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ニート姉さんと宝箱のカギ(1)

 病室を出たとき、もう既に日付は変わっていた。

 夜間受付の看護師さんからは、“長居はしないでくださいって言ったじゃないですか”とでも言いたげな冷たい目線で一瞥されたが、僕はかまわずに建物を出た。


 帰り道、あたりは闇に包まれていた。人気の少なくなった深夜の住宅街には、ぽつ、ぽつと街灯が点っていて、海面に浮かぶ島々のように見えていた。僕は風のない夜の中をゆっくりと自転車を押して帰った。自転車を漕いで風を切ると、せっかくの静かな夜が台無しになってしまうように思えたからだった。

 毛布にうずくまる姉さんから片腕を取り返したのは、姉さんがすっかり寝付いてからのことだった。僕の腕はすっかり抱きかかえられていて、寝ている姉さんを邪魔しないようゆっくりゆっくりと撤退するために、かなり長い時間を要してしまった。

 だから僕がいま自転車を押している理由の中には、その腕に残る温かさを失ってしまうのが惜しく感じられるからというのも含まれている。そんなことを自分で考えるのも恥ずかしいが、近いうちそれは永遠に失われてしまうことを考えると、仕方のないことだと思う。いや思いたい。


 ベッドの中で眠る姉さんを見ていて、僕は思い出したことがあった。

 僕がはじめてまともに姉さんの部屋にやって来たときのことだ。



 ある春の日のこと、僕は吹江さんの家を訪れていた。

 当時高校3年生だった僕は、ある事情があって探し物をしていたのだ。

「うーん、あなたのお母さんから預かっていたものはこれで全部ね」

 机の上には古いアルバムやら預金通帳やら印鑑やら古い手帳やら何やらが並べられていた。

「鍵はないですか?」

「見る限りないわねえ」

 僕は念のため、アルバムの中に何か挟まっていたり、手帳の中に何か貼り付けられていたりしないか確認した。それでも、僕の探している『鍵』は見つからなかった。

「預かっていた鍵はいくつかあったけれど、家のものだったり車のものだったりしたから全部もうないわ。それにその…小さな鍵穴に合うようなものもなかったし」

「そうですか…」

 僕の手元にはしっかりとした作りの小さな箱があった。木と金属で作られた両手に収まるくらいの小さな宝箱だった。それはおもちゃ向けに作られたような大きさなのに、作りはずいぶんとしっかりしていた。重厚に見える立派な錠前が付いていて、鍵無しには簡単に開けることは難しそうだった。

 小さな箱についた鍵、それは僕の手元にあるはずだった。

 タイムカプセルの鍵。

「タイムカプセルねえ。意外と開けないほうがいいんじゃない?」

 吹江さんが妙なことを言った。

「それじゃあ何のために埋めたか分からないじゃないですか」

「王様の耳はロバの耳って話知ってる? 人が埋めた物が常に良いものとは限らないのよ」

「不吉なことを言いますね。夢も希望もありません」

 その金属製の箱は、数日前に土の中から掘り出されたものだった。

 かつて小学校のイベントで、タイムカプセルを埋めることになった。そのとき僕はこの金属製のおもちゃの箱の中に何かを入れ、鍵をかけた。埋めてから10年がたってそれは開封の時を迎え、その日は当時の小学一年生から六年生までが一堂に集まるという同窓会イベントが開かれた。

 僕は事情があってそのイベントには参加できなかったのだけど、掘り出された容器の中(中は半分水浸しになっていた)から多恵子さんはこの箱を見つけ出し、記憶からそれが僕が埋めたものだと特定して、あとで僕に渡してくれた。多恵子さんいわく「それはあなたと沙絵が一緒に入れたものだと思うけど…」とのことだったが、僕の記憶はそうだったかどうかすら分からなかった。そもそもどのような経緯で何を入れたのかもすべて忘れてしまっていた。

「いいわね。そうやって忘れているからタイムカプセルって面白いのよ。それで突然思い出したことで嫌な思いをすることもあるし」

「吹江さんはタイムカプセルに何か悪い思い出でもあるんですか」

 僕はその宝箱を渡された後、自分の部屋をひっくり返して鍵を探してみた。しかしその箱の鍵はどこにも見つからなかった。母が亡くなった後に住んでいた家は引き払ったため、その混乱の中で無くしてしまったのかもしれない。もしまだあるとすれば、いくつかの重要なものを預けている吹江さんの家か、姉さんのアパートの部屋にしかない。

 そして吹江さんの家にはそれはなかった。

「じゃああるとすれば…沙絵ちゃんの部屋ねえ」

「…」

 高3の僕は姉さんとほとんど絶縁状態にあった。僕が何となく姉さんを避け続け、どのような顔をして会えばよいのかも分からずにずっと逃げ回っていたようなものだった。

「探してみる?」

「帰ります…」

 僕の中には姉さんに鍵のありかを尋ねるという選択肢はなかった。

「そう」

「お茶ごちそうさまでした」

 僕は礼を言って、立ち上がった。

「本当にそれでいいの?」

「…」

「箱の中身、気になるんでしょ?」

 吹江さんはニヤリと笑いながら尋ねた。

 姉さんと距離を置こうとしている僕に、吹江さんはなぜかずっと寛容だった。姉さんはその頃すっかり出不精になって大学に行かず何をしているのか分からないような状態だった。そして部屋にはゴミが散らかり、部屋の管理人としても見過ごせないような状態になっていた。それでも吹江さんは優しく姉さんに接していたらしい。そして、僕に対しても、特に姉さんのことを話題に持ち出すようなこともしなかった。

 でも、この時の吹江さんには何か強い意志が感じられた。

「その宝箱の鍵は、あのゴミ屋敷の中にあるかもしれないのよ?」

「まあ…そうですけど…」

 僕が窓の外を見ると、丘の上にある姉さんのアパートが少し見えた。

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