪江曰く『彼女がいない男子の中ではマシな顔してるから。あと東京から来たって噂も結構大きいかもね』とのことだった。やっぱりこの年齢の女子は都会に憧れてしまうものなのかな、なんて、この年齢の女子らしくない事を思ったりもした。もっとも、その噂が間違いであることをしずくは知っているが、今更誰かに言う気もなかった。勘違いされていることが嫌なら湊谷も自分で言うだろうし、言わないという事は彼もモテている状況をそれなりに楽しんでいるという事なのだろう。

「しずく、また湊谷君のこと見てたでしょ」

 授業間の十分休憩。しずくの席にささっと来た雪江は顔をニヤつかせながらそう言った。そういえば、雪江も少し変わった。半月くらい前から三戸森と交際を始めて、化粧が濃くなった。もともと薄化粧だったからか、今の顔を見ると少しケバく思えてしまう。

「え? うん。今日も(本体は)寝てるなーって」

 本当にそれだけだったのだが、雪江はニヤニヤを止めない。

 彼女が何を言いたいのかは容易に想像できるので、しずくは雪江から目を逸らし、窓の外を見る。

 桜の木の周りを見ても、桜子さんの姿は無い。湊谷に好物と特技を聞いた後、ついでに桜子さんの事も聞いてみたら、『あれは時期限定の地縛霊だ。来年の春にならないと出てこない』と言った旨の返答をもらった。幽霊の中でも別格に暖かみを帯びていた桜子さんの笑顔が見られないのはしずくにとって残念な事だった。

「だから、しずくに足りないのは積極性なんだって。最近のほとんどの男子に言えるけど、本当に疎いというか、積極性が無いというか、女々しい奴が増えてるんだから、私達から行かなくっちゃ彼氏なんかできないよ? 湊谷君なんか特にそんな感じじゃん」

 三戸森と付き合い始めてから、雪江は妙にしずくの事を気にしてくるようになった。もともと面倒見のいい性格ではあったが、前と違って恋愛方面に関して喋る事が多くなったのだ。そしてそんな変化を、しずくは少し億劫に思っている。しずくが湊谷の事を好きだという前提で話を進められるところなど、特に。

 別に好きじゃない。異性としても友達としても、そう判断するほど話をしたわけでもない。

 ただ気になるだけ。そういうと雪江や取り巻きの女子達は決まって黄色い声を上げる。でも、『気になる』と『好き』がイコールで結ばれるならば、しずくは桜子さんの事も、綾の事も好きという事になる。桜子さんの事は大好きだけど、彼女らが言っている好きとは異なるものだろうし。だから、その『気になる』に大した意味は無い。気になる理由を聞かれた時に『幽体離脱してるから』と答えられれば楽なのに、と思う。

 湊谷君みたいに『どうでもいい』で片付けられれば一番楽なのに、とも思った。

 窓に顔を背けて、窓際の前から三番目の席に目を向ける。そこには二人の女子と話をする綾の姿がある。

『湊谷?』

 声が聞こえたわけではない。綾は特徴的なカッコいい声をしているけれど、教室は賑やかだし、近くで喋っている雪江の声もかなり大きい。でも、綾の口は確かにそう動いたように見えた。その後、女子二人――名前は確か古木さんと宮崎さんだったと思う――が湊谷の方を見たため、おそらく間違いないだろう。

 越水さんも友達にからかわれてるのかな、と少し同情した。

 でも彼女なら、別にそんなんじゃないよ。の一言で全て片付いてしまうんだろう。

 羨ましい。本当に。




「湊谷?」

 綾が聞き返すと、古木望美ふるきのぞみ宮崎千花みやざきちかは湊谷の方を素早く見た。

「別に聞こえても気にしない。それどころか反応もしないよ、湊谷は」

 と、綾は心配そうな顔をする二人に言った。そもそも、この騒がしい教室で自分の小さな声が届くとは思わない。

 だけど、少し怯えたような二人の反応も分からないでもない。もともと異性が苦手な二人だ。そして二人が苦手とする男子の中でも、『よく分からない』という点で湊谷は群を抜いている。無駄に声が大きかったり騒がしかったりする男子と違って『怖い』というイメージじゃないだけマシだろう。よく分からないという事は、知ればどうとでもなるという事でもある、と綾は考えている。まぁ、もっとも、湊谷のあの性格を考えるとそれもなかなか難しそうだが。

「うん。湊谷君。綾ちゃん、仲良いでしょ?」

 眼鏡越しに弱気な感じに瞳を揺らしながら望美はそう言った。綾の声を『小さい』というのなら、望美の声は極小だ。千花はまだ湊谷の方をチラチラと気にしていた。身体の小さい千花がそんな動きをすると、外敵を気にしている小動物にしか見えない。なんだっけか。あの、穴から顔を出す小動物。

「仲が良いわけじゃないけどね。ま、他の人よりは話してると思うよ」

 勝手に仲良し認定しては湊谷に不満顔をされそうなので綾はそう返した。個人的には結構気は合うし、最近は友達が出来たおかげか、図書室で会った時に口を開くことも増えた。十分友達と呼んでいいと思っている。あれでもう少し社交的なら――と思ってから、考えを改めた。もしそうだったら、ここまで気が合うと思うことは無かっただろうな、と思ったから。

「湊谷君って選択科目は私達と同じで美術なんだけどね」

 うん、と相槌を打ちながら、少し意外に思う。選択科目は書道、美術、音楽の三科目あり、綾は書道、そして、現役美術部である望美と千花は二人とも美術だ。湊谷の事だから、書道を選択したものの人数オーバーで落ちて(書道は人気、というか特にやりたいことのない人の逃げ道的科目なのだ)、音楽にでも回されたものだと思っていた。いや、それで美術に回されたとしてもおかしくはないのだが、なんとなく湊谷と美術というのはあまり似合わない気がする。

「それで、湊谷君、すごく絵が上手なの」

 望美が続けた言葉に綾は久しぶりに目が点になるほど驚いた。

「あの湊谷が?」

 思わず聞き返すと、二人は自信たっぷりに頷く。自分で認めざるを得ないくらい絵心の無い綾からすれば望美や千花が描いた絵も物凄く上手く感じるのだが、話しぶりからすると湊谷はそれ以上らしい。

「それで、なんだけど……」

 千花の歯切れが急に悪くなった。ここからが本題か、と綾は察して言葉を待つ。

「湊谷君、美術部に入る気とかないかなぁ……って」

 数秒の沈黙。

「ないと思うよ」

 一秒も必要ないくらい即座に出た答えだったが、一応可能性は無いものか探ってみた。そして、結局なかった。

 望美は少し顔を俯けて、千花はショックを受けたように「うう」と声を漏らす。

 二人が所属している美術部は全部員で五人。しかもそのうち三人が三年生だという。つまり三年生が引退してしまえば部員は望美と千花の二人だけ。もちろん、たった二人とはいえ部員がいる以上、すぐに廃部ということは無いだろうが、二人としては自分達がいなくなった後も美術部を潰したくないらしい。そのためにも、なるべく今のうちから部員を確保しておきたいのだろう。

「やっぱり無理かなぁ」

 しょぼくれた顔をする千花と望美。なんだか二人の顔が飼い主に怒られた犬に見えて、綾は妙な罪悪感を覚えた。

「まぁ、一応聞いてみるよ」

 苦笑を浮かべながらそう言うと、二人の表情に少しだけ笑みが戻った。




 部活によってはこの時間に終わる部もあるであろう午後六時過ぎ。図書室内にいるのは三人の生徒だけだ。あと三十分ほど待てば室内には夕日が射し込み、少し幻想的な雰囲気になる。

「それで、聞いてみたの?」

 本谷美紗子は机に身を乗り出して、興味津々と言った様子でそう訊いた。しっかり小声で話しているところは流石図書委員と言ったところだろうか。

 綾は頷き、「嫌だ。の一言」と溜息交じりに返す。

 その答えを聞いた美紗子は膨れ面で椅子に座りなおし、隣で眠っている湊谷を睨んだ。そんな視線などつゆ知らず。湊谷が顔を上げる様子はない。綾が見る限り授業中もほとんど寝ているのだが、湊谷は一体どこで体力を消耗しているのだろうとつくづく不思議に思う。

「もー、なんで葉君ってそんなに無愛想なの?」

 ぷんぷん、という漫画のような擬音が似合いそうな怒り方をする美紗子を、綾は微笑ましく見守る。もっとも、そんな表情をしていたら『なんで笑うのさー』なんて言ってこちらに矛先が向きそうだから、内心で、そっと。

 先程の疑問は綾ではなく湊谷に向けられたものだったのだが、肝心の本人は相変わらず目を覚ますことなく眠っている。それはそうだ。本で叩いても起きない(過去数回にわたり実証済み)のに、呼び掛けたくらいで目を覚ますはずがない。

「まぁ、今更愛想良くなられても困っちゃうけどさ」

 美紗子は湊谷の顔を覗き込みながら不満そうに、だがどこか嬉しそうに言う。この二人はいつの間にか仲良くなっていた。想像出来ない組み合わせだったが、どうやら湊谷は美紗子のようなタイプが苦手で他の生徒と同じようにうまくあしらえなかったらしく、話していくうちに完全に尻に敷かれる形になったらしい。自覚のある独占欲があまり刺激されなかったのは、そんな少し変わった形だったからか。恐ろしいのは、美紗子にその自覚が無い所だろう。自分も気を付けねば尻に敷かれ兼ねない、と綾は気を引き締める。

 美紗子が男を尻に敷く姿などなかなか想像出来ないが、司書教諭である早乙女瑠実さおとめるみ(大人なお店専用のような名前だが本名である。ちなみに湊谷と美紗子を仲良くしたのも彼女)に日頃から『旦那を尻に敷く方法』を伝授されているらしいので油断ならない。一度だけ、綾も聞かせてほしいと頼んでみたことがあったが、『越水ちゃんなら勝手に尻に敷かれたい男が寄ってくると思うわ』と反応に困る事を言われたため、さっさと退散したのだった。

「そういえば本屋ちゃん、さっき言ってた話って今じゃ駄目なの?」

 綾が図書室に来た時、カウンターにいた美紗子に呼び止められて『二人で話したいことがあるんだけど、いい?』と訊かれていた。もちろん二つ返事で答えて、本を読みながら『話したい事』について考えたが、結局何も浮かばなかった。

 美紗子は「え?」と少し困惑気味に声を漏らしてから、隣の湊谷をチラッと見たが、すぐに「うーん。ま、いっか」と姿勢を正して綾と向き合う。いつものほほんというか、おっとりというか、そんな顔をしている美紗子にしては、真剣な表情だった。

「綾ちゃん、少し前に言ってた『幽霊が見える親戚さん』。私に紹介してくれない?」

 数秒の沈黙。

 だが、教室の時と違って、答えは即座に出なかった。いや、出たと言えば出たのだろう。詳しくは聞くべきではないのだろう、という答えが。しかし、理由も分からずに、自称とはいえ多忙な親戚を紹介するわけにもいかない。『幽霊が見える』と条件を付けた時点で、非現実的な相談をすることも目に見えていて、それも少し気になった。

「なんで?」

 結局、綾はそう聞いた。

 美紗子はそれが分かっていたように俯くように頷いてから小さく口を開く。

「一週間前、子供が車に轢かれたって事故があったでしょ?」

 綾は頷く。その話なら、おそらく市内に住む者ならだれもが知っているだろう。綾も、事故のあった当日の夜に母親と、翌日には望美と千花とも話をした。

 確か、事故に遭ったのは小学五年生の男の子。信号のない横断歩道を渡っていた際の事故だと聞いた。事故当時の情報では意識不明の重体となっていたが、その後の事は分からない。翌日からはその話も聞かなくなったし、綾自身今まで忘れていた。

 しかし、この話の流れからすると、少年は亡くなってしまったのだろうか。

 それを問うと、美紗子は少し影のある笑みを見せる。

「ううん。まだ意識不明のまま。昏睡状態なんだって」

 でも、もう長くは保たないだろうって。と小さく続けた。

「知り合いだったんだね」

 美紗子は頷く。

「うちの常連さん。よく小説を買いに来る小学生なんて――名前、山中修君っていうんだけどね、シュウ君くらいだからよく覚えてるんだ」

 常連さん、か。と綾は内心で呟いた。

 美紗子のあだ名である『本屋ちゃん』は、名字の読み方を変えればそう読めるから――というのは間違いで、彼女の両親が書店を経営しているからだ。しかしネット販売やら電子書籍やらが注目されつつあるご時世、経営はなかなか上手くいっていないらしい。そうでなくとも薄利多売な商売で、万引きなどが多いのも原因の一つだ。

 最初にあだ名を付けた人物が名字と上手い事絡めて考えたのかは定かではない。美紗子曰く、本屋ちゃんというあだ名を付けたのは、違う高校へ行った中学時代の友人らしいから。

「だから、シュウ君は生きてるの。あんまり言いたくないけど、まだ」

 最後の一言を強調して言った美紗子に、綾は「そっか」としか返せない。励ましも、慰めの言葉も意味がない事は分かっていたから。

「それで、私の親戚を紹介してほしいっていうのは?」

「綾ちゃん、聞いたことない?」

 そう前置きして、美紗子はこう言った。

「交差点を彷徨う男の子の霊の話」



「その事故現場で目撃されてるんだってさ、その男の子の幽霊が」

 通学路を家に向かって歩きながら、携帯電話を耳に当てた綾はそう言った。

 大通り、しかもちょうど混み合う夕方という事もあり、道路は軽い渋滞状態だ。徒歩の方が早い、とまではいかないが、自転車の方が早いのは間違いないだろう。一番良いのは、やはり原動機付自転車だろうが、バイクを見かけることは少ない。なんでだろう。綾が車内を横目で覗いても、ほとんどの車には運転手が一人乗っているだけだ。それなら原付の方が絶対に楽なのに。自分なら、絶対にそうすると思う。

『ほーほー』

 電話の相手である親戚――母親の姉の娘、綾から従姉という事になる――は、興味があるのかどうでもいいのか、分かりづらい反応をする。従弟の声の他にはガタンガタンという電車のような音が聞こえた。依頼でまたどこかに行っているのだろうか。こっちの方に来ているのなら、ついでに寄ってもらえる可能性もある。

『そんで? 調べてほしいってわけでもなくて、聞きたい事ってのは?』

「あぁ、うん。答えによっては調べてほしいんだけど」

 図書室で美紗子からされた質問を、綾はそのまま口に出す。

「生霊っているの?」

『いるよ』

 綾が『聞いてみないと分からない』としか答えられなかった質問に、従姉は即答した。その言葉は相変わらず真剣みに欠けているが、確認すら必要ないと思えるほどの自信に――いや、違う。彼女にとって、それは当然の答えなのだろう。一+一と問われて二と答えるのと何も変わらない。自信ではなく確信。もしくはそれすら通り越して『現実』とでもいうべきなのかもしれなかった。

 子供の頃から、実家で会う度に彼女は綾の知っているものとは異なる現実の話をした。子供の頃は興味津々で、中学に上がり始めてからどうでもいいと思うようになり、そして今も変わらない。幽霊がいてもいなくても、従姉の話が本当でも嘘でも、どうでもいい。どっちにしろ自分は従姉の事が好きなのだから、見えない現実を気にしたって仕方がない。

 でも、こうなっては『どうでもいい』で済ますわけにもいかない。なんせ、従姉と同じくらい好きな美紗子の頼みだ。ないがしろには出来ない。していいような内容でもない。

「じゃあ昏睡状態の男の子の霊が体を抜け出して事故現場にいる可能性も……」

『なくはない。前半部分なら、特にね。でも、後半部分の『事故現場』ってのは難しいかな』

 何故、とは聞かなかった。聞かなくても教えてくれるだろうから。従姉は昔から教えたがりなのだ。そのせいで、人より幽霊については変に知識があったりする。もっとも、ここ数年は聞き流しているから、かなり断片的な知識だけど。

『生霊について話したことなかったっけ?』

「ない、と思うけど。多分」

『そっか。うん、まぁそうかも。生霊ってあんま面白くないし』

 幽霊に面白い面白くないがあるというのは初耳だった。

『生霊ってのはね、なっちゃう人は案外簡単になっちゃうんだよ。今回みたいな昏睡状態の時なんかは特に多いけど、人によっては寝てる時に身体から出ちゃう人もいる。でもね、みんなに共通してるのは、霊体状態でもちゃんとした意識を保てる霊はいない、ってこと。みんなぼんやりしていて、本体と結ばれている紐みたいな繋がりが無ければ、私みたいな『見える人』でも浮遊霊にしか見えないだろうね。実際、ただフラフラしてるだけだし』

「じゃあ生霊の状態で、事故現場とか、一か所に固執することはないんだ?」

『うん。そゆこと。流石私の助手』

「ならないから」

 従姉は『ちぇー』と呟いてから、『だから』とまとめに入った。

『ただの噂、っていうのが話を聞いた限り、私の答えかな。本当だとしても、霊と会話をするのは無理だし、生霊相手じゃあこっちの声も届かないだろうけどね。もちろん、確証が欲しいなら確かめに行ってあげる……って言いたいところなんだけどねー。綾から頼みごとなんて珍しいし、恩売っておきたいし』

 綾は、助手にはならないけど、と内心で呟くだけにしておく。ここはご機嫌をとっておかねば。

『でもね。これから東北の山奥で大仕事があって、多分そっちに行くとしたら一週間後くらいになっちゃうんだよね』

 従姉がなにを言いたいのかは分かった。

 間に合うだろうか?

 いや、多分、間に合わない。

 美紗子の珍しく焦った様子、どうしても暗さを隠しきれない表情を見るに、シュウ少年の状態は、おそらく最悪だ。明日、死んでしまってもおかしくない状況なのかもしれない。

『まぁ、間に合うようなら行くよ。とりあえず、仕事終わったら電話するから。あ、今から行くとこ、携帯の電波届かないらしいから、そこんとこよろしく』

 従姉の適当な挨拶を聞きながら、綾は歩道橋を上がる。歩道橋の下を走る車は相変わらず動がない。確か、この先にある信号機の待ち時間が異常に長いのだ。

 通話を終え、料金を表示している携帯をポケットにしまう。歩道橋の上を歩きながらふと横を見ると、ちょうど夕日が沈むところだった。

 そういえば、一週間ほど前に湊谷と一緒に帰った(と言っても帰り道が逆なので校門までだったが)際、こんな風景を一緒に見たことがあった。その時、珍しく湊谷から質問してきた。


「夕日って好きか?」

 そんな、少しキザなことを湊谷が口にした事に内心驚いたが、その気持ちを表に出したらおそらく不機嫌になるだろうと思ったため、綾はいつもの表情を作り、「まぁ好きだね」と答えた。

 本当は、まぁ、なんてつける必要が無い程度には好きだ。結構好きだ。

「どこが好きなんだ?」

 どこ、と聞かれるとは思っていなかった。だって、味とか見た目とか食感とかがある料理とは違う。夕日だ。いや、答えられないわけでもないが。

「……グリーンフラッシュとか」

 嘘だった。本当は違う。でも、その答えは、湊谷が抱いているであろう私のイメージには可愛すぎる。

「見た事あんの?」

「ないけど」

 少しぶっきらぼうに答えると、湊谷は「へぇ」と呟いて数秒の後、「意外だ」と言った。嘘に気付かれたかと内心驚く。

「越水って、直接見てないものを好きになったりしない感じがあるけどな」

 違った。だが、当たってもいた。もちろん、このまま『そうか』と一言言えば会話は終わるだろう。しかし、綾は観念したように溜め息を吐きながら「正解」と言った。気付かぬふりをすれば、分かっていてもいなくても湊谷は『どうでもいい』と済ませるだろう。しかし、それは逃げのように思えた。綾にとって、そこはどうでもよくない。

 湊谷はさほど興味ないように「へぇ」と言う。人の事見透かすようなこと言っておいて、なんだその間抜け面は、と文句を言いたくなった綾の心など考えもしないのだろう。

「夕日は好きだけど、グリーンフラッシュは別に好きじゃない」

 それだけ言って、綾は口を噤む。

「そうか」湊谷は短くそう言ってから、「別に言いたくなきゃいいよ」と言った。結局、なんか負けた気分になった。

「湊谷は夕日、好きなの?」

「さぁ」

 自分の事なのに、まるで他人事だった。気取っているというわけでもない。そんな様子を見ていると、湊谷に好きな物などあるのだろうかと思えてくる。あぁ、BIGチョコバーが好きなんだっけ、と一か月前の教室を思い出して、自然に小さな笑みが浮かんだ。

「でも、不思議には思う」

 湊谷も結構不思議だけどね、という言葉は呑み込んで、湊谷の横顔を見る。

「そん時の気分によって印象がすげー変わるのなんて、夕焼けくらいだろ」

「あぁ、確かに」

 自然と出た同意の言葉とともに、綾は夕日に目を向けた。


 あの時の夕日は少し寂しい、でもどこか高揚感も持たせてくれた。それは、湊谷と珍しく長く喋れたのにすぐ別れなければならない事と、この会話を機に明日から何か変わるかもしれないという期待だったのだと後から分かった。結局、あの時のように湊谷から話しかけてくることは全然ないのだが。

 歩道橋の中央で足を止めて、夕日の方へ体を向けて手すりを両手で掴む。

 夕日を見ていたら、何故か、しずくの事が頭に浮かんだ。

 美紗子曰く、中学時代の自己紹介で『幽霊が見える』と豪語したクラスメートだ。その後の中学三年間をどのように過ごしたかは定かでない――美紗子に聞いてみた結果『普通だったよ?』という答えが返ってきたが、彼女は人間関係に疎いので信憑性に欠けると後から気付いた。それに、普段の、特に中学時代からの知り合いらしい戸牧雪江との会話からして、しずくはいじられキャラだった。入学した頃はキャラ作ってんのかな、なんてことをなんとなく考えたりもしたけど、どうやらあれは素っぽい。そりゃ、いじられるよね、と、綾は一か月前の事を思い出して小さく笑った。

 明日、この事を話してみようか。ふと思う。

 夕日が建物の影へ消えていく。もちろん、こんなところからグリーンフラッシュは見えない。

 綾は空に浮かぶ雲を見上げる。そうしたら、今度は湊谷の顔が浮かんだ。

 あいつは、もう起きたのかな。




 夕日が沈むと、外はあっという間に暗くなっていく。

 綾が帰ってから、カウンター内の椅子に戻って読書に集中していた美紗子もようやくそのことに気付き、勢いよく顔を上げ、掛け時計を見た。

 短針は七、長針は二の位置にある。閉館時間である午後七時を、十分ほどオーバーしていた。

「うあっ!?」と思わず声を上げる。いつの間にこんな時間になってたんだろう。体感時間だと、そろそろ六時半過ぎってとこだったのに。でも読んでいた本を見ると、ページはいつの間にかかなり進んでいる。

 普段なら、いくら美紗子が読書に集中していても、湊谷が起きて図書室から出て行く物音、あるいは司書教諭である早乙女が声を掛けてくれるのだが……。

 一時間ほど前まで自分が座っていた席の隣の席を見る。そこには、変わらず机に突っ伏している湊谷葉の姿がある。もしかして、顔を見ている時間より、こうして後頭部を見ている時間の方が長いのではないだろうかと思ってしまうほど見慣れた光景だが、こんなに遅い時間まで湊谷が眠っているのは珍しい、というか、美紗子の知る限り、初めてだった。遅くても六時半には起きて、何も言わずに――少し話をするようになってからは、目が合ったら『じゃあな』と言って、さっさと帰ってしまう。でも、今日は寝ている。

 もう一人の方、早乙女先生は、今日は早退していたことを美紗子は思い出す。昼休みは見たけど、放課後はいなかった。図書室に来た先生の話によると、急用が出来て帰ったとのことだった。もちろん、この場にいない人間が美紗子に声を掛けてくれるはずも無い。

 タイミングの悪さに胸がざわざわした。何とも言えない、どうしようもない感じ。

 とにかく帰る準備をしようと、読んでいた本に栞を挟んでから鞄にしまい、天井に取り付けられている扇風機の電源を切り、開けっ放しだった窓を全て閉める。日が暮れたと言っても夏真っ盛り。窓を閉め切った室内はあっという間にサウナ状態になる。

「あついー」と独り言を言いながら、美紗子は湊谷の方へ体を向ける。一番の難関は、間違いなくここだろう。

「葉くーん」

 背後から近付いて、両手を湊谷の肩に置き、勢いよく前後に揺すった。

「おーきーてー」

 もちろん、美紗子も分かっている。「起きてるよ」この程度で、湊谷は目を覚まさない事くらいは。なぜなら、綾の話によると、本の角で叩いても起きなかったらしいし(起きた後、頭が痛いって言っていたが、知らんぷりしたらしい)、デコペンでも起きなかった(起きた後以下略)らしい。

 だが準備の良い美紗子は、こんなこともあろうかと次の作戦を考えてきたのだった。

 強烈な痛みでも起きない湊谷。

 でも、痺れる痛みなら起きるんじゃないかな?

「おい、本屋?」

 最初に体を揺すった時点で目を覚ましている湊谷に気付かずに、美紗子は彼の左手を持ち上げて、肘を下に向けて固定する。その下には、隣の椅子の背もたれ。

「えい」

 漫画なら星マークでも付きそうなほど可愛らしい掛け声とともに、湊谷の左肘は勢いよく背もたれの角にぶつかった。

「いっ!? て……ぬおぉ……」

 大いに痺れているであろう左肘を押さえて呻き声をあげる湊谷を見て、美紗子は「やった!!」と喜びを口にする。もちろん、自分の作戦が成功したと勘違いしているため喜んでいるのだが、傍から見れば理不尽に男子生徒を痛めつけて喜んでいる小悪魔に見えなくもない。

 数十秒後、復活した湊谷から肘にデコピンを受けて涙目になるのだが、そんなことはつゆ知らず、小悪魔はニコニコ笑っていた。


 二人が肩を並べて校門から出る頃には、時刻は七時半を回っていた。当然、辺りは暗くなってきている。図書室を綺麗な橙色に染め上げていたであろう夕日の代わりに、空には月が浮かんでいる。三日月が少し太ったような形をしていて、美紗子は、ぽっちゃり系を自称する父親の腹部を思い出した。太りやすさは遺伝だというけれど、今のところ美紗子にそんな気配はない。母親は細身だから、運よくそっちに似たのかもしれない。

 でも、お母さんは……。と、自分の胸部を見下ろしながら考える。そしてすぐに、胸だけお父さんに似たのかな、と母親が聞いたら悔しさに顔を歪めそうな結論を出した。

 のんびりな性格は、二人から受け継いだものだろう。だから、というわけじゃないかもしれないが、美紗子の歩くスピードは遅い。両親と歩いていると普通なのだが、それ以外、友達とかと歩いていると、どうしても遅れてしまうのだ。道行くものに目を奪われたりすることが多いから、そうなると更に歩く速度は落ちてしまう。

 でも、今はこうして湊谷と肩を並べて歩いている。学校から出るまで、早歩きや小走りで追いつく必要もなかった。もしかして、自分に合わせてくれているのだろうか、と美紗子は思う。でもそれは大変な事だろう。昔、友人に言われたことがあるのだ。『本屋ちゃんの歩くスピードに合わせてたら逆に疲れる!』と。その友人は美紗子に『本屋ちゃん』の愛称を付けてくれた仲の良い友達で、多分悪気があって言ったわけじゃないと思うのだが、それでもその言葉はそれなりにショックだった。それから両親以外と一緒に歩くときはなるべく早く歩くように心掛けているのだが、それはなかなか難しい。意識していれば出来るのだが、道端には色んな誘惑や興味をそそられる物があり、どうしても意識と目がそっちに向き、足が動かなくなってしまうのだ。

「私、歩くの遅い?」

 湊谷に聞いてから、そういえば自分からこんな質問をするのは初めてかも知れないと思った。いつもなら聞く前に相手が文句を言うか、聞くまでもなく自分で察することが出来るから。

 大体、自分のスピードに相手が合わせていたらなんとなく分かるのだけど、でも、今日はそれが出来なかった。遅れてもいないし、合わせられている感じもしない。今日は、というか、相手が湊谷だからだろうか。

 湊谷は美紗子の質問を無表情で受け止めてから、自分達の足元に目を向けた。そして顔を上げて、「そういや、遅い方かもな」とよく分からない言い方をした。

 もしかしたら、葉君は綾ちゃんと同じなのかもしれない、と美紗子は思った。綾と知り合った頃、歩くのが遅い事を話した。その時に彼女はこう言ったのだ。

『どうでもいいよ、そのくらい』

 そんなに仲が良かったころじゃなかったからか、照れ隠しかは分からないけど、美紗子から視線を逸らしながらそう言った。でも、ぶっきらぼうな感じだったけど、その口調はどこか優しかった事はよく覚えている。

「どうでもいい?」

 そう聞くと、湊谷は「あぁ、そうかもな」と答えた。明確な答えじゃなかったけど、その答え方からも『どうでもいい』感じが出てた。

 思わず笑みを浮かべると、湊谷は不思議そうに、でもどうでもよさそうに微かに眉を寄せた。

「似てるよね、葉君と綾ちゃん」

「似てねーだろ」

「似てるよ。どうでもよさそうなところとか」

 綾自身もそう言っていたのだ。

 司書教諭である早乙女に『湊谷君だっけ? あの子、毎日図書室に来て寝てるくらいなら、話しかけて仲良くなって、読書仲間増やしなよ、ほれ、ほれほれ』と言われて困っていた美紗子に、綾が『あいつは私と似てるところあるから、初めて私と話した時みたいな感じで行けばいいんじゃない?』と。

 その後、その言葉に従って、夕方になって目を覚ました湊谷の近くに行き、『なに?』と聞かれたので、『背、高くていいなぁって思って』と、綾の時と全く同じ台詞を言った結果、『男子の中じゃチビだけどな』としかめ面をされて大いに焦ったのだった。焦って涙目になる美紗子に湊谷も内心焦りながらフォローしていたのだが、その事を彼女は知らない。

 しばらく『似てる』『似てない』の問答を繰り返していた二人だったが、赤信号で足を止めたタイミングで、湊谷が小さく溜息をついた。とうとう折れたかな、と思ったけど、どうやら違うみたいだ。

「似てるけど、違うんだって、俺とあいつは」

「違う?」

「あぁ。俺のはただの『無関心』。あいつのは『強さ』だ」

 少し投げやりに言うのと同時に信号が変わって、湊谷は先程より少し速いスピードで歩き始める。いつもより少し強い語調は、どこか自分に言い聞かせているようだった。

 美紗子は、自分はあまり怒るタイプではないと自覚している。友達と険悪な雰囲気になってしまった時も怒りよりも悲しみの方が先行するし、大きな声を出すのも苦手だった。

 でも今、美紗子は少しムッとしている。もちろん、感情に任せて怒って、大声を張り上げるような短絡的なことはしない。なぜなら、怒りの原因を自分でも分かっていないからだ。でも何かが嫌で、何か言いたくて、美紗子は小走りで横断歩道を渡り、湊谷の横に着く。

「葉君、話があります」

「なに? ……なんか怒ってるか?」

「別に、怒ってません」

「なんで敬語」

「丁寧語です」

「怒ってんだろ」

「ません」

 湊谷はどうしたものかというように頭を掻いてから、「で、なに?」と訊いてくる。

「葉君はさ……えっと……」

 生霊っていると思う? 幽霊って信じる? そんな事を聞くつもりだった。でも、いざ聞いてみようと思うと、少し躊躇ってしまう。変な奴と思われたらどうしよう。

 口ごもっている間に湊谷の表情が呆れたものに変わっていくのを傍目で見て、美紗子は決心を付ける。

「葉君って、生霊っ――」

 声にならない声が出た。舌を思い切り噛んだのだ。痛くて、思わず足が止まる。

 口に手を当てて十秒程度。ようやく痛みが引いてきたので顔を上げる。葉君に冷たい目で見られてるんだろうなぁ、と恐る恐る横に顔を向けると、意外な事に湊谷は少し驚いたような表情で美紗子を見ていた。

 そんな表情を不思議に思い、小首を傾げていると、湊谷は少し真剣そうな表情になる。

「夕樹から聞いたのか?」

「……夕樹さん?」

 質問の意図が分からず、美紗子はますます首を傾げる。

「えっと、葉君は生霊って信じる? って聞こうとしたんだけど……」

 そう言うと、湊谷は一瞬動きを止めてから、納得したのか「あぁ」と呟いた。

「夕樹さんがどうかしたの?」

「いや、なんでもない」

 その答えに、また少しムッとしてしまう。帰ったらカルシウム……牛乳を飲もう。でも、これ以上胸が大きくなっても困るし、やっぱし止めておこうかな。

「生霊、ね。てか、なんで幽霊じゃなくて生霊?」

「う。まぁ、幽霊でも、いいけど」

 少し痛い所を突かれて言いよどんでしまう。しかし湊谷は「言いたくなきゃ、俺も、まぁいいけど」と言って前を向いて足を動かした。美紗子はその横について、湊谷の顔を覗き込む。いろいろ考えているような表情をしていた。

 前を向き直してから、湊谷にバレないように小さく息を吐く。

 さて、どうしよう。

 もともと、湊谷にそんな事を聞く気はなかった。ちょっとムッとして、思わず綾にしたのと同じ話をしそうになって、寸前で思い止まった結果、そんな質問をしてしまったのだ。もちろん、事故の話だってするつもりはない。なんとなく、湊谷はそういう噂話が嫌いな気がする。

 でも、なんでこんな事を聞いてしまったのだろう。というか、なんで自分は怒っていたんだろう。何に対しての怒りだったのかすら分からず、美紗子の中にモヤモヤが溜まる。いっそ叫びたい気持ちになったけど、変な子だと思われたら嫌なので止めておく。

「お前は?」

「え?」

 唐突な質問に、少し面食らってしまう。

「本屋は、幽霊、いると思うのか?」

 すぐに返事をする事は出来なかった。どうなんだろう。そんな事は考えたことが無かった。これまでも、シュウの幽霊の噂を聞いた時も。

「どうなんだろう」

 口に出すと、湊谷は「なんだそりゃ」と脱力したように息を吐いた。そんな彼の様子に美紗子は少し慌てて、

「あ、でも、いてほしいとは思う……かも」

 俯き、尻すぼみになっていく言葉。湊谷は気にした様子もなく、前を向いたまま質問する。

「会いたい幽霊でもいんのか?」

「………………」

 答えられない。シュウの幽霊に自分は会いたいのか、会いたくないのか、それすらも分からなかった。

 美紗子には、シュウに確かめたいことがある。

 だけど、それを聞くのは怖い。でも、綾にも言ったように、シュウと直接話すような機会は、おそらくもうない。それこそ、幽霊がいてくれないと。

 鼻を啜って、自分が泣きそうになっていることに気付く。美紗子は涙脆い。小説やドラマの、一般的には安っぽいとさえ評される場面でも泣いてしまうし、一般的に泣けると言われる場面では目も当てられないほど号泣する。涙を流すという行為はストレス発散になるらしく、彼女ののんびりとした性格にはそういう理由もあるのかもしれない。

「いる」

 湊谷の短い言葉に、美紗子は顔を上げた。何か知ってるんだ、と直感で分かった。そういえば先ほどもしずくがどうこう言っていた事を思い出し、直感は確信に変わる。

「って言ったらどうする? 会いたいのか?」

 結局はそれ次第だ、と湊谷は、今度は美紗子に顔を向けながら言う。

「本屋が『会いたい』って言うなら『いる』って言ってやるし、会いたくないなら『幽霊なんかいるわけねーだろ、ボケ』って言ってやる」

「なんで『いない』場合はそんなに毒舌なの」

 苦笑しながら聞くと、湊谷は珍しく笑みを浮かべた。意地の悪そうな笑みだけど。

「ボケって言われたくなきゃ、最初のを選べばいいんじゃないか?」

「あ、卑怯だ」

 美紗子の言う通りだ。湊谷は卑怯だった。正々堂々していない。

 珍しく優しいことを言ってるんだから、そんなに遠まわしに言わなきゃいいのに。と美紗子は思う。でもそんな湊谷は想像出来なかったし、出来たら出来たで違和感たっぷりだろう。

 自分は多分、湊谷のように遠回しに気持ちを伝えたり、誰かに優しくする事は出来ない。出来るのは、ただ直接的に、真っ直ぐに接する事だけ。

 だから、自分が動かなければどうしようもない。

「会いたいよ。シュウ君に、会いたい」

 でもそこにはやはり怖い気持ちもあり、美紗子は眉をハの字にして、少し情けない表情でそう言った。

 そんな彼女を見て、湊谷は笑みを浮かべる。先程のように意地の悪い笑みでも、その顔を馬鹿にする笑みでもない。よく言った、そんな気持ちが伝わってくる笑みだ。兄弟のいない美紗子は想像するしかないが、兄がいたらこんな感じだったのかもしれないと思った。

「じゃあ、いるだろうな」

 その笑みのままそう言った湊谷に、美紗子はゆっくりと頷く。

 話をしよう、と自然と思えた。それによって湊谷が何とかしてくれるかは分からないし、してくれと強要するつもりもない。でも、何かが変わるような気がした。

 小学五年生。カッコいいのに少し無愛想で、でもたまに見せる笑顔は子供らしくて、小説が好きで、おすすめの本を教え合ったりして、そして書店へやってきた帰り道で事故に遭ったシュウ少年の事を。久しぶりに彼の事をちゃんと思い出して、美紗子はふと思った。そして頭に浮かんだその言葉を、話の冒頭に使う事に決める。

「少し、葉君に似てるかもしれない男の子の話なんだけどね」




 翌朝。しずくは教室で、久し振りに交通事故の話を聞いた。正確に言えば、事故の話の続きだ。一週間ほど前、車に轢かれたという少年の霊が、事故現場に現れているという噂。霊が関わっているとなると、たかが噂話で片付けられない。しずくには噂の真偽を確かめることが出来る眼があるのだから。

 いつもの四人の中で噂を知らなかったのはしずくだけだったらしく、雪江には少し呆れた顔をされた。どうやら、そこそこ広まっている噂みたいだ。

 だが、珍しくしずくが露骨な興味を示したためか、三戸森と四篠も面白がって会話に参加し、それぞれが聞いた話の類似点や相違点を挙げていく。

 その結果。


 噂、その一。

 幽霊は早朝から深夜まで二十四時間現れる。もっとも発見されるのは夜。これは本当かどうか、結構微妙だとしずくは思う。だって、しずくの家に住みついている幽霊は、夜になると眠る。それも、十時には寝て、しずくが家を出る頃に目を覚ます。外見は小学校低学年くらいだから長い間おかしく思うことはなかったが、よくよく考えると、一般的には幽霊というものは夜に行動するイメージがあるのだった。もちろん他の幽霊がどうかは分からないけど、幽霊にも疲れというものがあるらしいし、その少年霊だってずっと事故現場で突っ立っているわけにもいかないと思う。もっとも、湊谷のように宙に浮いて眠っているのかもしれないけど。

 噂、その二。

 事故現場で、何かを探すように、ずっとウロウロキョロキョロしている(三戸森は、自分を轢いた車の運転手を呪うために探している云々言っていたが無視していいだろう)という話も聞いた。これは三人ともが言っていたので、信憑性が高い。じゃあ何を探しているのかと考えると、誰もが黙ってしまうのだが。

 噂、その三。

 四篠と雪江曰く、服装などはその時によって違う。大抵、小学生らしい服装をしているが、たまに死に装束を着ていることがあり、この時に目が合うと呪われる。だが三戸森の話はそれと違っていて、少年の服は見分けがつかないほど血で染まっているのだという。身体も事故に遭ったままで、手足は有り得ない方向に曲がって云々。ま、そんな幽霊は見た事が無いから嘘だろう。

 噂、その四。

 たまに少年以外の霊も見られるらしい。少女だったり、中年の男だったり。これはなんでだろう。元々、幽霊が見えやすいスポットなのかもしれない。夜の学校とか、病院みたいな。もっとも、そう言うスポットがあるのかすらしずくは知らないのだが。


 うーん。

 小さな、そして更に信憑性に欠けるような噂を除いた四つの噂について思考する。

 まぁ、呪い云々は無いだろうなぁ、とは思う。その理由も、今までにそんな幽霊は見た事が無いから、という、他人からしたら信憑性に欠ける理由だが。

「それにしても意外だ。夕樹って、こういう話苦手だと思ってた」

 噂話がひと段落したところで、四篠がそう言った。

「あー、確かに。なんかホラー映画とか見たら泣きそうなイメージだ」

 三戸森もそれに同調して、少し失礼な事を言う。当たっているから何も言い返せないのだが。

 ホラーと言っても、霊的な内容なら大丈夫だ。ただ、殺人鬼とか、猟奇殺人とか、狂人的な内容のサイコホラーは大の苦手だった。人間と比べたら、幽霊なんて全然怖くない。むしろ優しい。

 雪江はそれを知っているからか、それとも中学時代の自己紹介を思い出しているのか、先程からニヤニヤと笑みを浮かべた顔を向けてきている。しずくはそれに気付かないフリをしながら、男子二人を見ながら言う。

「私、幽霊見ても泣かない自信あるし」

「へぇー!」と男子二人は声を揃える。三戸森は素直に驚いた感じで、四篠は微妙に疑いのこもった『へぇー』だった。

「幽霊見ても、ねぇ」

 その声に振り向くと、雪江はニヤニヤからウズウズした表情になっていた。雪江とはもう三年以上の付き合いになるしずくは瞬時に察した。

 雪江は、中学時代の私の自己紹介(こう書いて黒歴史と読む)を言いたがってる……!!

 確かに話題的には間違っていない。というか、よく考えれば自分からそっちの話題に持って行ってしまった。しかし悔やんだところで時既に遅し。『その事は言わないで』なんて口に出せば男子二人、特に三戸森が気にしないはずも無いだろう。入学式当日の『死んでる……!』程度(しずく比)の事でも二か月以上からかわれたのだ。あれが知られれば、下手すれば今年度中はずっと言われそうだ。なんせ、自分でも嫌になるくらい汎用性があるから。とにかく、今、しずくが出来る事は、強引でもいいから話題を別のものに変える事だけだ。

 しかし、もともと話すのが得意ではない事もあり、そうそう話題など、しかもテンパった頭で浮かぶはずも無い。こうして頭を悩ませている間に雪江のニヤニヤウズウズは増しているし、早くチャイムでもならないかと思って時計を見ると、昼休憩が終わるまであと二十分もあった。そりゃあそうだ。さっきまで四人は一緒に弁当を食べていたのだから。

 ぬああああ! と女子らしからぬ声をあげたくなったが、流石に理性が働いて思い留まる。しかし良い話題は浮かばない。いっそ、自分からバラしてダメージ軽減に努めようかと考え始めた時だった。

「夕樹」

「夕樹さん」

 ちょうど同じタイミングで、二つの声がしずくの名を呼んだ。

 両手で頭を抱えたまま、声がした方へ顔を向けると、そこには湊谷と綾が立っていた。

 まるで時が止まったように、教室が静かになったような気が……いや、後者は気のせいじゃないらしく、確かに教室は静寂に包まれていた。たまにある瞬間的静寂ではなく、誰もが声を無くした、本当の静寂。もちろん時は止まっていないが。

 まぁ、それも分からなくはない。なんせ、このクラスで声を掛けづらい、無口、無愛想など、絡みづらいランキングでは間違いなく一位二位を争うであろう二人が――同時に口を開くことさえ珍しいというのに、そんな二人が、『変わってるけど話してみると意外と普通の子?』ポジションのしずくに自分から話しかけたのだから。

 だが二人は、示し合わせてやってきた、というわけではないらしい。

「ん? 越水も夕樹に用?」

 湊谷はそんな声を漏らしながら綾に顔を向けて、綾も横目でそんな湊谷を見ていた。

「まぁね。私の方、長くなるから、湊谷先に良いよ」

「いや、俺の方も結構長くなるけど」

 しーんとした教室に気付いていないのか、それともどうでもいいのか、二人はそんな会話を始めてしまった。しずくとしては、長くなってもいいから、さっさと教室から出たい。他の三人がどんな反応をしているか視線だけで確認してみると、三人とも同じように口を半開きにしてポカンとしていた。

「そうなんだ。じゃあ私の方は放課後でも……」

「あー、話の流れによっちゃあ、放課後も夕樹は借りるかも」

 貸すなんて言ってないよ!

「放課後の十分かそこらでいいから私に貸してよ」

「あぁ、まぁそのくらいならいいか」

「てなわけで夕樹さん、放課後、ちょっと付き合ってね」

 そうして綾は片手を上げて、自分の席へ戻っていく。

 本人を前にして、本人に了承も取らずに予定が決められていった。私にだって、色々と予定があるのに。と内心で文句を言う。しかし、今日は何の予定もないので、それを口にしたら自爆するのは目に見えていた。

 綾の背中を見てから、湊谷はしずくに向き直る。そして、一言。

「今ちょっといいか?」

「いまさら!?」

 思わず口から出てしまったツッコミが、静かな教室に勢いよく響いた。



 湊谷曰く、あまり人に聞かれたくない話……というか、湊谷と自分という組み合わせの時点で十中八九幽霊関係の話だという事はしずくにも予想がついていた。

 だが、適当に校内をブラブラしながら話を切り出された時、その内容が随分とタイムリーなものであることには少し驚いた。

「一週間前に事故に遭った子供の話って知ってるか?」

 だが、その内容はただの噂話ではなく、事故前の少年の事だった。そして湊谷にその話をした、少年と知り合いの人というのは本谷美紗子。その名前とあだ名に、しずくは聞き覚えがあった。少し昔を振り返って、すぐに思い出す。確か、同じ中学の人だ。そう言えば受験の合格発表の後に、誰かから美紗子も同じ高校だと聞いた記憶がある。天然というかなんというか、大人しそうな子(ポジション的にはしずくが憧れている場所に近い所にいたと思う)だったから、湊谷と知り合いというのは少し意外に思った。

「それで、そんな幽霊を見た事が無いか訊こうと思ったんだけど……」

 チラリとしずくの顔を見て、

「ないみたいだな」

「なんで分かるの」

「そんな顔してるから」

 どんな顔だろう、としずくは自分の両頬に手を当てながら素直に認める。

「うん、まぁ無いけど」

 そしてふと思いついた。

「もしかして、放課後がどうとか言ってたのって、その男の子を探すから?」

「よく分かったな」

「ふひひ」

 何となく得意げになって、口から変な笑いがこぼれた。相手が雪江達なら少し引かれていたかもしれない。

 二人は二階の渡り廊下に出る。空は薄い雲しかない良い天気で日差しは強い。しかし風が涼しく、校内にいるよりも快適だった。

「ま、別に無理にとは言わないけどな。来ても、結構暇になると思うし」

「じゃあどうやって探すかとかは決まってるんだ?」

「それなりに情報もあるしな。夕樹が手伝ってくれるなら、夕樹は事故現場を見張って、俺は霊になって町中を飛び回って探してみる。知り合いの霊がいたら話を聞くことも出来るし」

「幽霊に知り合いがいるんだ」

 いいなぁ、と思う。話を出来るのも羨ましい。

「仲良いのは一人だけだから会えるかは微妙だけど」

 素っ気なくそう答えてから、「で」と少しアクセントをつけて言う。

「手伝ってくれるか? 別に本屋に幽霊を探してくれって頼まれたわけじゃないから、感謝もされないし当然謝礼もない。何のプラスにもならないけど」

 その答えは、わざわざ考えるまでもなかった。もともと、教室で噂話を聞いた時から、放課後にでも事故現場に行ってみようかと考えていたのだ。

「うん。いいよ。なんとなく気になるし」

 そう答えながら、内心では全く別の事をふと思った。

 本谷さんから直接話を聞いたからって、湊谷君がわざわざ自分で行動しようとするなんて意外、と。もしかして二人は付き合ってたりするのかな、なんて思ったりもした。

 少し冷やかす感じで訊いてみようとしたしずくだったが、

「そうか。助かる」

 そう言う湊谷の顔はいつもと違って少し柔らかく、すぐしかめ面に戻す(付き合っていてもいなくても彼は顔をしかめると予想)のはもったいないと、言葉を引っ込めた。

 それからしずくは、教室で聞いた噂話の中で最も印象深かった四項目を湊谷に話した。

「二十四時間ずっといるってのはないな。実は、昨日の夜、少しだけ現場に行ったみたんだけど、子供の霊なんかいなかった。代わりにおっさんの霊がいて……他の幽霊が発見されるって噂は多分これだろうな」

 首を傾げるしずくに、湊谷は言葉を続ける。

「なんか、事故現場に子供の霊が出るって噂は幽霊の間でも広まってるらしくて、気になってる連中がたまに事故現場へ様子を見に行ってるらしい。何かを探すように……って噂もここから来てるんじゃないか? 子供の霊が、とは書いてないから微妙だけど。それに、何であの場所でだけ、霊感のない一般人にも目撃されるかも分からん」

 それでも、一人で考えた時よりは大分審議がはっきりした。やはり経験者がいるのといないのでは全然違う。幽霊に実際に話を聞けるというのも大きい。

「じゃあ服装っていうのは? あと、呪いとか……」

「服装は実際見せた方が早いから、図書室についてからな」

 湊谷はそう言って向かっている先を指差す。話に夢中で気付いていなかったが、今、二人は図書室棟の前にいた。

「呪いは……ないと思う。としか言えない」

 図書室棟に入ったため、少し声量を押さえながら湊谷は言った。

「こればっかりは見た事が無いし、そんな話、幽霊からも聞いたこともない。まぁ、俺は無いと思う」

「うん。私も見た事ないけど、そう思う」

 幽霊は、優しくて暖かい。あんな人達が誰かを呪ったりするなんて考えられない。

 二人は口を閉じて図書室に入り、湊谷はいつもの椅子に、しずくは向かいの椅子に座る。室内に入った際、横目で図書当番の人を確認したけど、今日の当番は美紗子ではなかった。

 湊谷は席に座ると、「ちょい待ってて」と小声で言って、いつものように両腕を枕にして眠る体勢になる。そして五秒も経たないうちに身体からふわっと霊体になった湊谷が出て来た。

「本当に幽体離脱って感じなんだ」

「あんまデカい声で喋るなよ?」

 おっと、と右手を口元に持っていく。霊体とは言え湊谷を前にしているせいか、ついつい声を出してしまう。

「そんで、さっき言ってた服装の件だけど」

 返事をする代わりに、じっと湊谷の目を見る。それが嫌なのか、湊谷は軽く目を逸らしてから、両手を胸の前まで上げた。掌は向き合っていて、シンバルを持ったお猿の人形みたいなポーズをとる。

 そして、パチンと両手を合わせた。

「うわぁ」

 その瞬間、湊谷の服装は変わっていた。先程までは、本体と同じ学生服姿だったが、今は時代劇でたまに目にする武者が着ているような紺色の着物姿だった。この格好だと、普段は無愛想に感じる仏頂面も、どこか自然に思える。

「こんな感じで、幽霊って結構好き勝手に服装を変えられるんだ」

「へぇー」

 初耳だった。しかしよく考えてみると、自宅に住んでいる幽霊もたまに服装が違うことがある。着替えているところなど見た事が無かった。もちろん、予備の服も。

「ま、手を合わせたりする必要は無いんだけど。分かりやすいためにやっただけで」

 つまりは、

「その子供の霊も、多分こうして服装を変えてるだけだと思う。轢かれた時のままの姿ってのも、多分ないだろ。そのまま死んじまったならまだ分かるけどその子供は生きてるわけだし、俺を基準に考えるなら、病院で寝てる今の姿が反映されると思う」

 なるほどなぁ、と思いながら頷くと、湊谷は自分の身体にスッと入っていった。そしてすぐに、湊谷本体が顔を上げる。

「細かい噂話のウソホントは大体分かったな」

「うん。でも、なんか噂話自体が本当かどうか微妙な感じになってきたね」

 湊谷も分かっているらしく、「そうだな」と頷いた。

 子供の霊の噂話を聞いた幽霊が、ずっとではないとはいえ現場に来ていると湊谷は言った。しかし本当に子供の霊が出没するなら、これまでに見つかってもおかしくないと思う。霊感の無い人間だけが子供の幽霊を見つけて、同じ幽霊が見つけられないなんて事はあるのだろうか。

「つっても、実際、子供の幽霊が目撃されてるみたいだからな」

「そだね。自分達で確かめた方が早いね」

 そう言うと、湊谷は小さく笑みを浮かべた。そんな珍しい表情を見ていると、先程浮かんだ疑問をふと思い出した。

「そういえば、湊谷君って本谷さんと付き合ってるの?」

「もとや?」

「あ、えーと、本屋さん」

 これは付き合ってないな、と答えを聞く前に分かってしまった。いくら湊谷でも、交際相手の本名を覚えていないなんてことはないだろうから。

 そしてもちろん、湊谷は否定の言葉を口にした。いつもの仏頂面で。




「事故に遭った子供の霊の話、知ってる?」

 放課後。誰もいなくなった教室で、綾はそう言った。思わず、昼休み、図書室から教室に戻る途中で湊谷が口にした言葉が蘇る。


「あー、そういえば、越水も同じ話かもしれないな」

「なんで?」

「いや、本屋は越水にも同じ話したらしいからさ。……あー。つっても、あいつ、自分の目で見えないもの信じるか微妙だな」

「へー。……あれ? でも、なんで私に? だって、越水さん、私が霊感あるって事知らないよ? ……あ」

 そこまで口にして、話が繋がった気がした。よく考えてみると、美紗子と自分は中学一年生の時のクラスメイト。つまり、美紗子はあの自己紹介を聞いているのだ。

「思い当たることがあんのか」

 どうでも良さそうに聞く湊谷に、力なく頷く。

「うん……。多分」


 そしてその推測は(残念ながら)正解だったらしい。

 綾の口からは、昼休み、湊谷から聞いたのとほぼ同じ話が出て来た。ただ、しずくの気を引いたのは、綾の親戚にいるという専門家の意見だった。

 生霊はいる、生霊になりやすい人は簡単になってしまう、などはすぐに頷けた。それは、湊谷を見ていれば分かったことだから。もっとも、本人に断りもなく幽体離脱出来ることを言うのは駄目かと思い、綾には『生霊は見た事ない』と嘘を付いた。

 だが。

「従姉が言うには、生霊ってのが――たとえ事故現場でも、どこか一か所に固執するってことはないだろうって」

 しずくは首を傾げる。

「なんで?」

「幽体離脱中は意識をしっかり保てないらしいから」

「意識を保てない?」

「うん。フラフラしてるだけで、見た感じはただの浮遊霊と変わらないって」

「ふらふら……」

 自分の知ってる生霊、湊谷を思い浮かべてみる。確かにフラフラしているイメージはあるけど、それは生身の時も同じだし、なによりも意識を保てていないようには見えなかった。

 しずくは質問をしてみることにした。

「それって、話しかけても反応しないとか、そういう感じなの?」

「うん。従姉もそう言ってたから」

「でもそれじゃあ会っても話出来ないんじゃ……?」

 綾は再び頷く。

「でも、私や本屋ちゃんは幽霊について詳しいわけじゃないし、実際に見えるわけでもないから、もしかしたらを期待しちゃうんだよね」

 綾曰く、今の話は美紗子にもすでに話をしたらしく、その上でこうしてしずくに話すことを決めたらしい。そう言われてしまえば、しずくが口を出すようなことは無い。

「それで、お願いっていうのは、もし子供の幽霊を見つけたら、私か本屋ちゃんに教えてほしいの」

 湊谷と約束したことを言おうか悩む。しかし、それを言って、二人に付いてこられでもしたら、湊谷が生霊になれることを言わざるを得ない状況になりそうだ。なんせ、作戦上、どうしても湊谷は眠らないといけない。事故現場のそばにあるという喫茶店の中か、公園のベンチで眠ると言っていた。いわば、しずくは事故現場と、眠っている湊谷の見張り役なのだ。しかし、この二人が来てしまえば、眠っている湊谷を迷わず叩き起こそうとするだろう。傍から見れば、協力している立場のしずくが起きていて、協力を依頼した湊谷が惰眠を貪っているのだから当然の行動なのだが。

 まぁとにかく。その事を話したら何かと面倒な事になりそうだ。

「うん。分かったよ。小学五年生くらいの男の子だね」

 しずくが頷くと、綾は大人びた静かな笑みを浮かべて「よろしく」と言った。

 それから二人は連絡先を交換してから別れた。

「あんまり湊谷を待たせるのは悪いしね」

 別れ際にそう言った綾は何か含んだ感じの笑みを浮かべていた。彼女が教室を出てから気付いたが、何やら勘違いされたのではないだろうか。美紗子が湊谷に少年霊の話をした事を綾は知らないようだったし。

 まぁ、いっか。と机の横に引っ掛けていた鞄を取りながら思う。綾がそういう事を言い触らすような人じゃないのはさっき分かったところだし、それに自分の体質というか、からかわれ続けていた霊感を信じてもらえる人がまた一人増えて、しずくはご機嫌なのだ。今のところ、この霊感について知っているのは湊谷と綾の二人だけ(もちろん幽霊は除く)。湊谷は自分自身が幽霊になれたり、綾は親戚にそう言う人がいたりと無根拠で信じてもらえたわけではないけど、それでも嬉しい。

『夕樹さんって霊感あるって本当?』

 数分前、綾にそう聞かれた時は少し焦った。湊谷のおかげである程度覚悟はしていたのだけど、実際に現実でそう問われるとやはり焦ってしまう。でも、綾がそう質問するのは少年霊の件だという事も分かっていたため、聞かれたら肯定するつもりだった。しかし、中学時代にからかわれた記憶がフラッシュバックすると、頷くことも返事をすることも出来なくなった。

 そんなしずくを見た綾が、親戚に霊感のある人がいる事、そして少年霊を探すために力を貸してほしいという事を説明されて、ようやく頷くことが出来たのだった。

 教室を出て廊下を歩きながらふと思う。

 しずくのクラスではとっつきにくい事で知られている湊谷と綾だけど、よく考えればそんな二人は本谷美紗子のために動いているのだ。あの二人と比べたら(中学時代の話だが)美紗子は影が薄いというか、そんな印象に残るタイプでもないと思っていたのだけど……。

 自分が、例えば今回の美紗子のように、幽霊がどうこうという一般人には戯言にしか聞こえないであろう相談をしたら、友人達は湊谷や綾のように助けてくれるのだろうか。明確な答えを出す前に、こんな想像は意味がないと思考を打ち切る。さっきも考えたように、湊谷は自分自身がそうだから、綾は親戚に霊感を持っている人がいるから、という、美紗子の言葉を信じられる理由がある。

 でも、と考えてみる。

 もし二人が、大多数の人と同じように霊と無関係――湊谷は幽体離脱など出来ず、綾の親戚にも霊感のある人などいない場合、二人はどうしただろうか。

 いくら想像力を働かせても、相談してきた美紗子を彼らが笑うところなど想像出来なかった。

 昇降口へ行き、外履きに履き替えてから駐輪場へ向かう。湊谷はそこで待っていた。

「湊谷君って自転車だったっけ?」

 少し使い古された感じがするママチャリの荷台に座って携帯電話を構っていた湊谷に尋ねる。

「天気と気分による。雨の日とか自転車漕ぐのが面倒くさい時は電車とバスで、それ以外は自転車だな」

「それ以外って、私、湊谷君が自転車通学してるところ見た事ないよ?」

「まぁ入学してからまだ数回くらいしか乗ってないからな」

「へー。じゃあ今日は珍しく……あ、もしかして、事故現場に行くから?」

 湊谷は頷く。

「歩いて行くにも遠いし、近くに駅もないからな、あそこは」

 面倒くさそうにそう言う湊谷を見ていると、何を考えているのかなんとなく分かった。

「飛んでいけたら楽なのにね」

 もちろん、霊体になって。

 図星だったのか、湊谷は小さく苦笑する。

「ま、そんなわけにもいかないからな。学校から結構離れるわけだし」

「そだね」と返事をして、しずくは自分の自転車の籠に鞄を入れる。ふと、桜の木が視界に入った。枝には薄桃色の花ではなく、料理やお菓子――有名どころで言うと桜餅や塩漬けなどに使われる青々とした葉っぱが付いている。

「そういえば、桜子さんって、どうして春にしか出てこないの?」

 いつだったかそんなことを言っていたのを思い出して尋ねてみる。湊谷は少し考えるような表情をしてから、

「卒業生と入学生を見るのが好きなんだってさ」

 よっこいせ、と自転車に跨る。

「なんで?」

「さぁな。そこまでは知らん」

 普段に増してつっけんどんな態度を不思議に思ったしずくだったが、さっさと自転車を漕ぎだしてしまった湊谷を慌てて追う。

 学校の敷地から出て、湊谷の背中を追う形のまま進む。実は聞きたいことがいくつか(というか桜子さんの事は突発的に質問しただけだが)あった。さっき綾と話して不思議に思った事とか一か月前に話をした時から、ずっと気になっていたこととか。だけど、それは大声で話せるような話題じゃあないし、後項はあんまり深く聞いて良いのかも分からなければ、聞く決心もついていない。

 だからしずくは、湊谷の背中を見ながら内心で問いかけてみる。

 専門家の人が言ってたらしい生霊と湊谷君が少し違うのはなんで?

 それと。

 幽体離脱が出来るようになった時期と、湊谷君のお父さんが亡くなった時期が重なってるのは、偶然なのかな?



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