ニート姉さんとキャラメルマキアート(2)
姉さんと僕の住んでいるアパートから徒歩20分、自転車で10分、田んぼの中に建っているショッピングモールは夜になると闇の中に浮かんでいるように見える。開発されたばかりで周囲には田んぼと太い道路しかないので、壁面全体に明るい光が照らされている建物は遠くから見ると、それ自身しか目に映らない。
そのショッピングモールの中央には大きな広場があり、それを囲むようにいくつかの飲食店のウィンドーガラスが並んでいる。その中の一つに緑色のコーヒーショップがある。
昼間といえばこのコーヒーショップは奥様方や高校生たちでにぎわうのだが、もう遅いこの時間では店内は閑散としている。もっとも、閑散としているのはこの店だけでなくショッピングモール全体に言え、灯りだけが明るいこの人工的な店並みは廃墟のようになっていた。モールの関係者でもないのに、営業終了時刻をもう一時間前倒したほうが無駄がなくなっていいですよ、と助言したくなるくらいの過疎状態だ。
今までは遅くまで営業している店舗のなかったこの町の人たちは、さっさと買い物を済ませて家に帰るということに慣れてしまっているようで、ショッピングモールに残った客といえばガラの悪い若者と、車持ちで会社帰りの単身者たちくらいのものだった。
コーヒーショップはほとんど無人だったので、奥のテーブルに多恵子さんが座っているのを僕はすぐに見つけることができた。
「ごめんね、急に呼んだりして」
テーブルには、飲みかけのキャラメルマキアートがあった。
「いいえ。ちょうど帰宅したところでしたので」
僕は注文したばかりの温かいラテをテーブルに置き、多恵子さんの向かい席に腰を下ろした。
「良かったの? 病院に行くところだったんでしょう。というか、もう今日は面会時間終わっているんじゃないの」
「ははは。そうですね。仕事で遅くなることがあるとは病院には伝えていますけど、病院より姉さんの方が機嫌を悪くしているかもしれませんね」
ラテはまだ熱いようで、カップからは細い湯気が立ち上っている。
「そろそろ沙絵は退院するのよね」
「ええ。ひとまずは落ち着いていますし、食事を節制して薬さえ飲んでいればあとは普段通りで生活できると医者は言っていました」
「そう。よかった」
「近況報告していなくてすみません。いろいろとドタバタしていたものですから」
「いいのよ。今日はこうして会ってその話が聞きたかったんだから」
多恵子さんはそう言って、キャラメルマキアートを一口飲んだ。
店内にはゆっくりとしたテンポのBGMが流れている。
「それで、本当のところはどうなの」
多恵子さんの目が光ったような気がして、僕はどきりとした。
「やだなあ多恵子さん。脅さないでください」
「ふふ」
多恵子さんはすぐに横を向いて「冗談よ」とも言うようなとぼけた顔でもう一口ドリンクを飲んだ。
この人は注意深く頭の回転が速いので、隠し事をしようとするとたちまち分かってしまう。そんな、しらを切っても最後には自白させてしまうような迫力を持っていた。多くの場合それは姉さんに向けられるのだけれど、こうしてその目で僕が睨まれると、やっていないことまで吐いてしまいそうなほどに心臓が縮み上がってしまう。
「ええと、まあ…よい機会なので今日は僕からその話をしようと思いまして…」
別に僕は何か多恵子さんに隠し事をするつもりはなかった。ただ、姉さんの未来がそう明るくないということを自分の口に出したくなかったのだ。医者から伝えられている揺るぎない現実を、僕はまだ認めたくなかったのかもしれない。
「そう。やっぱり芳しくないのね」
「ええ」
多恵子さんは悪い予感が当たったかのような苦い顔をした。僕は続けた。
「正直なところ、姉さんはもうあまり治る見込みがありません。医者が言うには、もうできることはこれ以上悪化させないようにすることだけだそうです」
「相当悪い状況なのね…」
「ええ。ただし万全の医療体制で臨めば、内臓の負担を減らして病状を食い止め続けることは不可能ではないそうです。でもそれはあまりに高額ですし、仮に出来たとしても一生病院から外へ出ることができません」
多恵子さんは無言だった。
「医者のいうもう一つのプランは、余命わずかということを受け入れることです。病状を進行させないためには食餌療法とわずかな薬だけでも効果はあるそうなので、自宅で普通の暮らしを送りつつ定期的に通院するだけでも、このまま放っておくより随分マシだそうです」
「…それで、どのくらい余命は少ないの」
多恵子さんはうつむいていた。僕はその答えを口にすることが辛かった。
「最悪、3ヶ月。…もって、1年」
店内のBGMが、止まった。
◇
わずかな無音時間を置いて、再びBGMが流れ出した。ただし、流れているのは閉店の音楽だった。
うつむいたままの多恵子さんがどのような顔をしているのか、僕はそれをあまりはっきりと見たくなかった。
僕はテーブルに置かれたままだったラテに口をつけた。それはまだ熱かったけれど、居たたまれなくなった僕はそれ以外にすることがなくて、目を伏せたままちびちびと熱いコーヒー香を啜っていた。
キャラメルマキアートの方はもうすっかり冷めていた。




