1・5 その時、彼等は
「…好都合だね」
崩れた体を抱き留めたフロリードが呟いた声を拾って、リオネロは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
部下であり幼馴染の友人でもある男は、この正体不明の存在に何をしようというのか。
興味と一片の憐れみが上げさせた問いに、フロリードは渋面で返す。
「僕がこの子にひどいことをしようとしているような顔、しないでもらえるかな。その逆なんだよ。首座と長官に彼女の脆弱性が証明できたなら、保護という形で僕の管理下に置いていい許可をもらってきた。そのための検査をしなくちゃいけないんだけど、女の子に裸になれとか映像記録を録画させろなんて意識があるうちに言いたくない。だからこのまま麻酔をかけて眠ってるうちにすべて終わらせる」
小柄な体を横抱きに抱え上げた友人の様子に、リオネロの中で一つ答えが出る。
「…誰だ?その娘を寄越せと言っているのは」
「アウレリオ。貴重な研究体だから解剖させろと騒いでる」
「バカ者がっ」
やはりそうかと、長い付き合いだが少しも理解できない幼馴染を唾棄したリオネロは、フロリードがめったにない柔らかな眼差しで少女を見下ろしていることに気付いて眉を顰めた。
「お前、それになにか特別な感情を抱いたんじゃないんだろうな」
おかしな耳をして聞きなれない言語を話す異星人は、容姿が鼠族によく似ていた。特段可愛い顔つきということもないが、比較的大柄な者の揃う狼族に比べると小さいというだけで愛らしい。小型な種族とほとんど交流をもたない彼等からすればそれだけで十分に興味は引くが、いかんせん相手は正体不明の異星人だ。ペットのように可愛がるならいいが、妙なことになったら面倒だと、友人を諌めるつもりだったのだが。
「一目惚れした。小さくて怯えた姿がかわいくて、構い倒したくなる」
手遅れだったようだ。
娘の髪に鼻先を突っ込んだフロリードはそこに口づけを落としながら、幸せそうに微笑んで…微笑んで、首を傾げた。何事かと訝るリオネロを尻目に、難しい顔をして再び同じ場所に鼻先を潜らせる。
「…どうしたんだ?」
「ん?いや…なんだかこの子、匂いがしないんだ。人工的な香料は…うん、匂うんだけど、そうじゃなくてこの子自身の臭いが…すごく薄い」
くんくんと何度も確かめるように鼻をひくつかすフロリードの様子があまりに常と違うので、気になったリオネロもわざわざ席を立つと少女に顔を近づける。するとついっと体をまわした親友は、抱えた娘を隠すように遠ざけてしまった。
「寄るな」
子供のように独占欲をむき出す男に呆れながら、リオネロは強引に一歩踏み込む。
「他意はない。確認するだけだ」
そうして近づきすぎないように、少女の髪の薫りを嗅いだ。
「………?匂わないというより、お前の臭いがするんだが」
「え?…あ、本当だ。僕の臭いしかしない…へぇ、いいな、これ」
嬉しそうに何度も少女に頬ずりするフロリードに呆れながらも、ほんの少し自分の中にも彼女を欲する気持ちが生まれていることに気付いたリオネロは、彼が飽きたころに貸してもらう交渉をしようと密かに決めた。
様々な種族の中でも嗅覚の鋭い狼族は、子づくりをしている相手に自分の臭いがつくことを好む。元々の体臭もあるので、余程長い時間触れあっていなければ女性が男性の臭いを色濃く残すことはないのだが、この娘のようにもともとの体臭がなければ話は別だ。ほんのちょっとフロリードが抱いていただけで、彼の匂いを纏うとは、何とも本能が疼く話ではないか。
「…あ、これ。君の臭いか」
娘の意識がないのをいいことにあちこちに鼻先を埋めていたフロリードは、腕に隊員の薫りを見つけて剣呑な瞳で部下を睨みつけた。
「も、申し訳ありませんっ」
完全なとばっちりで隊員には欠片の落ち度もない。わかっているが抑えられないのが本能というもので、不機嫌に顔を顰めた男は通り過ぎざま隊員の向う脛に足蹴りを入れると、もだえる彼を置き去りにドアへと足早に移動する。
「どこへ行く」
「検査室。少しでも早く彼女を保護したいからね。嫌なことはさっさと終わらせてくるよ」
鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌なフロリードに呆れながらも、リオネロは彼らが一緒に住むための住居を手配するべく面倒な書類の作成にかかった。
そうして、丸一日かけてなされた検査結果は、速やかにリオネロとフロリードの元に届けられた。
検体性別 : 女
年齢 : 推定20
種族 : 獣性を帯びない人型
性質 : 温和 攻撃性、攻撃力ともに最弱
病歴・および疫病 : 数種の保菌を確認も、我々に害を与えるものはなし。病歴なし
交配 : 可能ただし主たる遺伝は不明
最後の一行に目を輝かせた男がいたことは、いうまでもない。
裏事情、裏事情。