4 あたしの立ち位置
この部屋はいや。
泣きながら子供のように繰り返すあたしを宥めながら、フロリードさんはすぐにそこを出ると別の部屋へと移動してくれた。
環境が変わったことで徐々に自分を落ち着かせることができるようになり、何とか涙を止めることに成功して冷静になってくると今度は、己の行動の幼稚さに穴を掘って埋まりたくなった。いい年してお家に帰れないって泣きわめくのは、さすがにどうなの。ついでにこの状態も恥ずかしすぎる。
緑を基調にした室内には、歪な丸のローテーブルとリクライニングチェアに似た全身をすっぽり収めることができる椅子がいくつかランダムに配置されていた。
だというのに、フロリードさんにがっつりホールドされたあたしは、彼の膝の上から降りることもできずにぐずぐずとそこでべそをかいていたのだ。
もちろん、始めに抵抗はしたんだよ?でもどんなに暴れても、この人は離してくれなかったし、力にも差がありすぎて、抵抗なんてものともせずに押さえ込まれてしまったのだ。
そして自分のことで精一杯だったあたしは、早々に泣きわめくことに専念したわけ。
ああ恥ずかしい、20にもなってどんだけ醜態曝したんだか。
「あ、の、あた、し…」
「ああ、泣き止んだ?」
ひっくひっくとしゃくりあげる合間になんとか拳一つ分体を離すと、至近距離で超絶美形が顔を覗き込んでいる。
うっ…嫌がらせ、だよね、これ。涙とか鼻水とかでぐちゃぐちゃの顔してるだけでも女子には大ダメージなのに、慰めてくれた男の人が自分の数百倍綺麗とか、辛すぎる。
「すみ、ま、せん…みっとも、ない…」
し、汚いので離してくださいと声にならない声を上げて訴えたのに、何を勘違いしたのか気にしなくていいんだよと、抱きしめられてしまった。貴方は良くてもあたしが良くないんだって、どうしてわかってくれないんだろう…。
「我慢しないで。そうだよね、いきなり見も知らない場所に飛ばされて、もう帰れないってわかったら平気なわけないんだよ。泣いて当然、寂しいのや辛いのは全部僕に言っていいんだからね?」
「え、え、いえ、あの…」
その通りですが、結構です、間に合ってますって断ったら、怒られるのかな…?
フロリードさんの善意は何となく伝わってくるんだけど、それこそ見も知らない場所で会ったばかりの人を無条件に信用するほどあたしはおめでたくない。
彼等だって街中に突然現れた異邦人を不審者として連行し、手錠をかけて尋問したんだから、その辺りの危機管理は地球人と同程度持っているんでしょうに。
その疑惑が解けるほど、まだ時間は経っていない…はずなんだけど、もしかして何日も意識がなかったとかなんだろうか。知らないうちに、疑いが晴れるような何かをされてる…?
特段体に変化はないからほんの少し気を失ってただけだと思ったんだけど、一度裸に剥かれてるって事は検査か何かされたんだろうか?だから拘束を解かれた状態で、部屋から出ることを許された…?
わき出した疑問の答えはフロリードさんが持っている筈だと探る視線を送れば、彼は困ったように笑ってみせる。
「信用できない、か。昨日までは君を犯罪者扱いで拘束していたのに、手のひらを返したように親切にしても、急には信じられないよね。悪いとは思っているけど、あれはあれで必要なことだったんだ。それはわかってくれるよね?」
同意を求められて、混乱した。
昨日までって、言った?それってあたしが、最低でも半日は意識がなかったって事だよね?確かに地球は夜だったしアルコールも入ってたから、緊張の糸が切れて一晩意識不明でもおかしくはないだろうけど、そんなに時間が経ってたなんて。じゃあ、やっぱり。
「…何か、あたしにしましたか?検査や、調査…」
解剖云々と言っていたくらいだから、レントゲン撮られたり血を抜かれたりはしょうがないと思う。思うけど、無断でそうされたんだとしたらなんだか納得できなくて、気まずそうに顔を顰めているフロリードさんを思わず睨むように見上げてしまった。
「僕たちにとって有害なウイルスを持っていないか、変わった特徴はないか、毒や攻撃力についてなんかを一通り検査させて貰った。悪いとは思うけど、自衛のためなんだ。正体がわからないものを自分の星に入れることはできないからね。でも、ごめん。意識がないのに体をいじり回されて平気な人間はいないよね」
「…いえ。当たり前です、当然です」
謝られて、首を振った。
これは納得できるとかできないとかの問題じゃない。立場を入れ換えて考えれば当然のことだと、個人的すぎる感情は押しやってこちらこそすいませんと理不尽な怒りをぶつけたことに頭を下げた。
人権云々を声高に叫べるのは、同じ星で同じ人間をやっている間だけだ。他人の星に突然現れた異星人に権利なんかない。寧ろあたしが人畜無害だと証明して解剖されることを防いでくれたフロリードさんに、感謝するべきだ。
牢屋に繋がれたり、研究所で切り刻まれる可能性だってあったことを思い出したあたしは、己の思い上がりをきっちり打ち砕いて、命の恩人に感謝を伝えようと必死に笑って見せた。
特に可愛くも綺麗でもない容姿だけど、笑顔でいれば仏頂面より好感度が上がるとどっかの雑誌で読んだんだ。少しくらい効果があるといいな。
「無理に、笑わないで。こっちが切なくなっちゃうから」
だけどフロリードさんには、何か方向性の違う効果があったようだ。
ぎゅーぎゅーとあたしを抱き込む腕に力を込めた彼は、ごめんねと耳元でまた謝るとそのまま髪に口づける。
慣れてないのでっ!過剰なボディタッチはやめて貰いたいんだけど、この場面で言っちゃダメだよね?!
微妙に緊張感を孕んだ場面でなければ拒絶できたのにっ、と思いながらなんとか我慢している間にもフロリードさんは一人で盛り上がっていった。
「大丈夫、僕が守ってあげる。首座から君の保護者である権利をもぎ取ってきたからね、この先は誰にも傷1つつけさせないよ。リオネロも協力してくれたから、数日内にはマイの住民登録ができる。そしたら街にも出られるし、本当に自由になれるんだ」
シュザって何?これは変換されたのかな、それともこの星独特の読み方?話の流れから何となく偉い人みたいだけど、住民登録っていきなり異星人に普通の生活させていいの?折角自分の微妙な立場を理解して、多少の不便は我慢する覚悟をしたっていうのに、何この好待遇。
「あの、大丈夫、なんですか、そんな扱いして」
攻撃に近いホールドのせいで上手く喋れないながらも何とか不安を口にすると、さらっと、本当にさらっと、フロリードさんはびっくりな事実を暴露した。
「もちろん!君ほど無力でひ弱な人間は、この星にも連星にも存在していないから、何の心配もいらないよ」
「…は?それ、最弱って、ことです、か…?」
確かに、素手の攻撃力だけでいうなら、地球上でも人間は弱い部類に入ると思う。だけど、無力とか言われるほど弱々しい存在だったっけ?
あんまりな言われようにいくら何でもそれはないだろうと聞き返したというのに。
「そう、最弱だね。だって爪も牙もないし、筋力も鼠の子供並みなんだから」
言うに事欠いて小さな鼠さんと比較されてしまった………あれ?待って、ここは狼の街なんだよね?フロリードさんは狐と混血しているって言ってたし、まさか。
「鼠、族?とかも、いるんですか?」
大事な話です、顔見てさせて欲しい。
何をどうしても力でかなわないのは教えて貰ったばかりだけど、小さな抵抗を積み重ねて拘束から30センチほど逃れたあたしは、顔が引き攣るのを押さえながら上機嫌のフロリードさんに視線を合わせる。
そんな動物オンパレードなドリーミング展開はないよね?ないでしょう?ないと言って!
だが、現実は冷酷だ。
「いるよ。熊や虎、ライオンに狼は強くて体が大きい。中間に猫や犬、狐なんかがいて、鼠やイタチ、リスなんかは体の大きさも力も、僕たちに比べたらとても弱いんだよ」
ぐるぐると回るメリーゴーランドに様々な動物が乗ってる、あたしの頭の中はそんな混乱状態だった。
登場動物は、哺乳類限定です。
象はあまりに体の大きさが違いすぎるので、鯨と一緒に却下。
海の生物はどこかで出すかもですが、カモノハシは却下しております。(需要がないですね、きっと)