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ニート姉さんと米袋(1)

 退院の日から1ヶ月がたった。

 それはつまり、僕が姉さんがそろって同じアパートで暮らし始めてから1ヶ月がたったということだ。

 咲いていた児童公園の桜の木も今ではすっかり青々とした葉が茂っていて、晴れた日の昼過ぎなどはもう汗ばむほどの陽気が訪れるようになった。あと1ヶ月もすれば蒸し蒸しとした梅雨が来て、住宅街のそこかしこで淡い色したアジサイの花が見られるようになるだろう。


 姉さんの容体はずいぶんと落ち着いていた。というより、入院していたことが嘘のように従来通りの健康体だった。

 姉さんは相変わらず毎日ごろごろしながらウェブの世界で遊んでいた。ただ、これまで週1回だった掃除・洗濯・炊飯が毎日になったわけで、洗濯物はためこむことはなくなったし、風呂の汚れも手遅れになる前に綺麗にできるようになったし、コンビニ弁当やカップ麺の食事は完全に姿を消すことになった。それに、生活リズムも僕に多少は合わせるようになったのか、姉さんの夜更かし朝寝は少しずつ改善されてきているようだった。

 姉さんの世話をするのが生き甲斐、とまで言うとなんだか負けた気になるので言わないけれど、自分の作ったご飯を毎日おいしいと言いながら食べてくれるのは本当に嬉しい。どうせ一人分の家事も二人分の家事もやることは一緒なので、別にそれが苦ではないどころか、楽しく思えてくる。

 たとえば夕食のメニュー一つとっても『姉さんはどう思うだろう』とか無意識で脳内シミュレーションしている自分がいて、これはペットを飼うどころか僕が飼われているようなもんだなと苦笑してしまう。


「おーいカッツン」

「どうしたんですか」

 仕事の帰り支度をしていると先輩に呼び止められた。カッツンというのは職場で定着している僕のニックネームだ。先輩はなぜか米袋を抱えていた。

「タダで米を食えるというウマい話があるんだけど、どう?」

「えっ、どういうことですか」

 先輩に付いて倉庫に向かうと、数個の米袋が端に積み上げられていた。

「いやーこの米ね、保管方法が悪かったみたいで臭いが付いたり虫が湧いたりしてたんだわ。それで、まとめて近くにあったのも保存状態が怪しいってんで売るに売れなくてね。このままじゃ廃棄するしかないから、気にしない人がいたら勝手に持っていっていいんだって。店長が言ってた」

 袋をよく見たが、ぱっと見てだと全然問題ないように見える。臭いも気になるほどではない。近くに店長がいたので念のため確認してみたが、早い物勝ちで持っていっていいらしいので僕は即決で2袋もらうことにした。

「でもカッツンは自転車通勤だろ。よかったら私の車で運んでやるよ?」

「いや悪いですよ」

「私も今から上がりだし、うちも2袋もらっていくからついでだよ」

 ということで、送ってもらえることになった。


 夜の道を白いワンボックスバンが走っていた。後部には米袋が4つと、無理やり押し込められた僕の通勤用ママチャリが乗っている。

「いやあ店長には悪いけど米が悪くなってて助かったよ。うちは食べ盛りがいるから臭う米だろうが何だろうが食費が浮くならしめたもんさ」

 先輩は開け放った運転席の窓に腕を乗せながら運転していた。

「先輩のところって、家族多いんでしたっけ」

「そう。両親含めて全部で家族8人。兄弟は、長女の私を除いてあと全員男。米なんか炊いてもすぐに無くなるよ」

「そうですか、なんだか楽しそうですね」

「そうかな。うちの弟たちはみんな聞き分けがないから参るよ。一番下は中学生上がったばっかなんだけどやんちゃでね。こないだなんか私の下着盗んでたよ。何に使うんだか。はっはっは」

 先輩はハスキーな声で豪快に笑った。助手席に座っている僕もつられて笑う。

「ああそうか。カッツンも姉がいるんだったな。なんだか妙な話をしてしまった」

「いえ…」

 自宅のアパートのある丘が近くに見えてきた。

「カッツンはお姉さんと二人暮らしなんだっけ。妙な米を持って帰っても大丈夫なの」

「食事は僕が作っているんで、あまり気にしないと思いますよ」

「そうか。家事をやってくれる弟がいて羨ましいな。私も食うだけ一人前な弟たちより、カッツンみたいな弟が欲しいところだ」

 先輩は冗談めかすように笑った。食うだけ一人前な姉を持つ立場としては、その言葉は違う意味で笑えた。

 車が段差を越えて、後ろの自転車が大きな音をたてた。古いワンボックスバンはうなり声をあげながら丘の坂道を登っていく。そしてアパートの前で車を止めてもらった。

「じゃあ待っててくださいね」

「いいよ。2袋なんだから私も手伝う」

 僕はすぐに自転車を降ろして米袋を一つ持ち上げた。先輩もそれに続いてもう一つの袋を抱え上げ、2人はアパートの外階段を上った。

「ただいまー、っと」

 僕が部屋のドアを開けると、ちょうどダイニングに姉さんがいた。

「えっ…?」

 姉さんと目が合って、場が凍り付いた。姉さんはバスタオル一枚の状態で、僕のトランクスを頭にかぶっていた。シュールな光景に僕は何が起きているのか理解できなかった。

「…」

 僕がおそるおそる振り返ると、米袋を持った先輩が背後で固まっていた。そして僕と姉さんを見比べるように目線を泳がせて、米袋をその場に置き、それから早足で立ち去っていった。

「失礼しましたァ!」

「先輩! 誤解です。よく分かりませんがたぶん先輩はとんでもない誤解をしています!」

「プライベートに踏み込んですんませんでしたっ!」

「いやいや! 一瞬の光景で変な確信とか持たないでください!」

 僕は叫んだが、先輩はもう車に乗り込んでエンジンをかけていた。

「カッツン、また明日!」

 先輩はそう言って、すぐに行ってしまった。僕はぽかんとした顔でそれを眺めていた。

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