幽霊
「いやー、中間テスト終わったなー」
「ねー、終わったぁー」
「ていうか、戸牧、テスト中寝てた?」
「うん、早く終わったから寝てた。なんで?」
「いや……ぷっ。あのな、テスト中に……ぶふっ、寝てる余裕なんて……ぶほっ、普通無いよなぁ。って思って」
「う、うん。ふふっ」
「思わず、死んでる……!! って思……」
そこで言葉を止めた三戸森翔は、限界とでも言うように腹を抱えて笑い始める。戸牧雪江は机に突っ伏しているが、たまに漏れる笑い声と震える肩を見れば、どんな表情をしているのか容易に想像出来る。
そんな二人を見ているしずくの表情は、当然の如く膨れ面だ。
一月半前から、しずくはことあるごとにこうして二人にからかわれている。
雪江は中学からの友人。面倒見がいい性格で、クラスメートからは男女問わず好かれている。
三戸森とは高校に入ってから知り合った。性格は、まだイマイチ分かっていないけど、自分とは正反対のタイプだということは分かっていた。
「いつまで笑ってんだよ、お前ら」
一月半前の失態を思い出して泣きたくなったしずくの横に誰かがすっとやってきて、そう言った。
その救世主の名前は四篠彰。少しクールな感じの男子。この四人の中では唯一の恋人持ちだ。
「だって面白かったじゃん、『死んでる……!!』って。俺なんかあれ見て以来、どんなバラエティー番組でも笑えなくなっちまったもん」
ようやく顔を上げていた戸牧が、三戸森の物真似を見てまた机に顔を沈めた。
もう笑いたいだけ笑えばいいよ。としずくは更に膨れる。
「俺はもう飽きたよ、そのネタ」
「なんだよ、つまんねーなー」
三戸森はそう言って口を尖らせる。子供っぽい仕草だが、少し童顔な彼には似合っていた。
四篠にその気があったかは分からないが、助けられた気がしたので、しずくは笑みを浮かべてお礼を言う。
「ありがとう、四篠君」
「お、おう……」
照れている。なら可愛げがあるのだが、しずくが見る限り、四篠は笑いを堪えていた。
何故、お礼を言って笑わなければならない。何故、笑顔を笑わなければならないのか考えて、しずくは一週間前のことを思い出した。
「わ、悪い、夕樹……。まだ、あれは飽きてない……」
そう言いながらところどころで笑いを堪える四篠。普段クールなだけに、彼にそこまで笑われると他の人以上にダメージが大きい。
四篠につられて戸牧と三戸森まで一週間前のことを思い出した(と言っても彼らは四篠から聞いただけだ)らしく、二人とも小さく笑い始めた。
しずくは『もー!』と牛のように鳴きたくなる気持ちを溜め息に乗せて口から出す。
大人しいけど良い子ポジションはどこにいっちゃったんだろう……。
結論からいうと、窓際最前列の男子――湊谷葉は死んでいなかった。当然だ。死んでいたら笑い話になってない。
三戸森曰わく、抹枝南高校今年度の流行語大賞間違いなしの『死んでる……!!』の後、湊谷はすぐに顔を上げた。
その時、自分がどんな顔をしていたのかしずくに知る由はないが、その顔を見た戸牧が堪えきれずに笑い、それにつられてクラスメートも笑った。今考えれば気まずい空気にならなかっただけマシなのかもしれない。
そんな笑い声が響く中、しずくは湊谷から目が離せなかった。顔を上げた湊谷はしずくを一瞥して、頬杖をついた状態に戻った。
そんな様子を笑いながらも目敏く見ていたらしい戸牧に後から『一目惚れ?』と聞かれたが、違う。違うけど、言えるはずもない。
だって、抜けていた魂が体に戻った、なんて、幽霊を見慣れているしずくですら信じられないことだ。
もっともしずくはその道の専門家というわけではない。ただ、そういうものが見えるだけだ。つまり、珍しいことなのかは正確に言えば分からない。ただ、湊谷のようなことが出来る人なんか会ったことも見たことも聞いたこともない。一目惚れなどでは断じてないが、気にならないと言えば嘘になる。
でも、湊谷と話をしづらいのも確かだ。ただ単に話すきっかけがないというのもあるが、しずくとしては幽霊が見えるなんて体質を誰かに知られたくはないし、噂が流れるだけでも嫌だ。それに、湊谷がしずくを一瞥した時、まるで『何も言うな』と口止めをされたような気がした。
まだ笑っている三人を見てから、窓際最前列の席に目を向ける。
入学から一月班が経過した今も友達が出来ていない(これも話しかけづらい原因の一つかもしれない)湊谷は、既に帰ってしまったらしかった。友達が多いからか、妙に情報通な雪江によると、湊谷は高校進学と同時にこちらの方へ引っ越してきたらしい。流石に引っ越しの理由までは分からなかったようだが、もともとはこんな田舎ではなく、しずくからすれば怖い場所というイメージしかない東京に住んでいたらしい。それを聞いたしずくは、他の人と比べて雰囲気が冷たく感じるのはそのせいなのかな、と少し納得した記憶がある。
「なぁ戸牧、今回のテスト、どうだった?」
いつの間にか笑いが収まっていた三戸森の言葉に反応して顔を向ける。
「普通かな。最初だからか知んないけど、思ったよりは簡単だったかも。三戸森は?」
「楽勝、楽勝」
「こいつ、こう見えて勉強出来るからな」
四篠が言うと、三戸森は得意げな顔をする。
中学時代の成績を言い合っている三人を見ながら、しずくは欠伸をかみ殺す。眠たいわけじゃあないけれど、今日は暖かい良い天気だから自然と気が緩む。
ふと窓の外の桜の木を見る。入学式の日、帰る前に見つけた女性の幽霊は、桜の花が散ると同時に見なくなった。朝と夕方は生徒を笑顔で迎え、見送り、昼間は桜の木に登って授業風景を眺めていた。しずくがそう言う体質であることにすぐ気付いたらしく、自分には手を振ってくれていた幽霊を思い出す。
どうして彼女が桜の木周辺にいたのか、しずくには分からない。それどころか、彼女の名前さえ知らなかった。
何故なら、幽霊の言葉は聞き取ることが出来ないから。
それは、どの幽霊も同じことで、幽霊が人間の言葉を聞き取る事は出来るようだが、逆は不可能なのだ。
そんなわけもあり、しずくは彼女の事を勝手に桜子さんと呼んでいた。我ながら安直なネーミングだと思ったけれど、桜子さんも嬉しそうな顔をしていた。
どこに行っちゃったんだろう、と思う。しかし、幽霊が姿を見せなくなる事はこれまでに何度もあった。ひょっこり帰ってくる者もいれば、ずっと姿を見かけない者もいる。成仏したのかな、と思うが、どうすれば成仏するのかも知らない。在り来りな考えで言えば『やり残したことが無くなれば』なのだろうけど、意志疎通が出来なければその推測が正しいのかも分からない。
まぁ、しずく自身、この事をあまり気にしてはいなかった。物心がつき、自分の見えている世界が他人と少し違う事に気が付いた時は色々と考えたりもしたが、今では『幽霊とはそういうものだ』という風に捉えている。
だからこそ、自分の知っているものと違う湊谷の霊体を見た時はあれほどまでに驚いてしまったわけだが。
「一番点数が低かった奴は罰ゲームな」
何やらあまり関わりたくない方向に話が進んでいることに気付き、しずくは『自分は関係ない』と主張するように湊谷の席にもう一度顔を向けた。
そこには当然ながら湊谷の姿も、幽霊状態の湊谷もいない。ただ、彼の冷たい雰囲気が少しだけ残っているように思えた。
「罰ゲームは夕樹か」
一週間前と同じように、放課後、しずくの席の周りに集まった三人のうちの一人、四篠がしずくの中間テスト合計点数を聞いてそう言った。
「え?」
何の話? と訊こうとして、一週間前の会話を思い出す。いやいや、それにしても『え?』だ。なんせ、しずくは賭けに参加するなんて言っていないし、誘われてもいない。
だが、しずくの内心も知らずに、三戸森と雪江は
「意外だな。夕樹、頭良さそうなのに」
「テストでさえ緊張して全力だせないのがしずくクオリティだから」
なんて勝手な事を言っている。緊張したのは事実だけど。
「ば、罰ゲームって何?」
無理に反論しても数で負けると悟ったしずくは恐る恐る尋ねる。本当に嫌なら逃げよう。全力で逃げよう。と心に決めながら。
「あー、どうする? なんか案あるか?」
どうやら具体的に何をするかは決まっていなかったらしく、四篠が他の二人に視線を向ける。
最初に反応したのは三戸森。はーい、と元気に手を挙げる。
「俺が死んだフリするから、夕樹は」
「いつまで引っ張るの、それ……」
「だって、面白かったからさ。誇っていいぞ。俺の人生で一番面白かった!」
「嬉しくない」
しずくが即答すると、三戸森は愉快そうに笑う。この調子だと、今年一年はずっと言われそうだった。
嫌々ながら覚悟を決めていると、今度は雪江が口を開く。
「罰ゲームなんだけどさ」
今一番ホットな話題に、三人は揃って反応する。
「湊谷君の情報を聞き出してくるってのはどう? なんでもいいから、そうだなぁ……、三つくらい」
「えぇ?」としずくは声を上げる。
「嫌なの?」
「そうじゃないけど、なんでそんなこと……」
「そんなの、謎だからに決まってるでしょ。それに、ついでに入学式の時の事、謝ったら?」
謎は謎のままでもいい、というのがしずくの主張だが、ついでについては確かに雪江の言う通りだった。
そうだよね。一応、巻き込んじゃったわけだし、謝るべきだよね。
とはいえ、これまでそう思わなかったわけではない。尻込みしていた理由は、やはりあの冷たい雰囲気と一度だけ視線が合った時の目のせいだった。
「でも確かにあいつって謎だよな」三戸森が思い出したように言う。
「湊谷って授業中は大抵寝てるだろ? それなのに、あいつ、テストの点数はめちゃくちゃ良いんだよな?」
確認するような問いに、四篠は「あぁ」と頷いて、しずくと雪江を見る。
「席が隣だから偶然見えたんだけど、五教科の合計点数は四百五十点弱。有り得ない数字じゃないけど、普段の授業態度からすると凄い数字だな」
それは……と言いたくなったが、言葉を飲み込む。
確かに、湊谷は授業中、ほとんど眠っている。だけど、実際はそうじゃない。湊谷は、霊体になって授業を受けているのだ。眠っている本体の頭上にふわふわと浮いて、休日の父親のように空中で横になり、片肘をついて頭を乗せている体勢で。そしてたまに体に戻ると、板書を一気に書き写してまた霊体になる。でも、しずくが同じような事をしてもそこまでいい点数は取れないであろうことを考えると、やはり湊谷は頭がいいのだろう。テスト中は、霊体になる事はなかったし。
「それに、案外、話してみたら仲良くなれるかもよ? なんだかんだで湊谷君の事、気にしてるでしょ?」
男子二人に聞こえないよう、耳元に顔を近づけて雪江はそう言う。
「そんなんじゃないけどさ……」と煮え切らない態度を見せると、
「『特技は幽霊が見える事です』ってクラスメートの前で宣言する、の方が良い?」と、再び耳元で言った。
ぬあっ!? と変な声が出そうになった。だって、それは卑怯だ。だからこそ、抗いようがなくて、しずくは眉をハの字にしながら小さく頷いた。
特技は幽霊が見えることです。
今から三年前、中学生初日の自己紹介で、しずくはそう言った。
全校生徒は五百人弱。一学年四クラスの小さな中学校だったが、しずくが通っていた小学校は一学年一クラス。しかも人数は二十人程度の、更に小さな学校だった。
そんな世界しか知らなかったしずくにとって中学校という場所は衝撃的で、何かせねば自分という人格は人に呑まれて死んでしまう。そんな気がした。
だからだろうか。それとも、これだけ人がいるなら自分と同じ人だっているかもと思ったのだろうか。三年前の事と言えど、完全にテンパっていたため、よく覚えていない。思い出したくもないからいいけど。
そんな、我ながらふざけた……過去に戻れるならその口に『パティシエ富田』のシュークリームでも突っ込んでやりたい(噛んでも手で押し込んでもクリームが溢れるという罠)自己紹介をしたせいで、それから三年間、あだ名は『いたこ』だった。
口寄せとか霊媒的な『イタコ』と、どうしようもなく痛い子で『痛子』という、中学一年生が考えたにしては無駄に神経を逆撫でしてくるあだ名だ。
もっとも、それが原因でしずくがイジメられるようなことはなかった。クラスに一人はいるお調子者の男子にからかわれたりはあったが。
その間の記憶はしずくにとって一生美化されないであろう過去だ。
湊谷君に話し掛けるのは明日かな。と思っていたが、雪江の『湊谷君は放課後、図書室にいる』という情報によって、しずくは図書室に向かっている。
二棟ある教室棟を繋いでいる二階の渡り廊下。その中心はT字になっていて、曲がった先に目的地がある。一階に家庭科室と家庭科準備室、二階に図書室、生徒の間では図書室棟と呼ばれている小さな建物だ。まだ家庭科の授業は教室でしか行っていないし、図書室に来るような用事もなかったしずくは、この棟に来ること自体が久しぶりだった。
図書準備室の前を通って、ドアが開けっ放しになっている図書室へ入る。カウンターの中で返却された本を並べている図書委員の視線を感じながら、室内を見回した。
人の数は少ない。勉強している人はいなくて、八脚の椅子に囲まれている大きなテーブルを一人で使ったりしたりしている人もいた。身勝手に独占しているわけじゃなくて、他に人がいないからそうなっているのだろうけど。
湊谷も大きなテーブルを独占している一人だった。しかも、他の人と違って勉強もしていなければ本すら読んでいない。授業中の教室でよく見る姿勢、両腕を枕にして眠っていた。
しずくが隣の席に座っても、彼は顔を上げない。どうやら本当に寝ているらしい。自宅以外で寝るなんて、しずくからすれば考えられない事だ。よくそこまでリラックスできるものだと今更ながら感心する。
いや、待てよ。としずくはすぐに思い直すと、愛想笑いを浮かべて小声を出す。
「あの、湊谷君」
「…………」
「湊谷くーん」
「…………」
「…………」
し、死んでる……!! と少しだけ言いたくなってしまった自分を嫌悪しながら、しずくは湊谷の肩にそっと手を伸ばして、ゆさゆさと軽く揺する。
「湊谷くーん」
しかしやはり反応はない。
これはやっぱり授業中と同じで魂が抜けている状態なんだ、としずくは確信する。普段と違うのは、霊体となった湊谷の姿が近くにないという事だろう。
どうしよう。としずくは迷う。この図書室は七時くらいまで開いている。もし湊谷がその時間まで戻って来なければ三時間くらい待ちぼうけを食らう事になるし、夕樹家の門限は七時だ。六時には学校を出ないと、門限に間に合わない。それまでに湊谷が起きなければ、本当に時間を無駄にしただけになってしまう。でも、今日中に話し掛けないと、明日、教室で話しかける流れになる事は分かりきっている。そうなると、雪江以外の旧友も話に参加してくるだろうし、旧友の友達も……というまるでネズミ講のような無限連鎖で話が広がっていくだろう。女子の伝達能力は恐ろしいのだ。
「あれ、夕樹さん」
そんな声に顔を上げると、そこにはクラスメート、越水綾の姿があった。同級生と比べると少し大人びた容姿。それに比例して、性格も大人っぽい。先輩だったら憧れていたかもしれない。百六十五センチと、女子にしては高い身長に少し茶色っぽいロングヘアー。少し無愛想というか、笑顔を浮かべることの少ない綾だが、無表情でも彼女を不細工と思う人間はいないだろう。多分。
そんな性格のためか、綾はクラスの女子から少しとっつきにくい印象を持たれている。湊谷と違って友達はいるが、そう多くもない。多ければいいというものでもないが。
「越水さん」
「珍しいね、夕樹さんが図書室にいるなんて」
綾の手には白いハードカバーがあり、彼女の知的なイメージとマッチしているように思えた。しずくが同じ本を持っても、おそらくここまで映えないだろう。
その言葉にしずくが答える前に、綾は視線を湊谷に移す。
「湊谷に用?」
「う、うん。そんなところ」
綾は他の女子と違って事情を離しても面白がったり他の人に広めたりしない気がしたが、それでもしずくは誤魔化すことにした。
綾は「ふぅん」と何か意味深な呟きを漏らしてから、しずくと目を合わせて「そうなんだ」と軽く微笑んだ。
「でも、起きないでしょ、湊谷」
しずくの向かいの席に座り、開いたハードカバーに目を落としたままそう言う。
頷くと、今度は少し呆れたような笑みを浮かべた。
「あんまり気にしない方が良いよ。いつもだから」
「いつもって、ここで寝てるのが?」
「うん。というか、ここで寝てて、話しかけても起きなくて、でも無視してるわけじゃない。本当に寝てるだけ。っていう一連がいつも通り」
「そうなんだ」と返しながら、横目で湊谷を見る。綾の話が本当なら、いつも湊谷は霊体だけでどこかに飛んで行っている事になる。
でも、それって結構危ないんじゃないかな。
しずくはふと思う。
だって、魂が抜けているって事は、今の湊谷君(本体)は息もしていなければ脈もなくて、心臓も動いていない状態っていうことだよね……。
あれ? そうなのかな?
「……夕樹さん、なにやってんの?」
「え?」
右手の人差し指と中指を立てて湊谷の首筋に当てるしずくを見て、綾は呆れたような声を出す。
「えと、脈の確認を……」
「……なんで?」
「い、生きてるかなぁって」
「はぁ」という綾の気の抜けた返事を聞いて、しずくは顔が熱くなるのを感じた。思い付いたら何も考えずに即行動してしまう性格はなかなか治らない。
「夕樹さんと湊谷って知り合い……じゃないよね」
「うん。話したこともないよ」
「だよね。湊谷も言ってたし」
「湊谷君と喋ったことあるの?」
「まぁ、こうしてほぼ毎日、会ってるからね」
会っても顔を合わせない事もあるけど、と綾は湊谷を見ながら言った。
「湊谷君とどんな事話すの?」
もしかしたら湊谷君と直接話さなくても越水さんから情報を聞けるかも知れない、と思ったしずくだったが、綾は期待を裏切るように手を顔の前で軽く振る。
「いやいや、そんな毎日話すわけじゃないよ。本当にただ顔を合わせるだけ。挨拶をする程度の仲だよ。話したのは、初めて図書室で会った時くらいじゃないかな」
「私の話もその時?」
「うん。というか、夕樹さんの話しかしてないよ。私が質問したんだけどね。さっきみたいに、知り合いなの? って」
「なんで?」
「自己紹介の時、夕樹さん、湊谷が死んでるって勘違いしたでしょ?」
うぐ、と思わず口から変な声が出た。口調からして、綾にからかう気が無いのは分かっているのだが、どうしても過敏に反応してしまう自分がいる。
「普通、この状態の湊谷を見て死んでるとは思わないから、二人は知り合いで、なんか勘違いした事情があったのかなって思ってね。湊谷には『知らん』の一言で済まされたけど」
「もしかして喋ったのって……」
「うん。それきり。ま、お互い話しかけないっていう理由もあるんだけどね」
「……気まずくなったりしないの?」
「しないよ。多分、湊谷も気にしてないと思う」
確信を感じさせる声に、しずくは「ふーん」と返して、ふと気付く。
挨拶をする事があるなら、湊谷君が大体何時頃までここにいるのか越水さんは知ってるんじゃないかな。
その事を訊くと、越水さんは入り口付近の壁に掛けられている時計を見て、
「日によって多少誤差はあるけど、大体六時くらいかな」と答えた。
「六時」としずくは確認するように呟く。
微妙だ。というか、それからいろいろと話をしていたら、絶対に門限には間に合わないだろう。家にいるのが母親だけならいいが、父親が早く帰ってきていたら絶対に怒られる。ついでに、しずくの携帯電話に鬼のような不在着信が残る事になる。友達の父親にも心配性な人は多いみたいだけど、しずくの父親は少し過剰だ。遅くなるって連絡を入れたら、絶対に理由を聞かれるし、しずくはすぐに顔に出る性格だから嘘を付いて誤魔化すことも出来ないだろう。万一嘘がバレて、『実はクラスメートの男の子と喋ってました』なんて知れたら、父親が発狂してしまうかもしれない。
視線を前に戻すと、綾はハードカバーに視線を落としていた。教室で見ていた感じで、綾があまり喋るタイプではない事をしずくは分かっている。湊谷と違って、話しかけたらちゃんと反応するし、一言二言で会話を終わらせるような事もしないが。多分、トークスキル自体はあるのだと思う。しずくよりも、ずっと。ただ、喋らないだけで。
しずくは、それをもったいないと思う半面、羨ましく思った。なんでかは、自分でも分からなかったが。
そういえば、湊谷君は放課後に幽体離脱して、一体どこで何をやっているんだろう、としずくは内心で首を傾げる。
ただ単に移動するだけなら霊体の方が早いだろうが、あの姿では人と喋る事はおろか、存在を認識してすらもらえない。でも、もしかして幽霊と話は出来るのだろうか。それにしたって、あの湊谷が誰かと楽しく会話しているところなど想像できない。それに、こんな人目の付く場所に身体を放って遠くにはいけないだろう。そう考えると、湊谷は校内にいるのかもしれない。
放課後の学校……。人の目から見えない……。
ハッと、どこぞの探偵アニメの演出のような電流がしずくに走った。
覗き……!! でも、湊谷君が? ううん、湊谷君だって男子だし。そうだとしたら、可能性が一番高いのは水泳部かな。この学校には女子水泳部しかないし……いや、でも可愛い女子で言ったらバスケ部の方が多いかも。まさか漫研には来ないだろうし。
かくいうしずくは漫研所属だ。もっとも、旧友からの頼みで部活認定されるための数合わせで入っただけで、活動はおろか、部室にすら行かない。
それはそうと、早く覗きを止めさせに行かねば! としずくが意を決して立ち上がった時、開きっ放しの入り口からフワフワと湊谷が入ってきた。その顔には小さな笑みを浮かべて満足そうで、足取り(地面に足はついていないけれど)もどこか軽そうだった。
珍しい笑顔を見ても、数秒前まで考えていたことが考えていた事だったため、どこか卑猥というかなんというか、あぁ目の保養は終わりましたか、という感想しか出てこない。
少し引いたような目で見ていると、顔を上げた湊谷と目が合った。
お互い気の抜けた表情で見つめ合ってから、唐突にムスッとした湊谷が踵を返した。
「ちょっと待って!」
思わず、勢い良く立ち上がりながら大声で呼びとめる。
その声に湊谷は動きを止めて、嫌そうな顔をしながらも振り返った。彼の視線以外にもたくさんの――というか図書室中の視線を集めてしまったが、湊谷に何と話し掛けるべきか今更考え始めたしずくはその事に気が付いていない。
「あ、あの! 私、湊谷君に用が……」
大きな声でそこまで言ったところで、ようやく周囲の視線に気付いた。ついでに、今の湊谷は霊体だということにも。
「……………」
誤魔化し笑いを浮かべそうになる口角を微妙に痙攣させながら、しずくの顔は真っ青になり、どっと冷や汗が出てくる。笑って誤魔化せるような状況じゃない事は、流石のしずくも理解できていた。
不幸中の幸いなのは、やはり図書室内に人が少ない事だろう。そして、近くに居るのは綾だけだという事も。
「……どうしたの?」
眉を潜めて怪訝そうな表情になる綾。ドン引きというわけではなく、本当に困っているという事がなんとなく分かって、少し安心しながらも罪悪感を覚えた。
「え、えっと、えーと……」
心配そうな表情の綾と、面倒くさい事になったとでも考えていそうな湊谷を交互に見る。そんなしずくの視線を追って綾も振り返ったが、不思議そうに小首を傾げてから前を向き直し、しずくと視線を合わせる。
「み、湊谷君に……その……用があるんです」
実は越水さんに話していました大作戦の決行だった。
「それは知ってるけど……」
「うん。だよね。えっとね、だから、あの」
綾の肩越しにヘルプの意を込めて視線を送ると、空中で胡坐をかいて暇そうにしていた湊谷は「よっこいせ」と空中で立ち上がり、しずくを見ると図書室入口を指差した。そして、頭の上にハテナマークを浮かべるしずくを置いて、振り返ることなく図書室の入り口に向かう。
着いて来い、と言っていることはしずくにも分かった。
「夕樹さん?」
「あ、えっとね、私帰るから、湊谷君が起きたら、私がそう言ってたこと教えといてくれない?」
「え。そりゃ、いいけど。教えとくだけでいいの? 伝言あるなら聞いておくけど?」
「うん。それだけでいいから。あ、別に湊谷君が起きるまで待ってなくてもいいからね」
自分の逃げ口上のために綾を遅くまで残すわけにはいかないため、それだけ言ってしずくは机の上に置いておいた鞄を取る。
「それじゃっ!」
「うん。じゃあね」
綾の柔らかい笑みに引きつった笑みを返してから、しずくは半分走っているような早歩きで図書室を出る。そこには既に湊谷の姿はない。慌てて窓に張り付くと、図書室棟の外をふわふわと浮かびながら進んでいるのを見つけた。
窓を開けて『ちょっと待って!』ともう一度叫ぼうと窓の取っ手に手をかけて息を大きく吸い込んだが、先程の失敗を思い出して息を大きく吐いた。何呑気に深呼吸してるんだ、と自分にツッコんでから、しずくは身を翻して廊下を進み、階段を降りる。
湊谷は、おそらく図書室棟の裏に向かっているのだろうとしずくは推測する。学校モノの漫画やドラマでは校舎裏が不良のたまり場とかの、人気のない場所として登場するけれど、この学校では図書室棟の裏がそういう場所になっている。もっとも、不良らしい不良もいない学校なので、ただの人気が無い寂しい場所、せいぜいカップル達のホットスポットとして使われているくらいの噂しか聞かない。図書室にすら久しく来ていなかったしずくが図書室棟の裏に来たことがあるはずもない。少し心配だ。いや、湊谷は霊体なので人に危害を加えることはおろか触れる事すら出来ない事は分かっているが、もし校舎裏でカップルがホットなやり取りをしていたら……。その時は、少し遠いけど、もう一か所ある人気のない場所の体育館裏に、湊谷君を誘っていく事にしよう。こっちは、全然整備とかがされていないから、雑草は伸び放題でたまに犬とか猫のフンが落ちていたりするから、流石のアツアツカップルもあそこでイチャコラしようとは思わない。と、思う。
階段を降りきり、真正面にある入口から外に飛び出す。昼間と違い、夕方になると少し涼しい風が吹く。妄想を振り払うように左右を見るが、湊谷の姿はやはりない。こうなれば、自分の推測を信じるしかなく、しずくは図書室棟裏に向かって走り出した。
「やっと来たか」
体育館裏。しずくがやってきたことに足音で気付いたのか、二メートルほどの高さで仰向けに寝ていた湊谷が「よっ」と体を起こす。
「って、どうかしたか? 顔、真っ赤だけど」
「え、ううん! なんでもないから!」
「そうか」
両手を振って否定すると、湊谷はあっさりと引いた。自分でも分かるほどしずくの顔は未だに真っ赤――むしろ、湊谷の問いで先ほど見た光景がよみがえり、顔の赤みは増しているのだが、どうでもいいらしい。
「なかなか来ないから、ちゃんと付いて来てなかったんじゃないかと思った」
完全に見失ってました、と内心で答える。しかし、ここに着くまで一度も後ろを確認しなかったらしい。なんというマイペース。というか自分勝手。
「う、うん。実は姿を見失ってたんだけど、話をするなら人気が少ない所に行くだろうなぁって思って、それで……」
「なるほど。ここに来たってわけか。まぁ、人気が無いって言ったら図書室棟の裏かここくらいのもんだからな。でも図書室棟裏は毎日のようにイチャイチャしたい奴らが来るし、今日なんか三年生が来てて、いくところまでいきそうな雰囲気になって……」
吐き捨てるように愚痴を言っていた湊谷の口が止まり、顔を真っ赤にしているしずくに目を止めて「あぁ」と納得したような、少し同情するような声を出した。
気まずい沈黙が流れる。たまに吹く風で、しずくの腰のあたりまで伸びている雑草がさわさわと揺れた。そんな微かな音を何度か耳にして、ようやく顔の火照りが治まってきた頃、湊谷が「で?」と言った。
あまりに短い言葉(というか一文字である)過ぎて質問されていることが分からず一瞬だけポカンとしてしまったしずくだが、『で?』の続きをすぐに脳内補完する。『で、何の用?』といったところだろう。
『罰ゲームで湊谷君の情報を聞き出しに来ました』なんて馬鹿正直に答えれば、彼に呪い殺されかねない。幽霊にそういう事が可能なのかは知らないが。とはいえ、誤魔化せばいいだけ。しかし、しずくは昔から『意図的に嘘を吐く』ということが下手くそだ。嘘を口にする時、どうしても罪悪感が表情に出てしまい、たとえ初対面の相手にでも分かるような酷い顔になる。
実際、嘘を吐こうか悩んでいる今も、しずくの表情は先程と比べて少し冴えないものになっていた。そんな表情で口を噤んでいるしずくに、湊谷は後頭部を軽く掻いてから口を開く。
「じゃあ俺から質問していい?」
しずくが顔を上げると、湊谷は返事も待たずに言葉を続ける。
「なんで俺のこと見えてんの? 俺のことっていうか、幽霊?」
地上二メートルという高い位置にいるせいか、質問というより尋問されているように感じて、しずくの体に少しだけ緊張が走る。これで人見知りも追加されたら何も喋れなくなってしまうかもしれなかった。人見知りしないでいられる理由は、今の彼が幽霊だからだろうか。
幽霊は優しい。それがしずくの認識だ。喋れないけど、言葉による意思疎通は出来ないけど、その表情や雰囲気には生身の人間にはない暖かさがあって――――って、
「なんで湊谷君、喋れるの?」
口をポカンと開けたしずくの問いに「は?」と不機嫌そうな顔をした湊谷の体は相変わらず宙にふわふわ浮いていて、どこからどう見ても幽霊だった。
そりゃあ一般的に考えて、急に『お前、喋れるんだ』なんて言われたら、普段から無口な者でも癪に障るかもしれない。嫌味にとられても仕方がないのはしずくにも分かった。でも、おかしいものはおかしい。だって幽霊は喋れない。正確に言えば、その声は届かない。
「へぇ、そうなんだ。この状態の俺には普通に聞こえるけどな、幽霊の声」
その事を戸惑いながらも説明すると、しかめ面を引っ込めた湊谷はどうでも良さそうに言った。
「ま、生霊と死霊の違いもあるんじゃね?」
「そ、そうかも知れないけど。湊谷君は気にならないの?」
「それ知ったの、今だからな。それに、いくら頭動かしても俺達が出来るのは予想だけだろ。答え合わせ出来るわけでもないし」
「そうだけど」としずくが俯くと、湊谷は「で」と、先程の疑問形とは違い会話に区切りをつけるように言った。で、は彼の口癖なのかもしれない。
「俺からすれば…………えーと、おまえ……じゃなくて、あんたが幽霊見える理由の方が気になるんだけど。陰陽師の末裔とか?」
冗談を言っている口調ではないけれど、本気で言っているようにも思えない。とても反応に困る。ただ、両親に霊感は無い事は確かなので、しずくは首を横に振った。ついでに「夕樹しずくです」と付け足す。人の名前を覚えることが得意なしずくにとって、同じクラスの湊谷に名前を憶えられていないというのは少しショックだった。
「それって昔からなのか?」
「うん。小さい頃から、ずっと。多分、生まれつきだと思う」
「へぇ」と先ほどと違い、少し興味深そうに呟いた湊谷に、しずくは質問を返す。
「湊谷君は生まれつきじゃないの? その、えーと、幽体離脱?」
「あぁ、コレ。これは最近出来るようになったんだ。つい三か月くらい前だな」
「なんで出来るようになったかとか、心当たりないの?」
「なに? 今日はその事を訊きに来たの?」
またしても不機嫌そうな顔をする湊谷は、その表情を浮かべるたびにしずくが内心で緊張度合いを高めていることなど知りもしない。
しかし、確かに彼の言う通りで、今日はその事を訊きに来たわけではなかった。もちろん、しずくからしてみれば生身の湊谷の情報なんかより霊体の方が興味はあるのだが、自分が関わったところで、湊谷が自由に幽体離脱出来る理由や幽霊のくせにしずくと話を出来る理由に答えが出せるとは思えなかった。むしろ、聞けば聞くほど謎が増えて、頭を悩ませそうだ。謎は謎のままでいいと思うしずくだが、それを完全な謎と認定する前に悩めるだけ悩んでしまうところがある。湊谷は全く気にしないのだろうけど。
しかし、細かい事を気にせずに『どうでもいい』や『なんでもいい』で済ませられる湊谷を羨ましく思った。一般的にはあまり好まれる言葉ではないが、それは一種の許容にもなる。なんとなく綾もそういう人なんじゃないかと考えたら、しずくの口から自然と溜息が出た。何故だろう。理由はすぐに見つかった。
自分が今やろうとしていることは、その許容とは反対の事だからだ。
全ての謎に対して『どうでもいい』を貫くのは許容を通り越して向上心が無いと言われても仕方がない事だが、少なくとも無口なクラスメートである湊谷葉に関しての謎は必ずしも追及するべきものとは言えない。むしろ、本人が嫌だと言うのなら控えるべきものだ。
「意外と溜息似合うな」
「……なにそれ」
「特に意味はねぇよ。ただ、そう思ったから言っただけ」
羨ましかった。ふわふわと、自由に生きていそうな彼が。
「罰ゲームで、湊谷君の事を訊きだして来いって言われたの」
だからだろうか。まるで愚痴を言うように、その言葉は自然と口からこぼれた。愚痴というよりも、拗ねた子供が言い訳を口にする時のような感じだと、自分で思った。何故か目を合わせるのが嫌で、湊谷の下に生えている雑草を眺めていたため、彼がどういう表情をしたかは分からなかった。さっきみたいに不機嫌そうな顔をしたのか、それとも呆れた表情をしたのか、どうでもいいと特に反応しなかったのか、それともショックを受けているのか(しずくなら間違いなくこれだが、湊谷がそう言う顔をしているところは想像出来なかった)、すごく気になった。でも、顔を上げる事は出来なかった。なんとなく、一番中途半端なのは自分なんじゃないかと思った。
「なんだそれ。俺のことならなんでもいいのか?」
呆れと『どうでもいい』を含んだ言葉。
「うん。なんでもいいから二、三個って」
「二、三個、ね。そんなん知ってどうすんだか」
ごめんね、と謝るべきなのかな。でも、それは失礼にならないかな。そう考えて、しずくは何も言えなくなり、また俯く。幼い事からそういう事が多く、両親には『しずくは気を遣い過ぎだ』と苦笑されたことが何度もある。
「中三の時に親父が死んだ」
唐突に聞こえた言葉。その中に含まれた非日常に、しずくの思考が停止した。耳で聞いたはずなのに、その声は心臓に届いた気がした。顔を上げたら、湊谷はどんな顔をしているのだろう。気になった。
「もともと住んでたのはここよりももっと田舎。ド田舎だった。つっても、そこにいたのも三年かそこらだけど。なんか噂されてるけど、東京にいたのは俺が赤ん坊の頃」
でも、それ以上に怖かったからそのまま俯いていた。
「あと一つは、この事でも言えばいいんじゃね? 俺が『幽体離脱が出来る』って言ってたって言えば話の種にはなるだろ。最初のだって、結構盛り上がりそうな話題だろ?」
嫌味で言っているのかと思ったけれど、湊谷の口調は平坦で何も感じさせてくれない。どうでもいいと思っている? そんなはずはないだろう。でも、何を言えばいいのかはやっぱり分からなくて、しずくは泣きたくなった気持ちを押さえながら顔を上げた。
「すげー顔してんぞ、ユウキ」
しずくが口を開く前に、湊谷は呆れたように言ってから、バツが悪そうに顔をしかめてしずくから目を逸らした。
「なんとなく気まずい雰囲気にしてやろうと思って、意地の悪いこと言ったな。悪い」
謝られてしまった。仲も良くない、それどころか、これまでに一度も話したことが無い相手に罰ゲーム云々で話を聞かれたのだから、当然の反応なのに。
しずくは首を振ってから、更に泣きたくなったのを必死に抑えながら湊谷に質問する。
「湊谷君、好きな食べ物とか、特技ってある?」
カウンターに本を置くと、図書当番の女子が「今度はこの本にしたんだぁ」と綾を見上げた。
もともと人が少ない図書室内は午後六時過ぎともなるとほとんど人はいなくなる。今も、室内にいるのは、図書当番の女子、本屋ちゃんの愛称で図書室の常連(つまり少数の間でのあだ名だ)には知られている本谷美紗子と綾の二人だけだ。準備室に司書の先生はいるのかもしれないが、今日は一度も姿を見ていない。
「うん。本屋ちゃんのおすすめに従ってね」
学生証を渡しながらそう言うと、美紗子は嬉しさと照れが混じった笑みを浮かべた。美紗子の自然な笑みが綾は気に入っている。作られた物より自然のものが美しいのは当然のことだった。
ふわっとした感じの黒髪に、あどけなさを残した笑顔。同年代の女子と比べると大きめの胸だけは、自然のものだと言われても半信半疑だが……、とにかく美紗子は自然な雰囲気を身にまとっている。
「あ、そういえば、綾ちゃんと夕樹さんって友達なんだね」
人と比べたらスローペースなマイペースで貸出カードにシャーペンを走らせていた(速度的には歩かせていたと言いたいところだ)美紗子は、思い出したように顔を上げる。それに合わせて手も止まるが、それはよくあることだった。本を一冊借りるだけで三十分かかったこともある。とはいえ、綾も美紗子と話をする時間が好きだ。むしろ望んでいる。だからこそ、こうして人がいなくなってからカウンターへやってきたのだ。それなら、後ろに誰かが並んで話が終わってしまう事が無いから。話をすると言っても口を動かしているのはほとんど美紗子で、綾は相槌を打ったり、同意したり、意見したりするだけだ。おそらく、全体的に見れば八割は美紗子が喋っているだろう。
「友達っていうか、同じクラスなだけだよ。話したのも、今日が初めて。それに、用があったのは湊谷みたいだし」
「あ、そういえばそんなこと言ってたね」
奇行と言っても差し支えないであろうしずくの行動を早くも忘れていたらしい。まぁ、傍から見ていれば口論などに見えて、さほど不自然でもなかったのかもしれない。綾からすれば、不自然というか不思議というか、やっぱり奇行だったが。
その事を一応説明してみたが、美紗子は「ふーん?」や「ほぉー?」と疑問形の相槌を打つだけで、よく分かっていない様子だった。仕方なく、綾は諦めて話題を変える。
「ってか、本屋ちゃん、夕樹さんと知り合いなの?」
「うん。同じ中学だもん。中一の時は同じクラスだったんだよ。あんまり喋ったことはなかったんだけどね」
さっきも私に気付かなかったみたいだし、と美紗子は少し困ったように笑う。
それは綾にとって意外なことだった。美紗子の性格と、先ほど話したしずくの印象を思い浮かべると、この二人は結構気が合いそうに思えたからだ。もっとも、それを口に出す気はなく、その理由が下らない独占欲だという事も分かっていた。それでも言わないけど。
でも、しずくの友人達を思い浮かべると、意外に思った気持ちもどこかへ吹き飛ぶ。しずく本人はともかく、戸牧雪江やその取り巻きに見える女子達と美紗子は気が合いそうにない。綾からすれば、しずくがあの集団の中にいる事が不思議に思えるくらいだった。
「あ、そういえば!」
再び何かを思い出したように、美紗子は少し大きな声を出す。貸出カードの方は進む気配はない。案外、既に眼中にないのかもしれない。
「もしかして、さっきの大きな声って幽霊が見えてたのかもね」
「幽霊? 夕樹さんの事だよね?」
「うん。あれ? 夕樹さん、自己紹介の時に言ってなかった?」
「何を?」
「特技は幽霊が見える事です、って」
「…………」
言うわけがない。というか、美紗子の話し方から察するに、中学の時は言ったのだろう。と綾は察する。
「あー、綾ちゃん、嘘だって思ってるでしょ」
美紗子は膨れ面になる。
「まぁ、確かに、みんなも信じてなかったけどさ、私は本当だと思ってるよ。なんか、緊張はしてたけど、嘘吐いてる感じじゃなかったもん」
緊張しているしずくを思い浮かべる、というか思い出すのは容易だった。綾は、足がガクガクなしずくから目を逸らした一人だったから。
「いや、別に疑ってるわけじゃないよ。私の親戚にも、霊感ある人いるし」
実際は『霊感がある』どころではなく、遠方から霊的な事に関する相談やお偉い人がやってくるくらいの人なのだが、そこまで話す必要は無いだろう。いくらそれで生活が出来ていても、一般的に見ればフリーターだ。
それに、もししずくが親戚と同様で霊感があるのだとすれば、自己紹介の時に突如大声を上げた説明も付く……いや付かないか? 幽霊が通りかかって(親戚曰く、公共の施設なら幽霊も入り放題らしい)驚いたのだとしても、湊谷を死んでいると勘違いする理由にはならない。通りかかった幽霊が湊谷にそっくりだった? それが一番、可能性が高い。でも、何となく納得は出来なかった。それに、さっきのこともそうだ。あの時、幽霊が見えていたのだとすれば、しずくはその幽霊を呼び止めて、湊谷に会いに来たと説明していたことになる。知り合いの幽霊に湊谷の居場所を聞いていた? それに、よほどの霊感が無ければ――それも、過去にも一人しかいないとされているほどの霊感が無ければ、霊と会話する事は出来ない筈だ。
考えれば考えるほど不思議で謎は深まるばかりだった。でも、綾にとってもっと不思議だったのは、いつものように『どうでもいい』という気分になれない事だった。




