7 ドーム、ですか
この星に来て初めて目にした光景が、再び目の前にあった。
見慣れない文字の看板に不思議な質感の壁を持つ建物、小さな車らしき箱に、極めつけが広い歩道を行き交う耳が獣な老若男女。
「日が落ちかけてるのが気になるところだけど、取り敢えずここが中央塔広場だよ」
相変わらずフロリードさんに抱き上げられたままのあたしは、彼がくるりと腕を回した先を眺めながら、ああ本当にここは地球じゃないんだとしみじみ噛みしめていた。
羞恥心ゼロのリオネロさんがあまりに直接的な表現で疑問に答えてくれた後、いい笑顔のフロリードさんにあたしはもう一つ残していた謎を聞いてみた。
戦闘能力ゼロの人間が一人で外を歩くと攫われるんですか?と。
答えはイエスでノーだそうだ。
ここは狼の街だから、脆弱で小さなあたしは物珍しくて可愛らしい、所謂ペットを飼う気軽さで連れ去られて家に閉じ込められかねない。でもここが鼠や栗鼠の街だったら、サイズ的には大人の彼等と同じだから初めは対等に接してもらえるだろうけれど、あまりの貧弱さと無能さに人買いに売られて大型の種族が住む街に売られてしまうだろう、と。
つまり狼の街なら即座に攫われるからイエス。小型種族の街なら一歩歩いて攫われる様なことはさすがにないからノー。
でも結局終着点はペット、なんだそうだ。…ただ、他にも非道い扱いされそうな気がするんだよね。敢えて彼等は口にしなかったけれど、しつこいくらいに一人になるなとか危険だと刷り込まれれば、結構優遇されるペットだけが危惧されてるんじゃないって、いくらバカでも気付くもの。
ともかく庇護者なく街を歩くととんでもない目に合うことだけは理解できたのだけど、何も抱き上げなくても手を繋いでいればいいんじゃないかと、あたしだって食い下がったのだ。恥ずかしいしね、成人女子として抱っこは。いくら体格と腕力に天地の差があっても、体重については別でしょう?!重いとか言われたらしばらく立ち直れないし。
………努力虚しく、心地いいほどの本音で抱き上げ移動を押し切られましたとも。
『僕がそうしたいんだから、気にしないで。手を繋ぐのもいいけれど、一歩歩いたらやっぱり抱っこすると思うしね。マイに触ってるの、大好きなんだ』
フロリードさんに教えてあげたい。それ、セクハラですから。犯罪です、女子に嫌われますよ!
だけど恨めしく睨み上げた顔のあまりの整い具合に、嫌う地球人女子は希有だろうと溜息が零れた。そうだよね、こんな綺麗な人に『好きだから触ってたい』とか言われたら、大抵はどっかの居酒屋よろしく『よろこんでーっ』だよね。
もう諦めようと覚悟を決めたら、背後のリオネロさんが何故だか謝ってくれた。止められなくてすまないって。いえいえお気になさらず、貴方のせいじゃないですから。
そんなわけで、口頭で説明できることは限られているから街に出ようとのリオネロさんの一声で、やってきました屋外です。全ての始まりの場所です。
「あれが中央塔。街の機能と行政を動かすための人間が常に詰めている、役所だな。さっきまでマイが寝ていた場所でもある。因みにこの広場が中央・塔と呼ばれるのは、文字通り、ここにこれがあるからだ」
くるりと回転したフロリードさんが見せてくれたのは、30階以上はありそうな銀色の大きな塔だった。全体に丸いフォルムが独特のこの建物は、上に行くにしたがって細くなっている形状が有名な電波塔によく似ていたけれど、あれより低くて一階からきっちり居住スペースが確保されている。どちらかといえばヨーロッパのお城から突きだしているもののほうが近いイメージだ。
「そして、このチェントロ・トッレを中心に、4つの透明ドームがあるんだが、3つは見えるだろう?」
塔を中心に広場があり周囲を丸く配された木々が彩る。それを取り囲むように走る車道と歩道、道沿いには店らしき建物やオープンテラスがあって、その円周から更に放射線状に3本の道がそれぞれのドームに続いていた。十字方向に伸びる道路は塔の背後にもある事がわかる完全なるシンメトリーで、よくよく目をこらせばうっすら曇った半円のドームがその道路の先にあることが見て取れる。磨りガラスみたいなその下には街並みがあり、規模は全然違うけど透けたドーム球場のようだった。
「この広場も同じようなドームになっているんだが、塔の10階までしか天井はかかっていないから、そこから上は本来の大気に晒されている」
「あー…あ、本当だ。何かありますね、この上」
まるでビニール傘ごしに見る空の様だった。
紺に侵食されつつある茜空が、ぼんやり滲んで見えるのだ。
「雨…降らないですね、この中」
「雨、好きなの?」
全天候型だと漏らしたつぶやきに、フロリードさんがくすりと笑う。
まるで変ってるとでも言いたげな調子に、地球では普通に落ちてくる雨粒を思った。
小雨、大雨、霧雨にお天気雨。日本に育った分だけ雨を表すたくさんの単語を覚えていて、学校に行くのに鬱陶しいとか旅行中だと風情があるとか、いろんなことを思ってた気がする。
改めて好き嫌いなんて考えたことはなかったけど。
「うん、好き。毎日だといやだけど、たまの雨は好きですよ」
夏にアスファルトを濡らす雨の匂いを思い出して、あたしはフロリードさんに笑みを返した。
懐かしいと思うほど遠い昔の話じゃないけど、帰れない場所だと思えば郷愁を覚える。不思議だなと、空と地上を隔てる天井を見上げた。
「この星に住む者は雨を嫌う者が多い。ティエラがドーム生活者で構成されている大きな理由の1つが、不意の雨で濡れることがない、だからな」
「…へぇ」
所変わればだと、言わざる得ない感じ。当たり前のことを話す様子のリオネロさんも、当然だと言わんばかりに頷いているフロリードさんも、何となく理解の範疇外って感じだから。だって嫌いだからってドームの中に住もうって地球人はいないんじゃいかな。窮屈だし、息が詰まる感じだもん。
ま『理由の1つ』ってことはまだ他にも訳があるんでしょ。うん、そうじゃなきゃこんな極端なことしないしね。
「他のドームには、他の種族の人が住んでるんですか?」
会話の中にたびたび動物の名前が出てきてるってことは、その人達がどこかにいるはずで、目に見える範囲に大きなドームが4つあれば多分そうだろうと辺りをつけるのが妥当な気がする。
だけど聞かれたフロリードさんは、すっごく驚いた後けたけたと笑い始めたのだ。それもさもおかしそうに!
「まさか!大型種族が一緒に住んだらしょっちゅう殺人事件が起こるし、小型がこんな所に紛れ込んだら奴隷扱いだよ。そこそこ友好関係を築いてる連中だって自分達の群れから離れて暮らすようなバカはいない。このブロックには狼族しか住んでいないよ」
えーっと…地球外の常識って、意味不明なんですけど?
面白い事言うね、とかフロリードさんに笑われてもなにが面白いのかこっちはさっぱりわからない。だって、狼と他の種族が同じ場所に住めないほど仲悪いなんて、誰も思わないじゃん!
そんな笑うことないでしょって膨れてたら、リオネロさんが中途半端な友人の説明を引き取ってくれたんだけど、
「一種族は5つのドームに纏まって暮らしている。中央に行政機関と余りを収めたチェントロ・トッレ。東に男が暮らすウォーモ・チッタ、南に女が暮らすドンナ・チッタ、西が交配中の男女が住むマトリモニオ・チッタで、北が家族で生活するファミーリャ・チッタだ。配置は多少違ってもどの種族でも同じ形態のドームを持っているから、覚えておくといい」
カタカナ多くて、全く覚えられませんでした。
言ってる意味も良くわからなかったけどね。性別や生活形態で住む街が変わるって、何?!
長い、前振りでした。