13 実験動物一歩手前
ショッピングセンターの衣料品がやたらめったら露出過剰だったのは、偏にマトリモニオにあるお店だからだというのを、その後あたしは知った。
こんなものは服じゃないと唯一の女性であるオルガさんに涙ながらに訴えたら、さすがに同情したのかドンナチッタの洋服屋さんに連れて行ってくれたのだ。あの後、男2人を置き去りにして。まだ自由に街を歩く権利がないはずのあたしを連れ歩けるのは、アルファの特権なんだって。裏を返せばアルファってそれだけの実力の持ち主ってことらしい。おかげで好みの子供服を相応の数手に入れることができて、大満足だ。
そうして長い長い女の買い物のおかげで夜も遅くなり、そのまま彼女のアパートに泊めてもらったあたしは、翌朝上機嫌でオルガさんにチェントロまで送ってもらって───捕獲された。
「ひどいよ、マイ。帰ってこないなんて」
リオネロさんの隣に設えられたフロリードさんの執務室は、素敵に悲しい個室である。6畳ほどのさして広くない空間に、でっかい狼狐男と2人きりってどんな罰ゲームだろう。それも大きめとはいえ執務椅子の彼の膝に子供よろしく抱えられて頬ずりされるオプションまでつけてくれるなんて、この宇宙に神は存在しないに違いない。
「下ろしてください、離してください、離れてください、フロリードさん。全部とは言わないんでどれか一つは叶えてください」
「…なんで全部接触を絶つ選択肢なの」
「本音が駄々漏れただけです。気にしないで!」
似合わないと思いつつもこんな場面でぜひやってみたかったテヘペロ☆をつけてあげたら、がっくり脱力したフロリードさんが頬ずりだけはやめてくれた。さして解放された感はないけど、かれこれ5分近くあんな状態だったので、今はこれで良しとしよう。本当なら目の端に写る応接セットのソファーまで避難したんだけどなぁ、ダメかなぁ、行きたいなぁ。
「ダメだよ。もう、今日君はここ以外に座っちゃダメ」
「そんな殺生な」
視線の先と意味を読んで先手を打ってきたフロリードさんにお願いの眼差しを向けたら、鼻先を髪に突っ込んでフンフン匂いを嗅がれ、難しい顔でもう一度ダメだと念押しされた。
なぜ、否定するのに匂いを嗅ぐ。
「どこもかしこもオルガの匂いがつきまくってるじゃない。本当なら水洗いしてマーキングしなおしたいのを我慢してあげるんだから、僕の匂いが移るまではこのままね」
?匂い?マーキングって、犬や猫がやっているあれですか?
オルガさんは香水なんてつけてなかった。それどころかフロリードさんに借りた石鹸も彼女の家にあった石鹸も、全くの無香料で驚いたくらいだ。なのに匂いがするって、体臭とかそいういうの?
自分の腕に鼻を近づけてみても無臭で、彼の言葉は理解不能だったけどなんとなく解放は先だってことはわかった。この子供みたいに不機嫌なフロリードさんが満足するまで、今日は離してもらえないらしい。…難儀な。
「わかりました。でも、お仕事しづらくないですか?」
彼等から見れば小柄でも保育園児並みにあたしの体が小さいわけじゃない。それ相応のサイズに育っているからには、そんなものが目の前に座ってちゃ書き物もできないだろうと聞いたら、にっこり笑ったフロリードさんは片手に書類、片手にあたしを抱いて2人掛けソファーにさっさと座を移してしまった。
「ここなら広さは十分。マイも僕から離れる必要がないだろう?」
「…はあ」
そんないい笑顔で問われても、あたしはくっついてる必要を感じないんですがね。
左隣りに座らせらてぎゅうぎゅう腰を抱いたフロリードさんは、それで満足したのか器用に右腕一本で仕事を始めた。
書類を裁き、サインをし、じっと書面に読みふける。
見目麗しい男性が熱心にお仕事する姿は、素敵です。眼福です。
だがしかし、そんなもの10分も見たら飽きる。暇で暇で時間を持て余す。当然の摂理じゃないの!
退屈を持て余し、かといって声をかけるのも憚られる相手に不満を零すこともできず、数十分も我慢を続けただろうか。そんな時にノックもなくドアが開いたら、びっくりする反面ちょっぴり喜んじゃっても誰もあたしを責められない、そう思うんだけどね。
「フロリード、異星人を譲れ」
見事な白髪を後ろになでつけ、片眼鏡をかけた長身の美青年は、自動ドアが開き切ると同時に用件を告げ、顔を上げたフロリードさんの隣りに見慣れない生物を見つけるとすっと目を眇めた。
「公私混同か、それとも監視か」
温かみの欠片もない視線に射抜かれて反射的に身を縮めると、伸びた腕が庇う強さであたしを抱き込んだ。
「好きなように解釈すれば?それとリオならともかく、お前にだけは何があっても彼女を渡さない。覚えておいて」
どれだけ平和ボケが激しい日本人でも、この白髪のお兄さんが敵か味方かくらい判別できる。それほど闖入者は冷たく、全く友好的じゃなかった。
大きいと思っていたフロリードさん達よりもさらに頭半分大きな男は、ただし彼等より幾分細身だ。明らかに肉体労働より頭脳労働が得意分野だとわかる出で立ちや、白いマオカラーの上着がいつか読んだSFマンガの博士みたいで、なんとなく彼の職業を示している気がする。
「バカを言うな。貴重な検体だぞ。殺しさえしなければ、血も細胞も取り放題で実験材料にも研究材料にも事欠かないというのに、なぜおまえたちのように管理が杜撰な連中に異星人を任せなければならない。即刻研究所で管理飼育をすべきだろう」
冷静に淡々と並べられる言葉に、怯えながらも妙に合点がいったのが皮肉だ。
ファンタジーの世界じゃあるまいに、地球より科学力がある星に飛ばされて人権を保障され大切にしてもらえると思う方が間違っている。同じ大切にされるなら、檻の中で死なないように飼育される希少生物の方が正しいだろう。地球でだって個体数の少ない生き物は大切に保護されていたんだから。
やっぱり普通の生活なんてできないか。ぼんやりそんなことを思っていたら。
「アウレリオ、意識がある彼女に会うのは初めてだよね?」
あたしの背中をそっと押してお兄さんに向きなおらせたフロリードさんが、小声で挨拶を促してきた。訳が分からなかったけど、地球人流でも初対面はこんにちわからだから文句はない。
座りながらは失礼かなと思いつつも、頭を下げる。
「はじめまして、鈴木舞です」
苗字は言わないほうがよかったかなとか、もっと気の利いたこと言えばよかったかなとか、色々思いもしたけれど結局何をどういっても一緒だったのだとわかったのは、相手の第一声を聞いた瞬間だ。
「知性があるというのは適当ではないな。研究者の情に訴えるような、姑息な真似をされては面倒だ」
感情のこもらない声でそう言い放った男は、その後で首輪みたいな翻訳装置を見てこれを外せばとかなんとかぶつぶつと言い始める。
確かに、あれこれ動物実験しようとする相手に助けてくれとか倫理はどうなってるとか喚かれたら、さぞやりにくいことだろう。実際人間がこれまで動物を利害のために虐げられたのは、そういった面倒がなかったからだ。喋れない相手になら多少残酷でも人類のためと実験を施す人もいるんだろうし、直接手を下さなくてもそうして得た恩恵に与っている人間ばかりなんだから、いざ自分が同じ立場に立たされても(ちょっと意味合いが違っても)文句は言えないだろう。
「マイと意思の疎通ができるとわかってもそんな風に考えられるお前だから、絶対に渡さないって言うんだよ」
やっぱり隔離監禁コースかなぁと諦めのため息を零したところで、苦笑いのフロリードさんに抱きしめられた。
「僕の言ったこと、聞いてた?マイは安全なんだから、そんな顔しないで」
ぎゅうぎゅうと痛いくらいに回された腕から、さっきまでなら逃げたくて仕方なかった。でも今は命綱みたいにこっちからそこにしがみついてしまう。
「下らないな。鼠やリスだって喋るだろうが。奴らはペット扱いなのに、それだけ特別だとはおかしなことだ」
こちらを見下ろして鼻で嗤ったお兄さんに、にっこり返したフロリードさんは邪気がない分たちが悪かった。
「マイも扱いはペットだよ。首座にちゃんとそう申請してあるし、なによりこんなに脆弱でちょっと乱暴に扱ったら壊れちゃうような異星人の、何を研究するっていうの、君は」
わー…研究素材としてもあたして、三流?




