エピローグ
僕の長い長い介護生活はあっけなく終了した。
ニートの姉は満足した最期を迎え、彼女が居なくなってしまったことを僕はわりとあっさりと受け入れることができた。それは、あの最期の旅行の中で、それまで話せそうで話せなかったことをきちんと互いに伝えられたからだと思う。
姉さんはいま、父と母と同じ墓に入っている。「ジョニーウォーカーを浴びるほど飲みたい」という約束はそこで達成された。多恵子さんの協力を得つつ、山のように買った瓶(かなりの出費だった)を墓石にたっぷりと浴びせたのだ。
ちなみに、相当な異臭を放つことになるので良い子はマネをしてはいけない。
それから、最後まで謎のまま残っていたタイムカプセルの宝箱。
姉さんの部屋を整理しているうちに、それは立ち並ぶ酒瓶の間で発見された。
そしてその箱の鍵が見つかるまでには、さらに数週間を要した。
以前、勤め先のスーパーからもらった匂い付きの米は、キッチンの米びつに最後の一袋分が残されていた。ひとり暮らし生活に戻った後、それを食べきるには結構時間がかかったのだが、それを食べきろうとする寸前、米びつの米の中からビニール袋に入った鍵が発見された。
おそらく姉さんが入れたのだと思う。
宝箱を開けてみると、中から紙が出てきた。
そこには『こんいんとどけ』と子供の字が書かれていた。そして結婚する二人の名前には、姉さんと僕の名前があった。
見た瞬間、思わず赤面してしまった。
僕が書いた字かどうかは確証が持てないが、僕が入れたものに間違いない。当時の自分は寝ても覚めても姉のことを追いかけていた。かなり恥ずかしい歴史を発見して顔を背けたくなったが、好奇心が次へ次へと読み進めさせようとする。
『この二人は えいえんのあいを ちかいます』
『しぬまで いっしょです』
最後に署名欄があったが、そこには子供の字はなかった。おそらく婚姻届の意味を知る誰かが書いたフォーマットに、誰か(おそらく子供の僕だろう)が名前だけを書き入れたのだろう。でも署名欄のところは子供には意味が分からず、未記入になったと推測される。
問題はそこではなかった。紙はさらに大人の字で書き加えられていたのだ。
『しぬまで いっしょです』と書かれた下に『(※ただし片方が死んだ場合、残された方は別の相手を見つけること)』と書かれている。
そして、署名欄の片隅には姉さんの自署があった。
大人の字だった。
おそらく、姉さんは宝箱の鍵を保管していたため、僕が見るよりも早くこの内容を確認したのだろう。そして、どういうわけかこの内容を見て追加情報を書き入れたのだ。ただの子供の遊びとして流すこともできただろうに、姉さんはあえてそれをしなかった。いくらかの本気を交えて、この婚姻届を少しでも有効にしようとしたのだ。
「姉さん、こんなことされたら…受け入れざるを得ないじゃないか」
姉さんの最期の日、唐突にキスをしようとしたのは何ら不自然なことではなかった。僕は軽く流してしまったけど、姉さんは本気だったのだろう。
知らないうちに涙があふれていた。
あの日、二度と喋らなくなった姉さんをすんなりと受け入れたはずだった。
なのに、この紙を見て、姉さんが惜しいと思ってしまった。
愛おしいと思い直してしまった。
僕は失ったものを再認識し、声をあげて泣いた。
あふれてくる感情をそのままに、僕は紙を持ったまま崩れるように嗚咽した。
◇
「あの宝箱の中身を見たのね」
多恵子さんと会ったとき、宝箱についてあっさりと答えた。
「あの婚姻届は枠だけ私が書いたのよ。そうそうこれ」
現物を見た彼女は、懐かしそうにそれを眺めた。
そして書き加えられた部分を見て「なるほどね」と笑った。
「それで、これはどうするの」
「姉さんがここまで書いたんです。残りを完成させます」僕は二人分ある署名欄のうち、空白だった新郎の署名を入れた。
そして一番下にある『たちあいにん』の欄のみが空白で残された。
「一つ言っておくけど、近親婚は法律上無効よ」
もはや用紙すら有効でないこの紙に、今更そのようなツッコミを入れつつ署名する多恵子さんはおかしかった。そして『こんいんとどけ』は完成した。
「おめでとう。あなた方は本当にお似合いね」
「照れますね」
お似合いかどうかは分からない。姉さんとの生活の中で恋人っぽいことをしたと言えば何回かのデートと、最期の一度きりのキスくらいなのだけど、なんだかその紙切れを見るだけでそれまでの人生が肯定されたかのような充実感を感じられた。
「で、完成と同時にこの紙は役目を終えたので、捨てちゃいましょう」
「そうですね」
多恵子さんは紙を破きはじめる。子供の些細な遊びはゴミ箱の藻屑と消えた。
役目を終えたというのは互いに説明するまでもない。『しぬまで いっしょです(※ただし片方が死んだ場合、残された方は別の相手を見つけること)』というこの一文には、残していく弟への精一杯の思いやりがこめられている。
「ところで勝彦君、勤め先が潰れたって本当?」
「ええ、まあ、いま就職活動中です」
勤務していたスーパーはついに閉店した。半月ほど前から無職になっている。
「沙絵から君のことを強く頼まれているからね。まあ、あなたくらいの人なら職なんてすぐ見つかるでしょう。それより」
多恵子さんは一拍置いた。
「女の子紹介するわよ」
「あー、いや、いいですよ、まだ」
「何言ってんの。残された方は別の相手見つけろって書いてたでしょ。それに沙絵は何度も何度もあなたが無欲な男になってしまうことを心配してたのよ。過去に引きずられちゃ駄目よ。なにか希望はあるの」
「あー、ええ、あえて言うなら、お酒を飲まない人がいいですね」
「ぷっ」
多恵子さんは吹き出し、笑い始めた。あまり長いこと笑い転げているので、僕は心配になったくらいだ。しかし多恵子さんはしばらくして落ち着きを取り戻すと、言った。
「沙絵も同じこと言ってたわ。本当にあなたたちお似合いね」
僕もつられて笑ってしまった。
ふたりは、そのまましばらく笑い続けていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
はじめて短編以外の物語を書きました。
ストーリーは最初から考えていたとおりの結末です。書いているうちにいろいろと要素が追加されていったので、きちんと回収しきれなかった部分もありますが、“きちんと完結させる”という最大の目標は達成できました。
二人の掛け合いは書いていて楽しかったです。
この話を書きはじめるとき、自分に3つの縛りをつくりました。
一つめは、一話3500字程度のボリュームを維持すること。これは9割方達成できました。よい緊張感を維持できたと思います。
二つめは、2日に1回更新すること。これは途中まではうまくいったのですが、第9話でバテてお茶を濁し、第26話からは一年間休載してしまいました。
続けることはとても難しいです。エネルギーが必要です。
三つめは、固有名詞をなるべく出さないようにすること。地域性や時代性をぼかすつもりだったのですけど、これは無理でした。ディズニーランドとかジョニーウォーカーとか思いっきり出てますし、YouTubeとかAmazonとかザッカーバーグに至っては年代まで特定されてしまいます。
次に書くときは、別の縛りをつくって挑戦してみようと思います。




