15 放し飼い希望
「…会話ができるからこんな面倒が起るんだ」
庇ってくれる2人とも、泣いてばかりのあたしとも話しにならないと判断したんだろうか、これ見よがしに大きなため息を吐いた白いお兄さんが、抵抗するオルガさんを易々と押しのけて首元の翻訳機に手を伸ばしてくる。
これだけは取られたくなくて、首をすくめてフロリードさんの胸に顔を押し付けて微かな抵抗をしていたら、肉を叩く派手な音が耳のすぐ横でした。
「なにをする」
「マイに触るな」
低い、唸り声のようなフロリードさんの威嚇に滲んでた涙も引っ込み、背中が総毛立つ。
20年生きて来て初めて感じた本能的な恐怖は結構な威力で、残り少なかったあたしのヒットポイントはガリガリ削られ風前の灯だ。
肩は痛いし怖いし、一体どんな嫌がらせなんだろう、これ。なんかいろいろ面倒で逃げ出したくなってきたんだけど。
「ガンマがベータに勝てる道理はないぞ?」
密かに現実逃避を画策していたら、冷たさに殺意まで混入された白いお兄さんの嘲りが降ってきた。勿論フロリードさんだって黙って聞いてるわけないから、すぐさま応戦だ。
「僕とお前の差は僅かな学力だけだって忘れたの?腕力では明らかに勝ち目はないだろう」
ああ気のいいお兄さんてイメージのフロリードさんが、今はじめて血の気の多い肉食獣に見えた。そうだこの人も狼の関係者だったなと、逆毛だった耳の毛を見ながらぼんやり思う。
あ、すごくどうでもいいことに気がついちゃった。この人たちはどうして尻尾が見えないんだろう?警察?みたいな男の人たちもオルガさんもぱたぱたしてたのに、フロリードさんもリオネルさんも尻尾がない。もしかしてない種類とか、あるのかな。
この状況でこんなことを考えるのは明らかに現実逃避だったけれど、そうしたくなるくらいに高まりつつある緊張感はちょっと耐え難いものだったのだ。命の危険を感じるというか、なんというか。
「そこまでだ」
心配そうにこっちを見ていたオルガさんが、こっそり手を伸ばしてくれた時だった。低くて迫力満点のリオネロさんの制止にびくりとあたしたちの体が震える。
あのそのすみませんと、声の発信源であるドアを振り返ると、一気に表情を緩めた美丈夫が違うお前たちじゃないと首を振った。
「むしろマイはオルガといなさい。その方が気が楽だろう」
気づかいの滲んだ様子にほんのり喜びが湧き上がるのは、今日一日結構乱雑に取り扱われた証拠なのかなと思う。優しくされた記憶ってあんまり残らないけど、イヤなことされたのっていつまでも覚えてるもんね。
オルガさんに抱き取られながら(同じ女の人なのに体格差が…)ベッドを離れると、壁際にあるシンプルなソファーまで移動してそこに並んで腰掛ける。
「肩は平気?外れた関節は元に戻したんだけど、靭帯は自然回復を待つことになったの。マイは異星人だから、下手に治療して命にかかわっても困るし」
同じ理由で使える痛み止めを今選定中だと教えてくれたオルガさんは、上半身にサポーターのようなもので固定された肩と二の腕を(どおりで動かないと思った)そっと撫でた。
「大丈夫です。痛いですけど我慢できないほどじゃないから」
やっぱり脱臼しちゃったのかと納得しながら、痛み止めがないのは正直辛いが今はそれどころじゃないとフロリードさん達の元へ視線を戻した。
相変わらず睨みあう2人と、割って入ったリオネロさん、そしてもう2人初めて見る初老のおじさんと若い黒髪のお兄さんが戸口から顔を覗かせている。
「お前が研究馬鹿なことは知っていたが、女性の扱いくらいは学んでいると思っていたんだがな」
ちらりとあたしを見たリオネロさんの言葉に、鼻を鳴らして眉を吊り上げた白い人は面白くもなさそうに言い捨てた。
「お前の表現は間違っている。あれは検体だ」
「アウレリオ!」
「落ち着け」
珍しい怒鳴り声を上げたフロリードさんを片手で制したリオネロさんは盛大なため息を吐いて、決して研究者としてスタンスを崩さないお友達を困ったように見ていた。
それはそうだよね。白いお兄さんの言うことは、間違ってないもの。だけどあたしと交流しちゃったリオネロさんは、知能があって感情も自分たちと同じように持っていることを知っているから、利用価値の高い生命体ってふうに割り切った見方ができなくなってるんだと思う。根底にはペット程度の認識でも檻に閉じ込めたりしない狼の倫理感もあるんだろうし。
個人的にはありがたいけど、板挟みになったリオネロさんには迷惑だろうなと小さくなっていたら、睨みあう3人の間におじさんの声が割り込んだ。
「異星からの迷い人に、検体という言い方は感心しないな」
深みのある重厚な声が、諭すように諌めるように、白いお兄さん…アウレリオさんに向けられる。
彼は片眼鏡の奥の瞳を一瞬見開いた後、それでも事実は事実だとおじさんから発せられるプレッシャーにもめげず胸を張った。
「どう言おうと、事実に違いはありません。あれは我々にとって価値ある検体でしかない。この星に至るまでの経緯は憐れでしょうが、即処分対象にならなかっただけよいではありませんか」
「お前の言動は我々狼の誇りを踏みにじる。望まぬ手段でここへ流れ着いた稀人を自分たちの益を得るためだけに虐げたと、他の一族に蔑まれろと言うのか」
「それは…」
全うだろうけど人間的倫理からはあまり褒められれない発言をしたアウレリオさんは、おじさんの鋭い切込みに返す言葉なく口を噤んだ。…というか、噤まざる得なかったというか。
だってね、『狼の誇り』辺りで室内の空気が変わったんだよね。オルガさんの目つきが鋭くなり、フロリードさん、リオネロさんの顔つきも険しくなった。ついでにおじさんにくっついて来ていた黒髪のお兄さんももともと引き結んでいた口をさらに引き結んで…ん?なんかあの人誰かに似てるような…ま、それはどうでもいいか。ともかく、みんながみんなあの言葉に反応したところを見ると、これって結構大事なキーワードらしい。
俄かに殺気だった周囲にますます小さくなっていると、おじさんの顔がふっとこっちを向いた。そして慌ててそらす暇もなく、ガラス玉のように黄色い瞳とばっちり目が合って。
「傷は痛むかね、お客人?」
何故か、心配されてしまった。それも、なんか笑顔付きで。ロマンスグレーの表現がばっちり合っちゃうおじさんは、おじ様だった。安っぽい呼び方しちゃいけいない。この人、あと十歳若ければフロリードさん達にも全く引けを取らない美貌の持ち主じゃない。その上、年相応の迫力と多分権力まで持ってるとか、リアルチートだよね?!
「だ、大、丈夫です」
白鳥の中に転がり込んだアヒル気分で、どもりながら返事をするとおじ様の顔は痛ましげに歪む。
「そんなことはあるまい。子供よりも骨格が細く、筋肉の絶対量も少ないと聞いている。現にアウレリオに腕を掴まれただけで肩を脱臼したと報告があったのだ。見知らぬ場所に放り出され、恐ろしい目にまで合わせてしまったこと、狼を代表して謝罪させてくれまいか」
そうして軽く頭を下げたおじ様に、あたしは許さないなんて言えない。もとよりアウレリオさんの対応は相応だろうなと思っていただけに、謝られたりするとこっちがかえって恐縮である。
「や、もう、気にしないでいただいてっ。こちらこそ突然街に出現した正体不明の異星人に優しくしていただいて、お礼の言葉もない次第です、はい」
初めはおまわりさんのような人に捕まえられたとか、寝てる間にいろいろ調べられたとか、そんなのは本当に些細なことだ。寧ろいきなり殺されたり、言葉も通じない内に研究室で切り刻まれたりすることなく、きちんと説明を受け食事させてもらい、衣服や住居まで確保してもらえたことに感謝しなくてはならない。
頭を上げてくださいと慌てたこちらに頷いて近づいたおじ様は、驚くオルガさんを気にすることなくソファーの前で跪くと壊れ物を扱うようにあたしの無事な方の手をそうっと掴んだ。
「許していただいたばかりで更に願うなど厚かましいが、君の体を研究することで我々が欲する薬を作ることが可能になる。檻につなぐことなど決してせぬし、衣食住も保証する、どうか協力してもらえないだろうか」
もともとペット以外に生きる道がないと言い切られていたことは、かえってよかったかもしれない。
もちろんだと即座に頷いたあたしは、一拍遅れて気づいた。
あれ?あれれ?自由は保障されてないじゃん、ねぇ?




