20 ペット、ダウンする。
目覚めは、最悪だった。
広すぎるベッドでオルガさんと横になったまではよかったんだけど、脱臼した肩がどうしたって痛い。横を向こうが仰向けになろうが、ずきずきずきずき絶え間なく鈍痛を訴えて眠れないから起きていたいんだけど、そんなことをすれば隣りの人の安眠妨害だからひたすらじっと息を殺していて。
うつらうつらとした記憶はあるけれど、結局痛くて眠れないを繰り返した夜明けは、頭痛と疲労と鈍痛に彩られた凶悪なものだったのだ。
「ちょっとマイ、大丈夫?」
あたしとは対照的にすっきり朝を迎えたオルガさんは、顔を見るなり眉を跳ね上げて額に掌を乗せてくる。ひんやり心地よいそれを楽しんでいたら、いきなり毛布ごとあたしを抱き上げた彼女は、足早に階下まで駆けるとのんびりカップを傾げていたリオネロさんに、問答無用で蓑虫状の地球人を押し付けた。
「どうし…熱があるのか?」
生地の合間からあたしを覗き込んだ彼は一目見るなり眉を顰め、指先で頬を触って徐に立ち上がった。
「オルガ」
「わかってる。車はもう呼んだわ。着くまでには着替えるから、少し待って」
声だけの答えに満足したのかリオネロさんはあたしに視線を落とすと、キッチンカウンターのどこかを操作して水を調達するとグラスをあたしの口元に運んでくれた。
「飲めるのなら、一口でいいから含みなさい。そのままでは脱水を起こす」
言われるまでもなく喉がからからだったから、ありがたくグラスを受け取ろうとして腕が抜けないことに気づく。
毛布に巻き込まれてたんじゃ、無理か。両手でもがこうにも右はまったく動かせないし、何より痛いし。でも、飲ませてもらうってうまくいかないことが多い気がするんだけどなぁ。
「自分、で」
驚くほど掠れた声に自身でぎょっとしていると、無言で唇にグラスを押し当てたリオネロさんに問答無用で給水されてしまった。しかもちょっとずつ飲ませてくれるのがやたらうまくって、懸念もなんのその気づけばお水は空になっているじゃないの。意外な特技?
「まだ飲むか?」
離れていくグラスを物欲しげに見ちゃったのかもしれない。苦笑いを浮かべたリオネロさんが、お代わり要求だと理解して聞いてくる。
でも、違うんだ。あたしが恋しかったのは、お水の冷たさでもう一杯欲しいわけじゃない。オルガさんに指摘されてから急に火照った気がする頬を冷やしたかったんだ。
引きつっていた喉は水分を受けて滑りが良くなっているので、今のうちに要求をしてみようと保冷剤を求めると、キッチンで冷蔵庫のような四角い物体からハンカチ大の薄いシートを取り出したリオネロさんは器用に首に巻いてくれた。
うむ、気持ちいいです。どんな構造なのか知らないけど柔らかくて、でも心地いい冷たさを提供してくれるこれ最高です。元気ならどんなものなのか詳しく聞くのに。
もちろんそんな元気など爪の先ほどもなかったあたしは、冷えたことによって多少和らいだ頭痛と蓑虫縦抱っこのおかげで我慢できる程度になった肩の痛みに安堵して、うつらうつらと船を漕ぎながら車に揺られて…起きたら、白いお兄さんに顔を覗き込まれているという史上最大の恐怖を味わってしまったのだった。
な、何事?!
整っているせいか本来の性格が滲んでいるせいか、美人の癖にちっとも萌えない美貌から逃れようと体を捩ったら、危うくリオネロさんの腕から落っこちそうになりフロリードさんに支えられる。
あれ?この人一緒に来たんだっけ?なんか記憶にないんだけども。
「あ、りがとう、ございます」
それでも助けられたらお礼を言わねばと、乾いて掠れる声を絞り出すと顔を顰めた彼に無理に喋らなくていいと頭を撫でられた。で、その後フロリードさんは厳しい表情で白いお兄さんを睨みつけると、低いく唸るように相変わらずの鉄面皮に怒りを吐いた。
「マイは弱い。いくらお前が研究馬鹿でも、己がやった結果を見れば首座が何故彼女を保護するように言ったか、理由がわかるだろう」
同調するようにリオネロさんからも冷たい空気が発せられる中、それでもマッドサイエンティストはマッドサイエンティストだった。
くだらないとフロリードさんの言葉を切って捨てると、彼の後ろにあるいくつかのゲージを指し示していかにこの部屋の管理が完璧で医療器具もそろっているかを熱く語った後、あたしに蔑みに似た視線を寄越して言うのだ。
「被検体は厳重に管理飼育すれば、延命が可能だ。特にそれのように脆弱であれば尚のことな。研究室から連れ出しておいて、言いがかりをつけられたのではかなわない」
昨日だってぐさりと突き刺さる実験動物宣言だったけど、メンタルがへこたれてるときに聞くとこれは一層きつい。
…管理、飼育、か。テレビニュースで白いねずみが病気にさせられたり、柵越しにえさを与えられて日がな一日寝そべってる猛獣はこれだよね。あたし、あんな扱いなんだね。認識なんだね。
熱出ちゃったし、肩も壊れてるし、病院じゃなくてこんなとこに連れてこられたったいうことは、今晩からあの檻で寝るのかな。床、固そうだよね。毛布もないだろうし、おかしな注射とかされちゃって、死んじゃうのかな。命の保障はするって言ったのに、嘘吐かれた…?
さすがに不安でリオネロさんを見上げると、厳しかった表情を苦笑に変えた彼は大丈夫だからと背を撫でる。
「マイの薬を渡せ。それ以外、お前に用はない」
昨日と同じ強い口調で命じたリオネロさんに、部屋を漂っていた殺気は霧散した。
そっか、お薬貰うからここに来たのか。…?なんで、病院じゃダメなんだろう。
首を捻るあたしの疑問は置いてけぼりで、しばしの沈黙の後、壁面のいくつかのボタンを操作した白いお兄さんが持ってきたのは、香水が入っていたのとよく似たボトルで、中では薄緑の液体がゆらゆらと波打っている。
「…ちゃんと薬よね?」
背後にいたらしいオルガさんがリオネロさんの横から顔を覗かせ、鼻をひくつかせた。まるで野生動物のようなその仕草にちょっと笑ってしまったが、本当にこの中身が毒なら笑い事じゃないなぁとぼんやりした頭の隅で考える。
しかしこっちの懸念に眉を跳ね上げた白いお兄さんは、心外だとばかりに居丈高に言い放った。
「それの希少性は、この中の誰より私が知っている。死んでは利用価値が減るんだぞ」
何がすごいって一貫してシャーレの中の微生物とあたしが、彼の中で同列ってことじゃなかろうか。
確かに被験対象って意味じゃ同じかもしれないけど、一応哺乳類だからもうちょっと格上げしてくれると嬉しいんだけどなぁ。
「何の薬なんだ」
まだ何か言いたげなお兄さんを無視して、ボトルを受け取ったリオネロさんは簡単に成分を聞き、痛み止めだとわかると次は解熱剤を作れと反論を許さず言い置いてさっさと踵を返してしまった。
背後ではまだ言い争ってる声が聞こえたけど、リオネロさんもオルガさんも全く気にせず足早にエレベーターに乗り込む。
「早く痛みを取ってやりたいが、何分アウレリオを全面的に信じがたいのでな、このまま医務室に行って薬品成分を再確認してから飲ませてやる。もう少し我慢できるか?」
外部の喧騒が消えた途端そう問われて、あたしはもちろん大丈夫だと返事をした。ついでに白いお兄さんの信用の無さに、他人事ながら憐れみを感じてしまう。
今までにあの方、何したんだろうか。国の中枢にいるんだろうに、仲間から全幅の信頼を寄せられてないとか悲しすぎる。
「頭はいいんだけどね、その分だけ人として問題がるのよ、あの男」
あたしの心情を読んだように呟いたオルガさんと、思わずアイコンタクトしてしまったじゃないですか。
そうして残念な空気漂う中、昨日と同じ斑耳の二人の元に連れて行かれたあたしは、太鼓判を押された鎮痛剤を貰って肩を冷やしてもらいながら、ついお昼寝しちゃったのでした。




