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結論から言おう。
ケモミミ人は、哀れな地球人を殺しかけるんですよ、そうですよ。
匂いがないと騒ぎ立てた2人はそれだけで収まらなかったらしく、何故かあたしを連れて医務室ってより研究室っぽいとこへ移動した。唯一の救いは白いマッドサイエンティストのお部屋じゃなかったことかな。
どこか大型犬を想像させる斑茶の優しそうなお兄さんと、似たような路線の大人しそうなお姉さんが、申し訳なさそうにあっちこっちの肌表面をピンセットで挟んだガーゼで擦っていく。そりゃあもう、全身くまなくだったので(際どい所はもちろんお姉さん担当)、珍獣を再認識させられた次第です。
うう、やるせない。
「ごめんね、でもマイの匂いがわからないのって、本当に危ないのよ」
辛くはなかったけど、微妙にへこむのは抑えられずにいたらオルガさんが頭を撫でてくれた。
身長差があるせいで、子供をあやす大人の図だ。20過ぎてるのに子ども扱い…あ、一層へこむ。
「すみませんでした。痛くも痒くもないサンプル採取で、そこまでダメージを受けるとは思わなかったんです」
心底申し訳なさそうに、膝を屈めて謝るのも勘弁してください。それも子供扱いだから。ついでに身体的に痛くなくても精神的に痛いこともあるって学んでください、コノヤロー。
しかし、彼等に悪気がないことは十分わかる。地球でだって所変われば常識が違ったんだ。きっとこの星にはあたしみたいな豆腐メンタルな生き物はいないに違いない。
「大丈夫です、確かに痛くはなかったので」
ちょっと人間の尊厳がゴリゴリ削られただけだ、気にしてはいないと笑顔で2人に首を振ると、明らかにほっとした表情で肩の痛みを気遣いながら元の部屋へと連れ帰ってくれた。
そうして差し出されたのは。
「とりあえず、嫌いな匂いじゃないか確認してくれる?」
いかにも薬が収められていますと主張している、近未来デザインのクリアボトルである。薄紅色のその液体をぽちゃぽちゃ揺らしながら、オルガさんは跳ね上げ式だったらしいキャップをポンと開けてあたしに向ける。
いったい何を嗅がされるんだと、恐る恐る鼻先を近づけると。
「ん~…ん?花?かな?」
ほんの僅かに感じられる芳香は植物からの抽出エキスって風じゃなく、薫りの薄い生花から漂うような仄かなもので、好きか嫌いか聞かれても果たしてこれが匂っているうちに入るのかどうかも怪しいってレベルの代物ではないの。
眉間にしわを寄せたままオルガさんに、よくわかりませんと言うよりなかった。
「好き嫌い以前に、匂いがありますか、これ?」
地球では超超微香とか下手すれば無香とかに分類されるんじゃないだろうか液体を視線で示すと、彼等は無言で視線を交わして心の底から驚いたといわんばかりにあたしを見ているじゃないの。
これは、あれですね。また異星人が信じられない一面を垣間見せた、そんな場面ですね。
「結構、香ってると思うんだけど」
「ええ、ラーダの花の香水ですからね」
「これが?香水?」
青い星には鼻がひん曲がるんじゃなかろうかと思うくらいきつい香りが溢れてますが、これが香水ですか?
翻訳機が誤変換をしたんだろうかと詳しい香水の定義を聞いたらば、ある意味誤変換だった。
ケモミミの星の皆さんは、基本獣の長所を受け継いで進化してるんだって。その中でも嗅覚はほとんどの種族が良くて当たり前のもので、個体識別を体臭ですることが普通なんだとか。
で、肝心の香水の定義だけど、地球感覚のオシャレアイテムじゃないらしい。犯罪者が居場所を誤魔化したり尾行を撒いたりする手段として用いるよろしくない代物で、香り付の水=香水と翻訳されてるらしい。言葉が同じでも意味が違うってことか。
「ほんの少しでいいので、これをつけてもらえればわたし達がマイを見失うことはないわ」
そういってずいと差し出されたボトルは、オルガさん達にとってかなりの匂いらしい。ならば迷子にならないようにつけなくちゃねと、人差し指をボトルの口に押し当ててちょびっとついた液体を手首の内側につけてみた。その後自分をクンクン嗅いでみるけど、やっぱり無臭な気がするんだよねぇ。
「へぇ、いいわね。マイが付けると花の香りしかしないわ」
「いいえ…微かに、違う。別の匂いをつけると僅かだった体臭が際立つんですね。とはいえまだまだ気づかない人の方が多いレベルでしょうが」
だけどもケモミミの二人には、さっきまでと明らかに違う匂いが嗅ぎ取れているらしい。
特段あたしに近づくでもなく微かな香気をキャッチしてあーだこーだ言い合ってるので。
「とりあえず、これならば見失うこともありませんね」
警察犬並みの嗅覚で追跡すつおつもりですか、そうですか。
にっこり満足げに笑ったジャンノットさんと、花以外の匂いを見つけようと頑張ってるオルガさん、ここまでは何やら問題がひとつ解決したらしいと、疲弊しながらも笑う余裕があったの。マジで。
「なんで余計なことしたわけ?これじゃ台無しだっ」
「何が台無しなのか知りませんが、マイの身を守るのに必要な手を講じたまでです」
睨みあう兄弟は互いに一歩も引かず、意味不明な香水いる・いらない談義を頭上で展開している。
えー、夕方です。ありがたくないことにフロリードさんがすっごい速さでお仕事を終えて、病室(?)に来ました。一緒に引きずってこられたリオネロさんいわく、いまだかつてないハイスピードで決済処理させられたそうです。ぐったりした様子がちょっとお気の毒だったです。
なんてことを心配できたのは、フロリードさんがジャンノットさんと頭上で不毛な言い合いを始めたからだ。この人たち当事者置いてけぼりで10分近く、香水について喚いてるんだよ。いいじゃない、こんな匂うか匂わないかわかんないようなもの、どうだって。
ベッドを挟んで騒々しい二人にうんざりとため息を零していたら、同じくうんざりなリオネロさんが横からひょいっとあたしを抱き上げた。子ども扱いは…以下略。
「ライライ亭にいる。気が済んだら追いかけて来い」
無言で寄り添ってくれたオルガさんに靴を履かせてもらいながら、水色の前開きワンピ風病人服で出かける気なのかとちょっと焦っていたあたしは、隣りの美女の姿を見てどうでもよくなった。
ほぼ裸な衣服がスタンダードの国で病人服は、日本人の常識に優しいです。ひざ下まで全身を隠してくれるワンピは、最高です。
「腕を動かさずに着替えられる服がないから、このままで帰りましょうね」
「はい」
むしろ大歓迎ですと、頷きあってた背後では。
「ちょと、リオ!マイを返せ」
「困ります、警護対象を勝手に連れ出さないでください」
「マイの警護は僕がするっ」
「私の仕事です」
下らない言い争いが続いていた。
それは離れてやっててくれる分には全然かまわなかったんだけど、レストランについてもずーっと続いていて、いやむしろ悪化していて。
「マイ、これ食べて」
「いえ、こちらの方が栄養価が高いです」
腕が使えずうまく食事ができないのを見て、二人の口げんか(でいいと思うんだ、もう)はおかしな方向にスイッチした。
肉が突き刺さったフォークが二本、あたしの前に並んでると言ったら意味わかるだろうか?既に匂いも警護も関係ない。子供の喧嘩の如く、自分の方が優れていると双方お勧めのお料理をこれでもかと差し出してくれるんだ。
ありがたいけど、ありがたくない。ちっともない。
「あの、ですね。もうお腹が一杯なんです」
所狭しと並んだ皿が大半空になっていることからもわかるだろうが、食事は既に終盤である。散々にあれやこれやと食べ尽し、今回は特にあたしの意思そっちのけで半ば押し込まれるように次々咀嚼させられ、既に限界なのだ。
無事な方の手でぷくっと膨らんだお腹をさすってアピールしても、二人は顔を顰めるばかり。それどころか口々に、
「そんなんだから、マイは大きくなれないんだよ」
「そうです、もう少し丈夫になるには食べなくてはなりません」
もっと食べろコールである。そんで、こんな時ばっかり停戦して共同戦線張るのやめてもらえないだろうか。基本的にあんたたちと体の作りが違うんだってばさ。
ほらほらと正面から迫ってくる美貌に引き攣りながら、隣りのオルガさんに視線で助けを求めると、ため息とともに彼女は盛大に男二人の頭を張り飛ばした。
「いい加減にしなさい、このダメ狼が!成人を過ぎた女が今更大きくならないわよ。それよりマイの食事量を確認してから勧めたらどうなの」
昨日の食事量に比べたら格段に無理をしていると理解してくれた彼女は、そんなに喰いたきゃ自分で食えと彼等の口にぐいぐいフォークを押し付けていた。
いいな、あの逞しさを半分でいいから分けてほしい。
既に一連の騒動でヒットポイントがゼロに近いあたしは、脆弱な己を呪っていた。
腕が痛いのも、匂いがないのも、力が弱いのも、人間としたら普通のことなのにどうしてこんなに悔しいんだろう。ああ、丈夫な体が欲しいっ。
願われても困るだろう神様に、地球に帰してくれるか、ケモミミ様たちに負けない肉体をくれるか、どっちか希望と究極の願い事をしていたら、苦笑を浮かべたリオネロさんが横から小さなスプーンを差し出していた。
「甘い物は、疲れをとる。それにデザートは別腹なんだろう?」
自分も大分疲れた顔をしているのに、こちらを気遣ってくれる偉大なるケモミミ・キングさま。
お腹が一杯でも思わず口を開けちゃうアイスクリームに舌鼓を打ちつつ、男どもは全員リオネロ様を見習えばいいと心の底から思う地球人代表女子であります。
うっぷ。お腹苦しいぃ。




