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ニート姉さんと花札

 姉さんはコロッケピラフを美味しそうに食べていた。

 今回は炊飯器の設定を間違えることもなく上手に出来たので僕は満足を感じていた。ご飯を作るだけで食べなくてもお腹いっぱいになってしまったような不思議な感覚だ。姉さんもコロッケピラフを嬉しそうに食べているので、僕はついついその姿を眺めてしまっていた。

「どうしたの?」

「いやなんでもない」

 僕が姉さんの食べる姿を眺めていただけでそれはそれは満足だったのだが、それに気が付いた姉さんがこちらを見て不思議そうな顔をしていると途端に気恥ずかしくなってきて、目をそらした。それはまるで僕と同じ顔をした犬が、骨を拾ってきて飼い主に褒めてもらいたくてうずうずしているような、そんな光景が一瞬脳裏に浮かんだからだ。第三者的に見れば僕が逆に姉さんを餌付けしているように見えるかもしれないが、姉さんはそんな単純な人ではない。餌付けされたとしても主導権は絶対に離さないような強引さとしたたかさを持っている油断ならない人物である。そして、昔から同じ家で暮らしてきた僕は、そんな姉さんにこの世で最も逆らえない存在である。よって、犬は僕の方なのだ。

 姉さんはピラフをきれいに食べ終えて、最後に残しておいたコロッケのかけらを口の中に放り込んだ。姉さんは大事な物は最後に食べる派なので、好物のコロッケやカツカレーのカツ、苺の乗ったショートケーキの苺などは必ず最後の一口にとっておくのだ。姉さんはこのやり方に相当な自信を持っているようで「最後よければすべてよし。最後にとっておかないなんてあり得ない」と公言してはばからない。

 コロッケをもしゃもしゃと味わっている姉さんはとても嬉しそうだ。僕が見る限り頭のてっぺんから足の先までダメ人間だけど、こうしてものを食べている姿や、布団に転がって起きたくなくてごろごろしている姿は可愛いと思う。親族のひいき目を差し引いたとしても、世に出して恥ずかしくない程度には魅力を持っているのだから、今すぐにどこぞの金持ちが嫁にもらってくれてもおかしくないはずだ。おそらく姉さんはそういった金持ちに無条件に嫁にもらわれることを快くは思わないかもしれないが、好きなだけだらだらできるという条件が付けば喜んで飛んでいくだろう。

 あるいは、頭が良くて怠け者であることを生かして何かビジネスでもはじめてさっさと引退して欲しい。姉さんはプライドが高いので、人並みの仕事というハードルの高い職業ではやっていけないのだ。姉さんはバーチャル株トレードであっという間に元本を5倍に増やすという妙な能力があったけど、飽きたという理由ですぐにやめてしまった。「チャートと情報を眺めてれば幸運の女神様が下りてくるんだよ。でもチャートと情報を眺めるのがメンドイ」と軽く言っていたが、要は稼げると分かっていてもそのための努力をするだけの根気がないのだ。本当にどうしようもないダメ人間である。

 そしてそのことをいちいち自慢するようなことはないが、プライドの高さと自分の能力をいやに信頼しきっているところがあり、「私が本気を出せばアップルなんて潰せる」とか「来年から頑張ってザッカーバーグを超えてやる」とか平気で言ってのける。たいした実績もなしにこのようなことを言うのはおかしくて仕方が無いのだけど、ここまで自信に溢れていると逆に愛嬌があるのでいつも「はいはい」と言って流している。でもいい加減本気で働いてほしい。

 姉さんはどうしようもなく根気がない。努力とか根性とかそういうものとは完全に無縁であり、普通の人より比較的頭が良く美貌に恵まれていることもあってなんとなくうまくいってきたように思える。とは言うものの、長い人生を生きていくためにはどうしたって特定の分野で努力を続けるということが必要になる。努力ができないということは、姉さんはその才能の有無にかかわらず、何をしてもどこかで頭打ちになってしまうことを運命づけられているようなものだ。ただ、姉さんの場合はその頭打ちになるラインというものが異様に高く、器用貧乏という言葉が似つかわしくないほどに何をしてもうまくいくあたり、本物の天才というものはこういう人のことを指すんじゃないかと思うことがある。

 多少言い過ぎかもしれないが、僕は姉さんの可能性を大きく見積もっているし、僕もそろそろ貯金が出来るようになりたいところなので、いい加減自立して生活できるレベルになって欲しいところだ。というか、なってください。

「姉さん、今月は厳しいんです」

「えー、なんで?」

「店の業績が悪くてボーナスを減らされました」

「いくらいるのよー」

「5万円ほど」

 姉さんの生活費を持っているのは僕の方だが、この会話だけを聞いているとまるで僕が姉さんに養われているように思える。非常に屈辱的だが、僕の家計と姉さんの家計の両方の責任を持っているのは僕である以上、出て行く金を減らしてやって来る金を増やすためにこうして交渉をしなければならないのだ。やってくる金についてどうして姉さんにお伺いを立てないといけないのは後で説明する。

「じゃあ、花札で勝負しようか」

「いや姉さんが素直に酒代を減らしてくれればいいんですが…」

「はいはいそういうことは勝負に勝ったら言ってねー」

 勝負に勝たないと姉さんは酒という浪費をやめてくれない。というか健康上も家計上も酒はもっともっと減らしてほしいところだが、酒がなくなれば姉さんは本当に口をきいてくれなくなりそうなので、そこだけは配慮するようにしている。ところが今のように資金繰りが苦しくなったときは話は別だ。何が何でも姉さんの浪費を食い止めないことには、来月僕はカード会社から屈辱的なハガキをもらうことになってしまう。

「はいはいやるよー」

 姉さんが花札というときは、たいてい「こいこい」をする。平たく言うと、手元の札と場にある札で役を作っていく遊びなのだが、姉さんはこれがお気に入りのようだ。

 姉さんは何をさせてもうまくいってしまう才能があるというのは既に話したとおりで、花札も当然ながら歯が立たないほどに強かった。ところが、僕もいつまでも負けているわけにはいかない。何しろ姉さんを力でねじ伏せるためのほぼ唯一の手段なのだ。こうして資金繰りが厳しいときに花札に負けて言うことをきいてもらえないと、僕は血のにじむような努力で生活費を圧縮しなければいけなくなる。光熱費を浮かせるために雪の降る日も空調を切ったり、特売の白菜で三日食いつないだりするのはどうしても避けたいのだ。ゆえに、健康で文化的な最低限度の生活を維持するために僕は花札の研究をし、姉さんのよく使う手を分析し尽くし、ようやく姉さんとは対等に勝負が出来るようになった。姉さんと僕の間の勝率はだいたい五分五分である。

 五分五分とは言っても、どうでもいい勝負の時は僕が手心を加えて負けるようにしてある。姉さんの機嫌が悪くなるといろいろと都合が悪いので、それも込みで得るものが多くなければ基本的に負けた方が都合がいいのだ。それを考えると僕の方が強いのかもしれない。そうすると僕が唯一姉さんに勝てるのはこの花札ということになる。

 今まで身近で花札をやる人は数人居た。その人たちとそれぞれ勝負してみたが僕の方が強かった。僕と姉さんは一般人としてはレベルが高い方なのかも知れない。

「じゃあ、前は勝彦が勝ったから私が親ね」

 姉さんはニコニコしながら札を眺め、手札を出していく。

「…」

 のっけからついていない。点数の高い役はすぐには得られそうにない札ばかりだった。そうしている間にも姉さんは役をそろえてしまいそうな勢いだ。

 僕がタンを揃え終わらないうちに、姉さんは三光を完成させた。

「ほれ、こいこい」

 姉さんは挑発するように言った。

「ほら、青タン」

 直後に僕もやり返す。

「こいこいで」

「やるねえ」

 姉さんは勝負をしている間はとても楽しそうな顔をする。それは勝負に勝ったときの喜びの表情よりも楽しそうに見える。姉さんは勝ち負けよりも勝負をしている間の方が幸せなようだった。しかし今の僕はそうやって姉さんと同じように楽しんでいるわけにはいかない。何しろ来月の生活が維持できるかどうかがかかっているのだ。姉さんは扶養されている存在でありながら、僕の生殺与奪を握っているのだ。

 6回勝負して、3勝3敗という結果になった。が、得点はわずかに僕の方が多かったので僕が勝利となった。姉さんはずいぶんふてくされたような顔をしているが、生活を維持するためなので仕方が無い。

「じゃあ姉さん、約束通り僕のお願いをきいてくださいね」

「酒が飲めないのやだー」

 子供のようにごねている。しばらく放っておくとラグの上に俯せに寝転んで手足をじたばたさせ始めた。おもちゃ屋の前でだだをこねているような、とても20代女性とは思えない情けない情景だが、どうしても生活費の不足分5万円を捻出させるためには情けを掛けるわけにはいかない。

「だめです。勘弁してください死んでしまいます」

 僕は姉さんの相手をすることをやめ、ダイニングテーブルの掃除を始めた。姉さんはしばらく不満そうな顔をしてふくれていたが、しばらくして「ああ、そっか」と一人で納得した。

「じゃあATMから下ろしてくればいいんじゃない」

 えっ? と僕がもう一度姉さんの方を見ると、姉さんは悪人のような顔をしていた。

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