01 噂なんてただのキッカケだよ
マスコミにまで出ていかないくても、同業者内で広まる噂なんて数え切れないほどにある。その中でも恋愛なんかは極頻繁に。誰それが付き合っているとか、誰それが別れただとか。
そして今回も恋愛絡みの噂だった。その中心人物は森くん、だったけれど。
一応、今現在まで森くんの“恋人”というポジションについている僕はその噂の事情なんて知らない。ただ本当かどうかも分からないけれど、普通の男女の付き合いなら修羅場になりそうな展開なのに僕は案外受け入れることができるんだ、とそのことに驚いた。
それでも僕は落ち着いていることに驚いて、そしてまた落ち着いて、随分と早めに来てしまったスタジオでパラパラと台本を捲ることにした。
今日の作品は森くんも共演するもので、たぶん噂好きな女性陣に彼は来て早々に質問攻めに遭うんだろうとそれでも彼のことを考えている自分に苦笑し、台本に集中するようにした。
しばらく台本を確認していると監督に呼ばれた。
台本上の運びで小さな変更があるから、と伝えられて僕はそれをメモしつつ、同時に浮かんでくる疑問を解決すべく、尋ねる。すると入り口付近がわぁっと騒がしくなり、そちらに目を向けると森くんがやってきた。
先ほどの考えが的中して、彼が挨拶すると女性陣が群がっていく。その様子を見た監督が「凄まじいですね」なんて溢す。その声音がどうも「若い人にはパワーがあっていい」みたいに聞こえてきて僕は心の中で監督もそんなに年じゃないのに、と苦笑いを浮かべる。僕も森くんも、監督も出演者やスタッフが平均30代で若くもないし、老けてもいないと和気あいあいとしている現場だった。
そんな中でしみじみといった感じで言われるとおかしくなる。
「森さんに彼女ですか、想像つかないですね。今までいなかったから、余計ですかね?」
多少は監督も興味があるようで、話を振ってくる。
彼に彼女がいないのは当たり前だった。彼女とは言えない、だけれど恋人という存在はいる―――“僕”がいた(いや、まだ正面から別れ話をした訳じゃないから、いるのほうが正確か)。まぁ、そんな状況で僕も森くんもフラフラとしてきたんだから。
でも確かに森くんに彼女というのには少し驚いた。出会った当初から人見知りで特にお酒の入った女性のパワーには勝てないと冷や汗をかきながらよくぼやいていた。
「んー、どうだろ? でも彼、カッコイイから今まで彼女がいなかったっていうのも不思議な気がするけれど」
それは僕が彼と気持ちを通じ合わせてそれでも思ってしまったことだ。僕なんか選ばなくても…、と。とても恋人に言う言葉とは思えないが、役者という職業上か、僕は自分の気持ちを押し殺すことに長けてしまった。
「そういう上地さんは? モテると思うんだけどなぁ」
監督もやはりこういった手の話が好きらしい。軽い世間話程度で済むかと思えば、随分と食いついてくる。
他人の相談に乗ることは嫌いじゃない。むしろ頼ってくれているのだと嬉しくなるし、それなりに好きだ。しかしそれが自分のことを話すとなるとまた別だ。自分のことを話すのはあまり得意ではない。
「まさか、僕なんてもう枯れたおじさんですよー。縁なんてものもないんでね」
自虐したように笑うと監督も笑って「そろそろ始めますか」とスタジオ全体に声をかけた。
“縁”なんてものはない。あったはずの“縁”もたぶんもうすぐに消える。これはずっと僕が望んでいて、それでも切ることのできなかった縁。
僕も森くんも…、いや、きっと森くんだけ。森くんだけは自由になれる。ずっとキミを縛り付けてきた“僕”なんていう足枷は消えて、キミは自由になれるんだ。踏み外したことをバカらしく思ってもう二度と踏み外すものか、と元の正常な道を歩き始めることができるんだよ。
僕はキミから自由も将来も、全てを奪っていたから。
ずっと間違っていると分かっていながら外れた道を歩いて、戻らなければと思いつつ何もできなかった僕。この噂が本当かどうか、なんて関係ない。ちょっとしたキッカケがあればキミは元の道に戻れるんだから、僕はキミに嫌われる演技をしよう。僕からキミを嫌いになるなんてできないから、だから、キミから突き放してよ。そうしたらズルい僕はキミの言葉を肯定して、もっともっと間違った道に行ってしまう前にキミを放すことができるんだ。